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しぁんくれーるの マッチ箱 |
スィングジャーナルには、全国の有名なジャズ喫茶の広告が載っていました。当時は、ジャズ喫茶全盛の頃であり、東京のDUG、PIT INN、横浜のちぐさ、一関のBASIE、仙台のCount等々、各地の名だたる店は、全国的にもよく知られていました。なかでも特別な存在だったのが、1956年開店という京都の「しぁんくれーる」でした。学生の街京都のジャズ喫茶の草分けであり、オーナーの星野女史は、マイルス・デイビス、アート・ブレイキー、ソニー・ロリンズ等と親交があるという有名人でした。また、店名の”しぁんくれーる”は、フランス語で”明るい場所”、あるいは”開けた野原”を意味しますが、”思案にくれる”という言葉もイージさせる、実におしゃれな名前でした。また、オーナーの似顔絵とも言われるマッチのデザインも、とてもおしゃれで有名でした。
私も、高校の修学旅行の際、行きました。グループによる終日自由行動という日があり、私は、形だけグループに入り、一人で行動するつもりでした。ところが、何人か、一緒させてくれ、という奴が出てきて、一つのグループを作りました。学校には、適当な計画書を出し、南禅寺の湯豆腐、イノダのコーヒー、先斗町のすき焼き等を楽しみ、合間に若干の観光も行いました。そして、その日最大のイベントが”しぁんくれーる”訪問だったわけです。最近の中学生は、自由行動の際、任天堂本社へ行きたがると聞きます。中に入れるわけではないのですが、彼らにとっては、まさに聖地なのでしょう。私にとっての”しぁんくれーる”も、まさに聖地でした。コーヒーを飲んで、マッチをもらってきただけのことですが、クラシックな内装の店内は、さほど広くもなく、ほの暗かったことを覚えています。
”しぁんくれーる”は、全国のジャズ・ファンにとって聖地だっただけでなく、当時の学生文化の聖地でもありました。当時、「聖少女」等で学生に人気の高かった倉橋由美子の小説の舞台にもなっています。倉橋は、明治大学在学中に作家デビューしたことでも知られますが、以前、京都で学生生活を送ったことがありました。そして「二十歳の原点」で一躍有名になった高野悦子が通っていた店として、ジャズ・ファン以外にも知られることになります。高野悦子は、1969年、立命館大学3回生のおり、自殺しています。学生運動で騒然する大学生活や青春時代特有の心の揺らぎに、繊細な感性が絶えられなかったのでしょう。死後、彼女の日記が「二十歳の原点」として出版され、大きな反響を呼びました。若者たちの抵抗の季節が終わりを迎え、その時代を感傷をもって記憶する人たちにとっては、バイブルに近かい本だったのでしょう。
”しぁんくれーる”は、京都市電河原町線の荒神口停留所の前にありました。私も、四条から市電に乗って行きました。京都市電は、1978年に廃線となっています。”しぁんくれーる”も、1990年に閉店しています。全国のジャズ喫茶は、1980年前後に閉店した店が多いようです。さすがに聖地は、他に先んじて開店し、他に遅れて閉店したわけです。ちなみに、かつては、皆、喫茶店のマッチをコレクションしていたものでした。今も、好事家の間では、ネット上で取引されているようです。恐らく、”しぁんくれーる”のマッチは、いい値段がつくのだろうと想像します。(写真出典:neko.net.com)