ヴェネツィア・カーニバル |
カーニバルは、宗教上の教義に基づく行事ではありません。ゲルマンの春の到来を祝う祭りと四旬節が結びついて生まれたとされます。断食の前に、たらふく飲み食いしておこうということだったようです。カーニバルの語源は、ラテン語の”肉を取り除く”という言葉だと聞きます。断食を意味するのではなく、断食の前に、今ある肉を食べ尽くすということなのでしょう。聖書に記載のない民間行事ですから、お祭りの内容も、期間も、各地で実に様々です。ただ、カーニバルの終わりだけは、世界共通であり、灰の水曜日の前日となります。世界三大カーニバルと言われるのが、リオ・デ・ジャネイロ、ヴェネツィア、トリニダード・トバゴのカーニバルです。
トリニダード・トバゴのカーニバルは、首都ポート・オブ・スペインで行われ、トリニダード・トバゴ発祥の音楽”ソカ”の早いリズムで踊ります。映像で見る限り、派手な衣装やグループでのコンテストなど、リオのカーニバルによく似ていますが、リオのエスコーラほど統制はとれていなく、より自由で、より他民族的な印象です。ソカは、1960年代に、ソウルとカリプソの組み合わて誕生したいわれますが、とにかくテンポが早いことが特徴です。また、トリニダード・トバゴで生まれ、カリプソを象徴する楽器となったスティールパンが多用されます。スティールパンは、ドラム缶を切って作られますが、独特な甘い音色が魅力的です。カーニバルの時期に合わせて、世界最大のスティールパンのコンテスト”パノラマ”も開催されます。
ヴェネツィアのカーニバルの始まりは12世紀までさかのぼります。最も有名なマスクと仮装は、身分の違いを超えて、人々が交流し、楽しむためのものと言われます。ただ、後にマスクは、娼館へ通う際や秘密の逢瀬でも用いられるようになり、一時期は、カーニバル以外での着用が禁じられたこともあったようです。千年の都ヴェネツィアのカーニバルは賑やかなものだったようですが、ナポレオンやオーストリア帝国支配下では抑圧され、下火になっていきます。ヴェネツィアにカーニバルが復活したのは、1979年のことでした。ただ、庶民の祭りというよりは観光的な色合いが濃くなっていることは否めません。とは言え、かつて開催されていた”メアリーの饗宴”と呼ばれる美人コンテストも復活され、あるいはマスクと衣装のコンテストなども開催されるなど、派手に行われているようです。
リオのカーニバルについては、何の説明も必要ないでしょう。世界最大のカーニバルであり、サンバの祭典です。エスコーラ・ジ・サンバと呼ばれるサンバ・グループが競うパレードが最も有名です。他に街頭で市民によって行われるカーニバル・パレードもありますが、今年もコロナ感染予防として中止されました。ただ、コンテストは、4月に延期して実施されるようです。個々のエスコーラには、数千人が所属し、1年をかけてパレードの準備をしています。メイン会場でパレードするエスコーラは12団体ですが、これがいわば一部リーグにあたります。その下にも多くのエスコーラがあり、コンテストは入れ替え戦でもあります。従って、当局への開催圧力は相当に強いものがあるはずです。また、カーニバルによる観光収入は、リオにとって重要な財源であることも間違いありません。(写真出典:cafetalk.com)