2022年8月2日火曜日

エンブラエル

FDAのエンブラエル機
フジドリームエアラインズ(FDA)は、2008年に設立され、2009年から運航を開始しています。鈴与100%出資のリージョナル航空会社です。創業220年になる鈴与は、清水港の回漕業から始まった物流大手ですが、業務の幅広さでも有名です。静岡空港開業にあたり、県から要請されたとは言え、8代目鈴木與平会長が、航空業への進出を決めた際には、無謀との声が多くありました。FDA設立前に、当時、社長だった鈴木與平氏から、設立経緯を伺う機会がありました。日本の航空業不振の理由は、燃費の悪い大型機に半分の乗客だけを乗せて飛んでいることだ。燃費の良い中型機を使用することで、採算は見込める。ブラジルのエンブラエルに出会ったことが、航空事業進出の決め手となった、とのことでした。

当時、エンブラエルに関する知識を持っていなかったので、思わず「ブラジルの飛行機ですか?」と聞き返しました。私の頭のなかには、陽気なブラジル人が、サンバでも聴きながら、機体を組み立てている光景が浮かんでいました。鈴木與平氏は、笑いながら、皆、同じ反応をしますが、ご心配なく、ドイツ系移民がドイツの航空技術を継承している会社です、と言っていました。19世紀、ドイツ人は、アルゼンチン、ブラジルはじめ、南米各地に多く移民しています。第二次大戦後、ナチス残党の逃亡を助けたオデッサ機関は、スペイン、アルゼンチン、ブラジル等に逃亡ルートを持っていたとされます。戦前、ドイツが世界に誇った航空技術が、ブラジルで継承されていたとしても不思議はありません。

エンブラエル(Empresa Brasileira de Aeronáutica S.A.)は、1969年、ブラジルの国営航空機メーカーとしてスタートしています。空軍の技術研究所によるバックアップを受け、1972年には、20人乗りの双発プロペラ旅客機「バンデイランテ」の初飛行に成功します。バンデイランテは、500機生産され、日本にも導入されています。ちなみに、日本の翼YS-11の生産数は182機に留まっています。この成功で、エンブラエルは、一躍、世界の航空機製造業の一翼を担うことになりました。その後、湾岸戦争の煽りも受けて経営は悪化、1994年には民営化されています。1990年代から、エンブラエルは、小型・中型のジェット旅客機を開発します。折しも、世界中の航空会社が、そのカテゴリーの航空機を求めていました。

FDAが使用する機体は、76席のERJ170、86席のERJ175です。このERJシリーズの成功によって、エンブラエルは、カナダのボンバルディアを抜いて世界第3位の航空機メーカーとなりました。エンブラエルは、ブラジル最大の輸出企業でもあります。いまやブラジルは、コーヒーとサンバと飛行機の国だと言うべきです。エンブラエルの成功に比べ、三菱スペースジェット(旧MRJ)の現状のなんと悲しいことかと思ってしまいます。2008年に国家プロジェクト化されましたが、開発は遅れに遅れ、現在は、事実上の凍結状態となっています。何がエンブラエルと違ったのか知りたいものです。結果的には、技術力の差なのでしょうが、そればかりでもないように思えてなりません。

皆が心配したFDAでしたが、その後、順調に推移しています。静岡、小牧、神戸を運行拠点とし、地方空港間を飛ぶリージョナル路線を拡大中です。東京の人は、FDAになじみが薄いのでLCCと勘違いしがちですが、立派なフルサービス・ライナーです。機材も増加を続けています。あらためて、8代目鈴木與平氏の慧眼に敬意を表します。一度、FDAのエンブラエル機に乗ったことがあります。どんなものか、興味津々で搭乗しましたが、さすがに他機との乗り心地の違いまでは分かりませんでした。ただ、どことなくカチッとした印象を受け、車で言えばBMWのタッチに近いものを感じました。もちろん、ドイツ系と聞いたから、そう思っただけのことでしょうが。(写真出典:flyteam.jp)

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