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2021年6月16日水曜日

営業昔話(16)営業の神様

昔々、営業の神様といわれる人がおったとさ。

Joe Girard
営業の神様と呼ばれる人は、古今東西、また各業界にも数えきれないほどいるのでしょう。ギネス・ブックが認定した世界一の営業マンと言えば、シボレーのセールスマンだったジョー・ジラードということになります。40以上の職を転々としたジラードは、35歳でシボレーのセールスマンになります。そして、3年後には全米トップ、4年目以降は、12年間連続で、世界一のセールスマンと認定されます。彼の信条は「 人々が買うのは商品ではなく、人なのだ」という言葉に集約されます。人に好かれるためには、誠実な姿勢、清潔な服装、話を聴く習慣、笑顔を絶やさないこと、が大事だと言っています。なかでも「聴くこと」に徹したことこそ、ジラードが成功した大きな要因だったと思われます。

私が、常々、営業の神様と呼んでいた人がいます。東京の下町の中堅印刷会社の専務さんです。莫大な印刷予算を持つ営業企画部の部長だった私のところには、大手出版会社はじめ多くの印刷会社の方々が営業に来ていました。ただ、印刷会社の選定は、各課長さんたちに任せていました。実務を担う人間同士で決めるべき事柄と思っていたからです。年度末には、年間の印刷予算の執行状況が報告されます。それを見ると、毎年一番多くの契約を獲得しているのが、並み居る大手を差し置き、営業の神様の所属する中堅印刷会社でした。印刷も信頼の商売です。ミスがない、納期を守る、多少の無理がきく等、日ごろからの信頼の積み重ねが実績に現れるということです。

専務さんは、照る日も降る日も、毎日、営業企画部に顔を出します。私が忙しそうにしていると、ドア口にじっと立ち続け、私の目線を捉えると、目礼だけして帰ります。私が、多少ゆとりがあると見ると、デスクまで来て、決まって「一生懸命やらせていただきますので、なんなりとお申し付けください」とだけ言って帰っていきます。世間話をするわけでもなく、情報を聞き出すわけでもなく、接待に誘いだすわけでもありません。話したことがなくても、専務さんの誠実な人柄は、誰もが認めるところでした。ただ、毎年1回の接待ゴルフだけは受けていました。それも専務さんから直接誘われたものではありませんでした。ゴルフの誘いは、決まって当社の会長経由で来ました。

聞けば、その中堅印刷会社の社長と専務さん、そして当社の会長の3人は、戦後の混乱冷めやらぬ頃から、苦楽を共にしてきた、いわば戦友でした。お互い出世しても、年1回のゴルフだけは続けてきたと言います。その恒例のゴルフに、私を誘ってくださいと専務さんから会長に依頼があったというのです。今度の営業企画部長は、仕事ばかりで、酒も飲まなきゃ、ゴルフもしない、営業泣かせの堅物だと印刷業界では噂しております。よって、会長さんから誘ってみてください、と言われたのだそうです。ま、堅物の実態はともかくとして、確かに接待を受けている暇がなかったことは事実でした。思うに、会長と永年の付き合いがあれば、会長に「もっとこの会社を使え」と言わせれば話は簡単なはずですが、一度たりともそんな話はありませんでした。会長とその会社との関係すら知りませんでした。これも営業の神様の人となりを伝える話だと思います。

「私は話すのが苦手なので、営業には向かいない」という人がよくいます。大きな誤解です。立て板に水の如く話しまくるのが、優秀な営業とは限りません。むしろ、聴くことこそが営業の本質です。話を聴くことで、お客さまの人となり、価値観、潜在的ニーズが明らかになります。情報に基づき、的確なタイミングで、的確な提案をすれば、確実に契約は成立します。営業とは聴くこととみつけたり。(写真出典:goodreads.com)

2020年10月4日日曜日

営業昔話(15)徹底力

昔々、皆、方針の徹底不足に悩んだとさ。 

米国のビジネス・コンサルタントのラム・チャランが、世界の名だたる企業2,500社以上の経営計画を調査しました。結果、失敗した計画の7割以上が、計画そのものではなく、実行段階に問題があったそうです。営業の世界でも、新しい方針や戦術がうまくいった例は、ごくわずか。それもそのはず、新しいプランが徹底できないうちに、結果がおもわしくないと判断され、次のプランが計画されるということの繰り返しでした。問題は、プランの良し悪しではなく、実は徹底力にあったのです。

組織とは、煎じ詰めれば、「目標共有と役割分担」ということになります。目標共有に関して言えば、個人目標と組織目標が完全に一致していれば、強い組織になります。まず個人目標があり、それを効率よく達成するために組織化したような、いわば原始的な組織は、これが出来ています。例えば、氷河期にマンモスを狩る時などがいい例でしょう。ところが社会が複雑化すると簡単にはいきません。例えば、株式会社の目的は株主のために利益をあげることです。従業員は、生活のために賃金を得ることが働く目的です。従業員は、より多くの賃金を望みます。利益が同じなら、人件費増は株主にとってマイナスとなります。

そこで組織の背骨とも言える「目標と評価」という仕組みが求められます。組織目標を分解して個人目標を設定し、その達成度を評価して処遇に反映させます。これが人事制度の主な機能です。個人目標には、各人の理解・納得が求められます。ここが一番難しいところであり、完璧ということはほぼありません。私は、まず組織目標をいかに達成するかというミーティングをさせます。組織目標を理解させ、その達成のために個人がすべきことを考えさせ、チームのためにという意識を自発的にセットさせるためです。これを行えば、個人目標の納得感は高まります。

組織の徹底不足は、しばしばPDCAがうまく回っていないことにも原因があります。営業組織でよく見かけるのは、結果の数字ばかり見て、責任を追及するスタイルです。Check段階で、最も重要なことは、責任追及ではなく、Whyを繰り返すことです。それがなければ、PDCAとは言えません。そもそもPDCAサイクルは生産現場で生まれたもので、営業組織には向いていない面があります。むしろCheckから回す方が適しています。近年では、アメリカ空軍が開発したOODAループが、営業組織には適しているとも言われます。OODAとは、Observe(観察)・Orient(適応:生データを情報に転換)・Decide(決定)・Action(実行)、その繰り返しと言う意味でループがつきます。

ちなみに、ラム・チャランは、その著書で、組織の徹底力に関して、リーダーシップのあり方が重要だとしています。それもその通りだと思います。(ラム・チャラン  写真出典:corporatebytes.in)

2020年7月30日木曜日

営業昔話(14)人助け

昔々、営業の極意は人助けと言ったもんだとさ。

一時の幸せを得たいなら、昼寝をしなさい
一日の幸せを得たいなら、魚釣りに行きなさい
一月の幸せを得たいなら、結婚しなさい
一年の幸せを得たいなら、遺産を相続しなさい
一生の幸せを得たいなら、人助けをしなさい

アメリカ人が好む話です。彼らは、中国の言い伝えと言いますが、出典も明らかではなく、また様々なバージョンがあります。例えば、釣り愛好家の皆さんたちは「一生の幸せを得たいなら、釣りをおぼえなさい」と変えています。おそらく、元はアメリカ人の創作ジョークなのでしょうが、よくできています。

ポジティブ心理学の第一人者で、TEDトークスの再生回数トップというショーン・エイカーによれば、成功して幸せになるのではなく、幸せだから成功するのだ、ということになります。いわゆる幸福優位性です。幸せをもたらす神経伝達物質ドーパミンの分泌が良い状態で実験すると、脳の生産性は31%アップ、営業の場合、成績は37%もアップしたと言います。

ハフィントン・ポストに、アメリカの各大学が幸せについて研究した結果が掲載されています。例えば、ハーバード大の研究によれば、時間を使って人助けをすると、オキシトシン、セロトニン、ドーパミンの分泌が高まり、他の人に比べ、仕事への集中力は10倍、昇給は40%も上回ったと言います。

イエール大やノースウェスタン大の研究では、外的要因が幸せに及ぼす影響は限定的だったそうです。つまり、宝くじに当たっても、幸せに与える影響は知れたものだったと言うのです。では幸せに大きな影響を与えるものは何か。それは習慣、そして他者との関わり方であり、特に他者を優先させることが幸せにとって大切だといいます。

つまり、営業成績を上げるために顧客に売り込むという姿勢ではなく、顧客の問題解決を手伝うという姿勢で日々臨めば、ドーパミンの分泌が増え、幸福感が高まり、おのずと成績も上がっていくということになります。
TEDトークスにおけるショーン・エイカー  出典;youtube.com

2020年7月17日金曜日

営業昔話(13)商品か営業か

昔々、商品が悪い、営業が弱い、と喧嘩している人たちがいたとさ。

「営業は強いのに、商品が悪いから売れない」とセールス・サイドが言えば、マーケティング・サイドは「商品はいいのに、営業力がないから売れない」と言うわけです。よく聞く話ですが、いずれも事の本質が分かっていない発言です。極端に言えば、どんな商品でも売るのがセールスであり、セールス不在ても売れる商品を作るのがマーケティングです。

2004年、二度目のリコール隠しに、三菱自工は社会的糾弾を受けます。その頃。三菱の車が路上で燃えると、映像付きのトップ・ニュースになっていました。車は、たまに燃えるものです。日本で一番燃えてる車は、明らかにトヨタ車。トップ・シェアだからです。そんな状況下、うちは会社の車も、家の車も三菱以外は乗らない、と言い切る中小企業の社長にお会いしました。三菱とは仕事上の関係はなく、ただ担当の営業マンを信頼しているからだ、と言っていたことが印象に残りました。

同じころ、三菱自工の営業担当役員にも会いました。「売上は3割まで落ちた。でも、いい車を作れば、必ず回復できる。最大の問題は、営業担当者が半分まで減ったことだ。これを回復するには、どれだけ時間がかかることか」と言っていました。誰が顧客をつかんでいるのか、それを明確にご存知だったわけです。

営業とは何か、その答えは、格言めいたものも含め、山ほどあるでしょう。また、 営業に携わる人は、 一人ひとり、それぞれの答えを持っているべきだとも思います。 私は、 煎じつめれば、 顧客を思いやる誠意だと思います。 ですから、 商品か営業か、 という問いは無意味。 その顧客にとって、 意味のある商品なら勧め、 意味がないなら勧めない、 ということになります。 その姿勢が、 永い信頼関係を築きます。

車の営業の話を、 もう一つ。 永くホンダに乗っている知人がいました。 営業担当者は、 半年に一度、 必ず顔を出すと言います。 そして、 必ず「あなたは、 本当にいい車を買った。 いつまでも大切に乗ってください 」とだけ言って帰るというのです。車の営業は、 新車を売って、 初めて成績が立つ世界にもかかわらず、ですよ。もちろん、知人は、その担当者から離れられなくなっていました。
写真出典:cio.com 

2020年6月30日火曜日

営業昔話(12)真実の瞬間

昔々、一冊の本がサービスを変えたとさ。

ヤン・カールソン著「真実の瞬間」(87年)は、サービス・マーケティングの始まりを告げた本として有名です。カールソンは、旅行代理店の若き経営者でしたが、経営危機に陥ったSASスカンディナビア航空の社長に抜擢されます。カールソンは、わずか1年でSASを復活させました。後にバーバリゼーションと呼ばれることになる手法です。より顧客に近い川下の業界から川上の会社の社長を抜擢する方法であり、やはり経営危機にあった英国のバーバリ社がデパート業界から社長を抜擢し、成功します。

SAS社長に就任したカールソンは、顧客は従業員と会った最初の15秒でリピートするかどうか判断すると主張します。この15秒こそが「真実の瞬間」であり、顧客本位主義を宣言した瞬間でした。ナショナル・フラッグであるSASは官僚化が進んでいました。カールソンは、顧客フロントに大幅な権限移譲を行います。それは大きなコストカット、そして伝説的なサービスを生み出します。出発間際、カウンターで航空券を家に忘れたことに気づいた顧客に対し、グランド・スタッフが自らの判断で搭乗券を手渡す、といった具合です。

さらにカールソンは、SASの搭乗客の多くがビジネスマンであることを発見します。ターゲットをビジネスマンに定めたカールソンは、今や常識となったビジネス・クラスを発明します。SASの業績が急回復したのも頷けます。こうして、従前は物品の販売に限定されていたマーケティングが、サービス分野へと水平展開していったわけです。同じころ、伝統的マーケティングも、生産者目線のマス・マーケティングから、消費者目線のOne to One マーケティングへと大きく変化していきました。

その後、夢の国ディズニーランド、Noと言わない百貨店ノードストローム、ホスピタリティをブランド化したリッツ・カールトン等々、多くの伝説的サービスが、顧客本位のサービス・マーケティングを広めていきました。いまや常識となった顧客本位のマーケティングですが、「真実の瞬間」の持つ歴史的意義が変わることはありません。

「真実の瞬間」のなかに大好きな例え話があります。欧州の街角で働く石工に何をしているのかと尋ねると、一人は「石を削ってるんだよ」と答えます。別な石工は「欧州一の教会を建てているんだ」と答えます。下手な解説は不要ですね。
ビジネス・クラスに立つヤン・カールソン  出典:bilder i syd

2020年6月24日水曜日

営業昔話(11)営業現場の構造

昔々、営業現場は3つの要素で成り立っていたとさ。

全ての営業に当てはまるとは思えませんが、対面販売に限って言えば、営業の現場は、わりと単純な構図であり、3つの要素で構成されていると思います。動機づけ、活動(3K)、組織です。

動機づけ
営業は、外に出れば一人。会社の看板を背負っているとは言え、手を抜くことも可能。自分との戦いの場でもあります。それだけに動機付けはとても重要です。何のために働くのか、ということですが、「夢の実現」といってもいいと思います。夢や働く目的が明確であるほど、いいと思いますし、計画もより具体的になり、自己統制も効き、活動もブレません。マズローの欲求段階説の最上段階である自己実現が最も強い動機付けですが、家を建てるといった身近で具体的な夢も大事だと思います。
内的な動機付けを前提に、外的な動機付けが必要となります。目標と評価です。目標は、計画に基づく実現可能性が重要です。評価は処遇ということでもありますが、実績とリンクさせ、可能な限り見えやすいものがベストでしょう。

活動(3K)
基盤…ターゲットのことです。ターゲットが明確であるほど、計画も教育も、より具体的になり、より的確性が増します。開拓対象が明確なほど、責任感も強まります。
計画…日程管理も大事ですが、その前に、活動をどう組み立てるかということが大事。週に何件のアポといったプロセス目標、週単位で活動を組み立てるといった時間的枠組み、個々に見込み度を上げていく顧客管理等です。計画無くして行動も反省もありません。PDCAを回すための出発点です。計画の理想とすべきは、習慣化だと思います。
教育…商品知識、関連情報、販売手法等に関する教育、あるいは自己研鑽は、常に怠るべきではありません。業績向上のためだけではなく、顧客への誠実な対応の基本として欠かせません。それが個々人の自信、誇り、そして帰属意識の高揚にもつながります。

組織
外に出れば一人だけに、一人にしてはいけないのが営業職だと思います。マズロー的に言えば、社会的欲求と承認欲求は組織で満たされます。人は、自分のためではなく、組織のためなら、持てる能力の120%以上の力も発揮できます。それが人の伸びしろでもあります。ドラッカー曰く「人は組織への貢献のなかでしか育たない。」煎じ詰めれば、組織とは、目標共有と役割分担がすべてです。共感・納得できる目標、その達成に向けた一人ひとりの役割が明確であれば、それで十分です。組織運営の背骨は、目標と評価です。報酬・表彰等といった評価の仕組みは別として、リーダーは日常的に「ほめる・認める・感謝する」を意識することも大事です。要は、一人ひとりの居場所を作ることです。それがチーム・スピリット醸成にもつながります。詳細は別の機会に譲りますが、例え、今、冴えない営業要員であっても、居場所は作ってあげてください。組織の力が大化けさせるかもしれません。

調子の悪い営業組織は、以上の要素のうち、どれかが欠けている、あるいは弱くなっている状態だと思って間違いありません。

2020年6月8日月曜日

営業昔話(10)農耕型

昔々、営業は農耕だよと言ったもんだとさ。

NYで働いていたころ、仕事仲間の米人たちに「あなたにとって保険営業とは何か?」と、よく聞いていました。単なる興味本位ですが、皆、まじめに答えてくれました。様々な答えがありましたが、一人だけ面白いことを言った人がいます。中堅保険ブローカー会社の社長です。「保険営業とは”Cold Canvas”だ。」コールド・キャンバスとは飛込営業のことです。個人営業から始めたたたき上げの人らしい答えです。私は、よく分かるけど、今は時代が変わったよねと言い、一つの例え話をしました。

江差のニシン漁の話です。昔、春になると江差の浜にはニシンの大群が押し寄せ、船元は、平船を何艘持つか、ヤン衆と呼ばれた出稼労働者を何人雇えるか、日に何度船を出せるかの勝負だった。ある日、ニシンは浜に来なくなり、船元は沖に向かいます。エンジンのついた大型船と熟練の漁師が必要になりました。春のニシン漁だけでは厳しいので、他の魚の生態も勉強し、魚群探知機も必要になった。そして、もっといい方法を思いつきます。養殖です。保険営業の歴史も同じでしょう。

営業は農耕型の時代だ、と河合楽器の河合社長に話したことがあります。「農耕型営業を始めたのは私だよ。」と言われました。戦後、高価なピアノを買えるような家庭はなく、考えた河合さんは音楽教室を始めます。まず、子供たちにピアノに親しんでもらい、家に余裕ができたらピアノを買ってもらうという作戦です。大当たりしました。高度成長期、多くの家にピアノがありました。

種まき型とは別ですが、かつて保険は集金契約が多く、集金のために必ず訪問するので、契約者の情報は全て掴んでいました。情報は営業の種。適切な提案が、適切なタイミングでできるわけです。これも農耕的です。ただ、集金も無くなり、情報入手が困難となり、保険営業は厳しい時代を迎えました。そこでCSR(カスタマー・リレーションシップ・マネジメント)が登場します。2割の上顧客が8割の売上を生み出すというパレートの法則に基づき、既存顧客をシステマティックに徹底分析し、多件数販売するという方法です。近代農業といったところでしょうか。

さて、話はNYへ戻りますが、私の江差の話を聞いてくれたブローカー会社の社長は、じっと私の目を見て、「それでも営業は"Cold Canvas"なんだよ。」と言いきりました。成功する人たちは違うもんだな、とつくづく思いました。
                                                                                                            開始当時のカワイ音楽教室   出典:Kawai.co.jp

2020年6月6日土曜日

営業昔話(9)商人哲学

昔々、江戸の頃の商人には哲学があったとさ。

伊藤忠商事の社是「三方よし(買手よし・売手よし・世間よし)」は、近江商人の訓えとして有名です。今でも通用する良い言葉ですが、実は昭和になってからの言葉です。近江商人は「近江泥棒に伊勢乞食」という言葉が残るほどですから、厳しい商売をしていたのでしょう。ただ、商いの根底には、三方よしに近い考え方があったのも事実だと思われます。そうでなければ、近江商人の成功もなかったのでしょうから。

石田梅岩
江戸期を代表する商人哲学者と言えば、石門心学創始者の石田梅岩です。11歳から30年以上、呉服屋で奉公し、その後、誰でも通える塾を開きました。石門心学は、商人哲学者でもある京セラの稲盛和夫さんが、世に知らしめました。梅岩の最も有名な言葉は「実の商人は、先も立ち、我も立つことを思うなり」。顧客の利益、商人の利益があって、はじめて商売は成り立つ。当たり前に過ぎますが、商売が持続、拡大するための大原則でもあります。大丸創業者の下村彦右衛門は、その考えをさらに進め「先義後利」と言い切ります。義とは正しい道、公共性と考えればいいでしょう。つまり、顧客を第一に考えれば、利益は後からついてくる、という意味です。大塩平八郎の乱のおり、商人が次々と襲われるなか、平八郎が「大丸は義商なり、犯すなかれ」と言ったことから、焼き討ちを免れたという話は有名です。

千葉県の人気ナンバーワンの寿司屋は、回転寿司チェーンの「銚子丸」です。創業者の堀地速男は、鳴かず飛ばずの持ち帰り寿司店等を経営していました。お付き合いで米国研修へ出かけ、顧客満足度が大事と聞かされます。馬鹿なことを言うな、安く仕入れ、高く売るのが商売だ、と思ったそうです。ところが帰国後、自分は何が一番うれしいか、ということが気になり始めます。「おいしいね」と喜ぶ顧客の顔を見るのが、一番うれしいということに気づきます。そこで利益を削って、寿司ネタを大きくしました。顧客は大喜び、アッという間に千葉県ナンバーワンになりました。

商売は、儲けるために行います。利益を優先して当然とも言えます。しかし、商売も社会的分業の一部。世の中の役に立つから存在し、お客さまが必要とするから成り立ち、報酬を得ることができます。「先義後利」は当然の話です。問題は、実践できるかどうか。日々、それを意識して、自らを戒める仕組みも大事です。それが京都の商人哲学です。京都の若手経営者の多くは、稲盛和夫さんの盛和塾に参加しています。彼らの口癖は「そんなことしたら稲盛さんに叱られる」です。
写真出典:日本史事典.com

2020年5月23日土曜日

営業昔話(8)目標は高く?

昔々、「目標は高かるべし」と言ったもんだとさ。

1968年メキシコ・オリンピックの走り幅跳びで、驚異的な世界新記録が出ます。あまり注目されていなかった米国のボブ・ビーモン選手が、それまでの世界記録を一気に55cmも上回る8m90cmを出し、金メダルに輝きます。いかに高地での記録とは言え、数センチを争う競技で、この記録は驚異的でした。

ボブ・ビーモン   出典:blackkudos
ビーモン選手には、変わったルーティンがありました。今日の目標とするあたりに帽子を置くのです。その日も、同じように、このあたりかな、というところに帽子を置き、スタート地点へ向かいます。ところが、砂場を整備する人が、その帽子をトンボでひっかけ、随分先まで動かしてしまいます。それと知らないビーモン選手は、いつも通り、帽子を目指してジャンプします。結果は、驚異的な世界新記録。人間は自ら限界を決める唯一の動物、と言われます。偶然とは言え、ビーモン選手は、自ら決めた限界を否定し、潜在能力を引き出したとも言えます。

もし、ビーモン選手が、最初から9m のところに帽子を置いたとしても、同じ結果が出たでしょうか。恐らく、力んで、失敗ジャンプを繰り返したのではないかと思われます。オリンピックという一発勝負の世界で最も大事なことは、日頃のトレーニングだと思います。ビーモン選手がさほど注目されていなかったということは、それまで記録に恵まれていなかったということでしょう。帽子が邪魔をしていた面もあるかもしれません。ただ、最も注目すべきことは、ビーモン選手が、日頃から、いい練習を積み重ね、潜在能力を高めてきた、ということだと思います。

「目標は高かるべし」はいい言葉だと思います。その高さが、人間を成長させると思います。しかし、むやみに高いだけの目標は、人をつぶしかねません。営業は、短距離ではなく、長距離ランナーです。高いモチベーションを持続させる「夢」こそ大きく持つべきだと思います。そして、その実現に向けた日々の「目標」は、あくまでも実行可能な計画に裏打ちされたものであるべきでしょう。その積み重ねこそが重要であり、その積み重ねこそが大きな記録を生み出します。




2020年5月20日水曜日

営業昔話(7)習慣

昔々、世界一の営業マンは、たった一つの習慣にこだわったとさ。

数年前、米国人の友人から、サム・パーカー氏の「華氏212度」というセミナー冊子をもらいました。華氏212度とは、摂氏で言えば100度。99度のお湯も熱いけど、100度になると蒸気が生まれ、産業革命が起こり、世界を変えた。その違いは、たった1度。小さな違いが大きな違いを生む、世界はそんなことにあふれている。私たちも、ちょっとしたことを毎日続けてみよう。例えば、いつもより1本だけ多くセールス・コールをする、それだけで大きな違いが生まれるはず。営業の世界では、しばしば活動の習慣化が大きな成功を生みます。

保険営業の世界に、延々と世界ナンバーワンを続けた伝説の男がいます。英国のトニー・ゴードンです。数年前、来日セミナーに参加しました。どんなにすごいカリスマかと思いきや、風采、物腰、話し方、どれをとっても、ごくごく普通のおじさんでした。セールス話法の全てを明らかにしてくれましたが、これといって感心するような内容でもありませんでした。ただ、たった一つ、感心、納得したことがありました。

「週15件のアポ」です。彼が、保険営業を始めた時、マネージャーにこう言われたそうです。「週15件のアポを取れば成功する。」成果を意識するのではなく、日々できるプロセスに注力させるという指導です。生意気だったトニーは「週14件じゃダメなんですか?」と聞きます。マネジャー答えていわく「週14件でも成功するかもしれない。でも15件なら必ず成功する。」実に優れたマネジャーです。単なる努力目標と習慣化の違いを教えたわけです。

トニーは、週15件のアポにこだわっていたら、いつのまにか世界一になっていた、と言います。それは自分との約束であり、それを破ることは自分を否定することになる。翌週のアポが15件にならない限り、家には帰らない、とも言っていました。

「凡事徹底」という言葉があります。「継続こそ力なり」という言葉もあります。いずれもいい言葉ですが、非凡な努力が求められているようにも聞こえます。しかし、習慣化できれば、もっと気楽に続けることができるはずです。
                                                                                                              トニー・ゴードン  写真出典:tonygordon.biz


2020年5月7日木曜日

営業昔話(6)夢のサイクル

昔々、皆でPDCAを回したとさ。

夢のない人には目標がない
目標のない人には計画がない
計画のない人には行動がない
行動のない人には成果がない
成果のない人には反省がない
反省のない人には進歩がない
進歩のない人には夢がない

「夢のサイクル」と呼ばれる一文です。うまいことPDCAサイクルを表しているので、会社でよく使いました。出所が判然とせず、伝聞で広がったので、様々なパターンがあります。最近では、流通評論家の吉田貞雄という方の「夢八訓」と紹介されているようですが、15年ほど前、必死に原典を探した時には、まったく出ていなかった名前です。この方も、自分なりにアレンジして発表したのでしょう。ちなみに、15年前に調べた時は、出所をつきとめることはできませんでした。ただ、最も信憑性が高いと思えたのが、函館のさる飲食店のトイレの落書きから始まった、というものでした。

意外とそんなものかもしれません。仕事から生まれた知恵が、結果的にPDCAサイクルにつながっていたということなのでしょう。PDCAサイクルの歴史は古く、デミング博士が日本に持ち込んだもののようです。日本のお家芸である品質管理(QC)は、国勢調査に協力するために来日中だったデミング博士の講演から始まります。1950年のことです。デミング博士の統計的プロセス制御の理論を、QCサークル(小集団活動)を通じて実践した日本は、見事に経済復興を成し遂げ、かつ高い品質を誇るものづくり大国となりました。その後、QC活動は、生産現場から、管理部門へ、営業部門へと広がり、普遍的なマネジメント・ツールになります。まさにデミング博士が、日本の産業界を形作ったとも言えます。

日本の産業界に、すっかり定着したPDCAですが、時代の変化とともに問題も出てきました。例えば、スピード感に欠ける、Pのウェイトが高すぎて、時間がかかる、あるいは前例踏襲が増える、等々があげられます。それらの改良した、CAPDOs、OODAループ等も登場しています。また、QCサークルも少なくなりました。さらに品質至上主義は「いいものを作れば売れる」という神話まで生みます。マーケティング的に言えば、多少異論もあるのですが。
デミング博士  写真出典:日科技連


2020年4月30日木曜日

営業昔話(5)ソーライ

昔々、客を創った男がおったとさ。

乗客が少ないので会社は赤字だ、と社員に言われた男は「それなら、乗客を創ればいい」と言い放ちます。男の名は、小林一三、阪急電鉄創業者です。甲州の出、慶應義塾、三井銀行を経て、阪急電鉄を創業します。一三は、沿線に宅地開発を行い、当時珍しかった割賦販売も導入します。さらに動物園、温泉、野球場など、開発していきます。温泉の余興として始めたのが宝塚少女歌劇団、後の宝塚歌劇団です。

昭和4年(1929年)には、梅田駅の上に、日本初のターミナル百貨店である「阪急百貨店」を開業します。開店当初は、大層な人出で、大食堂も大人気だったそうですが、ほどなく昭和恐慌が襲いかかります。俸給を減らされた会社員たちは、大食堂で一番安いライスだけを注文し、テーブル備え付けのソースをかけて昼食にしたと言います。ソース・ライス、略してソーライの客が増え、困った店側は、ついに「ライスだけの注文お断わり」と張り紙します。

これを聞きつけた一三は「ソーライ、大いに結構じゃないか。」と、新聞に「ライスだけ注文のお客さま大歓迎」という全面広告まで出させます。大食堂は、ソーライ客で混み合い、一三は、ニコニコしながら食堂内を歩いていたそうです。困惑する社員たちに、一三は語ります。「彼らは、今、貧乏だが、景気が戻れば、いずれ結婚し、今度は、家族を連れて、戻ってきてくれるだろう。」一三の目には、未来の客が見えていたのです。

マーケティングの基本は、ターゲットを絞り込むこと。一三は、これが見事にできていました。これからの日本社会は、会社員が大層を占める。そう見込んで、比較的安価な郊外住宅を開発し、彼らが買いやすい割賦販売を導入し、家族向け行楽地を準備し、駅で買い物させたわけです。後に日本のスタンダードとなる鉄道沿線を中心としたライフ・スタイルの提案です。自称「鉄道の素人」は、実にマーケティングの達人でした。

景気が回復した頃、阪急百貨店の大食堂に、また騒動が持ち上がります。昼食を食べた客が、食事代とは別に、皿の下にお金を置いて帰るという事件が頻発します。苦しい時代を、ソーライで生き延びた会社員たちによる、ささやかな恩返しでした。その律儀な会社員たちこそが、後の関西財界の隆盛を築いたものと確信します。

小林一三                  写真出典:山梨県立文学館




2020年4月28日火曜日

営業昔話(4)断機の訓え

昔々、機屋に立派な嫁がおったとさ。

京都で「先の戦」と言えば「応仁の乱」のこと、とは有名な話です。日本の歴史の分水嶺とも言われる応仁の乱は、京都を中心に11年間も続きます。京都は、すっかり焼け野原になったと言います。山名宗全は、堀川の西側に陣を敷きました。戦後、避難していた織物職人がその地に集まったことから、日本を代表する織物「西陣織」の名が生まれます。

天保年間創業の川島織物(現川島織物セルコン)は、西陣を代表する織屋の一つ。明治の世になり、いち早く室内装飾分野にも進出します。皇居の綴織壁掛、あるいは劇場の緞帳の多くは、川島織物の作品です。川島織物の本社は、現在、鞍馬に近い山間にあります。敷地内には、古今東西の貴重な織物を展示する「川島織物文化館」が併設されています。その入口を入ると、まず目に飛び込むのが、巨大な織りかけの綴織。それには、川島織物の物作りの精神を表す「断機の訓え」というエピソードがありました。

大正時代、宮内省から明治宮殿用の壁掛の依頼が入ります。下絵や試し織りに5年をかけ、正式発注を受けます。折しも欧州は第一次世界大戦中。当時、世界最高峰と言われたドイツの染料も入手困難となっていました。代替品も使いながら、何とか1年ほど織り進めると、ごくわずかな退色が見つかります。職人たちは、問題なしとして、織り進める判断をします。しかし、真夜中、三代目未亡人の絹子は、一人で織場に入り、涙ながらに経糸(たていと)を切り落とします。経糸が切断されれば、織物は終わりです。

ごくわずかでも自信の持てないものは、絶対に出さない。その品質へのこだわりは、宮内省も認めるところとなり、第一次大戦後、あらためて制作、納品されたと言います。品質とは信用のことです。信用とは商売そのものです。
川島織物製作歌舞伎座緞帳  出典:LIXIL



2020年4月26日日曜日

営業昔話(3)ヒット商品

昔々、小さな文房具のセットが売れたとさ。

80年代の半ば、中堅文具メーカーP社が、考えられないほどの大ヒットを飛ばします。サイズを小さくした文具をセットにしたもので、決して安くはありませんでした。小さいとは言え品質は高く、実際に文具として使えました。ただ、実用性で売れたのではなく、物珍しさで大ヒット。ブームの特徴で、持っていること自体がカッコ良かったわけで、瞬く間に入手困難となり、ブームは一層加熱しました。

当時、P社のアメリカ法人の社長は、日本にいるとき、営業を統括していた方でした。ニュー・ジャージーのオフィスを訪問し、初めてお会いした際、「大ヒット、おめでとうございます」と申しあげたところ、「何がめでたいんだ。あのヒットでうちはつぶれるよ。」と言うのです。うちは、下町の小さな文具屋だよ。営業の連中は、暑い日も寒い日も、照った日も降った日も、日がな一日、問屋回りをして、商品を少しでも扱ってもらうよう、ペコペコ頭を下げていたんだ。毎日、その繰り返しよ。でも、それではじめて会社が回っていたんだ。

ところが、今度の大ヒットだよ。品薄で、問屋の方から会社へ来て、一つ二つでもいいから回してくれ、と頼むわけだ。営業担当者は、横柄な態度で、いま在庫はないんだよね、てなもんだよ。外回りすることもなくなり、クーラーの効いた部屋で、机に脚をのせて、電話応対しているだけ。会社、つぶれるよ。こんなことしてたら、ホントに会社つぶれるよ。いいかい、覚えておきな「ヒット商品は営業を殺すんだよ。」

鳥肌がたちました。名言中の名言。後に、勤めていた会社がヒットを飛ばした時、私は、皆にこの話をして、引き締めをはかりました。ちなみに、その会社はつぶれませんでした。それどころか、企業向けに文具のデリバリ・サービスをはじめ、大成功しています。アメリカでは一般的なサービスでしたから、あの人が、帰国後、始めた商売だな、と思いました。
出典:GetNavi

2020年4月16日木曜日

営業昔話(2)輪島塗

昔々、能登を地震が襲ったとさ。

2007年、能登半島を震度6強の地震が襲います。石川県としては、観測史上最も大きな地震でした。直後、輪島塗の名工・慶塚修兵衛氏を、お見舞いのために訪問しました。白塀をまわした広大な屋敷には、蔵が3棟あり、うち2棟が被害を受けたとのこと。ところが、中にあった塗り物は、一つたりとも傷がついていなかったというのです。「輪島塗というのは、それほど強いものなのです。」と慶塚さんは語っていました。それもそのはずです。輪島塗は、塗って削ってを繰り返すこと、実に70数工程。実用漆器としての輪島塗は、美しさのためだけに、その工程をこなしているのではありません。

慶塚さんのご好意で、工房を見せていただきました。数人のお弟子さん達が、黙々と塗りの工程をこなしていました。部屋の隅に、段ボールの箱があり、覗くと、きれいな吸物椀が無造作に入れてあります。「ああ、それですか。30年前、私が塗って、金城樓に納めたものです。」金城樓は、金沢一の老舗料亭です。「30年も、毎晩、熱いものを入れてるとこうなるんです。ほら、底が焼けているでしょう。」見た目には、黒字に金模様のきれいな椀ですが、よくよく見れば、確かに底はうっすら緑がかっていました。「ですから、店から引いてきて、今度は、息子が塗って、また納めます。」いささか驚いた私は「一体、輪島塗は何年使えるものなのですか?」と聞きました。その答えに、さらに驚きました。「塗り直しをすれば、末代まで使えます。」

「ですから、私たちは、いい加減な品物を納めるわけにはいかないのですよ。」江戸の頃から、全国の名だたる老舗旅館や料亭を客としてきた輪島塗の凄さを見せつけられた思いでした。世代を超えて築き上げてきた信用、ブランド力の源泉がここにあります。営業、かくあるべし。特に、CRM戦略をとる場合、これこそが真髄なのだと思います。

干菓子皿 溜塗   出典:慶塚漆器工房

2020年4月15日水曜日

営業昔話(1)営業のトヨタ

昔々、ホンダが大いに悩んだとさ。

技術力ではトヨタを超えている部分も多いのに、なぜ売り上げで超えられないのか。ホンダは、シンクタンクに依頼して、両社の違いを徹底的に分析します。お金をかけた割には、両社の技術に決定的な差違は見いだせませんでした。ところが、意外なところに注目すべき差違が見つかります。ホンダ・ユーザーの2割がディーラーの担当者氏名を覚えていたのに対し、トヨタ・ユーザーは9割が名前を言えたというのです。両社の差は、技術ではなく、営業の差だった、というわけです。

名古屋に赴任し、トヨタも担当することになった私は、トヨタの営業に関する本を探しました。名古屋の書店には、トヨタ・コーナーができるほど、多くのトヨタ本がありました。ところが、多くは生産技術や組織風土に関わるもので、営業に関する本はありませんでした。そこでネットで古本をあさり、トヨタの営業に関する本を十冊ばかり入手、すべて読みました。はっきり言って、面白い本は一冊もありませんでした。トヨタのディーラー網を築き、販売の神様と言われた神谷正太郎氏の本ですら同様。そこには、カンバンやカイゼンのような独自の仕組みなど一切ありませんでした。至って普通なのです。

「営業のトヨタ」の秘密を見つけようと意気込んでいただけに、がっかりしました。ただ、結果として、この十冊ばかりのつまらない本が、大発見を導いてくれました。トップ・ブランドを築いたトヨタの営業とは、普通のことを、どれだけ徹底的にやれるか、ということだったのではないかということです。後日、トヨタ自販出身のグループ幹部に、自販の何が凄かったのか、と聞いてみました。少し考えた末の答えは「特にない。ただ、活気だけはあったな」というものでした。

昔々、飲み会の余興として「自分が経験した凄い営業」コンテストをやりました。その夜、一等賞になったのは、カー・ディーラーの営業担当者の話。その人は、判で押したように半年に一度自宅に来る、そして判で押したように同じ事を言って帰る、というのです。それは「あなたは本当にいい車を買いました。大事に乗ってあげてください」というものでした。ディーラーは、新車への乗り換えで成績が立ちます。にも関わらず、乗り続けろ、と言うのですから、もう、その担当者以外から車を買うことなど考えられません。
”販売の神様”神谷正太郎  出典:JAHFA


「オデュッセイア」