2023年1月30日月曜日

江華島事件

仁川港が面する京畿湾の北部には、韓国で5番目に大きな江華島があります。明治8年(1875)、この島で「江華島事件」が発生します。日本の軍艦「雲揚」から飲料水確保のために下ろされたボートが、突如、江華島の砲台から砲撃を受けます。これに応戦した雲揚は、江華島砲台、および隣接する永宗島砲台を制圧し、砲36門を鹵獲します。 これは、雲揚艦長の報告に基づく明治政府の公式見解とされていましたが、実は、その後、改訂された報告書があることが判明します。それによれば、ボートを出した目的は、朝鮮国官吏への接触であり、かつ湾内から河口へと入り込んだことが、朝鮮側の砲撃のトリガーになっていたことが判明します。つまり、雲揚による挑発行為が原因だったわけです。

江華島事件を機に、明治政府は、攘夷を掲げ鎖国していた朝鮮国に圧力をかけ、修好条規を締結させます。事件の背景には、明治政府の征韓論を巡る議論がありました。広義の征韓論は、幕末から存在していました。古代、日本が朝鮮半島に利権を持っていたことを根拠とする国学系の征韓論、あるいは西洋に対抗するアジア連合形成といった攘夷観点からの議論もあったようです。維新直後、明治政府は、新政権発足を伝えるための国書を朝鮮国に送りますが、朝鮮国は、様式が整っていないとして受け取りを拒否します。これが狭義の征韓論の発端となります。朝鮮側の国書拒否の背景には、幕末から続く征韓論に対する不快感があり、また、攘夷を掲げる朝鮮からすれば、開国した日本は批判すべき対象でもあったのでしょう。

朝鮮側の国書拒否を受け、明治政府内には、即刻出兵を唱える板垣等、派兵に否定的な木戸等という対立が生まれます。そのなかで西郷は、まずは特使を派遣すべきと主張し、自らが特使として名乗りをあげます。一旦は合意した特使派遣でしたが、欧米視察から帰国した岩倉、大久保らが、内政重視の観点から、これを否定します。これが「明治六年の政変」へとつながり、西郷はじめ多くの政府要人が野に下ります。その後も、朝鮮開国に向けた折衝は続きますが、朝鮮側は頑なにこれを拒否。明治政府は、軍船を使った威嚇は行うものの、砲火を開くつもりはありませんでした。そんななか、江華島事件が勃発します。雲揚による挑発行為と続く交戦は、薩摩出身の征韓論者でもある艦長・井上良馨の独断専行と言えます。

そもそも血気に逸る軍隊組織では、独断専行が横行する傾向があり、また刻々と変わる戦況によっては、それが必要だとも言えます。ただ、帝国陸海軍の場合、独断専行がお家芸と言えるほど多く、それが歴史の歯車を動かケースも多くありました。典型的には満州事変ということになりますが、江華島事件は、独断専行の嚆矢だったと言えるのではないでしょうか。そして、その傾向を生み出したのは、幕末における下士たちの活躍だったように思えます。明治維新は、藩主や家老の指示や意向を無視した下士、あるいは脱藩した志士たちの活躍によって成されたという面があります。その気風が、帝国陸海軍に強く残ったのではないかと思われます。極論すれば、帝国陸海軍は、組織の体を成さない暴力装置だったとも言えそうです。

憲法を巡る議論では、九条が謳う「戦争放棄・戦力の不保持・交戦権の否認」を維持すべきという声が多くあります。しかし、他国の善意にすがる国防では、はなはだ心許ないとも言えます。戦前の軍国主義を反省するのであれば、その暴走を許した法体系や組織・制度の分析を徹底的に行い、実効性の高いシビリアン・コントロール態勢をいかに構築するかということを議論すべきだと思います。風呂で転んで怪我をした人間が二度と風呂に入らないということがあるか。確か、映画「グラン・プリ」における三船敏郎の名セリフだったと記憶します。二度と風呂に入らないということではなく、いかに風呂で転ばないかを考えるべきだと思います。戦争には大反対です。戦争など行うべきではありません。しかし、家族を守り、自国の自由と安全を守るために、行動すべき場合もあります。(写真出典:ja.wikipedia.org)

2023年1月28日土曜日

来世

Netflixで「ザ・ディスカバリー」(2017)という映画を見ました。監督は、チャーリー・マクダウェルという若い人です。死後の世界をテーマとしたドラマだというので、興味を惹かれ視聴しました。ロバート・レッドフォード演ずる科学者が、人間が死んでも意識は肉体を離れ存在を続ける、ということを証明したという設定です。それに伴い、多くの人々が自殺して、来世を目指すようになります。ドラマは、哲学的になることもなく、ミスリー仕立てで展開していきます。ここまでは良かったのですが、終盤、説得力に乏しい展開となり、意味不明な終わり方をします。要は、死後の世界を巡るドラマに留めるべきだったところ、ついつい死後の世界そのものを語りたくなってしまったということなのでしょう。

どれだけ科学が進んでも、証明できないものの一つが死後の世界なのでしょう。臨死体験は、科学的な研究が進んでいるようですが、これは死後の世界ではなく、あくまでも死の間際の意識の問題に過ぎません。死後の世界は、分かりようがないので、古代から人間を悩ましてきました。死ぬと天に昇る、あるいは別世界に行くといったところから始まり、ついにはピラミッド、始皇帝陵、あるいは前方後円墳のような巨大建造物まで登場します。インドでは、輪廻転生という思想が生まれ、中東に一神教が起こると、天国と地獄という概念が持ち出されることになります。科学が進むと、何の証左もない宗教上の死後の世界に対して、死後は何もないという唯物的な見方が生まれます。

大雑把に言えば、死後の世界に関しては、一切存在しないという唯物論、そして肉体を離れて存在するという唯心論に大別されると思います。唯心論は、さらに輪廻転生型と別世界型に分類できるように思います。ヒンドゥー教から派生した仏教は輪廻転生型ですが、その循環から抜け出す、つまり死を超えた存在を目指すことが究極的な目標とされます。天国と地獄の存在を説く一神教は、別世界型と言えます。仏教にも、極楽と地獄、あるいは閻魔大王という説法がありますが、これは後の世で生まれた俗説に過ぎません。道元禅師の「而今」という言葉に表わされる仏教の時空間は、簡単に言えば、今、ここ、しか存在しないということであり、死を超えているとも理解できます。

いずれにしても、よってもって現世をいかに生きるか、という点にフォーカスしていくところが、宗教の宗教たる所以だと思います。宗教的な葬式は、人間の死生観を端的に表わす儀式だと思います。私の父親は「葬式は、誠に生きている者のために行う」と言っていました。唯物ベースですが、唯心的でもある名言だと思います。どのような来世像を説く宗教であっても、葬儀に参列した者は、故人を偲ぶとともに、あらためて人の世のはかなさに思いをいたし、ならば今後いかに生きるべきかという思いを新たにするのでしょう。しかし、宗教的に死後の世界に過度に依存することは、生きることを放棄することにもつながりかねません。このあたりを考えると、思い出すのが「メメントモリ」という言葉です。

ラテン語の「memento mori」は、死を忘れるな、という意味です。古代ローマの凱旋パレードの際、将軍たちは、背後に使用人を置き、この言葉をささやかせたと言います。先のことは分からない、今を楽しめ」という意味だったと言われます。後に、キリスト教は、これをまったく反対の意味で使うことになります。要は、現世の空しさを強調する言葉となり、死後の世界への依存を高めました。古代ローマの将軍もキリスト教も極端に過ぎますが、死を忘れるなという言葉は、いかに生きるべきか、という思いを新たにさせる良い言葉だと思います。死後の世界が実証できない以上、メメントモリこそが、死に関わる最上の向き合い方だと思えます。(写真出典:netflix.fandom.com)

2023年1月25日水曜日

モッキンバード

近年、アメリカ映画のヒーローを問えば、マーヴェリック映画の主人公たちの名前が挙がるのだろうと思います。2003年に、AFI(American Film Institute)が選出したアメリカ映画のヒーロー100人のトップは、2位のインディアナ・ジョーンズ、3位のジェームス・ボンドを抑えて、「アラバマ物語」(1962)のアティカス・フィンチが選ばれています。日本での知名度はイマイチですが、アメリカ人なら誰もがアティカス・フィンチを知っています。ロバート・マリガン監督、グレゴリー・ペック主演の映画も有名ですが、原作であるハーパー・リーの「To Kill a Mockingbird」(1960)が、推薦図書としてアメリカの青少年たちに読まれてきたからです。

物語は、1930年代、アラバマの片田舎での牧歌的な子供たちの世界から始まります。父親で弁護士のアティカスは、判事に依頼され、黒人トムの弁護を引き受けます。農夫イーウェルの娘が、トムに殴られ、レイプされたという事件ですが、当事者の証言があるのみで、物証はありません。トムは、娘に言い寄られ、逃げたと証言します。左手が不自由なトムは暴行できないことが明らかになりますが、白人だけで構成された陪審は有罪を宣言します。護送中に逃亡を図ったトムは射殺されます。それでも農夫イーウェルは、アティカスを恨み、子供たちを襲います。それを阻止したのは、子供たちから気味悪がられていた青年ブーでした。精神障害を持つブーは誤ってイーウェルを殺害しますが、保安官は事故として処理します。

1950年代中期に始まった黒人による公民権運動が高まりを見せるなかで発表された小説は大きな反響を呼び、ピュリッツァー賞を獲得、翌年には映画化されました。本作は、幼少期をアラバマで過ごした作者の体験に基づいています。公民権運動の始まりは、1955年のモンゴメリー・バス・ボイコットだとされます。モンゴメリーもアラバマ州の町です。本作は、公民権運動との関わりのなかで語られることが多いわけですが、単に南部における黒人差別の実態を告発しただけの作品ではありません。そこで描かれているのは、アメリカの良心であり、それに対する深い信頼です。人種差別だけでなく、貧困、無学といった悲惨な現状があっても、いつか、それは克服されるだろうという楽観的な希望こそ本作の背骨です。

物語はアティカスの娘スカウトの回想になっており、子供の視点で語られることが作品最大の特徴です。子供たちは、アティカスが見せたくないと言った醜い現実を目の当たりにすることで成長していきます。回想、子供の視点という形式をとることで、人種差別や貧困の醜さを直接的に描くことなく、アメリカの良心を伝えることができているとも言えます。本作は、マーク・トゥエインの「ハックルベリー・フィンの冒険」(1888)の正統な後継者だと思います。ハックルベリー・フィンは、グレート・アメリカン・ノベルとも呼ばれ、ヘミングウェイは、すべてのアメリカ文学の源とまで言っています。ハックルベリーの冒険の道連れは、逃亡奴隷のジムであり、作品は、人種差別批判に貫かれているとされます。

「To Kill a Mockingbird」とは、実に奇妙なタイトルです。アティカスは、父から聞いた「ブルー・ジェイ(アオカケス)は殺してもいいが、無害なモッキンバード(マネシツグミ)を殺してはいけない」という話を子供たちに伝えます。ブーの罪を問わないとした保安官の判断に、スカウトは「保安官は正しいわ。(ブーを裁くことは)モッキンバードを殺すことと同じだものね」とアティカスに話します。モッキンバードは、黒人のトム、精神障害を持つブーといった社会的弱者のみならず、子供たちであり、アティカスであり、モッキンバードを殺さないことこそアメリカの良心なのでしょう。この作品が、ジョン・F・ケネディ時代に発表されたことは、偶然ではありません。黒人が公民権を獲得したのは1964年のことであり、暗殺されたケネディ大統領の後を継いだリンドン・ジョンソンによって署名されています。(写真出典:en.wikipedia.org)

2023年1月23日月曜日

韓国のお金持ち

かつて「高級と上質の違い」という話が流行ったことがあります。例えば、リッツ・カールトン・ホテルは高級、帝国ホテルは上質、といった具合です。いずれも高価ではありますが、高級は贅をこらした外見の良さ、上質は伝統に根ざした品質の高さといったところになるのでしょう。もちろん、感覚的なものではあります。韓国の映画やTVドラマに登場するお金持ちを見ていると、この言葉を思い出します。超モダンな邸宅、外車、欧州ブランド、お手伝いさん、有力者とのコネ、上に媚び、下には横柄な態度、といった漫画チックにステレオ・タイプ化された姿は、高級どころか成金趣味そのもの。視聴者に反感を持たせるための演出なのでしょうが、それが30年くらい前から一切変わっていないことに興味を覚えます。

かつて、日本の映画やTVドラマでも、固定化されたお金持ちのイメージがありました。例えば、ドレッシング・ガウンを着用して革張りのソファに腰掛け、ブランデー・グラスを片手に葉巻をくゆらす。奥方はつりあがった眼鏡をかけ、「ざま~す」と言うといったものです。1970年代になると、日本は、ある程度の豊かさを獲得し、国際化も進み、”一億総中流”という言葉が話題になります。高度成長に伴う所得増の賜物ですが、敗戦直後、GHQが断行した財閥解体と農地改革の影響も大きいと言えます。ボトムアップによって格差が縮小した一億総中流の時代、ステレオ・タイプ化されたお金持ちのイメージは消えていったように思われます。

韓国の場合は、多少、事情が異なります。朝鮮戦争の傷跡が残る1960年代初頭、韓国は最貧国の一つでした。しかし、1965年の日韓基本協定に基づいて得た3億ドルをもとに、重工業化を進めた韓国は、1970年前後から「漢江の奇跡」と呼ばれる驚異的な経済成長を見せます。90年代中期の金融危機の時期を除き、一人当たりGDPは右肩上がりに伸び、日本と大差ないところまで来ています。経済格差を、ジニ係数や貧困率から見ても、高齢化、核家族化、非正規雇用化など同じ問題を抱える日本と韓国に大きな違いはありません。ただ、韓国の高齢者貧困率、若者の失業率は深刻なレベルにあります。そして、日韓の大きな違いの一つは、韓国経済を牽引してきた財閥の存在だと思います。単なる企業グループではなく、家族が支配する財閥です。

財閥に対する”恨”、つまり憧れと妬み、あるいは自責の念が、ステレオ・タイプ化されたお金持ち像を生んでいるのかもしれません。加えて、異様なまでに上下関係の明確化にこだわる韓国の人々の特性が反映されているようにも思えます。韓国人の派手好きや見た目へのこだわりも、あるいはニュース等で「日本に勝った」というネタが好きなこと、あるいは男女差別等も、すべて上下関係へのこだわりの現われです。背景には儒教の影響があると思われます。李氏朝鮮は、儒教を社会統治の根幹に置きました。日本の仏教と好対照だと思います。儒教は上下関係を重んじます。それが行き過ぎると、常に上下関係を明確化することに取り憑かれ、上位に立つ者は下位の者に対し、横柄な態度を取る一方でおごる等の施しを行います。また、親分的に様々な便宜を図ってあげる必要も生じ、ネポティズムが生まれます。

つまり、韓国のお金持ちは、お金持ちであることを、常に見せつける必要があるのではないかと思われます。だとすれば、映像の中のステレオ・タイプ化されたお金持ち像は、結構、リアルな姿であり、経済成長とともに消えることもないと言えそうです。日本では、成金趣味を蔑む傾向があります。それは、趣味の良し悪しに関わる問題ではなく、突出することを嫌う日本人の集団主義ゆえと考えられます。中庸を以て善しとする日本人から見れば、韓国の金持ち像は、異様に映るわけです。ちなみに、中庸は儒教由来の言葉です。本来的には、何事にも偏ることなく判断するといった意味なのでしょうが、日本の場合には、皆と同じ、という意味合いで浸透しているように思われます。(写真出典:yahoo.co.jp)

2023年1月19日木曜日

「ほの蒼き瞳」

監督: スコット・クーパー  原題:The Pale Blue Eye  2022年アメリカ  

☆☆☆ー

アメリカの士官学校と言えば、陸軍のウェストポイント、海軍のアナポリス、空軍のコロラド・スプリングスが有名です。なかでも、ウェストポイントの米国陸軍士官学校は、アメリカを代表する超エリート校の一つとして知られます。1802年、トーマス・ジェファーソン大統領の命により創設された士官学校は、NYの北80kmに位置し、東はハドソン川を見下ろし、他の三方は広い森に囲まれています。一度、見学に訪れたことがありますが、威厳あるゴシック建築と美しいハドソン川の景観が実に見事でした。「ほの蒼き瞳」は、19世紀初頭、開校間もないウェストポイント士官学校を舞台とするミステリーです。

原作は、ルイス・ベイアードの「The Pale Blue Eye(邦題:陸軍士官学校の死)」です。ベイアードは、歴史的な人物や出来事を取り入れたミステリーを得意にしています。本作では、元NY警察刑事とともに、当時、実際に在学していたエドガー・アラン・ポーが、学内で起きた殺人事件の解明に挑むという内容になっています。原作は読んでいませんが、ヒットした作品のようです。アメリカ人は、何故か分厚い本が好きです。結構なページ数がないとヒットしません。ただ、冗漫な作品になる傾向もあるわけですが、一定のムードを持続させる筆の力があれば、間違いなくヒットします。本作は、ゴシック調ムードにあふれていますが、プロット自体は、やや平凡で、ありきたりな展開となっています。結果、ドンデン返しもパンチに欠けます。

映画は、その原作に忠実すぎたのか、やや平板な印象になりました。文章の力と映像の力は、明らかに異なります。原作を映像化する場合には、ある程度の翻案を加え、映画としての表現を成立させる必要があります。この作品は、そこが中途半端だったように思えます。脚本も映像も、映画的な組み立てに弱いところがあり、立体感に欠けます。ゴシック調ムードは保たれていますが、映像は奥行きに欠けた構成となっています。おそらく原作の方が、数段、読者を楽しませたものと思います。ただ、役者陣の頑張りで、なんとか格好がついた面もあります。

元刑事役のクリスチャン・ベールの安定した演技はさすがです。この人が出演しているだけで、映画が締まる印象があります。特筆すべきは、エドガー・アラン・ポー役のハリー・メリングの名演です。ポーの複雑な人格を見事に演じ、映画に奥行きを生んでいます。他にもロバート・デュバル、Xファイルのスカリー(ジリアン・アンダーソン)も、役を楽しんでいる様子で、いい味を出しています。驚いたことに、元刑事の娘役で、セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンの娘シャルロット・ゲンズブールも出演しています。彼女は、演技だけでなく音楽活動でも知られます。既に50歳を超えているにもかかわらず娘役とは、母親ゆずりの魔性ぶりと言えます。

スコット・クーパー監督と言えば、なんと言っても「ブラック・スキャンダル」(2015)が印象にのこります。実在するボストンのアイリッシュ・マフィアを描いた実録ものです。ジョニー・デップの演技も光っていました。2013年の「ファーナス/訣別の朝」も印象に残る映画でした。クリスチャン・ベール主演ですが、行き場のないラスト・ベルトの現状がよく描かれていました。2017年の「荒野の誓い」も同様ですが、脚本は今一つながら、一定のムードと緊張感を持続させる腕の良さを持った監督だと思います。ただ、芝居がかったゴシック調の映画では、彼のこれまでの作品とは異なる構成力が求められるように思います。スコット・クーパーの真骨頂は、憂鬱なリアリティにこそあると思います。(写真出典:movies.yahoo.co.jp)

2023年1月17日火曜日

神戸ルミナリエ

その朝早く、かみさんに「大変だ!」とたたき起こされます。1995年1月17日5時46分、阪神・淡路大震災の発生です。その日は、尼崎へ出張する予定でした。大地震が発生したことは理解できましたが、発生直後のヘリコプターによるTV中継画像を見ても、被害規模がよく分かりませんでした。とりあえず、出張の準備をして出社し、会社でTV報道を見ました。時間とともに、被害状況が明らかになり、火災によって立ち上る黒煙がどんどん増えていきました。死者6.400人、全半壊家屋25万棟、全焼7,00棟。近代都市を襲った未曾有の大災害となりました。私の出張については、神戸に前泊して宴会をしようというお誘いがありましたが、特段の理由もなく断り、当日行くことにしていました。命拾いしたわけです。

震災発生から1ヶ月後、神戸に入りました。いまだ救援ステージにあり、瓦礫の除去も必要最小限といった状況でした。街は傾いたビルであふれ、見ていると平衡感覚が麻痺してくるようでした。特に印象に残ったのは、パンケーキ・クラッシュと呼ばれる、ビルの1階、あるいは中層階が押しつぶされる層崩壊です。犠牲者の9割は圧死でしたが、木造家屋の多かった長田区では火災が発生し、多くの方が焼死しています。倒壊した建物に挟まれ、そこに火が回り焼死したケースが多かったと聞きます。なんとも悲惨な話です。建造物崩壊により、消防車が水源を確保しにくかったことから延焼が広がったとされます。いずれにしても、阪神・淡路大震災は、人々の心にも、街にも大きな爪痕を残しました。

世界を震撼させた近代都市での大災害ですが、一方で、奇跡とまで言われた復興の早さも世界を驚かしました。「がんばろう神戸」というスローガンのもと、一日も早く、街を取り戻す、いつもの生活を取り戻す、という神戸の皆さんの強い思いが結実したものでした。神戸の皆さんの思いを形に現わしたイベントの一つが「神戸ルミナリエ」でした。震災が発生した年の12月には第1回が開催されます。鎮魂、追悼、復興を願うイベントです。幾何学模様に電飾を施したフレームを数多く並べるイタリア式のイルミネーションは、日本では初だったのではないかと思います。デザインもイタリア人が行っています。後に、東京の丸の内でも、イタリア式のイルミネーションが行われ、人を集めていました。

当初、神戸ルミナリエは1回だけ開催する予定でした。当時、神戸商工会議所の副会頭だったノーリツの創業者・太田敏郎が、毎年開催を提唱し、企業に呼びかけます。自ら企業を回り、協賛を呼びかけたと聞きます。その尽力もあって、神戸ルミナリエは継続され、神戸にかかせない年末の風物詩となっています。ただ、震災から時が経つにつれ、500万人を超えていた来場者も、徐々に落ち込み、協賛企業も減っていきました。2005~2006年には赤字を経常したこともあり、毎年、終了が議論されることになります。しかし、震災を忘れないということは、犠牲者、被災者のためでもありますが、次の世代への重要なメッセージでもあります。追悼式典は当然としても、ルミナリエのように、全国に向けて、継続的にメッセージを発信するイベントは極めて希です。何が何でも継続すべきだと思います。

また、阪神・淡路大震災は、日本の防災態勢を大きく変えるきっかけになったことでも知られます。耐震基準の強化を始めとし、建築基準法の見直し、レスキュー体制の強化、自衛隊の災害出動の整備等々、あるいはカセット・ボンベの規格統一も有名な話です。私は、2004年の中越地震を経験しました。夕方の炊飯時に発生した地震にもかかわらず、火災が少なかったことに驚きました。聞けば、阪神・淡路大震災以降、都市ガスのメーターは、揺れを感知すると遮断される仕組みのものへと置換えが進んでいたとのことでした。(写真出典:higashinada-journal.com)

2023年1月16日月曜日

一の宮

氷川神社
フォー・コーナーズは、アメリカ西部の4州の境界線が一点に集まる場所です。それがどうしたという話であり、しかも何もない砂漠地帯ですが、全米50州を巡ることを目標としている人にとっては、一度に4州分を稼げる大事な場所です。全米50州制覇は、かつて日本からの駐在員たちの間でも流行っていました。旅の楽しみ方は様々ですが、このようにテーマを決めて、その達成を目指すという人たちも多くいます。宗教的な巡礼旅は、古くから世界中にあります。近年では、世界遺産巡りの旅もあります。国内では、四国八十八カ所巡りをはじめ、江戸五街道巡り、奥のほそ道巡り、映画等の聖地巡礼等もあります。先日、全国一の宮巡りをしているという人の話を聞きました。

一の宮とは、律令体制下、国司が任地で最初に参拝すべき神社であり、いわば社格を表わすものです。朝廷の意向ではなく、各地で最も広く信仰されている神社が選ばれたようです。平安期から鎌倉期にかけて、順次整備されました。ただ、明確な文書が残っていないことから、一部には論争もあり、一国に複数の一の宮が存在する場合もあります。また、国府が存在しなかった北海道、沖縄、東北の多くには、一の宮がありません。そこで”全国一の宮会”は、一の宮の存在しない県に、「新一の宮」を設けました。結果的に、現在、一の宮とされているのは、全国102社、108カ所とされます。対馬国にも、隠岐国にも一の宮は存在しますので、全ての一の宮を巡るとなれば、相当に時間がかかることになります。

最初に一の宮巡りをしたのは、江戸初期の神道家・橘三喜だとされます。23年をかけ、全国の一の宮に参拝し、『一の宮巡詣記』全13巻を著しました。これをきっかけに、庶民の間にも、一の宮巡りが広まったとされます。平成の世になって、「全国一の宮巡礼会」が作られ、御朱印集めの旅として確立されたようです。一の宮巡りは、いわゆる巡礼とは異なり、宗教的に体系化された修行ではありません。誤解を恐れずに言えば、一種の観光旅行です。まとまった時間が必要というわけではなく、週末などの空いた時間で気軽に行けること、さらに、いわゆるパワースポット・ブーム、あるいは御朱印集めブームも相まって、近年、一の宮巡りは人気が高まっているようです。

東京を代表する神社といえば明治神宮ですが、御祭神は明治天皇であり、古い神社ではありません。また、730年に創建された神田明神は、江戸総鎮守とされますが、一の宮ではありません。律令体制下、隅田川以西の東京は、武蔵国に含まれていました。武蔵国の一の宮は、大宮の氷川神社です。関東を中心として全国に氷川神社がありますが、すべて大宮の氷川神社を分祀したものです。その創建は、社伝によれば、紀元前5世紀、文献によれば4世紀中葉ということになります。関東最古の神社とされるのは久喜市鷲宮の鷲宮神社ですが、それに次ぐくらい古い神社なのでしょう。いずれも、その創建には初代武蔵国造となった出雲族が関わっているようです。氷川は、出雲の簸川(ひかわ)由来ともされます。

新潟県に赴任中、何度か越後一の宮の弥彦神社にお参りしました。弥彦山をご神体とする弥彦神社の境内は、太く高い杉林に囲まれ、神聖な空気で満たされています。古い歴史を誇る各地の一の宮も、同じような境内を持っています。御利益もさることながら、一の宮の空気感が、人の心を清々しくさせる効果は大きいと思います。それが敬虔な気持ちにつながり、人々は、心静かに手を合わせることになります。いわゆる神頼みではなく、自らの精神状態をリフレッシュする効果も、とても大きいと思います。だとすれば、全国一の宮巡りは、なかなか良い旅のように思えます。(写真出典:tabippo.net)

2023年1月14日土曜日

「ホワイト・ノイズ」

監督:ノア・バームバック      2022年アメリカ

☆☆☆

「The New Yorker」は、NYを象徴するような雑誌です。1925年に創刊され、その洗練された都会的なスタイルを保ってきました。知的な記事はもとより、著名人によるエッセイ、イラストの表紙、漫画などで有名ですが、毎回掲載される短編小説のレベルの高さもよく知られるところです。カポーティ、チーヴァー、ナボコフ、サリンジャー、ロス、ショー、アップダイク等、ニューヨーカー誌を彩った作家たちは、20世紀アメリカ文学をリードしてきました。なにげない都会の日常をスケッチしながら、そこに疎外感や孤独をにじませるスタイルが、最もニューヨーカーらしいスタイルだと思っています。NY出身のノア・バームバックという人は、ニューヨーカー・スタイルを映像で表現する監督だと思います。

「フランシス・ハ」(2013)、あるいはアカデミー作品賞候補にもなった「マリッジ・ストーリー」(2019)は、まさにニューヨーカー・スタイルだと思います。自らが書いた脚本を監督する映像作家ですが、今回の「ホワイト・ノイズ」は、ドン・デリーロが1985年に発表した小説の映画化です。日本でのドン・デリーロの知名度はイマイチですが、現代アメリカを代表する作家であり、ノーベル賞候補とも言われます。ただ、モチーフとして社会問題を扱うことが多く、日本では純文学として見られていないのかも知れません。ホワイト・ノイズも、化学物質による汚染をモチーフとし、ポスト・カウンター・カルチャー、あるいは家族への回帰をテーマとしてます。1980年代アメリカの自画像のような作品だと思います。

監督の手腕を感じさせる映像スケッチ、アダム・ドライバーはじめ役者陣が出すいい味等は見事なのですが、全体として、ゴチャついた印象があり、長尺な映画であることも含め、やや冗漫な映画になっています。シナリオの詰めが甘いことが主因だと思います。原作ものの難しさでありますが、映像化に際しては、翻案したり、ディテールを削ぎ落とす必要があります。それが不十分なために、ドラマとしてのエッジを失っているように思います。また、ノスタルジックな80年代の事物へのこだわりが映画をブレさせているようにも思います。監督は、1980年代に多感な十代を過ごしており、そこにこだわり過ぎたのでしょう。フェリーニの「アマルコルド」を意識した面もあるのかも知れません。

監督は、80年代を描きたくて、この原作ものを引き受けたのかも知れません。ここのところ、タランティーノの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」、ケネス・ブラナーの「ベルファスト」、パオロ・ソレンティーノの「The Hand of God」、イニャリトゥの「バルド」等々、監督の幼少期や若い頃を思い入れたっぷりに描き込む映画が多いように思います。それぞれ、なかなか良い作品に仕上がっていました。本作が、他と異なるのは、80年代に書かれた原作ものだということです。当然、原作には80年代を懐かしむ視点などありません。本作にあって、テーマを追求することとノスタルジーを求めることは、重なるところはあるにしても、両立はしません。

この時期、Netflixは、明らかにアカデミー賞ねらいと思われる作品を投入してきます。ストリーミング作品をアカデミー賞の候補にするのは如何なものか、という批判をかわすために、ごく短期間だけ劇場公開も行います。本作も同様です。制作会社は、いまやアカデミー賞常連となり、飛ぶ鳥を落とす勢いのA24です。A24は、NYを拠点にしており、ハリウッドと一線を画しているところが強みだと思います。A24は、若い才能を発掘することでも知られます。本作でアダム・ドライバーの妻を演じたグレタ・ガーウィグは、「フランシス・ハ」などノア・バームバック映画の常連でもあり、実生活にけるパートナーでもあります。ガーウィグは、34歳のおり、「レディバード」(2017)で監督デビューし、高い評価を得ています。「レディバード」の制作もA24でした。(写真出典:en.wikipedia.org)

2023年1月11日水曜日

男女共学

仙台一高応援団長
2018年9月、安倍晋三は、総裁選再出馬の意向を、鹿児島で明らかにします。長州出身の安倍晋三は、翌年に明治維新150周年を控え、薩長の偉業にあやかろうと夢想したわけです。そのこと自体、時代錯誤も甚だしいと思いますが、あろうことか演説のなかで平野国臣の有名な短歌「我が胸の燃ゆる思ひにくらぶれば煙はうすし桜島山」を引用します。平野は尊皇攘夷派の志士として活躍した福岡藩士です。この歌は、薩摩の煮え切らない姿勢を批判した歌として知られます。引用した真意は不明ですが、ここで薩摩を批判することは不適切としか言いようがありません。その浅学ぶりに大笑いどころか、あきれるばかりです。政治家が博識である必要はないのかも知れませんが、それにしてもがっかりさせられる話です。

このお粗末な話を聞いて思い出したのが「男女七歳にして席を同じうせず」という言葉です。儒教の古典「礼記」の一節とされます。戦前まで続いた明治の学制では、尋常小学校3年以降は、男女別学とされていました。満年齢で言えば8歳、数えで7歳。どうせなら初めから男女別学で良かったのではないか、と思います。「男女七歳にして席を同じうせず」という言葉に忠実に従ったのではないか、としか思えません。「礼記」に言う”席”とは、座席のことではなく、寝具のことです。その年齢から、寝具を別にすることは理解できるところですが、決して学制に関わる話ではありません。学者の意見を聞くこともなく、薩長の侍あがりの浅学な役人が独断で決めたのではないか、と勘ぐってしまいます。

男女別学という発想には、なにがしかの合理性もあるのでしょうが、やはり男尊女卑の思想が背景にあると言えます。敗戦後、GHQが主導する民主化の流れのなかで教育基本法が施行され、男女共学が原則と定められます。ただし、守旧派による抵抗も大きく、結果、男女共学はあくまでも原則であり、その実施判断は各学校に委ねられることになりました。いわば教育の場にあって、男尊女卑という差別思想が温存される結果となったわけです。傾向としては、北関東から東北にかけて男女別学が多く残ったようです。理由は判然としませんが、政府との距離感ゆえかも知れません。また、藩校時代からの伝統を受け継ぐ旧制中学等やいわゆるナンバー・スクールの多くが別学を続けました。地元政界に影響力を持つ同窓会が、共学化に強く抵抗したようです。

教育基本法施行時には、少なからず男女別学校が残りましたが、それも徐々に共学化していくことになります。私の出身校である県立青森高校の場合、第三中学校を母体とする青森高校と第三高等女学校を母体とする青森女子高校が、1950年に統合されています。つまり、しばらくの間、国の基本方針尊重派と守旧派との議論が続いたということです。興味深いことに、その際の主な論点は、民主化か伝統か、ということだったようです。憲法に謳われた男女平等を主な論点とすることなく議論が交わされたわけです。このこと自体がジェンダー差別だったわけで、さらに言えば国民投票に依らずに制定された憲法に対する国民の向き合い方だったとも言えます。

ただ、1980年代以降は、男女平等が、共学化の主な論拠となっていったようです。宮城県や福島県には、根強い「一律共学化反対運動」が存在したようですが、2003年には福島県が、2010年には宮城県も完全共学化を実施しています。埼玉・栃木・群馬の各県には、今も公立学校の別学制が残ります。別学の伝統が残っているのは、古くから女子教育に力を入れてきた地域だからだ、という意見もあるそうです。妙な話のように思います。公立学校の共学問題は、機能や弊害、あるいは伝統といった問題ではなく、あくまでも憲法上の基本的人権に関わる問題だと思います。(写真出典:kahoku.news)

「アバター ウェイ・オブ・ウォーター」

監督: ジェームズ・キャメロン       2022年アメリカ

☆☆☆

世界の歴代興業成績ベスト3の映画は、アバター、アベンジャーズ/エンドゲーム、タイタニックだとされます。これにインフレ調整を行ったデータでは、風と共に去りぬ、アバター、タイタニックという順番になります。完璧なデータを取ることが難しい面はあるものの、アバター、タイタニックが歴史的大ヒット作品であることは間違いなく、この2作品を手がけたしたジェームズ・キャメロンは、最も商業的な成功をおさめた映画監督と断言できます。アバターは、2009年に公開されました。歴史的、世界的大ヒットとなり、続編が期待されました。ただ、モーション・ピクチャー技術を使った映画製作は、高額で、時間もかかり、かつ技術的進化も間断なく続き、さらにコロナ禍も加わり、ここまで時間がかかったのでしょう。

アバターは、決してストーリーがウケたわけではないと思います。ファンタジー特有の世界観も、さほど奥の深いものではありません。ストーリーの単純さはキャメロン映画の特徴でもあります。それがヒットに貢献している面もあるのでしょうが、今回もストーリーだけ見れば、少年少女向け映画といった風情です。ただ、モーション・ピクチャーが持つ威力は、依然、大きなものがあります。異形のナヴィ族が、人間と同じ表情や仕草を見せるところが、アニメやCGにはないモーション・ピクチャー最大の魅力だと言えます。もっとも、モーション・ピクチャーで蓄積されたデータをAIがディープ・ラーニングすれば、いつかCGの方が勝っていくことになります。俳優という職業も過去の物になるかもしれません。

「アバター ウェイ・オブ・ウォーター」のサブ・テーマは、反捕鯨であり、反日だと言えます。一瞬ではありますが、銛打ちボートに「日捕」という漢字のロゴが写ります。この映画が企画されている段階では、反捕鯨運動はブームの最中でした。キャメロン監督も反捕鯨運動家です。反捕鯨運動が下火となった現在、反日要素はこの程度ですが、企画段階では、徹底的な反日映画になっていたのではないでしょうか。過激なグリーン・ピースやシー・シェパードはじめ反捕鯨運動には、理解しがたい異常さがあります。捕鯨は、環境保護、資源保護といった観点から、国際捕鯨委員会等によってコントロールされてきました。反捕鯨運動は、環境要因に加え、鯨が知的動物であることを運動の根拠にしています。

実に妙な話です。知的レベルで対応を分けるというのは、差別主義者である欧米人に特徴的な発想と言えます。仏教における殺生の戒めに差別の概念はありません。もっとも日本における殺生禁止令は、実にいい加減なものであり、偉そうなことは言えませんが。他にも、ノルウェー、アイスランド等の捕鯨国はありますが、とりわけ日本だけが目の敵にされるのも、差別主義ゆえと考えられます。キリスト教国ではない日本は、潜在的に邪教国という認識があるともされます。また、反捕鯨運動では、各国の少数民族が行う生存のための捕鯨は認められ、商業捕鯨のみが反対の対象とされています。厳密に言えば、その違いも曖昧だと言えます。動物愛護の観点からしても、反捕鯨は突出した異常さを持ちます。

動物愛護家たちは、食用に飼育された動物は、対象外だと言いのけます。これまた意味不明な話です。話は「アバター ウェイ・オブ・ウォーター」に戻りますが、海のナヴィであるメトカイナ族の食事シーンは出てきません。動物愛護上、都合の悪いシーンは排除されるのでしょう。ちなみに、映画のなかで、スカイ・ピープルと呼ばれる人間は、鯨に擬されるトゥルクンを殺し、脳の油だけを採って、死体は棄てます。これは、鯨を乱獲し、資源を枯渇させた欧米人がやっていたことです。日本人は、余すところなく、命の恵みをいただいていました。「日鯨」と映像に入れるくらいなら、死体を棄てるなどしないで欲しいと思います。アバター・シリーズは、あと3作用意されているようです。「猿の惑星」以来の反日映画という点も含め、もう見なくてもいいかな、と思いました。(写真出典:filmarks.com)

2023年1月7日土曜日

お好み焼き

大阪の梅田に隣接する福島駅周辺でのことですが、大阪出身の友人が、贔屓にしているというお好み焼き屋に連れて行ってもらったことがあります。夜はコースのみということで、間に牡蠣のバター焼きが入りましたが、お好み焼きを4枚くらい食べさせられました。粉物でビールを飲み続ける関西人の習性に驚きました。コースのシメには、”カレーお好み”なるものが出てきました。これが名物で皆のお目当てのようでした。生地にカレー粉を混ぜたものを想像したのですが、見事に裏切られました。食べ始めると、中から飯粒が出てきたのです。要は、カレーライスそのものを生地ではさんでいたのです。炭水化物を炭水化物でサンドするという信じがたい発想にビックリさせられました。

カレー自体は、大阪らしい甘辛な味でなかなかイケました。それだけに、カレーライスは、カレーライスとして食べたいと思いました。大阪の食文化は、東日本とは随分異なるところがあり驚かされますが、基本的には出汁の文化なので、どれも美味しく頂けます。ただ、大阪のソウルフードであるお好み焼きだけは、どうにも理解しがたいところがあります。不味いというわけではないのですが、そこまでこだわるような食べ物でもないと思うのです。例えて言うなら、駄菓子です。食事と言われると、えっ、まさか、と思うわけです。その違和感が、私のお好み焼きに対する偏見の源なのだと思います。お好み焼きやどんどん焼きの類いのルーツは、江戸末期に登場したもんじゃ焼きだとされます。

もんじゃ焼きは、江戸末期、月島界隈の駄菓子屋で生まれたと言われます。軒先で、水で溶いた小麦粉と鉄板を使い、遊びながら子供たちに文字を教えたことから「文字焼き」と呼ばれました。それが変じてもんじゃとなったとされます。そもそも子供向けの手頃なおやつとして登場したわけです。昭和になると、あくまでも東京下町の文化だったもんじゃは、どんどん焼きとなって各地へ広がっていきます。どんどん焼きは、大雑把に言えば、水で溶いた小麦粉に具材を乗せて焼き、割り箸などで巻き込んでソースをかけたおやつです。いまでも縁日などで見かけることはありますが、一部を除いて廃れたようです。関西に伝わったどんどん焼きは「一銭洋食」と呼ばれるようになります。

京都の祇園には、今も一銭洋食を売りにする店があります。当時、小麦粉やソースは洋食をイメージさせる食材だったことから、一銭で食べられる洋食とされたわけです。水で溶いた小麦粉に各種具材を乗せて焼き、ウスターソースをかけて食べます。これが関西風お好み焼きの直接的ルーツなのでしょう。子供のおやつだったどんどん焼きや一銭洋食が、お好み焼きに変化していくのは、昭和10年代だったようです。東京の花街で、座敷に、鉄板をしつらえ、客が好きに焼くスタイルが、粋なお遊びとして流行します。これが「お好み」という名称につながりました。戦後になると、ものの無い時代の大阪で、お好み焼きは、安価に腹を満たす食として急速に広がっていきます。水で溶いた小麦粉と具材を混ぜて焼くスタイルが一般化します。具材が豊富ではなかったために生まれたのが混ぜ焼きなのだと思います。

お好み焼きは、いわば代用食の類いだったわけです。食材が豊富になるにつれ、代用食は廃れていって当然ですが、大阪のお好み焼きは、しぶとく生き残り、ソウルフードにまでなります。その最大の要因は、大阪のソース文化にあるものと思われます。日本のソースの歴史は、ウスター・ソースに始まりますが、粘度の高いとんかつソース系は、戦後の神戸で誕生しています。以来、関西には、いわば地ソース・メーカーが多く存在し、味を競っています。天ぷらにまでソースをかける関西のソース文化ですが、その進化は、明らかにお好み焼きと二人三脚だったのだろうと想像できます。関西系ソースの濃厚なうま味がなければ、お好み焼きも廃れていたものと考えます。もっと言えば、大阪人は、ソースを味わうためにお好み焼きを食べているように思います。やはり大阪は出汁の文化だったわけです。(写真出典:mapple.net)

2023年1月4日水曜日

ちょしもた

俗謡「田原坂」に「雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ 田原坂」と歌われる田原坂の戦いは、1877年(明治10年)に勃発した西南戦争最大の激戦です。2月15日に鹿児島を発した薩摩軍は、熊本鎮台が守る熊本城を包囲します。新政府は、乃木希典少佐率いる小倉歩兵第14連隊を先発させるとともに、征討軍主力を続々と福岡湾に上陸させます。南下する征討軍を迎撃すべく、薩摩軍も主力を熊本北部へ進出させます。3月、両軍主力が相まみえた田原坂では、雨が降り続くなか、17日間に渡る激戦が繰り広げられます。兵員・物量に勝る征討軍が田原坂を抜くと、薩摩軍の後退が始まります。熊本城を包囲することなく北上していれば、薩摩軍は九州全域を抑え、内戦はより大規模で、かつ長期化していたものと考えます。

西南戦争は、実に不思議な戦争です。薩摩の戦力と組織力、そして西郷隆盛の存在がゆえに、規模的には内戦となりましたが、本質的には単なる暴動だったと言えます。そのゴールとするところが曖昧で、従って戦略も合目的性に乏しく、ただ、戦闘においては、さすが薩摩という強者ぶりを発揮します。そのチグハグさの背景には、総大将である西郷隆盛の沈黙があったと思います。西郷は、征韓論に際しても、明治六年政変でも多くを語らず、西南戦争では、一層言葉少なになっています。ただ、戦争のトリガーとなった私学校生による火薬庫襲撃を聞いた際、「ちょしもた(しまった)」と発したとされます。腹に収めた心づもりを脅かす事態であり、その秘めた思いを窺い知ることができる言葉でもあります。

薩摩のリーダーとして倒幕を果たした西郷隆盛ですが、明治新政府への参加は、頑なに断り続けました。戦時のリーダーであって、平時のリーダーではないことを自覚していたとも思えます。また、新政府が中央集権化を進めるに際して、士族を解体せざるを得ないことは十分に理解していたと思われます。廃藩置県、四民平等、徴兵令も受け入れ、それが廃刀令や秩禄処分へと進むことも理解していたものと思われます。一方で、内戦化を懸念し、かつ自らが率いて共に戦ってきた士族を切って棄てることは忍びないとも思っていたのでしょう。そこで西郷は、なんとか士族を活かせないものかと思案していたものと思われます。徴兵制に対して志願制を提案していますし、征韓論の真意も士族の活用にあったのでしょう。

1867年、日本は、新政府発足を通知する外交文書を朝鮮国に送ります。しかし、朝鮮国が、その受け取りを拒否したことから征韓論が起こります。即刻出兵の声もあがりますが、発足間もない明治政府に戦争を遂行する財政的余力はありませんでした。西郷は、自らを全権大使として朝鮮国に派遣することを強く主張します。命の危険すらある朝鮮入りです。西郷は死を覚悟していたとも言われます。自らの死をもって、朝鮮出兵を実現し、武士たちを活かす場を生み出そうとしていたのでしょう。維新の立役者である西郷の命を危険にさらすことを、天皇はじめ政府中枢が拒否します。政府に生まれた亀裂が明治六年の政変につながり、西郷はじめ、多くが野に下ります。鹿児島に戻った西郷は私学校を設立、九州各地では士族反乱が起こります。

内戦を回避し、士族を活かす道を模索していた西郷ですが、西南戦争で結果は真逆となったわけです。西郷が挙兵を決断した背景には、政府による西郷暗殺計画があったとされます。複数の自供なるものが存在しますが、計画の存在は確認されていません。しかし、暗殺計画を聞いた時点で、西郷は、自らの思いと政府方針が相容れないことを悟り、プランBを選択したのでしょう。つまり、自らが内乱を起こし、政府に鎮圧させ、腹を切って死ぬ。そのことによって士族を活かす道は失われるものの、内乱を最小限に留め、中央集権化を進める、ということです。そう考えなければ、暗殺計画の真偽を問うという曖昧な戦争目的、熊本城包囲という戦略ミス、そして軍略に一切口出ししない西郷など、この挙兵の奇妙さを説明できません。西郷隆盛は、自らの死をもって日本の近代化を進めたと言えるのでしょう。(写真出典:tabi-mag.jp)

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