2020年12月21日月曜日

カサノヴァの脱獄

ヴェネチア共和国の政庁であり、ドージェ(総督)の公邸でもあったドゥカーレ宮殿の裏側を見学するシークレット・ツアーに参加したことがあります。執務室や資料室もありますが、牢獄や拷問室、あるいは宮殿と新しい牢獄を結ぶ”ため息の橋”等が見所です。ツアーのハイライトは、ジャコモ・カサノヴァが投獄され、そして脱獄した”ピオンビ” と呼ばれる鉛天井の牢獄です。宮殿の最上階にあり、上は鉛張の屋根という、最も堅牢な牢獄だったそうです。ここを脱獄したのは、後にも先にもカサノヴァただ一人と言われます。

カサノヴァは、1755年、妖術を使った罪で投獄されます。娘を誘惑された貴族が、カサノヴァに激怒して訴え、捕縛されていますが、実は冤罪であったことが記録に残っているそうです。5年間を牢獄で過ごした後、カサノヴァは、隣室の司祭と結託し、天井に穴を開けて脱獄します。実際に見た印象からすれば、削れる天井ではなく、しかも看守に気づかれずに長期間削ることも難しいと思いました。また、屋根裏を使って宮殿内に入り逃走したとされますが、看守を欺き、各部屋の鍵を開けさせた下りも、あまりにもラッキーに過ぎます。脱獄の顛末は、カサノヴァ自身が執筆し、出版していますが、どうも眉唾っぽい印象です。

共和国政府が、カサノヴァをスパイに仕立てるために、冤罪を承知のうえで投獄し、スパイになることを条件に脱獄させたという説があります。本人に承諾させるために5年を要したということになりますが、やや長すぎる気はします。ただ、カサノヴァが各国の機密情報をヴェネチア政府に送った書面も残っており、スパイ説は信憑性が高いと思われます。文学、哲学、政治等幅広い分野で認められた著名人として各国宮廷に入りやすく、稀代の色男として閨房から各国の機密情報にアクセスしやすく、かつヴェネチア政府から”追われる”男という設定は、スパイとしては、史上稀にみるほど適任で、かつ理想的な偽装だったのでしょう。

カサノヴァが生きた時代、欧州では、重商主義をとる絶対王権国家の三角貿易や植民地争奪がピークにありました。一方、足元では、産業革命が進行しつつあり、フランス革命はすぐそこという時代の変わり目でもありました。大航海時代到来とともに、東方貿易のメイン・ルートは、地中海からアフリカ西岸へと移り、海の女王と呼ばれたヴェネチアは没落しつつありました。商業は情報の勝負とも言え、ヴェネチアはそれに長けていました。生き残りを模索するヴェネチアは、ありとあらゆる手段を用いて情報収集する必要があったのでしょう。

カサノヴァは、実に多くの分野で才能を発揮します。才気煥発な人物であり、IQは極めて高かったと想像できます。ただ、魚色家としての名声の方が、圧倒的に高い人です。生涯で千人以上の女性と関係を持ったとされますが、本人は「私は女性のために生まれてきた」と書き残しています。カサノヴァは、常に女性の快楽を優先したと言います。それは、当時としては極めて稀なことであり、それがために「世界一モテた男」が誕生したのでしょう。(写真出典:ja.wikipedia.org)

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