2020年12月20日日曜日

援助依存

数年前、アンコールワットを見たくてシェムリアップに行きました。いつも海外旅行は個人旅行で行くのですが、食事、治安、効率等を勘案し、ツアーに参加しました。結果、大正解だったと思います。現地ガイドの女性は、プノンペンで日本語を勉強し、ガイドになったという方でした。明るく元気なガイドでしたが、ポル・ポト時代を語るときには涙し、フン・セン体制を強く批判していました。近隣諸国が経済発展を続けるなか、広大な平野部を持つカンボジアがなぜ遅れているのか。問題は地雷だけは説明できません。彼女と話すことで、多少ですが、カンボジアを理解できたように思えました。

プレアヴィヒアからの眺望
北部のプレアヴィヒア遺跡へ向かう際、荒れた灌木地帯が続きました。ガイドに聞けば、それが畑でした。これほど未整備な耕作地は見たことがありません。粗末な家には電気もなく、子供たちは、皆、裸足でした。誰かが、日本で不要になった運動靴を集めて送ったらいい、と言いました。すかさずガイドが「皆さん、そうおっしゃいます。だいぶ前、実際に沢山の運動靴を送ってくれた人たちがいました。子供たちに配ってみると、7割がいらないと言うのです。靴が壊れても、次の靴を買えない。靴に慣れたら裸足の生活には戻れない、と言うのです。」と語っていました。援助なるものの難しさを端的に伝える話だと思いました。

カトリック吉祥寺教会の後藤文雄司祭のインタビューをTVで見ました。後藤司祭は、カンボジアの子供たちの里親として14人を育て、20年をかけて、カンボジアに19の学校を建てた人です。司祭は、最初に建てた学校の開校式典で「教育は未来である。校舎は建てたが、それをどう運営するかは皆さんの問題だ。」と語ります。印象に残る言葉です。ところが、数年前、断腸の思いを持って、学校建設の支援に終止符を打ちました。「依存という問題が生じるのです。ここからは、彼らの独立を見守る必要があると考えました。」と語っていました。

戦火や貧困で苦しむ子供たちを援助することは必要なことだと思います。一方、援助では、紛争の解決も、貧困の解消も実現できません。最も恐ろしいことは、援助に依存することで、自主独立への強い思いが失われることです。カンボジアでは、強引に政権を奪取したフン・センによる強権政治が、既に20年以上続いています。2017年の選挙では、野党に対し、党首逮捕、解散命令等、露骨な選挙妨害も行っています。政権奪取時から、世界的批判を集めるフン・センを支えてきたのは中国でした。中国の援助は、一帯一路で加速し、プノンペンは、中国の地方都市と見まごうばかりと聞きます。

かつてクメールは、インドシナ半島最強を誇り、ほぼ全域を支配していました。クメール王国は、12世紀に最盛期を迎えますが、以降、衰退がはじまり、現在に至るまで、他国に翻弄される歴史を繰り返しています。多くの巨大寺院建設、王の後継者争い、宗教的混乱等によって衰退し、ヴェトナムのチャンパ王国はじめ、南下してきたタイ族やラオ族に侵略されてきました。近世以降は、フランスの保護国となり、独立後はヴェトナム戦争に巻き込まれ、その後は内戦が続きました。平野の広がるカンボジアは、本来、豊かな国であるはずです。カンボジアに必要なことは、中国の援助ではなく、国民がひとつになって自主的に再生を図ることだと思います。(写真出典:veltra.com)

マクア渓谷