2024年3月31日日曜日

胡蝶の夢

荘子
胡蝶は、蝶の異称です。日本語では、蝶、あるいは蝶々の方が一般的です。中国では、今も「蝴蝶」と書き、胡の字が残っています。胡は、もともと垂れ下がった顎の肉を指したようですが、それが顎髭という意味になり、顎髭をたくわえている中央アジア系の人々を指すようになります。胡椒、胡麻、胡瓜、胡弓などは、中央アジア方面から中国に伝わったものであることを示しています。しかし、蝶々は中国にも生息していたはずであり、胡がつく理由が分かりません。過日、能楽「胡蝶」を鑑賞する際、その疑問を思い出しました。ただ、能楽が始まり、見事な中の舞を見せられると、そんなことはすぐ忘れてしまいました。能楽「胡蝶」は、蝶の精が、梅花に縁なき身を嘆くという詩情あふれる作品です。 

能楽「胡蝶」の詞章には、中国戦国時代の思想家・荘子の有名な説話「胡蝶の夢」に触れた部分があります。あるとき、荘子は、自分が胡蝶になってひらひらと飛ぶ夢を見ます。夢から覚めると、当然、自分は胡蝶ではなく自分です。しかし、自分の夢の中で自分が胡蝶になったのか、今、胡蝶の夢の中で胡蝶が自分になっているのか、いずれなのか分からなくなります。何ともシュールな説話ですが、荘子の思想を端的に現わしているとされます。何事にもとらわれない自由な境地を求める「無為自然」、そしてその境地に達すれば自ずと自然と一体化するという「一切斉同」という考え方です。つまり、自分なのか、胡蝶なのか、そんな区分など問題ではなく、自由で自然な状態にあることこそが大事だというわけです。

荘子は、老子、列子などとともに、道家と呼ばれます。儒家、墨家と同じく戦国時代に生まれたとされるいわゆる諸子百家の一つです。道家の思想を、ごくごく大雑把に言えば、宇宙や自然の普遍的な法則であり根元的な実体である「道(タオ)」に従って生きることによって、自ずと心の平安も社会的大成も得ることができる、といったものです。礼節によって調和的な社会を目指すといった儒家の思想は人為的なものであり、道に反すると批判しています。興味深いことに、道家の祖とされる老子については、実在性に関する議論が多くあります。老子の思想とされるものは、多くの人々が長い時をかけて考え、結果、一つの形にまとまったのではないかという説もあります。納得性の高い説のように思われます。

というのも、戦乱の世にあって、現実逃避的になること、あるいは超自然的なものにすがることは、ある意味、当然と言えるからです。老荘思想は、道教の成立に大きな影響を与えたとされます。道教は、後漢末期の紀元1世紀頃、自然発生的に形成されたとされる漢民族の民族宗教です。古代の民間信仰をベースとし、道家の神仙思想や仏教の教理等も取り入れて成立したと言われます。不老長生や現世利益を説くことから、民間信仰として広がり、かつ根強く残ったのでしょう。道家も道教も、民衆のなかに生まれ、民衆によって育てられたと言えると思います。日本で道教は広がりませんでした。為政者が治世に活かせるものではなかったからなのでしょう。ただ、神仙思想や神秘主義は、日本の文化にも影響を与えています。

岡本かの子に「荘子」という短編があります。田舎で鬱々と隠居生活を送る荘子が、気晴らしに馴染みの遊女・麗姫を洛邑に訪ねます。麗姫は我儘で奔放に生きている姿が美しく、人々を魅了していました。荘子はその我儘な様子を懐かしんで訪ねて来たと知らされた麗姫は、自分が恥ずかしくなり、行いを改めます。すると麗姫の生気あふれる美しさは影をひそめ、人気は衰えます。一方、麗姫に自由奔放に生きる素晴らしさを見た思いの荘子は、人が変わったように、いきいきと田舎暮らしを楽しむようになります。岡本かの子なりの無為自然の理解なのでしょう。夢のなかの胡蝶だった麗姫は夢から覚め、儒家的な人間になってしまったということかも知れません。(写真出典:ja.wikipedia.org)

2024年3月29日金曜日

「12日の殺人」

監督:ドミニク・モル     2022年フランス・ベルギー

☆☆☆+

2013年、パリ近郊の小さな街で起きた実際の事件を元にした映画です。真夜中に、友人宅から自宅へ戻る途中の若い女性が、ガソリンをかけられ、焼死させられた事件です。警察の懸命な捜査にも関わらず、いまだ事件は解決していません。映画は、未解決事件を捜査する警察官の心理を描いています。最終的には犯人が捕まる通常のサスペンスとは異なり、扱うことが非常に難しいテーマだと思います。舞台は、グルノーブル近郊の町に変えられていますが、いずれにしても小さな町での地道な捜査にドラマチックな展開などありません。事件を追う警察官たちの心が、徐々に事件に蝕まれていく様が、丁寧に、ドキュメンタリーに近い冷静さをもって描かれています。不思議な魅力を持った映画だと思います。 

未解決事件を描いた映画といえば。ポン・ジュノの最高傑作「殺人の追憶」(2003)が思い出されます。私が、韓国映画にハマるきっかけとなった映画でもあります。「殺人の追憶」も、1986年に水原市郊外の農村地帯で起きた未解決事件をモデルにしています。未解決事件をモティーフにするというポン・ジュノの革新的な発想にも驚きました。「殺人の追憶」は、未解決事件という不可解な状況の前で右往左往する警察官たちの姿を通して、近代化に戸惑う韓国社会を描いていたと思います。ポン・ジュノの目線は、常に社会的です。対して、本作は、未解決事件に囚われ、心のバランスを失っていく警察官にフォーカスし、かつ距離を置いたリアルさをもって描いています。警察官という仕事の宿命を描いたとも言えそうです。

一定期間が経ると公訴権が失われます。いわゆる時効です。その根拠は、時間の経過に伴い社会の処罰欲求が薄れる、証拠が散逸して冤罪を起こしかねない、そして犯人が逃亡生活の苦痛によって事実上処罰を受けた、等々とされます。未解決事件、ことに殺人事件は、追われる側、追う側、双方に深い心の闇を与えるものなのでしょう。殺人事件の時効成立後に、犯人が自首するケースも少なからずあると聞きます。処罰されないから出頭したとも言えますが、そもそも出頭する必要などないわけです。やはり良心の呵責に耐えきれなかったということなのでしょう。2010年、日本の刑法も改正され、死刑相当の殺人事件に関する時効が廃止されました。DNA型鑑定の普及に伴い、決定的証拠が半永久的に残るようになったからなのでしょう。

ちなみに、「殺人の追憶」のモデルとされた事件も、2019年に至り、別な殺人罪で収監されていた囚人がDNA型鑑定によって犯人と特定され、大きなニュースになっていました。DNAは、犯罪捜査を大きく変えたと言えるのでしょう。かなり時間が経過した未解決事件も、DNAによって多く解決されています。だた、当然のことながら、DNAが残置していること、照合するサンプルが存在していることが、絶対条件となります。また、1996年、コロラドで発生したジョンベネちゃん殺害事件では、未知の複数人のDNAが検出され、いずれも照合できていません。時にDNAは、捜査を混乱させる要素ともなり得るわけです。本作がモデルとした事件では、遺体からDNAは検出されていません。

本作のサブ・テーマの一つは、フェミニズムだと思われます。新任の女性捜査官による「男が事件を起こし、男が捕まえる」、あるいは被害者の友人女性による「彼女がなぜ殺されたか教えてあげるわ。彼女が女の子だからよ」といった男性社会への批判は印象に残ります。また、3年を経て風化しつつあった事件の再捜査を指示したのも新任の女性検事でした。女性に対する性犯罪が起きた場合、被害者の服装や立居振舞を捉えて、被害者にも責任があると断じる傾向があります。かつて、そうした偏見が多くあったように思いますが、近年ではかなり減ったように思います。犯罪や犯罪捜査におけるフェミニズムに関しては、表面的なものに留まらない生物学的な問題も存在し、なかなか難しいように思えます。(写真出典:eiga.com)

2024年3月27日水曜日

写経

定年後から書道を始めた先輩が、朝聞書展に入選したというので、友人達と東京都美術館に出かけました。書は美しいとは思うのですが、正直なところ、書道展へ行くこともなければ、美術展で書があっても素通りしていました。今回は、先輩の解説付きとなり、ほぼ初めて、じっくりと鑑賞させてもらいました。やはり、書はいいものです。少し興味がわき、やってみたくなりました。書の経験と言えば、小学校の授業くらいしかありません。字はへたくそにも関わらず、賞をもらったこともあります。先輩は、やるのであれば、いきなり教室ではなく、写経から始めてみたらどうか、というアドバイスをもらいました。もともと、写経にも、興味があったので、やってみようかと思いました。

写経は、印刷技術のなかった古代、経典の写しを作り、仏教を広めるために行われました。同時に、写経は、仏典を書き写す作業を通じて、仏教を体得するという修行でもあります。また、後代になると、供養という意味合いも持つことになり、今日に続きます。日本における写経は、673年、飛鳥の川原寺に始まったとされます。仏教が隆盛する天平の頃には、朝廷に写経を専門に行う役所も設置されていたようです。今で言えば、政府の直営印刷所というわけです。近年は、遍路や御朱印といったいわば仏教ツーリズムの一環として、多くの寺で参拝客が写経する姿が見られます。現代の写経は、修行、供養というよりも、心の安らぎを得るために行われているのでしょう。

身を清め、香を焚き、姿勢を正して合掌し、心静かに写経する。その静謐な世界に心引かれます。まずは、入門セットを購入しようと思った折も折、友人から、塗り絵を何枚描いてくれと頼まれました。会社のキャンペーンで集めているとのことでした。塗り絵くらいならと思い協力しました。送られてきたのは見事な手本と線画でした。色鉛筆もかなりの色が必要だとは思いましたが、コストを掛けたくなかったので12本入りを用意しました。ところが、問題は色鉛筆の本数ではありませんでした。フォルムは線画に沿えばいいのですが、色とグラデーションは個人の判断になり、そこが絵の印象を大きく左右します。とても難しく、1枚に4時間ほどかかりました。それも、完成して終えたのではなく、これ以上は無理と諦めた次第です。

対して、写経入門編は、手本をなぞり書きするだけなので、できるだろうと思いました。甘かったとしか言いようがありません。写経体と呼ばれる字体で書かれた手本は、一文字が小さく、柔らかさもある筆でなぞるのは、なかなか難しいわけです。結局、手本をなぞるために、紙に覆いかぶさるように目と筆を近づけて書くことになります。まるで、棟方志功が木版を彫っているような姿です。背筋を伸ばし、凜とした風情で写経する姿からすれば、まるで対極とも言えます。もはや写経ではありません。要は、般若心経に向かい合うのではなく、手本をなぞることが目的になってしまったわけです。慣れの問題かもしれませんが、書道の基本から始めないと無理だと理解しました。

老人は、心と体の健康を保つために、ある程度、習慣化された日常を送ることが大事なのだろうと思います。体の健康だけなら、週2~3度ジムへ通う方法もありますが、70歳を超えたら、軽めのメニューを毎日行う方が健康、体力維持には適しているように思います。同じように、心の安定を保つためには、無理のない文化的活動を毎日行うことが大事だろうと思います。いずれも習慣化することこそが大事ななのだと思います。私は、65~70歳の間、これまでできなかったことを好き放題にやってきました。そろそろ習慣化された日常を持ちたいと思い、写経にも挑戦してみたわけです。ただ、残念ながら、写経が私の日常になることはなさそうです。他にも、いくつかアイデアはあるので、順次、挑戦してみたいと思っています。(写真出典:butsudanyasan.net)

2024年3月25日月曜日

「ヴェルクマイスター・ハーモニー」

監督:タル・ベーラ   2000年ハンガリー・ドイツ・フランス   4Kレストア版

☆☆☆☆

タル・ベーラの代表作と言えば、「サタンダンス」(1994)や「ニーチェの馬」(2011)ですが、いずれもハンガリーの作家クラスナホルカイ・ラースローの小説が原作でした。本作もラースローの代表作とされる小説「抵抗の憂鬱」が原作になっています。ハンガリーの荒廃した田舎町での出来事が、ハンガリー動乱、あるいは歴史に翻弄されるハンガリー国民のアレゴリーとして描かれています。145分という長尺映画ですが、独特なロング・ショットで知られるタル・ベーラの作品としては、サタンタンゴの438分には及ばず、ニーチェの馬の154分と同レベルであり、これがタル・ベーラの標準なのでしょう。ちなみに、タル・ベーラは、ニーチェの馬をリリースした後、映画監督からの引退を表明しています。

タイトルの「ヴェルクマイスター・ハーモニー」は、17世紀ドイツの音楽理論家アンドレアス・ヴェルクマイスターの和声理論を指します。ヴェルクマイスターの対位法は、バッハにも影響を与えたとされます。作中、老音楽家のエステルは、ヴェルクマイスターの和声理論を批判します。門外漢には、なかなか理解しにくい楽理の話です。ヴェルクマイスターやバッハの建築学的な音楽は西欧文化を代表します。一方、西欧とは異なる民族と文化を持つハンガリーには、チャルダーシュのように東西の文化が融合した独自の音楽があります。ハンガリーが、優れた音楽家を多く輩出する背景でもあります。エステルによるヴェルクマイスター批判は、ハンガリーのナショナリズムや欧州における立ち位置を象徴しているのでしょう。

アレゴリーとしての本作には多くのメタファーが散りばめられています。サーカスによって街に持ち込まれたクジラとプリンスは印象的です。大きなクジラは民主主義、外国語でアジテートするプリンスは周辺国を象徴しており、外的要因に影響を受けやすいハンガリーの地勢に関わるメタファーなのでしょう。最も象徴的なのは、暴徒と化した群衆が襲った病院で見つけた老人です。丸裸の老人が、バスタブに弱々しく立っています。暴徒たちは、老人の前に立ちすくみます。老人はハンガリー、あるいはハンガリー人そのものなのでしょう。無力な我が身を見せつけられたことで、暴徒の熱狂は消え去ります。実に自虐的ですが、これがハンガリーの現実であり、ハンガリー動乱だったということなのでしょう。

第二次大戦後、ソヴィエトの衛星国となったハンガリーでは、ソヴィエト型の国家運営がなされます。経済は破綻状態に近く、農村は過度な集団化で疲弊します。スターリン没後、フルシチョフがスターリン批判演説を行うと、1956年、同じ衛星国であるポーランドで反ソ暴動が勃発します。それに刺激されたハンガリーの民衆は、同じ年、反ソヴィエト、反政府暴動を起こします。すると、ソヴィエトは2,000台の戦車を含む軍を投入し、ブダペストを制圧します。民衆の死者は17,000人にのぼり、20万人が国外へ難民として脱出したとされます。ハンガリー動乱は、ソヴィエトの抑圧への反撥だったのか、経済的苦境を招いた政権への反撥だったのか、あるいは自由主義を求める戦いだったのか、今も議論があるようです。

暴動が収まった広場で、主人公ヤーノシュは暴徒の日記を見つけます。そこには「我々は何に怒っていたのか分かっていなかった」と書かれています。実に象徴的です。共産党政権は、ハンガリー動乱を歴史のタブーとして長らく国民に隠していました。1980年代後半、ペレストロイカとともに東欧の改革も進み、民主化されたハンガリー政府は、1989年、ハンガリー動乱の再評価を行っています。同年、ハンガリー政府は国境の鉄条網を撤去します。すると自由を求める東ドイツ国民が大量に徒歩で国境を越えて入国し、さらにオーストリアへと脱出していきます。いわゆる「汎ヨーロッパ・ピクニック」です。これがベルリンの壁崩壊、東西冷戦の終結へとつがりました。(写真出典:bitters.co.jp)

2024年3月23日土曜日

山椒大夫

アニメ版「安寿と厨子王丸」は、小学生の頃、先生に引率されて映画館で見た記憶があります。1961年の映画ですから、恐らく封切りではなかったと思われます。当時は、たまに映画館、体育館、あるいは夜の校庭で映画を鑑賞するという学校行事があったものです。学校行事として映画館で見た記憶が鮮明に残っているのは市川崑監督の「東京オリンピック」(1965)、そして熊井啓監督の「黒部の太陽」(1968)です。さて、「安寿と厨子王丸」ですが、過酷な運命に翻弄され、虐待を受ける姉弟が可哀想で、とても嫌な印象だけが残ったことを覚えています。その印象は、今も変わりません。

元になった話は、丹後国由良(現宮津市)の伝承「さんせう太夫」であり、鎌倉期以降、説経節、浄瑠璃、歌舞伎等の演目になります。様々なバージョンがありますが、最もポピュラーなのは森鴎外の小説「山椒大夫」だと思われます。以降の作品は、鴎外版をさらに脚色したものです。オリジナルである「さんせう太夫」のあらすじは次のようなものです。奥州の大守岩城判官正氏は、讒言によって筑紫に流されます。妻と姉弟は、正氏を追って旅に出ますが、直江津で人買いにだまされ、母は佐渡に、姉弟は由良の山荘太夫に売られます。姉は弟を逃がし、拷問されて死にます。弟は上洛し、朝廷に訴え出て父の罪を晴らします。父は死んでいたので弟が奥州の領地を相続し、山荘太夫を懲らしめ、盲目となった母にも巡り会います。

「さんせう太夫」は、アリストテレスが言う悲劇のカタルシスを生む構造を持っていると思います。カタルシスは、強い感情を経験することによって得る安堵感や解放感を意味し、精神を浄化する効果があるされます。これが、山椒太夫の人気の源なのでしょうが、どうも終わり方がスッキリせず、悲惨さだけが印象に残るように思います。悪者がすべて徹底的にやっつけられていないことも原因の一つかも知れません。ただ、スッキリしない最大の理由は、安寿の命が助からないこと、巡り会えたものの母が盲目になっていること、父も既に没していたこと等ではないかと思います。つまり、厨子王丸は復讐を果たすものの、決して単純明快な復讐劇ではなく、むしろ、運命に翻弄される悲惨な人生がテーマのように思えます。

この構図は、いわゆる本地物の特徴そのものなのでしょう。本地物は、神仏の縁起、あるいは御伽草子に多く見られるスタイルであり、人間として様々な苦しみを経験し、それを契機に神仏になるという構成を持ちます。最も有名なのは熊野権現の縁起を語る御伽草子「熊野の本地」だと思われます。悲惨な生い立ちをもつ天竺の王子が上人に助けられ、日本に渡って熊野権現になるという話です。本地物は、平安末期の神仏習合思想を背景に生まれた本地垂迹説に由来するとされます。本地は仏であり、神様は仏の仮の姿(権現)とする考え方です。武家の台頭とともに、社会的混乱が広がった時代、世相に翻弄される民衆は、我が身を本地物に重ね、癒やしとしていたのでしょう。

”さんせう”は「散所」であり、公的管理体制から外れた人々を意味するとされます。社会の底辺で過酷な雑役等を行っていたアウトカーストです。その仕切役は長者や太夫と呼ばれていたようです。さんせう太夫は、散所の間で生まれ、広がった伝承という説もあるようです。山椒大夫ゆかりの地と言えば、宮津、直江津ですが、福島市と弘前市もよく知られています。ともに姉弟の父である岩城判官・平正氏の領地だったというわけです。岩木山には古くから安寿が祀られています。祀られることになった経緯はよく分かりません。また、かつて津軽地方には「丹後日和」という言葉があり、丹後の人が津軽に入ると、安寿が不機嫌になり天気が悪くなるとされていたようです。さんせう太夫の影響力の大きさに驚きます。それは社会から虐げられてきたアウトカーストの怨念の強さなのかも知れません。(写真出典:amazon.co.jp)

2024年3月21日木曜日

パインタラ事件

出口王仁三郎
白音太拉(パインタラ)は、現在の内モンゴル自治区通遼市郊外にあります。1924年、満州からモンゴルへ向かっていた大本教の聖師・出口王仁三郎一行、そして同道していた馬賊・盧占魁率いる西北自治軍は、張作霖の指示を受けた奉天軍に捕らえられます。盧占魁と西北自治軍は銃殺され、王仁三郎一行6名も銃殺されそうになります。ところが、すんでのところで駆けつけた日本領事館員、実態は帝国陸軍によって救出されます。一行の急を告げたのは日本人旅行者とされますが、秘密裏に王仁三郎の後を追っていた陸軍の諜報員だったとも言われます。軍閥時代の混乱のなかにあり、利権拡大を目論む帝国陸軍や大陸浪人が暗躍していた時代の満州にあっては、極めて異例な事件と言えます。

王仁三郎が大陸に渡ったのは、不敬罪を問われた第一次大本事件直後であり、その目的は「東亜の天地を精神的に統一し、次に世界を統一する」ことであり、最終目的地はエルサレムだったようです。気宇壮大な話とも、誇大妄想的な話とも言えます。教団の組織的な引き締めをねらったのかも知れません。「大本」、通称大本教は、1892年、京都府綾部の貧しい老女・出口なおが開教した神道系の新興宗教です。突如、国之常立神(くにのとこたちのかみ)が憑依した出口なおは、文盲にも関わらず、自動筆記によって数々の予言をし、また病気治療も行ったと言われます。出口なおに心酔した王仁三郎は娘婿となり、なおと二人で教団を立ち上げます。王仁三郎の人間力と経営の才覚によって、大本教は急拡大し、軍幹部、知識人、そして宮中にまで信者を広げます。

記紀で神世七代の最初の神とされる国之常立神が復活し、世の立替え(終末論)と立直し(理想世界建設)を行うという大本教の教えは、一神論的でもあり、王仁三郎は”一神即多神即汎神”とも”万教同根”とも言っています。こうした宗教的背景を持ち、かつ教団を急拡大させた自らの神通力に相当の自信があったこと、そして愛国主義に基づく教団の右傾化、各国の宗教団体との交流、特に中国の赤十字とも言われる”世界紅卍会”との親密な関係が、大陸進出につながったのでしょう。いずれにしても、王仁三郎の大陸進出の意図は、宗教に根ざしたものであり、政治とは無縁だったと言えます。張作霖も、当初、王仁三郎に匪賊討伐委任状を与えています。しかし、モンゴルの統一独立も王仁三郎の計画の一つであると知り、捕らえることになりました。

張作霖の判断は、王仁三郎の軍部への影響力、右翼の巨魁たちとの交友も踏まえたものだったと推察されます。無事、帰国した王仁三郎は、国粋主義的な言動を拡大し、その影響力を危惧した政府は、1935年、治安維持法違反と不敬罪をもって再び大本教を徹底弾圧します。教団施設は取り壊され、王仁三郎は無期懲役の判決を受けます。ただ、1942年に至り、純然たる宗教団体であることが認められ、治安維持法違反に関しては無罪となります。不敬罪は残りましたが、戦後、法律改正によって不敬罪そのものが無くなりました。戦後、大本教は教団規模を縮小し、王仁三郎も陶芸に勤しんだようです。なお、王仁三郎は”芸術は宗教の母なり”とも言っており、その陶芸も高く評価されているようです。実に多才な人だったわけです。

パインタラ事件の際、王仁三郎一行のなかに、紀州出身の合気道創始者・植芝盛平もいました。柔術と剣術に優れた植芝は、陸軍除隊後、紀州北海道開拓団長として道東の遠軽に入植します。ある時、旅館で大東流の創始者・武田惣角と偶然居合わせた植芝は、武田の技に魅せられて弟子入りし、免許皆伝を受けるまでになります。1919年、父危篤の報を受けた植芝は、急遽帰郷しますが、その途中、王仁三郎の噂を聞きつけ、父の病気平癒を願って綾部を訪れます。王仁三郎に心酔した植芝は、綾部に移住し、武術指南をするとともに、王仁三郎の側近になります。そこで、王仁三郎から、自分の武術をやりなはれ、と言われた植芝は合気道を創始することになりました。体力に関係なく、相手を傷つけずに制する合気道は、大本教の精神が生んだ武術と言っていいのでしょう。(写真出典:ja.wikipedia.org)

2024年3月19日火曜日

「デューン 砂の惑星 PART2」

監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ        2024年アメリカ 

☆☆☆☆

実に見事な映像、音響、音楽でした。ただ、ドラマ的に見れば、やや表面的になった面があります。とは言え、SFの頂点に立つ「デューン」は壮大すぎて映像化不可能と言われていたこと、そして幾たびも映像化に失敗していることを考えれば、十分以上の出来だと思えます。全てとは言いませんが、デューンの深遠な世界が伝わる翻案だと思います。やはり、「デューン」の完全な映像化は困難、と言えるのかも知れません。今回、ドゥニ・ヴィルヌーヴが映画化したのは、フランク・ハーバートのデューン・シリーズ全6巻のうち、1965年に発刊された第1作です。まともに映画化するなら、恐らく5倍くらいの尺が必要になるのでしょう。TVシリーズ向きとも言えますが、TVの予算では再現不可能な壮大さだと思います。

2021年にPART1が公開された時には、ドゥニ・ヴィルヌーヴのチャレンジは半ば成功しつつあると思いました。というのも、見事な映像化ながら、あくまでも前半部分だけというフラストレーションがありました。PART1で最大の懸念事項は、そのヒットがPART2製作の条件とされたことです。ヒットしなければ、PART1は、デューンは映画化困難という歴史に新たなページを加えることになっていたはずです。映画化への最初の挑戦は、1975年、アレハンドロ・ホドロフスキーによる壮大な計画でしたが、配給元が決まらず頓挫。その経緯は、ドキュメンタリー映画にもなります。その後もTVシリーズは別として、映画の企画は頓挫を続け、初めて映画化されたのは1984年のデビッド・リンチ作品でした。ただ、結果は映画史に残るほどの悲惨なものでした。

デビッド・リンチ作品は、不幸にも予算面を中心とするプロダクション・サイドとの軋轢、そして技術的な限界がありました。この40年における技術的進化は大きく、かつ本作のテクニカル・チームは、PART1でアカデミー賞も多数獲得した凄腕揃いです。また、映画館の映写技術も音響装置も格段に進歩しています。キャストで言えば、ドラマ的展開に限界があるなか、ティモシー・シャラメの苦悩や複雑さを伝える演技は上出来だと思います。風変わりな子役だと思っていたゼンデイヤが、本作には欠かせないほどの存在感を見せています。一番驚いたのが、皇帝役でクリストファー・ウォーケンが登場したことです。個人的には大ファンですが、彼が画面に登場した瞬間、映画は実に映画らしくなると思っています。

時間的制約もあって、ドラマとしての深掘りができなかったことに関して、もったいないと思ったことがあります。ポールとハルコネン家との関係です。ポールの選ばれし者としての苦悩の描き方も、やや薄いところがありました。ただ、ポールの複雑な性格に関しては、もう少し丁寧に描写すると映画の奥深さが増したのではないかと思えます。そのために活用すべきだったのは、ポールとハルコネン家との血縁関係だと思います。スター・ウォーズは、ルークとダースベイダーとの関係を中心とするスカイウォーカー家の物語であることが、映画に普遍性と深みを与えています。神話ベースの物語であるスター・ウォーズと、人類が直面する苦悩を哲学的に描くデューンでは、アプローチに大きな違いがあるわけですが、ポールとハルコネン家の関係というモティーフは、ドラマにとって極めて重要な要素だったと思います。

かつて「ゲーム・オブ・スローンズ」(2011~2019)にハマり、毎年、新シーズンを心待ちにしていました。原作の良さもありますが、細部にこだわった徹底的な作り込みにも感服しました。最も驚いたことの一つが、シリーズのために創作されたドスラク語・高地ヴァリリア語等の言語です。作ったのは、プロの言語制作者であるデヴィッド・ピーターソンという人です。本作でも、彼がこの映画のために作ったチャコブサ語が頻繁に使われています。役者たちは、徹底的に覚え込まされたようです。単語だけ創作するのであれば、楽なものです。しかし、体系的な言語として成立させるとなれば、その労苦は並大抵のものではないと思います。監督はじめ制作陣は、既にシリーズ3作目の準備に入っているようです。原作の第2巻がベースになるようですので、引き続きチャコブサ語も活用されるはずです。(写真出典:warnerbros.co.jp)

2024年3月17日日曜日

チャジャンミョン

韓国の人たちがこよなく愛するチャジャンミョンを初めて食べたのは、十数年前、ソウル近郊のゴルフ場でのことした。その日は、スルー・プレイをしたのですが、ハーフウェイ・ハウスで勧められたのがチャジャンミョンでした。韓国のソウル・フードですが、韓国に行くと接待を受けたり、お目当ての店があったりと、庶民的なカルグクスやチャジャンミョンを口にする機会はなかなかありませんでした。真っ黒な見た目は異質ですが、基本的には炸醤麺(ジャージャンミェン)だと思いながら食べました。ところが、あまりの甘さに驚きました。数年前に、韓国映画を見ていたら、無性に食べたくなり、店を探しました。ところが、韓国式の中華料理という性格上、日本では、韓国料理店でも中華料理店でもメニューにはありません。

新大久保にはあったのでしょうが、地元や都心で見かけることはありませんでした。ところが、地元で、中国人経営の店のランチ・メニューとして看板が出ているのを見つけました。店は、完全な中華料理店ですが、恐らくオーナーが中国北東部出身の朝鮮族の方なのだと思います。奇跡だと思い、早速食べて見ました。これがなかなか美味しいわけです。麺を食べた後、小ライスをもらい、残ったソースに混ぜたところ、これも美味しくいただけました。チャジャンミョンは、炸醤麺から派生したとは言え、まったく異なる料理です。韓国におけるチャジャンミョンの歴史は、1882年、李氏朝鮮で勃発した壬午軍乱に始まるとされます。鎖国攘夷派の大院君が、軍人の不満を利用して、開国派の閔氏政権転覆を謀った事件です。

壬午軍乱が起きると、清国軍と日本軍が介入します。清が、事実上、朝鮮を支配すると、山東省から多くの華僑が半島に渡ってきます。炸醤麺は、山東省の家庭料理だったこともあり、韓国でも知られるようになります。第二次大戦後、韓国政府は華僑を弾圧します。華僑は出来る商売が限定され、中華料理店が一気に増えます。ここで、韓国人の口にあうチャジャンミョンも完成したのでしょう。チャジャンミョン普及の背景としては、政府が代金を統制し安価に食べられたこと、米国から無償の小麦が大量に流入したこと、そして高度成長期に出前が一般化し、出前に適した汁なしのチャジャンミョンが人気となったこと等があるとされています。韓国のチャジャンミョンには、山東省華僑の苦難の歴史があったとも言えます。

同じように炸醤麺から派生したものとして、盛岡名物じゃじゃ麺があります。わんこそば、冷麺と並び、盛岡三大麺の一つとされます。麺に甘辛の肉味噌ときゅうり等を乗せて食べます。麺を食べ終わると、茹で汁と玉子を入れて鶏蛋湯、略してチータンと呼ばれるスープにして食べます。何度か発祥の店「白龍」で食べましたが、特に感動はしませんでした。辛味の強い炸醤麺と甘いチャジャンミョンの中間くらいに位置する感じです。麺は平打ち麺が使われます。チャジャンミョンは、中国式の手で伸ばした麺、いわゆる拉麺が使われます。本場中国の炸醤麺は切麺を使うことが特徴とされます。炸醤麺は、明朝末期に起こった李自成の乱の際、反乱軍が軍用食として考案したとされます。戦場ではのんびり手延べなどできなかったのでしょう。

今般、ネット通販でインスタントのチャジャンミョンを買ってみました。これも悪くないわけです。タマネギを刻んで加えれば、なかなかのものになります。ソースも美味しいのですが、麺がいい仕事をしています。韓国のインスタント・ラーメンの麺は優れものだと思います。日本のインスタント・ラーメンの麺は、生麺に近づけることだけを目標に進化してきたように思います。韓国の場合、あくまでもインスタントの世界のなかで麺を進化させてきたように思います。日本でも、ペヤングのソース焼きそばは、インスタント麺の道をまっすぐ歩んできたと思います。ペヤングのソース焼きそばに甜麺醤をかけて食べると、チャジャンミョン的になるのではないかと思います。(写真出典:seoulnavi.com)

2024年3月15日金曜日

兜町の風雲児

十年以上前だと思いますが、用があって兜町に行った時のことです。立派なスーツにネクタイをまとった40歳過ぎと思しき男性が、全身ずぶ濡れでヨタヨタ歩いていました。あまりにも異様な光景に、思わず立ち止まってしまいました。ところが、兜町の人たちは、男性を完全に無視して、普通に行き交っていました。場所柄から想像するに、大博打に打って出た相場師が、勝負に負けて全財産を失い、やけになって日本橋川に飛び込んだか、頭から水をかぶったのではないか、と思いました。周囲の人たちの冷静さからすれば、今でもこういう人がたまに現れる街なのだと感得した次第です。法規制が強化され、ハイテク化されたとは言え、株式市場は、依然、露わになった人間の欲望がうごめく恐ろしい世界だということです。

数年前、葛飾区で木造アパートの一室が燃え、男性の遺体が発見されます。悲惨な話ですが、人目を引くようなニュースではありませんでした。数日後、遺体は、かつて”兜町の風雲児”とも呼ばれた伝説の相場師・中江滋樹だったことが判明します。ニュースにはなりましたが、決して大きな扱いではありませんでした。中江は、1954年、近江八幡で、証券会社に勤務する父のもとに生まれます。父の影響か、中学時代には独自のチャートをつけ、高校では授業中に短波放送で市況を聞き、休み時間には電話で売買を発注していたといいます。儲けも得ていたようです。高校卒業後は、名古屋の投資顧問会社で働きます。極貧の生活を送りながらも投資では稼ぎ、会員向けに株価予想レポートを送るビジネスを始めます。

大阪の北浜界隈では、これがよく当たると評判をとり、1978年には東京で「投資ジャーナル社」を設立します。中江の推奨銘柄は”N銘柄”と呼ばれるほど注目され、出版する雑誌類も大いに売れます。一躍、脚光を浴び、集めた大金を動かし始めた中江は、政財界の要人や芸能人に交友関係を広げ、毎夜、銀座で豪遊します。若くて、髪を長く伸ばし、髭を蓄えた中江は、正に兜町の革命児といった風情でした。ただ、外見や交友は、すべて投資家を増やすためのパフォーマンスだったという見方もあるようです。1984年、中江は大きな賭に出ます。ある化学メーカーに狙いを定めた中江は、膨大な資金を集めます。ところが株価は思うように上がらず、N銘柄全般への不信感も広がります。ついに資金を回せなくなった中江は、詐欺の疑いで逮捕されるに至ります。

実は、中江逮捕の前日、日本中を震撼させた大事件が起きています。被害総額2,000億円という巨大詐欺事件を起こした豊田通商の永野社長が、その日、ついに逮捕されるという情報が流れ、マスコミ各社が永野の自宅マンションに殺到します。そこへ二人組の男たちが現れ、窓を蹴破り、永野の部屋に侵入します。二人は永野を銃剣でメッタ刺しにして死に至らしめます。TV中継されるなかで起きた殺人事件でした。翌日、警察は、中江逮捕に動きます。もちろん、それまで内偵を続けていたのでしょうが、明らかにこの事件が逮捕の引き金となったものと思われます。警察は、永野の二の舞を避けるために、緊急逮捕に踏み切ったともされます。中江は、詐欺にはあたらないと主張し続けますが、懲役6年の実刑判決が下ります。

出所後の中江に居場所はありませんでした。投資ジャーナル事件の被害総額は580億円であり、金融商品詐欺としては、当時、歴代トップでした。結果としては詐欺と判断されたわけですが、中江が行っていたことは、いわゆる仕手戦でした。仕手とは、特定銘柄に大規模な売買を集中させ、利益の拡大を図る投機的な手法です。意図的に市場操作を行えば、市場機能を阻害する違法取引になります。江戸初期、大阪の淀屋米市場で商品先物取引が開始されると同時に、仕手戦も始まっていたのでしょう。その伝統が株式市場にも展開され、相場師と呼ばれる投機のプロが暗躍することになります。時代とともに、規制も、監視も強化され、現在では、違法な仕手戦は消えたと聞きます。株式市場は、資本主義にとって必要不可欠なインフラではありますが、依然として、人間の強欲がぶつかり合う恐ろしい世界という一面も失ってはいないように思われます。(写真出典:dailyshincho.jp)

2024年3月13日水曜日

「アーガイル」

監督:マシューヴォーン     2024年イギリス・アメリカ

☆☆+

(ネタバレ注意)

キングスマン・シリーズのファンとしては、楽しみにしていた作品です。ただ、結果は、残念なものでした。マシュー・ヴォーンのアクション・コメディは、やや古典的な英国式ユーモアにあふれ、かつ現代的なテンポの早さとスタイリッシュさを併せ持つ、今どきの映画界にあっては貴重な存在だと思います。マシュー・ヴォーンの魅力に変わりはないと思うのですが、本作に限っては、ありがちな間違いが起こってしまったという印象です。ラーメンのスープに例えるならば、全国から集めた最高の食材を火にかけたものの、火加減が強よすぎ、煮出す時間も長すぎたため、えぐみも出て、全体の味の印象もぼやけてしまったといった感じです。

キングスマンの製作費は1億ドル程度ですが、今回は倍の2億ドル。マシュー・ヴォーンが、自分のお気に入りのアイデアを、好きなだけ詰め込み、好き放題に作った映画だと思います。監督が作りたい映画を作ることは大変結構なことですが、肝心要の観客が置き去りにされているという印象です。メインとなるプロットは、ミステリ作家の作品と現実が交錯するというものです。アクション・コメディのフレームとしては、斬新とまでは言えませんが悪くありません。作家とスパイが同一人物だったという着想は見事です。ある意味、本作の鍵となるアイデアですが、そこで記憶喪失とマインド・コントロールを種明かしに使っていることは、実に安易で誠に残念だったと思います。

また、”どんでん返し”も本作の見せ場だと思いますが、あまりにもクドすぎます。どんでん返しは、楽しい仕掛けですが、ここまでやられると、これはどんでん返しをパロった映画なのかと思ってしまいます。ところが、ストレートに意外性を狙っているような面もあり、パロディだとすれば、実に中途半端なものになっています。主人公役に、プラス・サイズのブライス・ダラス・ハワードを起用した点もどうかと思います。かまとと風おばさん作家とキリッとしたエリート・スパイとの二面性の落差をねらったのでしょう。顔に関してだけは、ねらいどおりだったように思います。ひょっとすると”エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス”でミシェル・ヨーが見せた二面性をねらったのかも知れません。

決定的な違いは、ミシェル・ヨーが、もともとキレのあるカンフーで知られたアクション・スターだという点です。プラス・サイズのおばさんによるアクションという面白さをねらったのでしょうが、それも徹底的に笑いを追求したというよりは、中途半端にカッコいいという結果になっています。要は、マシュー・ヴォーンの英国式ユーモアを活かしたスタイリッシュな作風が、ドタバタ系コメディに徹することを妨げているといった印象です。スタイリッシュさとドタバタの融合をねらったのかも知れませんが、見事に失敗したと言わざるを得ません。恐ろしいことに、本作のエンドロールには、次回作の告知が含まれていました。ミステリ小説と現実の交錯というフレームを継続するということなのでしょう。

本作は興行的にも失敗しています。それでも続編を撮るというのであれば、是非ともマシュー・ヴォーンらしい作品を目指してもらいたいものだと思います。私は、ピンク・パンサー以降のデヴィッド・ニーヴンのファンです。二枚目俳優ながら、英国紳士らしい上品さと英国式ユーモアを併せ持つ希有な俳優でした。対して、ピンク・パンサーでクルーゾー警部役を演じ大ブレークしたピーター・セラーズは、ドタバタを上品に演じられるコメディアンでした。いずれも英国的なコメディを体現したような味のある俳優でした。ファンとしては、マシュー・ヴォーンの映画は、ピーター・セラーズ系ではなく、デヴィッド・ニーヴン系であって欲しいと思います。(写真出典:eiga.com)

2024年3月11日月曜日

国のかたち

アメリカの多くの州では、公立学校の朝礼において、忠誠の誓い(Pledge of Allegiance) が唱和されます。子供たちは、毎朝、右手を胸にあて、アメリカ国旗に向かって「私はアメリカ合衆国の国旗、そして神の下に統一された国家、自由と正義を有する全ての個人を代表する共和国に忠誠を誓います」と唱和します。歴史が浅く、移民の国であり、合衆国でもあるアメリカは、こうでもしなければ、ナショナリズムを形成できないわけです。さらに言えば、常にナショナリズムを意識させなければ、一つの国としてのかたちを保つことも難しいのでしょう。朝の唱和は、漂流を続ける国家・日本でも取り入れた方がいいと思いました。

ただ、今の日本では、その実現は困難だとも思います。いまだ皇国史観や軍国主義へのヒステリックな反撥が強く、ナショナリズムという言葉に過敏に反応する日本では、提案した途端に袋だたきにあうと思います。また、多くの人々の合意を得られるような文章も難しいと思います。それこそ、まさに漂流を続ける日本を象徴しているとも言えます。ごく当たり前の国家として、ごくフラットに、国民が一つになれる拠り所、つまり国のかたちを明確にすることは、至極まっとうなことだと考えます。また、それが内外における国際化の進展にも寄与すると思います。ナショナリズムなくしてインターナショナリズムはあり得ません。国のかたちと言うのであれば、日本国憲法前文があるではないか、との反論もありそうです。

しかし、憲法前文には、主権在民は謳われているものの、他は戦争放棄という極めて特異な判断の言い訳が記されているのみです。世界平和を希求することは大賛成ですし、戦争には大反対です。しかし、戦争放棄とは、目前で家族が殴られていても何もしないことに等しく、あり得ません。いずれにしても、主権在民と戦争放棄だけを国のかたちとは認めがたいところです。国のかたちとは、国体と言うこともできます。国体は、一般的には国柄や国風を指すとされます。外国を意識した際、日本とは何かを定義するために用いられてきたと言えます。江戸末期、水戸学が国体という言葉を大いに広めます。水戸学の言う国体とは、天孫家・万世一系・神国思想等を要素に構成され、尊皇攘夷思想を生みます。明治期になると、天皇を中心とした中央集権国家作りを目指す薩長政権によって、国粋主義的な国体論が徹底されます。

それが、空想的な皇国史観、そして軍国主義へとつながるわけですが、一方で、脱亜入欧政策によって、西洋的な社会科学が導入され、国体論も新しい展開を見せます。例えば、法学者・美濃部達吉は天皇機関説を唱え、歴史学者・津田左右吉は記紀研究に基づき14代までの天皇を神話と断じます。もちろん、両論は、皇国史観に依拠する体制から批判・弾圧されます。しかし、敗戦とともに、軍国主義・皇国史観は、ほぼ完全に否定されます。それらと完全に一体化されてきた国体という言葉もタブー視されることになります。また、憲法は、全国民から尊重されるべきものですが、改正論議は否定されるべきものではありません。にも関わらず、憲法改正もタブー視されることになりました。羮に懲りた日本は、行うべき議論を避け続けたことで、大海を漂う小舟のようになってしまったと思うわけです。

ならば、日本の国のかたち、国体は、いかにあるべきか、ということになりますが、浅学ゆえに私は答を持ち合わせません。ただ、日本の社会・文化を育んできた人と自然との関わり方、人と社会との関わり方の根本が明示されるべきだとは思います。その際、日本がたどってきた歴史は大きな構成要素になります。とすれば、天皇制に言及せざるを得ないとも思います。神国思想を排し、主権在民を明確にし、そのうえで単一王朝が生み出してきた社会と文化を鮮やかに表現できるとすれば、自ずと日本の国のかたちが現れるのではないかと思います。とは言え、決して簡単なことではありません。ちなみに、美濃部達吉は、戦後の憲法改正に際し、主権在民は国体の変更であるとして、枢密院において唯一人、改正に異を唱えたことでも知られます。(写真出典:item.rakuten.co.jp)

2024年3月9日土曜日

「海街奇譚」

監督:チャン・チー   原題:海洋生物   2019年中国

☆☆

(ネタバレ注意)

ここ数年で一番退屈な映画でした。しかも映画館が恐ろしく寒くて、余計に印象が悪くなりました。チャン・チー監督は本作が長編初監督とのこと。それもあってか、意欲作であることは間違いありません。恐らく、これまでに貯めてきた思いやアイデアをぶつけたのでしょう。ただ、力が入りすぎて、空回りしてしまったという印象です。プロットは悪くないと思います。もう少し脚本を整理して、思い入れたっぷりのカットも削ぎ落し、熟達の編集者を用いていれば、そこそこのデビュー作になったのではないかと思います。監督は、名門中の名門である北京電影学院を卒業していますが、その卒業制作映画といった青臭さを感じる映画でした。

監督が多くの映画を見て研究し、影響も受けていることは明らかです。ただ、消化不良気味との印象も受けました。ビー・ガン監督から受けた影響が大きいようにも思えますが、いたって表面的なものに留まっています。映像の詩人ビー・ガンが織りなす夢と記憶の世界観には及びもつきません。また、ビー・ガンの長回しとは真逆な細かいカット割りは、何の意味もないどころか、映画を殺しているようにも見えます。極端に言えば、発想が、映像ではなく、スティールにあり、スライド・ショーといった印象すらあります。スティール的ながらも、いくつか印象に残る映像もありました。ただ、総じて言えば、俗っぽく、インパクトに欠けると思いました。

一方で、時系列や人間関係におけるミステリアスな構成は、とても面白いと思いました。時間へのこだわりと言えば、クリストファー・ノーランが思い起こされます。本作では、ノーランの「メメント」での逆時系列、「インターステラー」や「TENET」の物理学的な時間のモティーフとは一味違った扱いを見ることができます。モザイク的に散りばめられた断片が、入り組んだ時系列を暗示するという手法がとられています。そこに登場人物の相関も断片的に組み込まれていきます。なかなかに面白いアプローチだと思います。8月5日という日付、そして一人3役を演じる女優が、それらを繋ぐ糸の役割を果たしています。着想は秀逸なのですが、脚本も演出も、それを活かし切れていないところが、誠に残念です。

チャン・チー監督は、英国留学後、北京電影学院に学び、舞台演出やCM撮影に携わっていたようです。スティール的な映像は、CM制作で身についたものなのでしょう。主演のチュー・ホンギャンは、本職が電気技師という変わり種ですが、いい味を出しています。一人3役を演じたシュー・アン・リーの新鮮さは魅力的だと思いました。また、邦題「海街奇譚」は、なかなかの傑作タイトルだと思います。原題「海洋動物」は示唆に富んでいますが、いまひとつ食指が動かないところがあります。それにしても、今回は、この冬一番冷え込んだ日に、寒い映画館で、お寒い映画を見るという悲惨な体験になりました。映画館を出る時には、早くラーメンを食べることだけを考えていました。(写真出典:eiga.com)

2024年3月7日木曜日

皇帝の旗の下に

清朝正黄旗
民主主義を勝ち取ってきた西洋、そしてその影響を受けた日本などからすれば、ロシアや中国のように、現代版の皇帝が支配し、かつ国民の多くがその体制を支持している国は、異常にしか見えないわけです。自由が制限されている全体主義国の国民は不幸であり、彼らがその体制を支持しているということは、だまされているか、強制させられているとしか思えないわけです。しかし、民主主義国から見たロシア・中国の姿は、一面に過ぎないのかも知れません。国民にとっては、現政権こそ自分たちにとって必要な体制だと思わざるを得ない理由があるようにも思えます。

昔、父親から、中国やロシアといった広大な国土と多民族を抱える国を維持するためには、強力な中央集権体制、つまり帝政を選択せざるを得ない、と聞かされました。妙に印象に残りました。納得できる話ではありますが、誰のために国を維持するのか、ということが気になります。もちろん、答えは”国民のために”以外ありえません。特に、為政者たちは、胸を張って、そう言い切るはずです。しかし、ロシアや中国のように、個人の選択と行動の自由を奪っておいて、”国民のために”と言えるのでしょうか。個人的には、国家が国民に最低限保障すべきは自由と安全だと思います。自由と安全が保障できない国家など、果たして存在意義があるのか、はなはだ疑問に思います。

上海の中国人から、中国共産党には多くの問題があることは我々も知っている、ただ、我々がメシを食えて、豊かになってゆく限り、我々は共産党政権を支持する、と聞かされたことがあります。思えば、中国やロシアの民衆には、反乱や戦争といった社会的混乱に頻繁に巻き込まれてきた歴史があります。共産主義政権が誕生した後ですら、しばしば大混乱が起きています。そのような歴史からすれば、強権的な政治体制であれ、束縛の多い社会であれ、社会が安定している状態は極めて価値あることなのでしょう。そのためなら、多少の犠牲や制約を受け入れることも厭わないということなのでしょう。しかも中国やロシアの広い国土のなかには自然環境が厳しい地域もあり、一層、その思いが強いのかも知れません。

多民族国家であることに関しては、防衛上、戦略的深度を確保するために生じた結果という面があります。他国や他民族が侵入しやすい地理上の特性から、中国もロシアも防衛線を外へ広げなければならないという思いが強いのでしょう。ロシア人や漢民族以外の人々が住む地域を管理するために、両国とも見せかけの自治という巧妙な手法をとってきました。実態として、衛星国や自治州にはロシア人や漢民族が入り込んで政治や経済を主導し、民族固有の言語や文化も奪ってきました。人口も少なく、風土の厳しい多くの衛星国や自治州は、中央政府に頼らざるを得ない体制が築かれています。豊かな耕作地や鉱物資源でも無い限り、そして一定の軍事力を確保できない限り、完全な独立は厳しいということなのでしょう。

ロシアのウクライナ侵攻は侵略そのものであり、中国によるウイグル族への弾圧はジェノサイドに近く、言語道断と言わざるを得ません。しかし、家の外壁に大きなひび割れができたら、それを直して当然であり、直す権利がある、というのがロシア・中国の主張なのでしょう。民主的国家とはまったく異なる独善的な論理には、ただただ驚かされます。ひび割れを放置すれば、家が壊れかねませんよ、と言われれば、大衆も補修を認めざるを得ないのでしょう。なぜなら、大衆のささやかな望みは社会の安定だからです。現代の皇帝たちは、巧妙に作り上げられた管理体制を背景に、大衆の心理を見事に操っていると言えます。民主主義は手間のかかるものであり、時として混乱も生じますが、個人の生存権や自由が侵されることはありません。中国やロシア等の大衆が、制約の多い見せかけの安定よりも、個人の尊厳を重視する日が来ない限り、全体主義は続くのでしょう。(写真出典:ja.wikipedia.org)

2024年3月5日火曜日

「落下の解剖学」

監督:ジュスティーヌ・トリエ 原題:Anatomy d'une chute 2023年フランス

☆☆☆☆

(ネタバレ注意)

昨年のカンヌ国際映画祭で、パルム・ドールを獲得し、フランスで大ヒットを記録した作品です。独特な緊張感を巧みに編み上げた法廷劇です。作家の転落死を中心に、夫婦間の問題、視覚障害の息子、作家という職業のストレス、フランス人とドイツ人、言葉の問題、横柄な検事といったモティーフが展開されていきます。モチーフの多い映画は、得てして散漫になるものですが、本作はトリエ監督の演出と主演したザンドラ・ヒュラーの存在感によって緊張感あるドラマに仕上がっています。また、舞台となったフランス・アルプスの風景がとても良い効果を生んでいます。さらに、劇伴は一切ありませんが、音楽の使い方もとても上手いと思いました。

プロットの中心となっているのは、古典的とも言える「事故か自殺か殺人か」という疑義です。そして、死んだ作家の妻である主人公が、殺人の容疑者となります。このフレームだけなら驚きもしませんが、ここから、この映画の絶妙な仕掛けが展開されていきます。当然、映画の冒頭で観客は主人公に同情的になるわけですが、そこに、次々と殺人を思わせるモティーフがたたみかけられます。そして、唯一の目撃者が視覚障害のある10歳の息子とい不安定要素も加わります。映画は、事の顛末を客観的に叙述するのではなく、観客に疑問を疑問のままにぶつけていくという挑戦的な構図になっています。観客は、傍観者ではなく、陪審員の立場に置かされているとも言えます。

本作では、法廷劇で多用される再現映像的なフラッシュバックが、ほぼ使われていません。例えば、フラッシュバックを使って見事に観客を欺いた「ユージャル・サスペクツ」(1995)とは異なり、リアルタイムで観客に疑義を提示することにこだわっています。それが、上質な緊張感を生んでいます。また、TVのニュース映像をフルサイズで使うことで、リアリティと同時性を高めています。興味深いと思ったのは、緊張感を生み出す言語の扱い方です。ドイツ人の主人公は、フランス語が得意ではなく、フランス人たちとしばしば英語で話さざるを得ません。一方で、早口で主人公を攻め立てる検事のフランス語との対比が、孤立した異国人というイメージを際立たせ、不安定感を高めるモティーフの一つとなっています。

観客に対して、ストレートかつフラットに疑義を提示していくという本作のスタンスが、齟齬なく脚本、演出、演技で共有され、見事な化学反応を生んでいると言えます。監督のジュスティーヌ・トリエは、2013年の長編デビュー以来、注目の若手監督として、常に高い評価を得てきたようです。また、マクロン政権に対する過激な批判でも知られているようです。脚本は、トリエ監督と、映画監督でもあるアルチュール・アラリが共同執筆し、多くの映画祭で脚本賞を獲得しています。主演のドイツ人女優ザンドラ・ヒュラーは、観客の同情を得ながら、一方では疑念も与えるという難しい演技を見事にこなしています。本作が仕掛ける曖昧さによって、観客は事実と真実の間を揺れ動くことになります。

撮影は、フランス東部グルノーブルとその近郊のスキー・リゾートで行われています。室内シーンが多くなりがちな法廷劇にあって、青空に映えるアルプスの白い山々は、映像の広がりと奥行きを生み出しています。映画の冒頭、その美しい景色を背景にに、夫がかけたレゲエ調の明るい音楽が大音量で流れます。実に印象的でした。元の曲は、アメリカのラッパー”50 cent”の”P.I.M.P”ですが、映画で使われているのはドイツの”Bacao Rhythm & Steel Band”がヒットさせたインストゥルメンタル・ヴァージョンです。アルプスの風景と南国のスティール・ドラムの音色という意外な組み合わせが効果的です。”P.I.M.P”(ポン引き)という曲名は、フェミニズム的アイロニーのようにも思えます。だとすれば、我々が見た映画の結末も真実ではないのかも知れません。(写真出典:eiga.com)

2024年3月3日日曜日

龍の髭

韓国の伝統菓子クルタレを初めて食べたのは、30年ほど前、ソウルのインサドン(仁寺洞)でのことした。クルタレは、蜂蜜と麦芽で作った飴を、細く伸ばして糸状にし、木の実などを包んで繭状にまとめたお菓子です。飴を伸ばしては折り畳み、最終的に16,384本の極細糸にします。これが、優しい味と食感を生みます。昔、韓国の人たちと、韓国の美味しい食べ物の話で盛り上がっていた時、クルタレも大好きだと言ったら、突然、座がしらけて、あれは中国のものだと言われました。中国で、クルタレは”龍の髭”と呼ばれています。もともとは新疆のお菓子だったようですが、明代あるいは清代に皇帝の好むところとなり、その後、中国全土に、そして中華圏へと広まったとされます。ただ、日本には届きませんでした。

韓国と中国との関係は、常にさざ波が立っており、しばしば白波も立ちます。基本的には、中国は日米韓の軍事的ネットワークが気にさわり、韓国にとって中国は輸出が最も多い国という構図が存在します。韓国は、先進国中、ドイツと並んでGDPに占める輸出の割合が高い国です。しかも輸出高の3割が、香港を含む中国向けとなっています。中国は、韓国経済の首根っこを抑えているとも言えます。2000年、韓国政府は国内の農家を保護するために、中国産冷凍ニンニクの関税を引き上げます。報復として中国が携帯電話の輸入禁止などを行うと、韓国政府は関税を即刻元に戻します。いわゆる“ニンニク紛争”ですが、その際、韓国には”恐中症”という言葉も生まれたようです。

2016年、朴槿恵政権は、北朝鮮のミサイル強化策に対抗し、アメリカのミサイル防衛システム”THAAD”の配備を決定します。中国はこれに猛反発し、韓国製品の不買運動、ロッテの閉めだし、団体旅行停止など圧力をかけます。翌年誕生した文在寅の左派政権は、中国に頭を下げ続け、屈辱的とも言える譲歩を行います。その結果生み出された蜜月状態は、2022年、尹錫悦の保守政権が誕生すると逆回転を始めます。尹大統領は、一貫して米国との同盟強化を重視し、中国とは距離を取っています。中国は、例によって、大国主義的な圧力をかけますが、尹大統領は動じていないように見えます。経済面を見ると、韓国から中国への輸出は、依然として高い水準にありますが、半導体や中国進出企業への産業内輸出が伸びる一方で、他の品目は減少しているようです。

これは、中国企業が急速に韓国企業をキャッチアップしていることの現れであり、世界市場でも中国が韓国を追い上げているのでしょう。かつて、韓国企業が日本企業を凌駕していった状況に酷似します。中国は半導体自給率を上げる政策も展開しています。ただ、今のところレガシー半導体が中心であり、最先端半導体はまだ韓国・台湾に依存しています。尹政権の強気の対中姿勢の背景には、THAAD以降、国民に広がった中国への嫌悪感、そして最先端半導体を握っている強みがあるのでしょう。中国にとってみれば、韓国・台湾との外交は、先端半導体がゆえに、当面、現状を維持するしかないのだと思います。とは言え、韓国の歴史カードに翻弄される日本とは異なり、髭を引っ張られた龍がいつまでも大人しくしているとも思えません。

日本は韓国の旧宗主国です。中国も120年前までは同じく宗主国でした。李氏朝鮮は、日清戦争後の下関条約で独立が認められています。ソウルの独立門はその際に建立されましたが、多くの韓国人が日本からの独立記念碑だと誤解しているようです。なぜなら、韓国では、李氏朝鮮が清の属国であった史実が無視されているからだと聞きます。歴史の修正は韓国の得意技ですが、隣国に翻弄されてきた国では、自尊心を保つために必要だったのかも知れません。韓国が隣国に付け入る隙を与えてきたのは、党派争いに明け暮れ、国際情勢を見誤り、一致団結して国難に対処できなかったからだと言われます。今、韓国はバランス外交策を採るしかない状況にあると思います。バランス外交のために必要なことは、世論対策としての歴史の修正ではなく、正しい歴史認識とその教育ではないかと思います。(写真出典:ja.wikipedia.org)

2024年3月2日土曜日

「ゴジラ-1.0」

監督: 山崎貴      2023年日本

☆☆☆

ゴジラがスクリーンに登場してから70周年を迎えます。加えて、実写作品として30本目という節目も記念して本作は制作されたようです。ゴジラ・シリーズのすべてを見ているわけではありませんが、本作は、庵野秀明が監督した前作「シン・ゴジラ」と並ぶ異色作なのだと思います。1954年、ビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験で生まれたとされるゴジラは、核兵器がもたらす厄災の象徴でした。しかし、本作では、初登場からさかのぼること10年、戦時中の離島にゴジラが出現したという設定になっています。そして人間とゴジラの戦いに加え、特攻隊の生き残りの戦後というドラマがメイン・プロットになっています。

今回のゴジラは、核兵器による地球や人類への影響に加え、戦争の悲惨さをも象徴しているということなのでしょう。ちなみに、山崎貴は大ヒットした「永遠の0」(2013)も監督しています。個人的には、原作を書いた百田尚樹が嫌いなので、読んでも、見てもいません。百田尚樹は、いかにもTV屋あがりの食わせ者だと思っています。安っぽいセンチなストーリーを売るために、特攻を使うなど、もってのほかだと思っていました。また、百田尚樹の底の浅いエセ右翼ぶりにも呆れるものがあります。いずれにしても「永遠の0」は、大ヒットし、多くの映画賞も獲得しました。ただ、一方で、左翼からも右翼からも多くの批判が噴出したことも事実です。山崎監督は、意図とは異なる批判に悔しい思いもしたはずです。

そうした思いも踏まえ、本作の脚本は慎重に書かれたものと思われます。特攻をモティーフとしながらも、特攻で命を落とした若者たちの心情にも、特攻に対する批判にも触れていません。特攻を巡る議論を避けて、反戦とヒューマニズムに特化するスタンスをクリアにしたかったのでしょう。また、同じ趣旨からと思われますが、恐怖心から機体の故障を偽り生き残った特攻隊員という極めて希な設定も気になるところです。特攻の実相や構造からかけ離れた特攻の描き方には、大いに違和感を覚えます。戦時中の若者たちの心情は、裏表なくお国のために命を捧げるということであり、生き残った戦中派は死ねなかったという思いが強かったのだと考えます。センチなヒューマニズムでは、とても語れないほど悲惨な話です。

彼らをそうさせたのは皇国史観であり、軍国主義であり、国粋教育でした。そのことを踏まえずに、特攻をモティーフに使うことは、危険だとも言えます。映画は政治的なものです。多くの人々に影響を与えます。制作サイドが、反戦を意図して一人の若者の苦難を描いたとしても、軍国主義体制への批判を踏まえた脚本・演出になっていなければ、戦争を美化することにもなりかねません。終戦から、来年で80年を迎えます。戦争を知る世代は少なくなっています。そうした現状を考えれば、太平洋戦争に対する理解や認識の薄い若い人たちに対しては、あらゆるメディアを通して、戦争の恐ろしさ、そして全体主義の恐ろしさも伝え続けるべきだと思います。

監督は、なかなかの腕前だと思いますが、ややTV的なベタな演出が気になりました。映画的奥行きにかける傾向があるとも言えます。ただ、テンポの良さは日本映画の水準を超えていると思いました。監督のセンスが、国際的、あるいはハリウッド的だと言うこともできそうです。本作は、アメリカでもヒットし、評価もされています。その理由は、ゴジラのスペクタル・シーンとシリアスなドラマという珍しい組み合わせに加え、日本映画らしからぬテンポの良さが、エンターテイメントとしての質を高めているからだと思います。さらに、ドラマを反戦とヒューマニズムというテーマに特化したことにより、アメリカ人にも分かりやすい国際性を得たのだとも思います。(写真出典:amazon.co.jp)

夜行バス