写経は、印刷技術のなかった古代、経典の写しを作り、仏教を広めるために行われました。同時に、写経は、仏典を書き写す作業を通じて、仏教を体得するという修行でもあります。また、後代になると、供養という意味合いも持つことになり、今日に続きます。日本における写経は、673年、飛鳥の川原寺に始まったとされます。仏教が隆盛する天平の頃には、朝廷に写経を専門に行う役所も設置されていたようです。今で言えば、政府の直営印刷所というわけです。近年は、遍路や御朱印といったいわば仏教ツーリズムの一環として、多くの寺で参拝客が写経する姿が見られます。現代の写経は、修行、供養というよりも、心の安らぎを得るために行われているのでしょう。
身を清め、香を焚き、姿勢を正して合掌し、心静かに写経する。その静謐な世界に心引かれます。まずは、入門セットを購入しようと思った折も折、友人から、塗り絵を何枚描いてくれと頼まれました。会社のキャンペーンで集めているとのことでした。塗り絵くらいならと思い協力しました。送られてきたのは見事な手本と線画でした。色鉛筆もかなりの色が必要だとは思いましたが、コストを掛けたくなかったので12本入りを用意しました。ところが、問題は色鉛筆の本数ではありませんでした。フォルムは線画に沿えばいいのですが、色とグラデーションは個人の判断になり、そこが絵の印象を大きく左右します。とても難しく、1枚に4時間ほどかかりました。それも、完成して終えたのではなく、これ以上は無理と諦めた次第です。
対して、写経入門編は、手本をなぞり書きするだけなので、できるだろうと思いました。甘かったとしか言いようがありません。写経体と呼ばれる字体で書かれた手本は、一文字が小さく、柔らかさもある筆でなぞるのは、なかなか難しいわけです。結局、手本をなぞるために、紙に覆いかぶさるように目と筆を近づけて書くことになります。まるで、棟方志功が木版を彫っているような姿です。背筋を伸ばし、凜とした風情で写経する姿からすれば、まるで対極とも言えます。もはや写経ではありません。要は、般若心経に向かい合うのではなく、手本をなぞることが目的になってしまったわけです。慣れの問題かもしれませんが、書道の基本から始めないと無理だと理解しました。
老人は、心と体の健康を保つために、ある程度、習慣化された日常を送ることが大事なのだろうと思います。体の健康だけなら、週2~3度ジムへ通う方法もありますが、70歳を超えたら、軽めのメニューを毎日行う方が健康、体力維持には適しているように思います。同じように、心の安定を保つためには、無理のない文化的活動を毎日行うことが大事だろうと思います。いずれも習慣化することこそが大事ななのだと思います。私は、65~70歳の間、これまでできなかったことを好き放題にやってきました。そろそろ習慣化された日常を持ちたいと思い、写経にも挑戦してみたわけです。ただ、残念ながら、写経が私の日常になることはなさそうです。他にも、いくつかアイデアはあるので、順次、挑戦してみたいと思っています。(写真出典:butsudanyasan.net)