2026年5月18日月曜日

クリスティーナの世界

NYにいた頃、デラウェア州ウィルミントンに仕事でよく行った時期があります。街を流れるブランディワイン川の上流一帯は、美しい田園風景が広がるとともに建国時代の風情をよく残しています。一度、200年前の水車小屋を使ったレストランに行き、ランプの灯だけで夕食をしたことがあります。まさにタイムスリップでした。アメリカの18~19世紀初頭の風情は、とても魅力的だと思います。信仰と希望の力で困難な開拓を成し遂げた時代の残り香に惹かれるということなのでしょう。ちなみに、ブランディワイン川という風変わりな名称は、上流の滝の落差を巡って、測量士たちがブランディとワインを賭けて勝負したことに由来するとされています。

ブランディワイン川をさかのぼりペンシルベニア州に入ったあたりにチャッズフォードがあります。アメリカの国民的画家アンドリュー・ワイエスが、生まれ育ち、そして亡くなった村です。チャッズフォードは、独立戦争時の激戦地でもあり、ブランディワイン派と呼ばれる画家たちの芸術村でもありました。アンドリュー・ワイエスの父、ニューウェル・コンヴァース・ワイエスも高名な挿絵画家でした。病弱だったワイエスは、自宅で、絵画を含む全ての教育を父から受けています。父の影響から、ロバート・フロストやヘンリー・デイヴィッド・ソローの著作を読み、ウィンスロー・ホーマーの絵に憧れて育ちます。これら自然へのこだわりを持った著作や絵画、そしてブランディワイン川流域の美しい田園風景がアンドリュー・ワイエスの絵画を形成したのでしょう。

ワイエスの絵は、賛否がはっきり分かれるように思います。主にテンペラで描かれる写実的な絵は平板で退屈だと評する人たちもいます。一方で、そこにアメリカの精神風景を見て取る人たちも多く存在します。ワイエスの最も有名な作品である「クリスティーナの世界」なども典型だと思います。緩やかな丘陵の野原に女性が横たわり、丘の上に建つ家を見上げているだけの絵です。実に単純な構図だとは思いますが、強い印象を与えます。アンナ・クリスティーナ・オルセンは実在の人物であり、下半身が麻痺して歩くことができませんでした。ただ、彼女は、生涯、車椅子を拒否して、どこへ行くにも這って移動したと言います。困難を厭わず、人目を気にせず、自らを貫いたその姿には、強い意志、自立心、そして個人の尊厳が象徴されていると思います。

これこそがアメリカ的精神であり、アメリカ人を魅了するものなのだと思います。それは、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの思想である個人の尊厳、自然との調和、市民的不服従につながります。ソローの代表作「ウォールデン 森の生活」等が、アメリカ人に大きな影響を与えたというのではなく、ソローがアメリカ人の精神を鮮明に表したということだと思います。とりわけアメリカ東部の人々の心には、個人の尊厳と自然との関係が密接不可分なものとして根付いています。恐らく、彼らの血のなかに開拓の歴史と精神が色濃く残っているからなのでしょう。これはアメリカ人以外には分かりにくいところがあります。自分もNY郊外に暮らした経験がなければ、ソローなど単なる自然愛好家に過ぎないと思っていたはずです。日本人も、晴耕雨読の生活への憧れはありますが、それは内省的な隠遁生活を意味します。アメリカ人には、自然のなかで育んだ自立心や個人の尊厳が国の歴史を作ってきたという誇りがあるのでしょう。

東京都美術館が100周年を記念して「アンドリュー・ワイエス展」を開催しています。日本ではワイエスの人気など知れたものだろうと思っていましたが、案の定、会場は空いていました。もともと、日本では、欧州のルネサンス、印象派、油絵が人気の頂点にあって、アメリカ絵画など下に見られる傾向があります。世界の美術史においても、アメリカ美術が登場するとすれば、ポップ・アートくらいのものなのでしょう。それも絵画というよりはムーブメントとして捉えられる傾向が強いと思います。アメリカ文学も、似たようなものだと思います。アメリカが世界のトップに躍り出たのは20世紀であり、その光と影がアメリカの芸術を生んだということなのでしょう。結果的ではありますが、ワイエスの絵も反物質主義に貫かれている、と言ってもいいのかもしれません。(写真出典:en.wikipedia.org)

2026年5月16日土曜日

ライトレール

「人間は考える葦である」という言葉を残したブレーズ・パスカルは、早熟の天才の見本のような人だと思います。なにせ、1640年、16歳のおりに「パスカルの定理」を発表しています。その後も、パスカルの三角形、確率論、パスカルの原理などの業績を挙げ、死後には遺稿集「パンセ」が発表されています。また、パスカルは発明家、実業家としての顔も持っていました。1662年には、世界初の乗合馬車を発明し、パリで事業化しています。"Omnibus"と呼ばれたその馬車は、バスの語源ともなりました。乗合馬車は、欧州の各都市に広がり、軌道馬車、路面電車へと進化していきます。さらには進化版のライトレール(LRT)も登場し、路面電車と併せてトラムと総称されています。

路面電車は、19世紀、世界各都市へと広がりましたが、モータリーゼーションの時代を迎えると、渋滞の原因になったり、定時運行が困難になったために、徐々に姿を消していきます。路面電車に代わって多く採用されたのが地下鉄でした。時代が進み、70~80年代になると、車の渋滞解消、後には環境対策としてトラムが見直され、欧州を中心に再び勢いを取り戻します。日本でも、1930年には120近くの都市で路面電車が走っていましたが、1975年には20数都市にまで減っています。路面電車が残った街は、札幌、函館、東京、富山、豊橋、京都、岡山、広島、高知、松山、長崎、熊本、鹿児島などでした。西日本に路面電車が多く残ったのは、雪の影響が少なく、相対的に運行コストが低かったことも関係しているのではないかと思います。

日本では、欧米のようなトラム復権の例は少ないものの、富山市、宇都宮市がLRTを導入しています。富山市のライトレールは、2006年に開業しました。富山市は、コンパクト・シティ構想の数少ない成功例として知られます。少子高齢化、人口減少に対応しつつ、活力ある都市づくりをねらった富山市の構想は、公共交通の活性化、公共交通沿線への居住誘導、中心市街地の活性化を柱に進められました。つまり、LRTの整備が大きな鍵を握っているわけです。LRT導入の成否は、こうした都市計画との連動にあるのだと思います。コンパクト・シティを目指した都市は他にもあります。いずれもLRT敷設が計画に盛り込まれていました。しかし、高齢世帯のLRT沿線や中心部への移転が大きなネックとなって頓挫しています。それは単に移転費用の問題だけとは言えません。

2023年に開通した宇都宮市のライトレールも、コンパクト・シティ構想に基づき敷設されましたが、多少、富山とは色合いが異なります。宇都宮市の構想は、中心部と複数の地域拠点から構成されるネットワーク型とされます。今般、開通した宇都宮芳賀ライトレール線は、JR宇都宮駅と芳賀町の芳賀・高根沢工業団地を結んでいます。宇都宮市の東側には、鬼怒川を挟んで、芳賀・高根沢工業団地、平出工業団地、清原工業団地、さらにはテクノポリス構想などもあり、北関東随一と言える産業地帯が存在します。ちなみに、早朝、東京から宇都宮へ向かう新幹線は、いつも混んでいます。宇都宮駅の新幹線定期利用客数は、東京、大宮に次ぐほどの数になっているとのこと。その目的地の多くが、東部の産業地区になっているものと想像できます。

宇都宮市は、鉄道が南北に走り、市の中心部も東北自動車道も駅の西側にあります。また、鬼怒川に架かる橋が少ないこともあり、東部の産業地区へのアクセスは脆弱そのものでした。通勤、物量は、常に大渋滞という問題を抱えていたわけです。東部産業地域へのアクセス改善という喫緊の課題に、少子高齢化、ドーナッツ現象といった宇都宮市の新たな課題が加わることになります。そこで、東西基幹公共交通としてのライトレール構想が進んだわけです。現状、ライトレールの利用者数は予想を上回り、駅東側の開発が進み、車の通行量は平日で5千台減るなどの効果も出ているようです。ただ、産業地区へのアクセス改善の要は東北自動車道とのスムーズな連絡であり、コンパクトシティ化への要は住民の移転だと思います。ライトレール延伸計画はあるようですが、このあたりが進まないと都市計画としては掛け声倒れになる恐れもあります。(写真出典:utsunomiya-cvb.org)

2026年5月14日木曜日

ひもかわうどん

月に一度、歯のクリーニングとチェックのために、東銀座の歯科医院へ通っています。昼前に予約を入れ、終わったあとには東銀座・築地・銀座界隈で食事します。これが楽しみで通っている面もあります。飲食店には事欠かないエリアですから、今日はどこで食べようかと考えるのも楽しみの一つです。昼時には、そこここに行列ができ、食べたいと思っても、入れない店も多くあります。その一つが”五代目 花山うどん 銀座店”です。花山うどんは、明治27年、館林で創業したという老舗で、ひもかわうどんが有名です。恐らく、歌舞伎座界隈で一番長い行列ができているのが花山うどんだと思います。しかも、並んでいるのは、近所の会社員ではなく、インバウンド客ばかりという異様さです。

外国人にも人気の平打ちうどんですが、その発祥は定かではないようです。文献上の初出は江戸初期、三河・芋川の名物として平打ちの”芋川うどん”が紹介されているようです。現在、芋川という地名は存在しませんが、刈谷市のあたりを指すのではないかとされています。江戸後期の文献に、芋川うどんは、江戸でなまって”ひもかわ”、名古屋では”きしめん”と呼ばれていると記したものがあるようです。きしめんの名称は、もともと三河の知立あたりで人気だった雉肉を入れたうどん、つまり雉めんから来ているというのが名古屋市の公式見解です。知立は刈谷の隣ですから、雉めんには平打ちの芋川うどんが使われていたのだろうと想像できます。三河発祥の平打ちうどんですが、桐生のひもかわうどん、玉島のしのうどん、鴻巣の川幅うどん等もよく知られています。

桐生のひもかわうどんは、北関東で最もよく知られた平打ちうどんだと思います。桐生の名店で初めてひもかわうどんを食べた時には、その幅の広さよりもつるつるとした食感に驚き、すっかり気に入りました。北関東には、ひもかわうどんの他に、”おっきりこみ”、あるいは”煮ぼうとう”という似たような料理もあって混乱します。肉や野菜を炊き、ひもかわうどんを入れたものがおっきりこみと理解していいのでしょう。ただし、おっきりこみの場合、麺は塩を加えずにこねて、打ち粉が付いたままの生麺を鍋に入れます。小麦の一大産地である北関東ならではのうどん文化です。幅が広くて薄いうどんは、仕事で忙しい人々が考えた手間のかからないうどんだったのでしょう。切るのも簡単、煮るのも簡単、そして満足感も得やすいというわけです。

桐生市は、織物産業の街です。その歴史は古く、奈良時代には、既によく知られていたと言います。芋川うどんが伝わり、ひもかわうどんが生まれたという説以外に、川で洗う帯や紐類にちなんで名付けられたという説もあるようです。紐と川、確かにうまい組合せですが、ややこじつけっぽさがあります。しのうどんは、倉敷の玉島の名物です。禅宗の名刹である円通寺で、江戸時代から修行僧が食べていたとされます。円通寺で修行した良寛も好んだとされます。篠竹の節のように長いことからしのうどんと名付けられたようです。長いものでは1mにもなり、かつては”一節一椀”とも呼ばれていたようです。鴻巣の川幅うどんは、2008年、荒川が川幅日本一に認定されたことを記念して、市役所が音頭をとって作られた新しい名物です。

幅広の麺、あるいは平打ち麺は、何も日本に限ったものでもありません。イタリアのパスタにも、パッパルデッレ、フェットチーネやタリアテッレ、リングイネと各種揃っています。アジアでは 、台湾の担仔麺、タイのパッタイ等々も有名ですが、何といっても、中国・陝西省の𰻞𰻞(ビャンビャン)麺が代表格なのでしょう。𰻞という字は最も画数の多い漢字として有名になりましたが、習近平の好物としても話題になりました。15年ほど前、中華料理屋の若い中国人店員に、この漢字を知っているかと聞いたところ、知らないと言っていました。当時、日本で𰻞𰻞麺を出す店は、奈良の大和西大寺に一軒あるのみでした。仕事のついでに行って食べたことがあります。味付けこそエスニック感が強かったものの、麺に関しては、ひもかわを知っているだけに、何の驚きもありませんでした。(写真出典:yomiuri.co.jp)

2026年5月12日火曜日

レゲエ

ボブ・マーリーは、偉大なミュージシャンだと思います。たまに聴くと、やっぱりいいなあ、と思います。レゲエのリズムによく合う声ですし、歌い方もリズムを強く感じさせます。ラスタファリに基づくシンプルな歌詞も力強いと思います。裏打ちの2ビートが生むグルーブは、とても心地良いだけでなく、中毒性すらあるように思います。ラスタファリが大事しているガンジャ(大麻)の影響もあるのかもしれません。しかし、私はレゲエ好きというわけではありません。ボブ・マーリー以外のレゲエでは、単調なリズムに飽きてしまうからです。私にとって、レゲエはボブ・マーリー以外の何ものでもない、ということになるのでしょう。

レゲエは、ジャマイカ独自の音楽文化であるメント、スカ、ロックステディを経て、1960年代後半に生まれたとされます。1940~1950年代に人気の高かったメントは、ジャズや中南米音楽と同様、西アフリカと欧州の音楽が混じり合って誕生した音楽とされます。トリニダードトバゴ発祥のカリプソと混同されることが多いようです。メントの歌手で世界的名声を得たのがハリー・ベラフォンテです。「バナナ・ボート」は世界的なヒットとなりました。ただ、その歌は、メントではなくカリプソと思われがちです。確か似てはいますが、メントの方がゆったりとしたテンポが特徴だと思います。また、アメリカでは、カリプソの方が知名度が高かったために、マーケティング上、ハリー・ベラフォンテの音楽もカリプソとして紹介されていたようです。

ラジオが普及し始めると、ジャズやR&Bの影響を受けてスカが誕生します。スカの2・4拍目が強いオフビートは、ラジオの受信状況が悪く2・4拍目だけが強く聞こえたために生まれたという説があります。ただ、スカは、ドラム・アンサンブルと賛美歌で構成されるラスタファリのナイヤビンギの影響が強く、リズムの根源もそこにあるとされています。さらに、ジャマイカ発祥のサウンド・システムがスカを育てたとも言われます。サウンド・システムは、移動できるターンテーブル、アンプ、大きなスピーカーで構成されます。1940~1950年代はレコード・プレイヤーが普及しておらず、大衆がレコードを聴けるのはサウンド・システムだけだったようです。以降、サウンド・システムにはDJが入り、トースティングも生まれます。後のラップの原点だったわけです。

スカのアップ・テンポに疲れて、1960年代前半にロックステディが生まれます。60年代後半、それがレゲエのゆったりとしたグルーブにつながっていきます。レゲエの特徴として、2・4拍目にカッティング・ギターが強調され、ドラムは3拍目にアクセントを置き、ベースはうねるように演奏されます。ドラムは、3拍目のスネアのリムショットとキック(バスドラム)が特徴的ですが、これはボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのドラマーだったカールトン・バレットが生み出したリズムです。と言っても、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズがレゲエを作ったわけではありません。レゲエには、ジミー・クリフはじめ先人たちがいたわけですが、レゲエを確立させ、世界に広めたのがボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズだったと言っていいのでしょう。

ボブ・マーリーが世界に広めたのは音楽としてのレゲエだけではありません。世界の人々は、彼を通じて、ラスタファリを知ることになりました。ラスタ・カラーとドレッド・ヘアはレゲエを象徴するファッションとして広がりました。ラスタファリは、信仰でも、思想でもなく、宗教的思想運動とされます。それも理解しにくいところではありますが、最も引っかかるのがジャー(神)です。ジャーと呼ばれているのは、1975年まで存命だったエチオピアのハイレ・セラシエ1世です。ラスタファリが、アフリカ回帰運動でであることも理解できます。ハイレ・セラシエ1世が聡明な皇帝として知られていたことも知っています。だとしても、他国の存命する王を神として崇めることは、違和感の塊だとしか言いようがありません。(写真:映画「One Love」ポスター 出典:tower.jp)

2026年5月10日日曜日

能島

しまなみ街道には多くの展望台がありますが、最も人気が高いのは亀老山展望公園だと思います。隈研吾設計になるモダンな展望台からは、瀬戸内海が一望できます。トリップ・アドバイザーの「旅好きが選ぶ!日本の展望スポット2017」では、清水寺に次ぐ第2位となっています。ちなみに第3位は東京都庁でした。亀老山展望公園は、今治市の大島にあります。大島には、カレイ山展望台もあります。花崗岩の山であるカレイ山は保水性が低いために枯れ山や枯井と呼ばれており、それがこの風変わりな名前の由来となったようです。カレイ山展望台の魅力は、瀬戸内海を一望できることに加え、能島村上氏の拠点だった能島を眼下に臨めることです。

能島は、大島と伯方島の間にあり、その周囲の海域は宮窪瀬戸と呼ばれます。宮窪瀬戸は、瀬戸内海を最短で航海するための要所です。同時に、干満の差が大きく、激しい潮流が発生する難所でもあります。その潮流を体験するための観光船まで出ています。カレイ山展望台から見ていると、潮流を体験するためにエンジンを停めた観光船は、アッという間に潮に流されていきます。まるで激流を下る舟のようです。能島は、瀬戸内海の船の航行を見張る上でも、城の防御という観点からも最適だったわけです。能島村上氏は、因島村上氏、来島村上氏と並び、村上水軍を構成する三家の一つですが、この宮窪瀬戸の存在ゆえに、他の二家とは性格を異にする存在でした。

村上水軍の起源には、河内源氏説と村上源氏説があり、はっきりしていません。文献上の初出は15世紀とされます。芸予諸島の本州側に因島村上氏、四国側に来島村上氏、中央に能島村上氏が拠点を築き、各々独立しながらも一族としての連携も強かったようです。もともと海運、漁業、案内人、護衛などを生業としていた一族は、通行料の取立てを始め、支払わない船を襲ったことから海賊化していきます。その後、因島村上氏は、山名、大内、毛利といった大名の下に入って水軍となり、さらに河野、豊臣についた来島村上氏は大名化していきます。ただ、交通の要所である宮窪瀬戸をおさえる能島村上氏だけは独立性を保ちます。能島村上氏は、各大名へ安全な航海を保障する見返りに各地の港に出先を置かせてもらい、そこで通行料を徴集するという仕組みを築きます。つまり、ビジネス上、中立を保つ必要があったわけです。

能島村上氏も、最終的には毛利傘下に入ります。その後、秀吉が海賊停止令を出しことで打撃を受け、関ケ原の戦いにおいては、三家とも西軍方だったために、村上水軍の活躍は終わりを告げることになります。海賊は体制に組み込まれることで水軍と呼ばれるようになったわけですが、そもそも海賊という呼び方にはしっくりこない面があります。略奪行為そのものは、大昔から存在した海賊と変わらないのでしょうが、藤原純友の乱以降、その性格は大いに変わったのだと思います。つまり、海辺に暮らすならず者たちの集団としての海賊ではなく、律令制の崩壊とともにあふれ出した中級・下級官吏の武者たちの集団へと変わっていったのだと思います。平安末期の王朝時代、陸上でも私設関所で通行料の徴集が行われ、その背景には武者の存在がありました。

武者の存在が治安を悪化させ、それを武者の武力で鎮圧しようとしたことで、武家の時代が始まります。村上一族も海賊ではありますが、むしろ”海武者”とでも呼ぶべきではないかと思います。能島を臨む大島の浜に「村上海賊ミュージアム」があります。宮窪瀬戸の潮流体験船の発着港でもあります。実は、この施設は「村上水軍博物館」としてスタートし、2020年に改称されています。改称理由として今治市が言うには「当時の生活実態が略奪者ではなく海上の安全保障や通航料徴収を行う組織であったため」としています。だとすれば、海賊という呼称には違和感があります。水軍という呼称は江戸期に生まれたと言いますから往時の名称に戻す、あるいは海賊時代の独立性を尊重するというのであれば、理解できる面もありますが。(写真出典:oideya.gr.jp)

2026年5月8日金曜日

マッドマン・セオリー

Richard Nixon
あまりにも腹立たしいので、ドナルド・トランプの話などするつもりはありませんでした。ただ、気になることがあったので書くことにします。関税騒動からイラン攻撃に至るまで、トランプの交渉戦術を「マッドマン・セオリー」だとする記事が散見されます。確かに、”トランプは狂っている”と言いたくなりますが、交渉のなかでやっていることは単なる脅しに過ぎず、マッドマン・セオリーと呼べるようなものではありません。マッドマン・セオリーとは、相手に、自分が何をやるか分からない狂人だと信じ込ませ、譲歩や妥協を引き出す交渉戦術です。脅しとの違いはレベル感とも言えますが、マッドマン・セオリーは、相手に、単なる困惑ではなく、常識を越えた恐怖を与える戦術だと言えます。

マッドマン・セオリーは、大昔から存在していたものと思われますが、よく引き合いに出されるのがニクソン大統領の例です。ヴェトナム戦争時、ニクソンは、北ヴェトナムを交渉のテーブルに着かせるために、あいつは狂っていて核兵器を使いかねない、という噂を水面下で流したとされます。ちなみに、アル中だったニクソンは、実際に錯乱状態になることもあったようです。いずれにしても、ニクソンが、核爆弾という最終兵器を持ち出したこと、発射ボタンを押すことができる立場にあったことがポイントになります。東西冷戦下では、核ミサイルの発射が核の応酬につながり、人類が滅亡するというリスクが広く認識されていました。1972年、北ヴェトナムはパリでアメリカとの交渉を開始しますが、アメリカによる北爆の影響が大きかったとされています。

ニクソンのマッドマン・セオリーが奏功したわけではありませんが、究極の恐怖をもたらしたことは間違いないと思います。近年、マッドマン・セオリーを巧みに用いたのはプーチン大統領だったと思います。欧米の支援を受けたウクライナが攻勢に出ると、プーチンは戦術核の使用をほのめかします。同時に、プーチン不健康説も流布されていきます。恐らくマッドマン・セオリーを意識したプーチンの戦術だったのだと思います。ニクソンにしても、プーチンにしても、劣勢に置かれた状況でマッドマン・セオリーを使っています。それは単なる偶然ではなく、劣勢であることがマッドマン・セオリーの真実味を高めるからなのだと思います。窮鼠猫を噛む、というわけです。マッドマン・セオリーは、弱者の捨て身の戦術と言ってもいいのかもしれません。

マッドマン・セオリーは、自らも相当な打撃や不利益を受けることを前提に成立するのだと思います。自らの破滅も厭わないという狂った覚悟が、相手に恐怖を与えるわけです。核ミサイルを撃てば、自らも核ミサイルの報復を受けることは明らかです。トランプの100%関税は、自国経済への影響もあるわけですから、マッドマン・セオリー的かもしれません。ただ、コントロール可能なレベルの悪影響と言えます。”イランを石器時代に戻してやる”といったトランプ発言は、常軌を逸していますが、到底、マッドマン・セオリーと呼べるようなものではなく、ただの威嚇に過ぎません。トランプの常識外れな言動は、狂っているとしか言いようがないわけですが、あくまでも計算された交渉術の範疇だと思います。そういう意味ではよく徹底されているとも言えます。

狂人ネタニヤフは、首相退任とともに収監される恐れがあり、戦争を継続して首相であり続けるしかありません。支持率を回復したいトランプは、ユダヤ人の金と票を握るネタニヤフにけしかけられてイラン攻撃に踏み切ったとしか思えません。イエスマンで固めたトランプ政権は、読み違え、誤算を繰り返しています。世界は、もはやトランプの脅しを見透かしています。脅しどころか、マッドマン・セオリーすら通用しない国があるとすれば、それはイランです。もし、トランプがマッドマン・セオリーを使うとすれば、そこで起きることはイランの譲歩ではなく、地域を越えたエスカレーションだと思います。視聴率アップだけが身上のTVマン・トランプは、腹をくくることもできず、あるいは狂気に陥る可能性もないと思います。皮肉にも、トランプの信念の無さ、俗っぽさが、世界を真の恐怖から救うのかもしれません。(写真出典:amazon.co.jp)

2026年5月6日水曜日

明鏡止水

明鏡止水とは、 荘子の言葉に由来し、なんのわだかまりもなく、澄みきって静かな心の状態を指すとされます。無心の境地とも言えるのでしょうが、さらに意識を集中し、冷静さのレベルを高めた状態のように思います。NHKの番組「明鏡止水〜武のKAMIWAZA〜」は、日本古来の武術を中心に、フルコンタクト・スポーツにおける体の使い方を解明しようとする番組です。レギュラー放送ではありませんが、楽しみにしている番組です。タイトルも見事だと思います。単に武術を紹介するのではなく、その原理原則を解き明かす番組としては、実に相応しいと思います。心技体の語順は、単なるゴロの良さではなく、意味のある並びなのだと思います。

番組のホストを務めるのは、岡田准一とケンコバです。番組内で、岡田准一は”武術翻訳家”と呼ばれています。アイドル・グループの出身ですが、俳優としての活躍が多く、かつ武術家としても知られる異色の人です。各種格闘技の修行を行い、ブラジリアン柔術の世界大会に参加したこともあるというツワモノです。吉本興業所属の芸人ケンドー・コバヤシは、空手経験があり、大のプロレス・ファンとしても知られているようです。二人とも、フルコンタクト系に造詣が深いわけです。番組には、あまり知られていない古武術や格闘技の大家がゲスト参加し、演武を行い、解説を加えます。決して古武術に固執せず、プロレス、現代格闘技、あるいは他のスポーツや漫画の世界にまで範囲を広げて、心技体の関係を極めようとする姿勢が素晴らしいと思います。

番組から、武術やフルコンタクト・スポーツに共通する要素が見えてきます。重心、崩し、脱力、円運動、相手の力の利用などが印象に残りました。例えば、重心ですが、丹田(へそのやや下)に力を入れて、膝をやや曲げて直立する姿勢が最も安定感が高く、ちょっとやそっとの力では動かせないと言います。相撲で言えば、この姿勢のままでは、押すことも、投げることもできないとされます。そこで、崩し、つまり相手の重心をずらすことが必要となります。左右へいなす、上向きに力を加える、踏み込みを誘うなどして、相手のバランスを崩していきます。がっぷり四つの状態から上手投げを打っても決まらないと言われますが、相手を押し、相手が反撥して押してくる力を利用することで、技が決まります。つまり、相手の重心のバランスを崩しているわけです。

フルコンタクト・スポーツに筋力は欠かせません。しかし、筋肉量が勝敗を決めるわけではありません。柔よく剛を制す、というわけです。スピード、タイミングといった要素が勝負を決めます。また、筋肉に頼る、つまり体に力が入りすぎていると、合理的な早い動きはできません。力を抜くことが大事になります。また、重心を保つうえでは体幹が重要となり、そのためにインナー・マッスルを鍛える必要があるようです。フルコンタクト・スポーツは合理的な世界ですが、対戦中に考えて動くことなどできません。日頃からの稽古によって、体に覚えさせるしかありません。古武術の型、あるいは相撲の日々の稽古などによって、体に基本をたたき込みます。横綱、大関でも、場所前に十分な稽古ができていないと、本割で思うような結果を残すことは出来ません。

今村翔吾のベストセラー「イクサガミ」をNetflixがミニ・シリーズ化し、岡田准一が、主演、プロデューサー、アクション・デザイナーを務めています。ストーリー展開はともかくとしても、アクション・シーン、特に岡田准一のチャンバラが、惚れ惚れするほどリアルで見事な仕上がりになっています。他の役者ならば、見栄え重視のチャンバラになるのでしょうが、さすが武術家の刀さばきは、理に適ったものになっています。「Shogun」の真田広之の後継者は、この人しかいないのではないかと思います。ちなみに、「イクサガミ」は、Netflixの週間グローバルTOP10(非英語シリーズ)で第1位を獲得し、Rotten Tomatoesでも評価100%を得ています。シーズン2の製作も決定しているようです。(写真出典:tvguide.or.jp)

クリスティーナの世界