ロマンティック街道の中心の一つが、ローテンブルク・オプ・デア・タウバーだと思います。ローテンブルクは、タウバー川流域にあって、ニュルンベルクと共にフランケン地方を代表する街です。中世の街並みがよく保存されているローテンブルクは、世界中から観光客が訪れます。その歴史は、10世紀にまでさかのぼります。神聖ローマ帝国下では、皇帝直属の帝国自由都市として栄えます。17世紀の三十年戦争ではプロテスタント側として戦いますが、フランス軍に占領され、街は荒廃します。それが、中世の街並みを残すことにつながったといわれています。20世紀になると、ナチスが”最もドイツ的な街”と賞賛したことから、ある意味、ナチズムの聖地化します。第二次大戦で大きな被害を受けますが、世界中から寄附が集まり、街は再建されます。
見所の多いローテンブルクですが、最も印象に残っているのは「中世犯罪博物館」です。”犯罪”と言いますが、印象的には展示物の大半が拷問に関わっており、拷問博物館ではないかと思いました。拷問は、人間が共同体を構成して以来、強要の手段として世界中で行われてきたのでしょう。主に自白を得るための手段となったのは、中世ドイツでのことだったようです。神が裁くという神判から脱却するために自白が重視され、取り調べの延長線上で公然化されたようです。拷問を行う役人も生まれますが、その精神的負担を軽減するため、彼らは仕事中にワインを飲むことが許されていました。ワインが拷問を激化させたという説もあります。エスカレーションには、人間のサディスティックな面、創意工夫する能力、そして一神教の苛烈さも関係しているのでしょう。
最も印象的な拷問具は、アイアン・メイデンでした。複製品でしょうが、現物を見るのは初めてだったので恐怖を感じました。聖母マリアをかたどったという2mばかりの鉄製の人形は、内側に無数のクギが取り付けられています。中に入れられた人間は、全身をクギで刺される仕組みです。アイアン・メイデンは、中世には実在していなかったという説もあるようです。「苦悩の梨」も恐ろしい代物でした。鉄の器具を口の中にいれ、ネジで広げていくわけです。他にも恐ろしい危惧が並んでいましたが、恥辱を与えるための道具も多く展示されていました。これは取り調べの一環ではなく処罰ということなのでしょう。鉄の仮面や体を覆う樽などは、公衆の面前に晒すことで人間の尊厳を奪ったわけです。日本の村八分にも似て、共同体の根源に関わる処罰と言えます。
もちろん、現在は、国際法上も、各国の法制上も、拷問は固く禁じられています。しかし、今も、戦場で、警察で、あるいは私的にも拷問は続けられています。自白を得るためなら、自白剤を使えば済むことではないかとも思います。ただ、いわゆる自白剤は、意識を朦朧とさせる薬効しかなく、必ずしも確実に自白を得られるものではないようです。自白剤は。第一次大戦の頃に登場し、ナチスが徹底研究しました。その成果を引き継いだのが冷戦下のアメリカとソ連です。余談ですが、昔、アミューズメント・パークで、パイレーツに乗りました。ボート形の乗り物が振り子運動を繰り返すという恐ろしい代物ですが、いつ終わるか分からないところが、まさに拷問そのもの。「何でもするから、降ろしてくれ!」と叫び続けました。金を払って拷問を受けるなど狂気の沙汰です。降りてから製造会社を確認すると、ドイツのメーカーでした。納得しました。(写真出典:commons.wikimedia.org)





