2026年9月15日火曜日

桜桃忌

漫画やアニメのことは、さっぱり不案内なのですが、「文豪ストレイドッグス」という人気漫画があり、アニメ、ゲーム、映画、舞台、小説へと展開しているようです。キャラクター化された文豪たちが、異能者として横浜で戦うというプロットらしいのですが、各人が持つ異能には代表作にちなんだ名前が付けられています。主人公は中島敦であり、月下獣という異能を持ちます。”山月記”に由来するのでしょう。太宰治は、人間失格という異能を持っています。このアニメが、数年前からアメリカで放送されると、太宰治が人気となり、本が売れ始めたというのです。これに目を付けた大手のペンギン・ブックスが太宰の作品を出版しはじめると、アメリカ、イギリスでブームの様相を呈し始めたというのです。 絶望とニヒリズムがZ世代にウケたとされています。

文豪ストレイドッグスでは、太宰治の趣味は自殺とされているようです。笑えます。太宰治は、1948年6月13日、玉川上水で山崎富栄と入水自殺しています。いわゆる心中です。2人の遺体が発見されたのが6月19日、太宰39歳の誕生日でした。短期間ですが、私は、三鷹、小金井に住んでいたことがあり、玉川上水あたりも散歩していました。大河というわけでもなく、とても入水自殺できるようなところには思えませんでした。2人の遺体は赤い紐で結ばれていたようですが、太宰は入水前に事切れていたのではないかという説もあります。というのも、山崎富栄は悶絶したような死に顔で、太宰は穏やかな表情をしていたというのです。いずれにしても、以降、6月19日は、太宰を偲ぶ“桜桃忌”とされ、毎年、三鷹の墓前には熱烈なファンが集っているようです。

桜桃忌に際し、太宰の墓石の刻銘に桜桃(サクランボ)を詰めるという風習は、昔から続いており、今も行われているようです。ところが、近年、墓前に飲みかけのビールやウィスキー、タバコの吸いさし等が、大量に残されているのだそうです。それらの片付けには手間暇がかかるものですから、津島家と三鷹市は、注意喚起の立看板や、場合によっては監視カメラの設置も検討しているようです。恐らく、近所の悪ガキの仕業ではなく、文豪ストレイドッグスを通じて太宰のファンになった若者たちがお供えしたものなのでしょう。故人が好んだものを墓前にお供えすることは、決して珍しいことではありません。ただ、墓前へのお供えは、持ち帰ることが常識です。そうした常識が文豪ストレイドッグスのファンには伝わっていないということなのでしょう。

確かに迷惑な話なのでしょうが、ファンの共感を示したいという気持ちも分かります。太宰と言えば、かつては高校生が一度は通過する麻疹のようなものと言われていました。アメリカで言えばサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」も同じですが、読者は主人公に自分の姿を見るわけです。ただ、本を読む人が減っている現状からして、太宰を読む若者も少なくなっているはずです。太宰に限らず、経緯はどうあれ、若い人が文学に触れる機会が増えるのはいいことだと思います。思えば、近年の刀剣、囲碁、百人一首等のブームも漫画がきっかけでした。古くは、サッカーやバスケットボールも漫画が競技人口を増やしました。ただ、本当の太宰ではなく、あくまでも漫画のキャラクターのファンだという点は気になりますが、きっかけと考えればいいのでしょうが。

太宰治は、1909年、青森県の旧金木町の大地主・津島家に生まれています。旧制青森中学、旧制弘前高校を経て、旧東京帝大仏文科に入学するも中退しています。在学中から執筆活動を始め、作品は評価されますが、私生活は、麻薬中毒、多数の女性遍歴などと乱れます。太宰の作品は私小説と呼ばれます。当時の文壇の流行でもありましたが、自虐的に人間の弱さを描く太宰の作風にはピッタリだったのでしょう。太宰の特長として言及すべきは、文章の上手さだと思います。テンポの良さもあいまって、とても読みやすい文章になっています。それは、本を読まなくなった若者にとっては好都合なのだと思いますし、恐らく翻訳もしやすいのではないかと思います。太宰ブームなるものは、太宰の文章力によるところも大きいと思うわけです。(写真:銀座ルパンにて 出典:ja.wikipedia.org)

2026年9月13日日曜日

「反逆のサウンドトラック」

監督:ヨハン・グリモンプレ 原題:Soundtrack to a Coup d'Etat 2024年ベルギー・フランス・オランダ

☆☆☆

1960~65年に起きたコンゴ動乱が、過去の映像のみで描かれています。コンゴ共和国は、1960年、ベルギーの植民地から独立します。当時、アジア・アフリカでは、かつて植民地だった国々の独立が相次ぎ、それに伴う旧宗主国との利権争いも起こります。また、米国とソ連の東西冷戦が激化し、核兵器の開発競争や陣営の拡大競争が行われるという国際情勢下にありました。非白人勢力の拡大という意味では、米国内でも黒人の市民権運動が激化していました。映画は、そうした世界の動きを丁寧に拾っています。ちなみに、戦争は国家間の全面的武力衝突、内乱は国内勢力同士の全面的武力衝突を指します。動乱とは、暴力は伴うとしても、基本的には政治的混乱を指します。

コンゴ動乱を描く本作で違和感を感じた最大のポイントはジャズの扱い方です。ルムンバ首相殺害に抗議して国連に殴り込みをかけたアビー・リンカーンとマックス・ローチの逸話を挿入することは理解できます。ルイ・アームストロングがアフリカを音楽親善大使として巡回したことはよく知られています。ただ、それはCIAの隠れ蓑として利用されていました。これも有名な話です。サッチモの親善大使の描き方はやや冗漫だと思いました。要は、アメリカの黒人たちの状況とアフリカの植民地の状況をリンクさせて伝えたかったのでしょう。ただ、そのために、他のジャズ・ミュージシャンやマルコムXを登場させる必要があったとは思えません。過去のフィルムだけで構成される本作に、リズムやダイナミズムを与えるための方策のようにしか見えません。

コンゴ動乱の展開は実に複雑です。まずは、ルムンバ率いる民族主義者が独立を勝ち取ります。アジア・アフリカで過熱する脱植民地の動きに呼応していました。コンゴの独立は認めたものの、旧宗主国ベルギーは、利権の温存を図ります。南部カタンガでは、ベルギーに支援されたチャンベが分離独立を宣言します。国際的批判をかわすべくベルギーは、自国兵ではなく傭兵を投入します。ルムンバの要請を受けた国連も、国連軍を投入します。しかし、事態は打開されず、ルムンバはソ連に接近します。アメリカは、ウラン等の豊富な地下資源がソ連に渡ることを恐れ、モブツ参謀長を支援しクーデターを起こさせます。逮捕されたルムンバは、カタンガに送られ、殺害されます。事態を収めるべく現地に飛んだ国連事務総長ハマーショルドも謎の死を遂げます。

他にも、親米派の大統領カサブブと首相ルムンバとの対立、多様な民族間の対立、毛沢東主義者の登場等もあり、事態は混迷を極めます。映画は、複雑な状況のトレースに挑戦し、かなりうまく整理していると思います。ただ、事態の展開を追うことに汲々として、事の本質を見失いがちのように思えます。監督の手腕にかかわる問題ではなく、それほどコンゴ動乱は複雑だったということなのでしょう。基本線は、民族主義とベルギー・アメリカの横暴ということだと思います。さらに言えば、傭兵も大きな問題だと思います。このあたりにフォーカスしないと、ドキュメンタリー映画としての思想や主張は見えにくくなってしまうわけです。プロットの展開に苦慮した監督がたどり着いた結論がジャズを使うことだったのでしょうが、うまくいっていません。

1965年、モブツが二度目のクーデターに成功し、コンゴ動乱は収束、独裁の時代を迎えます。反対勢力を武力で抑えたモブツの独裁は1997年まで続きます。この間、モブツは民族主義を掲げ、国名をザイール、首都のレオポルドビルをキンシャサに改名しています。なお、現在の国名はコンゴ民主共和国になっています。さて、キンシャサと言えば、”キンシャサの奇跡”と呼ばれた1974年の世界ヘビー級タイトルマッチ、モハメド・アリ対ジョージ・フォアマンの一戦が思い起こされます。マルコムXの影響を受けて兵役を拒否した世界王者アリは、タイトルを剥奪されていました。一方のフォアマンは無敗の絶対王者でした、結果は、アリの8ラウンドKO勝ち。蝶のように舞い、蜂のように刺す、と言われたかつてのアリではありませんでしたが、クレバーなボクシングが世界中を沸かせました。また、この時、ザイールの人々がアリを応援して連呼した“Ali Bombaye(リンガラ語で、アリ、やっちまえ)”は、アントニオ猪木がアリから贈られた入場曲としても知られることになります。(写真出典:bunkamura.co.jp)

2026年9月11日金曜日

死の商人

グラバー
死の商人とは、軍需品を生産、販売する企業や個人を指します。多くの犠牲者を生む戦争で利益をあげることから、こう呼ばれます。また、利益の源泉である紛争や戦争が起こるように暗躍するとも言われ、これが死の商人と呼ばれる理由の一つでもあるのでしょう。かつて、死の商人として知られていたのは、ノーベル、クルップ、デュポンなどの大手軍需産業の経営者たちでした。なかでも、アルフレッド・ノーベルは、新聞に死の商人と書かれたことを気にしてノーベル賞を設立します。皮肉なことに、それがノーベルを最も有名な死の商人にしたように思えます。ただ、近年、死の商人とは、おおむね違法な軍需品取引を行う武器商人を指します。

武器の生産や販売は、国家や国際法によって厳密に管理されています。ただ、需要と供給がある限り、闇取引は無くなりません。近年、最も有名な武器商人と言えば、映画のモデルにもなったロシアのビクトル・ボウトなのでしょう。ソ連の軍人だったたボウトは、ソ連崩壊後、東欧からアフリカや中東への武器密輸を始めます。2008年、米国のおとり捜査によってタイで逮捕され、米国内の刑務所に収監されます。しかし、2022年、麻薬所持でロシアに拘留されていたバスケット選手ブリトニー・グライナーとの囚人交換でボウトはロシアに帰国します。ボウトは、ロシアの情報機関と連携していたとされますが、事実なのでしょう。ロシア帰国後は地方議員になりますが、2024年、イエメンのフーシ派への武器密輸に関係していると報道されています。

日本初の武器商人は、安土桃山時代の堺の豪商・今井宗久とされます。千利休、津田宗及と並ぶ茶道の天下三宗匠の一人でもあります。織田信長の信頼を得て、天下一の豪商になったことで知られます。今井宗久は、鉄砲、弾薬、刀剣等を商っていたわけですが、あまり死の商人というイメージはありません。今井宗久が茶人だったからか、闇取引ではなかったからか、あるいは紛争拡大を画策し売上を伸ばそうとしたようには見えないからかもしれません。 日本で活躍した武器商人のなかで、死の商人とも言えそうなのが、スコットランド人のトーマス・ブレーク・グラバーではないかと思います。グラバーは、造船・採炭・製茶貿易を通じて、日本の近代化に貢献したことで知られます。また、言うまでもなく、その屋敷跡は長崎の観光名所でもあります。

グラバーは、艦艇や武器の輸入を行ったことでも知られます。薩長とも幕府とも取引をしていますが、戊辰戦争における薩長側の武器の7割がグラバーによって供給されたとも言われます。そもそも戊辰戦争の必要性に関しては議論のあるところです。後付けの理由は様々あるにしても、薩長が抱き続けた関ケ原の恨みは根強いものでした。これを大きな商機とみたグラバーが、陰に日向に開戦を煽ったとも言われます。グラバー商会は、アヘン貿易で財を成した香港のジャーディン・マセソン社の代理店でした。英国は、内戦の混乱に乗じて日本を植民地化するというねらいを持っていたともされます。また、坂本龍馬を暗殺したのは見廻組なのでしょうが、グラバーが黒幕という説もあります。公武合体を唱え始めた坂本龍馬は開戦の妨げになりかねなかったからです。

戊辰戦争が1年という短期間で収束したことは、グラバーと英国にとっては大きな誤算でした。薩長には錦の御旗があり、徳川慶喜には戦う意志がなく早々に降伏したことが主な要因だと思います。必然性に欠ける内戦だったからかもしれません。また、グラバーが薩長に供給した最新の武器が威力を発揮したとも言えそうです。しかし、戊辰戦争直後、武器が余り、売掛金の回収が滞ったことからグラバー商会は倒産しています。グラバーも、今井宗久と同じく、死の商人と呼ばれることはありません。肩入れした薩長が勝利したからとも言えますが、内乱が早期に終結したことも大きな要因だと思います。しかし、グラバーの実態は、その後に現れる死の商人たちとなんら変わるところがないように思えます。(写真出典:serai.jp

2026年9月9日水曜日

テンションの追求

メアリー・ハルヴァーソン
ブルー・ノートで、 初めてメアリー・ハルヴァーソンのライブを聴き、いささか驚きました。近年のジャズの新しい傾向の中では異彩を放つ見事な演奏でした。メアリー・ハルヴァーソンは、ダウンビート誌で、ここ9年間連続で、全米No.1ギタリストに選出されています。小柄で、地味な服装と髪型は、地方大学の文学部の先生といった風情です。実際、彼女はNYのニュー・スクール大学の講師も務めています。また、2019年には、天才賞とも言われるマッカーサー・フェローシップも受賞しています。今回が、初来日であり、自身のアマリリス・セクステットを率いての登場でした。彼女はMCを全て日本語で通していました。頭のいい人なのでしょう。

ジャズの歴史は、ヨーロッパ音楽と西アフリカ音楽が融合して生まれたニューオーリンズ・ジャズ、ないしはデキシーランド・ジャズに始まるとされます。20世紀初頭のことでした。黒人たちの北部への大移動が始まると、ビッグバンドによる都会的なダンス音楽スウィングが生まれ、大人気を博します。1940年代以降、スウィングがマンネリ化してくると、少人数編成のコンボで即興演奏を中心とするビバップの時代を迎えます。ビバップは、ハード・バップ、クール・ジャズ、モード・ジャズ等へ展開し、いわゆるモダン・ジャズの時代が始まります。マイルス・デイビスのモード奏法以降、モダン・ジャズはスリリングなテンションを追求する音楽となり、その延長線上にフリー・ジャズも登場します。現代人の不安定な心情が表現されているのだと思います。

1970年代になると、電子楽器やロック・テイストの導入され、いわゆるフュージョン主流の時代になります。ジャズの新しい形として人気を博す一方、時代に媚びていると批判され、ジャズは終わったとも言われました。マイルス・デイビスが先導したフュージョン化ですが、実は彼のトランペットの演奏は何も変わっていなかったと思います。マイルスは、新たなテンションの表現を求めただけなのだろうと思います。また、フュージョンは、ジャズの多様性を生み出すきっかけにもなりました。つまり、クロスオーバーという発想が、オーセンティックなジャズの世界から、ミュージシャンの個性を解き放ったのではないでしょうか。ロック系、ソウル系、スムース・ジャズ、民族系、室内楽的ジャズ、モダン・ビッグバンド、そしてポストバップと多様化が進みます。

近年、主流になってきたのが、ネオ・ソウル系と室内楽的ジャズのように思います。室内楽的というのは私の勝手な印象ですが、要は高度なテクニックを前提に、実によくコントロールされたジャズという意味です。スナーキー・パピーが代表格だと思います。音楽としての完成度は極めて高いと言えます。ただ、印象的にはジュリアードの優等生が超絶テクニックを披露しているだけで、何を表現しようとしているのか、さっぱり伝わりません。例えて言うなら、スーパー・リアリズムの絵画のようなものです。ところが、メアリー・ハルヴァーソンは、まったく異なる道を進んでいるように思います。ジャンルにこだわらないスタイルは、結果的に今風だと言えますが、テンションの表現に関しては実に独創的です。室内楽的ジャズとは似て非なるものだと思います。

ハルヴァーソンは、モードやフリー・ジャズが求めたテンションを、現代的なアプローチで表現しようとしているように思います。ハルヴァーソンは、1980年、ボストン郊外で生まれています。ジミ・ヘンドリックスを聴いてギターを始めたようですが、アンソニー・ブラクストンに出会い独自の音楽を指向するようになりました。アンソニー・ブラクストンは、フリー・ジャズの演奏家ですが、現代音楽の作曲家としても知られます。ブラクストンは、フリー・ジャズ・シカゴ派の重鎮です。アルトサックスのソロだけで録音されたアルバム「For Alto」は、フリー・ジャズの金字塔の一つです。シカゴ派のフリー・ジャズは、現代音楽に近く、知的で、よく構成されていました。室内楽的ジャズもハルヴァーソンも、ともにシカゴ派の血を継承していると言えるのかもしれません。しかし、テンションを追求するというスピリットにおいては、ハルヴァーソンこそが正統なのでしょう。(写真出典:rollingstonejapan.com)

2026年9月7日月曜日

仁川

仁川港
東京への人口集中は頭の痛い問題であり、首都移転が議論され、一部官庁の地方移転も行われています。大都市圏への人口集中は、世界中、どこでも起こっている現象です。経済や文化の格差の存在、官庁、有名大学、大企業の集中が、その背景にあります。なかでも激しいのは韓国だと思われます。日本では人口の約3割が首都圏に集中しています。対して、韓国では人口の約半分がソウル首都圏に集まっています。日本との違いを生んでいる最大の理由は財閥にあると思います。韓国では、財閥系企業グループが、GDPの8割を占めています。韓国では経済成長のために財閥を保護育成する政策を採ってきたことが背景にあります。

財閥は、思い切った経営判断や資本の集中投下といった利点もありますが、経済格差、学歴社会、地域格差等を生みやすいという問題もあります。韓国の場合、儒学の影響や科挙の歴史が、こうした問題を助長している面もあります。ソウル市への人口集中に関しては、1990年代からドーナツ化現象も進行しているようです。不動産の高騰が背景にあるのでしょう。ソウル市からの脱出先の一つが仁川市ということになります。漁村だった仁川はソウルの外港でもありました。韓国の経済成長とともに港湾機能も拡張され、2001年には仁川国際空港もオープンしました。また、同時に首都圏電鉄の各路線でソウルに直結されたことからベッドタウンとしての役割も担うようになります。人口300万人は韓国第3位ですが、釜山を抜くのは時間の問題とも言われます。

かつて、仁川といえば、朝鮮戦争時、マッカーサー元帥によって敢行された仁川上陸作戦で有名でした。干満差の激しい仁川湾での上陸作戦は、成功確率1/5000という実に危うい作戦でした。これを成功させたマッカーサーは、北朝鮮軍を中国国境の鴨緑江まで追い詰めます。世界の軍事史に残るほど見事な成功だったと言えます。近年、仁川といえば、国際空港ということになるのでしょう。かつて韓国の玄関口と言えば、金浦空港でした。ソウル中心部に近くて便利ですが、経済成長とともに手狭になり、2001年、アジア有数のハブ空港として仁川国際空港がオープンしました。ハブ機能に着目したランキングによれば、仁川空港は、クアラルンプール空港に次いでアジア第2位になっています。以降、羽田、シンガポール・チャンギ、スワンナプーム(タイ)と続きます。

近年の仁川を象徴しているのは、埋立地に築かれた広大なインダストリアル・パークです。港湾・空港・高速道路・鉄道が集中する利便性の高さが特徴です。東京ドーム約205個分の敷地に8,000社が集中する南洞国家産業団地、先端技術系が集まる松島国際都市などが有名です。仕事で松島国際都市に滞在したことがありますが、広い敷地には、高級ホテルや高級ゴルフ・クラブもありました。一つ気になることがありました。仁川上陸作戦を危険な賭にしていた大きな干満差という環境は変わらないわけですから、大型船が出入りする国際貿易港としては不適なのではないかということです。聞けば、仁川港は十分な対策が施されていました。アジア最大の閘門です。ドック式水門、ポート・ロック・ゲートとも呼ばれる巨大な水門で、港全体の水位を保っているわけです。

閘門など聞いたこともなかったので驚きました。実は、日本にも一つだけ閘門がありました。干満差5mという有明海に面した大牟田の三池港です。石炭の積み出しのために、1901年、5年の歳月をかけて建設されています。仁川港閘門は。日本統治下にあった1918年に完成しています。三池港の経験が活かされたということなのでしょう。漢江の奇跡と言われた経済成長が始まると、仁川は国際貿易港としての役割が求められます。1974年、5万トン級の船舶が通過できるアジア最大の大型閘門が完成します。仁川港はもともと中国貿易の拠点でしたが、国際貿易港としても、釜山港に次ぐ韓国第2位の港になりました。韓国にとって、35年間に渡った日本統治が屈辱だったことは理解できます。ただ、日本が残した港湾、鉄道といったインフラ、あるいは教育や行政制度等が、その後の韓国の発展に寄与したことも事実ではあります。(写真出典:tradlinx.com)

2026年9月5日土曜日

おかめさん

千本釈迦堂おかめ像
大報恩寺は、京都上京区、西陣界隈にあり、千本釈迦堂とも呼ばれます。6世紀末、用明天皇開基とされますが、その後廃れ、13世紀、求法上人義空によって再興されました。往時は天皇の御願寺でもあったようです。現在は、真言宗智山派の寺となっています。千本釈迦堂の千本は何を意味するのかについては諸説あるようですが、恐らく、近くに千本通が通っているからなのだと思います。千本通は、平安京の朱雀大路の跡とされ、正面に船岡山が見えます。かつて、船岡山の麓には埋葬地があり、沿道に千本の卒塔婆を建てて供養したことから千本通と呼ばれるようになったようです。また、何かと伝説の多い日蔵が、地獄へ落ちた醍醐天皇と夢の中で会い、自分を救うために千本の卒塔婆を建ててくれと懇願されたという話も残されています。

千本釈迦堂には、2点の国宝と7点の重要文化財があります。国宝2点は、本堂(釈迦堂)、そして肥後定慶作とされる六観音菩薩像となります。重要文化財のなかには、かつて、北野天満宮内にあった北野経王堂が所蔵していた行快の仏像や一切経も含まれます。ご本尊である行快作の釈迦如来坐像は秘仏とされますが、毎年、ご開帳されているようです。国宝の本堂は、1227年の建立ですが、以来、一度も消失しておらず、洛中では最古の現存建造物とされます。戦渦や火災に見舞われることが少なくない寺院にあっては、奇跡とも言えます。京都中が廃墟となった応仁の乱の際にも、千本釈迦堂は、細川勝元の東軍、 山名宗全の西軍、いずれからも崇敬され、火災を免れたと言います。その本堂建立については、有名な”おかめさん”の伝承が残されています。

大工の棟梁が貴重な柱を誤って切ってしまいます。絶望する棟梁の姿を見た妻のおかめさんが、斗組を使いなさいと助言します。おかめさんは、そのアイデアを仏から授かったとされます。斗組とは、柱の上部で上からの重みを支えるために組み合わせた部材です。斗組を使った棟梁は、無事に上棟式を迎えることができました。しかし、女の入知恵で面目を立てたとあっては棟梁の沽券に関わると悔んだおかめさんは、上棟式を前に自害してしまいます。棟梁は、おかめさんを供養するために”おかめ塚”を建て、上部におたふくの面を飾った扇御幣を奉納したといいいます。その後、千本釈迦堂が一度も焼失しなかったことから、おかめさんが守ってくれているという評判がたちます。今でも京都の上棟式にはおかめさんの扇御幣は欠かせない縁起物になっているようです。

おかめ、おたふく、おふく等と呼ばれる仮面は、古くから日本の神楽や芸能で親しまれてきました。その起源とされるのは、日本神話のなかで、滑稽な踊りを披露し、天照大御神を岩戸からおびき出したという天鈿女命(アメノウズメ)です。ふくよかなおたふく顔は、平安期まで美人の典型だったとされます。神事・芸能で使われる福面は、室町期あたりから登場したようです。丸顔、低い鼻、大きな頬は、福をもたらし、邪悪なものを遠ざける縁起物として人気を博します。一方、室町末期あたりからは、滑稽さもある醜女の象徴になっていきます。公家文化から武家文化が支配的になるなかで、美人観も変わったのかもしれません。武家の娘は、武芸の鍛錬もしたようですから、キリッとした顔立ちが好まれるようになったということなのかもしれません。

おたふくの面と対になることが多い”ひょっとこ”の面も、同じ頃に登場したようです。火を吹く男が転じてひょっとこになったとされます。この組合せは夫婦和合の象徴ともされますが、滑稽な踊りで人々を笑わせてきました。いずれにしても、千本釈迦堂のおかめさんの話は、おたふくの面が一般化するかなり前の話ということになります。よって、おかめさんは、おたふくのモデルともルーツとも言われます。庶民文化のことゆえ、その関係ははっきりしていません。近年、コンプライアンスの観点から、女性の容姿に関わる発言も御法度に近いものがあります。おたふくは、差別用語とも禁止用語ともされていないようです。ただ、招福、魔除けに御利益があるおたふくとは言え、醜女の象徴という面も持っていることから、ルッキズムの観点からすれば、比喩的に使うことはアウトなのでしょう。(写真出典:tripadvisor.jp)

2026年9月3日木曜日

マグノリア

春に咲く木蓮は大好きな花です。大ぶりな花の形がハスに似ていることから木蓮と名付けられたと聞きます。白木蓮、紫木蓮が多いのでしょうが、私は緋木蓮が好きです。木蓮は、英語でMagnolia(マグノリア)と言います。フランスの植物学者の名前に由来すると聞きます。ポール・トーマス・アンダーソン(PTA)監督の初期の作品にも「マグノリア」と題された映画があります。PTAの映画で観たことがなかった唯一の作品です。今般、ネットで初めて観ることができました。ロバート・アルトマン的な群像劇は、3時間8分という長尺な映画になっています。PTAの故郷でもあるLA北西部のサンフェルナンド・ヴァレーを舞台に、木蓮の花弁の数に合わせた6人の物語が同時進行していきます。

マグノリアは、PTAの長編3作目、29歳の時の作品です。前作「ブギー・ナイツ」の大ヒットを受けて、制作会社から好きに撮っていいと言われて制作したとされます。そのせいか、思いが溢れすぎて、やや粗削りな出来になっている面もありますが、その画面からは才能と勢いがほとばしっています。点数をつけるなら、☆☆☆☆ーといったところでしょうが、印象に残る好きな映画です。そもそも群像劇は好むところです。群像劇成功のポイントは、それぞれのエピソードがエッジの効いたスケッチになっていること、そしてエピソードの切替えをスピーディに展開することだと思います。そして、ラストで全てのエピソードが一つにつながりカタルシスが生まれるところが群像劇の醍醐味です。マグノリアでは、そのあたりのツボがしっかりと押さえられています。

 PTAの映画は、複雑な家庭環境を題材とする傾向があります。マグノリアも同じなのですが、本作は父親がクローズアップされているように思います。ガンの妻と看病する息子を捨てた父親、クイズ番組の天才少年を搾取する父親、娘に不適切な行為をした父親、そしてその犠牲者である子供たちが描かれます。彼らにからむのは、金目当てで結婚したことを今さら恥じる女、クイズ番組の天才少年としてもてはやされて自分を見失った男、そして愚直がゆえに生きにくい人生を送る警察官です。信心深く愚鈍な警察官はアメリカの良心であり、彼以外は家族崩壊と孤独というアメリカの病を体現しているのでしょう。アルトマンの「ナッシュビル」は崩壊するアメリカの社会を描きました。PTAのマグノリアは、苦悩する現代のアメリカ人にフォーカスしています。

マグノリアにおけるPTAの最も秀逸な着想は、天から降ってくる大量のカエルだと思います。映画冒頭の不思議な3つのエピソードがここで生きてきます。不思議な事は起こるものだ、それが人生だというわけです。PTAは、異常現象作家のチャールズ・フォートの本から着想を得たようです。空から異物が降ってくる現象は、ファフロツキーズと呼ばれますが、古くから世界中で目撃されてきたようです。かつては神の御業とされたのでしょうが、現代では竜巻や強風が原因とも、鳥が餌を落とす現象とも言われます。PTAは、これをドラマを収束させるきっかけとして使います。その着想力には驚かされます。全ての人々が、ある意味、平等に、不思議な現象に見舞われ、それを機に明日への希望のようなものを見出していきます。”life goes on”というわけです。

PTAの映画は、一定のテンションとスピード感が見事に持続されることも特徴の一つです。ダレることがないので、観客は長い映画も苦になりません。才能やセンスの成せる技なのだと思います。それを支えているのが音楽です。マグノリアの音楽は、ジョン・ブリオンが担当しています。加えて、シンガー・ソング・ライターのエイミー・マンの楽曲が効果的に使われています。マグノリアは、PTAが彼女の曲にインスパイアされて生まれたとも聞きます。マグノリアには、主人公たちが、それぞれに彼女の楽曲「Wise Up」を歌うという愛らしいシーンまであります。これも実に秀逸なアイデアだったと思います。エイミー・マンは、文学的に、皮肉っぽくアメリカの現実を歌う人です。最適な音楽を見つけるのも、PTAの優れた才能の一つなのでしょう。(写真出典:amazon.co.jp)

桜桃忌