サン・ピエトロ大聖堂を訪れて驚くのは、参拝客の数の多さと熱量の高さ、そして国籍・民族の多様さです。さすがカソリックの総本山、世界中から参拝者があとを絶たないわけです。マスジド・ハラームは、さらにすごいのでしょう。サン・ピエトロ大聖堂は、キリストの最初の弟子である聖ペテロ(サン・ピエトロ)の墓の上に築かれたとされます。幾度かの発掘調査が行われ、地下深くにある遺跡は聖ペテロの墓でほぼ間違いないだろうとされています。聖ペテロの時代、バチカンは、ローマ郊外の丘に過ぎなかったようです。大聖堂の始まりとなる教会堂は、4世紀、皇帝コンスタンティヌス1世によって建てられています。現在の大聖堂は、16世紀に約120年をかけて建設されています。ルネサンス期でもあり、ラファエロやミケランジェロも参加しています。
例えば、メッカのマスジド・ハラームは、アッラーが預言者イブラーヒーム(アブラハム)に示した場所、ムハンマドがクラーンで指示した場所に建ちます。ところが、キリスト教の総本山は、キリストが指示したわけでもなく、キリストの生死にゆかりがあるわけでもないローマに、それもその外れのバチカンにあります。不思議な話だと思っていました。もちろん、古代のローマは、地中海世界を征したローマ帝国が”カプト・ムンディ(世界の首都)”と呼んだ大都市です。これが現代の企業であれば、本社がローマに置かれても何の不思議もありません。しかし、宗教の世界において、大都市であることは優先順位の一番ではないと思います。第一使徒の墓があることは大きな理由にはなり得ますが、それが最優先とは考えにくいと思うわけです。
ローマという都市ではなく、教皇がいる場所ということが大事なのかもしれません。早い段階から、ローマ司教はペテロの後継者として特別な存在だったようですが、全司教のトップとして認められていたわけではありません。ローマの首都がコンスタンティノープルに移ると、いずれの司教が上かという議論もあったようです。5世紀になってはじめて、ペテロの後継者たるローマ教皇の権威は全教会に及ぶという認識が公的に確認されたようです。ローマ教皇の紋章として知られる鍵の由来は、マタイの福音書にあるペテロへのイエスの言葉「わたしは天の国の鍵をあなたに授ける」だと聞きます。ペテロの後継者ゆえローマ司教が教皇であり、総本山はペテロの墓の上に置かれる、というわけです。ただ、ペテロではなくイエスの墓が優先されるべきではないかと思います。
本来、エルサレムの聖墳墓教会こそ総本山にふさわしいと思います。聖墳墓教会は、ゴルゴタの丘、イエスの墓の上に建っているとされます。キリスト教の最も重要な聖地です。しかし、長くイスラム教徒が支配する地域にあり、総本山としては都合が悪かったということなのでしょう。エルサレムには、ユダヤ教の”嘆きの壁”、キリスト教の”聖墳墓教会”、イスラム教の”岩のドーム”という三大一神教の最重要聖地が存在します。今も昔も複雑な土地です。カソリックが、ペテロに準拠して教皇と総本山をローマに置いたことは、現実的な選択だったとも言えそうです。なお、ローマ司教の司教座が置かれるカテドラルは、今もサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂です。ローマのラテラノ大聖堂は、”全カトリック教会の母なる聖堂”と呼ばれ、サン・ピエトロ大聖堂よりも格上とされます。サン・ピエトロ大聖堂は、宗教的である以上にカソリック教会の政治的な中心地ということなのでしょう。(写真出典:nta.co.jp)






