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| 青森県武道館 |
都道府県別に見た出身力士の幕内在位連続年数において、青森県に次ぐ記録を持つのは茨城県であり、43年となっています。実に100年の差があるわけですから、もはや青森県だけの問題ではないようにも思います。かつて青森県と北海道は相撲王国と呼ばれていましたが、近年、共に凋落が著しいところです。現在、都道府県別の力士数では、東京都、愛知県、大阪府・兵庫県、福岡県、鹿児島県が上位となっています。おおむね人口の多さと比例しているように見えます。これを人口10万人あたりの輩出率でみると、鹿児島県、高知県、青森県という順番になります。このように、近年では、鹿児島県が圧倒的な存在感を示しているわけです。しかも、鹿児島県出身力士の半数は奄美出身であり、いまや奄美こそが相撲王国の名にふさわしいのかもしれません。
奄美は、古来、琉球と大和の影響下にありましたが、15世紀になると琉球を統一した第一尚王朝に制圧され、支配下に入ります。琉球では、第一尚王朝以前から、格闘技として沖縄角力(ウチナージマ)が行われていましたが、それが奄美にも伝わり、島角力(シマジマ)として広まります。沖縄角力や島角力は、がっぷり四つに組み合った状態から始めて、相手の両肩を地面につければ勝ちとなります。手をついても、土俵から出ても負けにはなりません。がっぷり四つの状態を維持するため、突っ張りや喉輪といった離れてとる技はありません。江戸期に入ると、薩摩藩が奄美を支配します。同時に、大和相撲も伝わりました。大和相撲は、次第に島角力を抑えて主流になっていきます。代官や有力者が力士を抱えるなど、本土と同じ現象が起きていたようです。
奄美には、土俵が140以上あるようです。各集落に土俵が一つあるとも言われます。奄美地方は、人口10万人ながら、集落数が170を超えています。山がちな奄美大島や離島の多さゆえなのでしょう。かつて、土俵の数は小学校の数に比例すると聞いたことがあります。確かに、青森の各小学校には土俵があったものです。今は、相撲をとって遊ぶ小学生は皆無に近いと思います。小学校よりは集落の土俵の方が残りやすいのでしょう。相撲など何処でもとれるようにも思いますが、やはり土俵があれば、遊び、稽古して、大会も開かれます。スポーツの普及に関しては、専用施設の存在が大きな意味を持つわけです。ちなみに、屋根や観客席も備えた相撲場の数では、鹿児島県の32ヶ所、青森県の29ヶ所が群を抜いています。新旧相撲王国揃い踏みといったところです。
北海道の相撲文化は、炭鉱から生まれたと聞きます。各炭鉱には娯楽のために相撲部が作られ、対抗戦なども盛んに行われていたようです。一方、青森では、もともと庶民の娯楽として相撲がとられていたようですが、戦国時代末期、津軽藩の開祖となる津軽為信が相撲を奨励したことから盛んになったようです。津軽藩では、相撲奉行も置かれ、相撲大会も多く開かれ、お抱え力士も存在したようです。農家の次男・三男たちは、お抱え力士となって立身出世することを目指したものだそうです。ちなみに、お抱え力士は、戦時には軍夫として、平時には鳶として城の補修などを担っていたとされます。北海道・青森は、寒くて、貧しくて、相撲くらいしか娯楽がなかったから相撲王国になったと言われがちですが、それなりの背景もあったわけです。(写真出典:aomorikenbudoukan.com)





