監督:濱口竜介 2026年日本・フランス・ベルギー・ドイツ
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いまや日本を代表する映画監督となった濱口竜介の新作です。介護の現場を変えようと奮闘する施設長のフランス人女性とガンで余命宣告を受けた舞台演出家の日本人女性の交流が描かれます。映画は、一部が日本、大半はパリを舞台とし、フランス語と日本語で進行されます。畳みかけるようにドラマが展開するのではなく、スケッチを編んでいくような構成になっています。それが196分続くわけですからダレて当然だと思うのですが、決して観客を飽きさせることはありません。前の作品でも同じ印象を持ちましたが、これが濱口監督の独特な才能、あるいは感性なのだと思います。主演のヴィルジニー・エフィラと岡本多緒は、カンヌ国際映画祭で女優賞を共同受賞していますが、作品へのリスペクトあってのことなのでしょう。
原作は、ガンで亡くなった哲学者の宮野真生子が、文化人類学者の磯野真穂と交わした往復書簡集「急に具合が悪くなる」(2019)です。二人の書簡に感銘を受けた監督は、映画に仕立てるために大胆な翻案を行ったわけです。恐らく書簡で語られている内容はそのままに、映画としてのプロットやフレーム建てを考案したのでしょうが、創作と言っていい作業であり、その才能には感心させられます。ことにパリと日本、フランス人と日本人という着想が、書簡集を映画として成立させるうえで、キーとなるフレームだったと思われます。介護施設内での出来事、介護手法であるユマニチュード、劇中劇、重度の自閉症児といったモティーフも映画を成立させるために組み込まれています。原作が書簡集だけに、会話だけの映画になることを回避するための工夫だと思います。
決してダレることはないものの、それらのモティーフと会話の重層的な展開、そしてテーマへの収斂が起きないことが、映画にやや冗漫な印象を与えています。テーマへの収斂は、意図的に回避されていると思います。テーマは、生と死、希望と絶望、必然と偶然、それらに基づく人生観ということになるのだろうと思います。しかし、押しつけがましい結論のようなものは提示されません。原作も映画も、判断は読者と観客に委ねられているのでしょう。長尺の映画がダレない理由は、ここにもあります。主人公二人の葛藤が、観客一人ひとりの答えを求めてくるからです。ゆえに演技や演出は、適度な自然主義を保つ必要があり、おのずと映画は長尺なものにならざるを得ません。こうした観客の巻き込み方こそ濱口映画の特徴なのだろうと思います。
ユマニチュードは、テーマに深く関わるモティーフです。良いところに目を付けたものです。ユマニチュードは、人間らしさを尊重する認知症ケアの技法です。1979年、フランスで開発されています。日本では、2012年に導入され、現在はかなり普及しているようです。ユマニチュードのねらいとするところもさることながら、それを半ば強要される看護師たちの反応がドラマを作っています。主人公が展開する資本主義論とも重なってきます。結論に関しては観客に委ねられていると書きましたが、ユマニチュードの施設への導入に関しては、ポジティブにシナリオが展開します。これがテーマの全てではないものの、結果としては映画の縦糸として機能しているように思います。これも書簡集を映画化する際の大事な要素になっているわけです。
濱口竜介監督は、アカデミー賞と世界三大国際映画祭のすべてで主要な賞を獲得しています。日本の映画監督も、ついにここまで来たな、という印象があります。もちろん、黒澤明はじめ多くの監督の作品が海外で評価されてきました。また、是枝裕和など、海外でメガホンを取った監督もいます。ただ、濱口竜介は、諸先輩たちと異なり、初めから国際的な舞台のメインストリームで、そのディレクティングのレベルの高さが評価されています。明らかに次元が変わったのだと思います。ただ、その評価は、諸先輩たちが刻んできた歴史の上にあることも事実だと思います。スポーツの世界でも同じですが、世界で活躍する選手は突然変異ではなく、これまでの積み上げの上に咲いた花なのだと思います。(写真出典:eiga.com)






