ブランディワイン川をさかのぼりペンシルベニア州に入ったあたりにチャッズフォードがあります。アメリカの国民的画家アンドリュー・ワイエスが、生まれ育ち、そして亡くなった村です。チャッズフォードは、独立戦争時の激戦地でもあり、ブランディワイン派と呼ばれる画家たちの芸術村でもありました。アンドリュー・ワイエスの父、ニューウェル・コンヴァース・ワイエスも高名な挿絵画家でした。病弱だったワイエスは、自宅で、絵画を含む全ての教育を父から受けています。父の影響から、ロバート・フロストやヘンリー・デイヴィッド・ソローの著作を読み、ウィンスロー・ホーマーの絵に憧れて育ちます。これら自然へのこだわりを持った著作や絵画、そしてブランディワイン川流域の美しい田園風景がアンドリュー・ワイエスの絵画を形成したのでしょう。
ワイエスの絵は、賛否がはっきり分かれるように思います。主にテンペラで描かれる写実的な絵は平板で退屈だと評する人たちもいます。一方で、そこにアメリカの精神風景を見て取る人たちも多く存在します。ワイエスの最も有名な作品である「クリスティーナの世界」なども典型だと思います。緩やかな丘陵の野原に女性が横たわり、丘の上に建つ家を見上げているだけの絵です。実に単純な構図だとは思いますが、強い印象を与えます。アンナ・クリスティーナ・オルセンは実在の人物であり、下半身が麻痺して歩くことができませんでした。ただ、彼女は、生涯、車椅子を拒否して、どこへ行くにも這って移動したと言います。困難を厭わず、人目を気にせず、自らを貫いたその姿には、強い意志、自立心、そして個人の尊厳が象徴されていると思います。
これこそがアメリカ的精神であり、アメリカ人を魅了するものなのだと思います。それは、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの思想である個人の尊厳、自然との調和、市民的不服従につながります。ソローの代表作「ウォールデン 森の生活」等が、アメリカ人に大きな影響を与えたというのではなく、ソローがアメリカ人の精神を鮮明に表したということだと思います。とりわけアメリカ東部の人々の心には、個人の尊厳と自然との関係が密接不可分なものとして根付いています。恐らく、彼らの血のなかに開拓の歴史と精神が色濃く残っているからなのでしょう。これはアメリカ人以外には分かりにくいところがあります。自分もNY郊外に暮らした経験がなければ、ソローなど単なる自然愛好家に過ぎないと思っていたはずです。日本人も、晴耕雨読の生活への憧れはありますが、それは内省的な隠遁生活を意味します。アメリカ人には、自然のなかで育んだ自立心や個人の尊厳が国の歴史を作ってきたという誇りがあるのでしょう。
東京都美術館が100周年を記念して「アンドリュー・ワイエス展」を開催しています。日本ではワイエスの人気など知れたものだろうと思っていましたが、案の定、会場は空いていました。もともと、日本では、欧州のルネサンス、印象派、油絵が人気の頂点にあって、アメリカ絵画など下に見られる傾向があります。世界の美術史においても、アメリカ美術が登場するとすれば、ポップ・アートくらいのものなのでしょう。それも絵画というよりはムーブメントとして捉えられる傾向が強いと思います。アメリカ文学も、似たようなものだと思います。アメリカが世界のトップに躍り出たのは20世紀であり、その光と影がアメリカの芸術を生んだということなのでしょう。結果的ではありますが、ワイエスの絵も反物質主義に貫かれている、と言ってもいいのかもしれません。(写真出典:en.wikipedia.org)





