2026年4月16日木曜日

蔵書

学生時代、親から仕送りが届くと、米と本を買いました。米さえあえば、何とか食べていけると思っていました。お金の大半は、読みたい本を買うことに使いました。片っ端から読んで、読み終わると、すぐに古本屋に持ち込みます。高く買い取ってくれる馴染みの古本屋がありました。本を売って得たお金で、また本を買うわけです。買った本に蔵書印を押して、本棚に並べるといった趣味はありませんでした。蔵書なんて少女趣味そのものだ、とうそぶく先輩がいて、その影響もあったように思います。必ず読み返すだろうと確信する本以外は、とにかく売っていました。ちなみに、学生時代は、よくディスコに通っていましたが、そうした遊興費は、アルバイトで稼ぎ出していました。

会社に入社して3年目の頃、同じ部の先輩に、毎週7~8冊ばかりの本を買う人がいました。当時、八重洲ブックセンターには得意先の割引制度があり安く本が買えました。電話注文すると会社へ配達してくれるので、先輩の購入状況も分かるわけです。その先輩のご自宅は井の頭公園のそばにあり、花見に来いと呼ばれたことがあります。庭は、8畳ほどのプレハブ小屋で占められ、中はぎっしりとアルミの書棚が並んでいました。驚いたことに、蔵書は、ラベルとカード目録で管理されており、まるで図書館そのものでした。当時、先輩たちには、蔵書数を知性のバロメーターとするような価値観があったように思います。しかし、この先輩について言えば、読書好きを通り越して、蔵書自体が目的化されたマニアックなコレクターだと思いました。

また、別な先輩は、蔵書で家の床が抜けそうになり、蔵書の収納を大前提とした家を建てました。学究肌で、エコノミスト的な活動も行っている先輩ですから、単なるコレクターとは多少異なる面があります。過日、その先輩と話していた時のことですが、話題が”NHKオンデマンド”に及びました。その存在を知らなかった先輩が”えっ!そんなものがあるのか!じゃ、俺のこれまでの努力は何だったんだ!”と絶叫したのです。先輩の書庫は、新聞の切り抜き、果ては少女漫画まで含むという幅広さで有名でした。書籍類に留まらず、TVの録画まで収蔵していたわけです。もはや国会図書館に近いなと思いました。その先輩には、今から思い切った整理を始めないと、お子さんたちに大迷惑をかけますよ、と自分の経験に基づいたアドヴァイスをさせてもらいました。

私の父は、農業経済に関する学究的な活動も行っており、十数冊の著作もあります。本を書くには、当然、参考資料も必要となります。父はコレクターではありませんが、やはり蔵書は多かったと言えます。晩年も、難しい本を読むことがボケ防止だと言って、書籍の購入は続けていました。このままだと本の置き場所だけでなく、死後整理も大変になると思い、専門性の高い本を公立図書館や専門機関などに寄贈してもらいました。それでも、亡くなった時には、結構な数の本が残っていました。育った時代のせいか、私は本を捨てることに抵抗があります。そこで古本屋に持ち込むわけですが、値の付く本など限られています。結局、多くの本は、タダ、ないしはタダ同然で引き取ってもらうことになります。引き取ってもらえるだけ、有りがたいと思うべきなのでしょう。

ここ十数年は、本が増えないようにと思い、可能な限り、Kindleを使っています。バックライトがあったり、スマホでも読めたり、と便利な点は多々あるのですが、正直なところ、いまだに紙の本の方がいいなと思っています。私は、ノンフィクション系の本を読む際、気になった箇所があればページの端を折り込みます。Kindleにも、類した機能はあるのですが、どうも使い勝手が悪く、さほど活用していません。しかし、電子書籍最大の問題点は、所有権なのだと思います。電子書籍は、閲覧権、あるいは利用権を購入しているだけであり、所有権はありません。従って、売却することも、人にあげることもできません。分かりやすく言えば、電子貸本というわけです。その仕組みからして理解できるところはあります。しかし、それならば、紙の本よりも、もっと安くすべきではないかと思うわけです。(写真出典:maidonanews.jp)

2026年4月14日火曜日

ジェイウォーク

アメリカで”ジェイウォーク(Jaywalk)” と言えば、歩行者が横断歩道以外で道を横断することを言います。もともとは、20世紀初頭、道路の反対側を走る、つまり逆走する馬車の御者を”ジェイドライバー”と呼んでいたのだそうです。”jay”とは、当時のスラングで愚か者、田舎者を意味していたようです。次第に交通ルールやマナーを守らない馬車の御者や自動車の運転手を指すようになり、さらには同様の歩行者についても”ジェイウォーカー”と呼ぶようになったとのこと。ちなみに、アメリカで下手な運転をしていると”サンデー・ドライバー!”と怒鳴られます。日曜にしか運転しないほど車になれていない人という意味です。

当時の田舎の道には横断歩道など無かったのでしょうから、都会の人が”田舎者!”と馬鹿にするのも理解できます。ただ、先に存在していたのは歩行者であって、馬車でも自動車でもありません。どこで道を横断しようと歩行者の勝手であり、横断する歩行者がいたら車が停止すべきではないかと思います。一般的な認識としては、馬車や自動車の通行量が増えてきたので、歩行者の安全を守るために横断歩道が生まれたということになのでしょう。しかし、横断歩道を渡りなさいという法律は、必ずしも、実情や世論を背景に成立したわけではなさそうです。横断歩道に関する初の法律は、1925年、LAで成立していますが、その背景には、自動車業界によるキャンペーンとロビー活動があったようです。人よりも自動車とビジネスが政治的に優先されたわけです。

自動車産業の勝利ではありますが、当時、T型フォードのヒットもあって、アメリカはモータリゼーションの時代を迎えていたことも事実です。法の成立経緯は別としても、横断歩道は人と車の共存を図ったという理解もできます。しかし、日本の道路交通法のように、歩行者に横断歩道を渡る義務を課し、違反すれば罰金を科すというのは主客転倒のようでもであり、如何なものかと思います。もっとも、法律はあっても、それで捕まり、罰金を払ったという人は聞いたことがありません。それならば、法律は無用、ないしは努力義務にすべきではないか、とも思います。昨年、NYでは、ついに法改正が行われ、ジェイウォークが合法化されました。実態を踏まえた改正と聞きます。実態を踏まえるまで、随分と時間がかかったものだと思います。

また、歩行者信号を守るべきかどうか、という問題もあります。ここは、国による違いが大いに出ていると言えます。NYやフランスでは、信号を遵守せよという法律は存在するようですが、ほとんどの人が信号を無視して、自ら車が来るかどうかを見定めて渡っています。イギリスでは、歩行者信号遵守の法律そのものがないようです。自己責任というわけです。つまり、歴史的に市民革命の経験を持つ国では、法が存在するかどうかに関わらず、歩行者信号が無視される傾向にあるわけです。社会の根底に個人主義が根付いているということなのでしょう。一方、車が通っていなくても信号を守るのは、日本、そしてドイツだと聞きます。民族的特性と言えるのかもしれませんが、20世紀初頭、両国が全体主義国家だったことを思えば、実に興味深い話です。

昨年、自動車運転免許の更新に際し、高齢者講習なるものを受けました。机上と実技の講習、各種視力の検査がありました。更新の可否を決める試験ではありませんが、自分の運転傾向が明らかになり、なかなか面白かったと思います。その際、道路上の菱形のマークの意味を知りました。この先に信号のない横断歩道があることを警告する道路標識です。たまに見かけるのですが、それが意味していることは知りませんでした。講習後、講師と雑談した際、これは最近出来た標識なのか、と聞いてみました。いや、昔からありますよ、と聞かされ、ショックを受けました。恐らく、免許取得の際に習ってはいたのでしょうが、記憶から飛んでいたわけです。50年間、まったく気にしてこなかった、あるいは気にする必要性がなかったということなのでしょう。(写真出典:seiwa.co.jp)

2026年4月12日日曜日

Mazda

マツダ号 DA型
マツダ(Mazda)は、生産台数において日本第6位の自動車メーカーです。マツダは、1920年、広島で「東洋コルク工業株式会社」 として創業しています。その後、1927年には、業態の変化に応じて「東洋工業株式会社」、そして、1984年、ブランド名と会社名を統一して「マツダ株式会社」へと社名を変更しています。ブランド名のマツダが浸透していたので、社名変更には何の違和感もありませんでした。また、英文表記の”MAZDA”は、Zを使っている点が面白いと思っていました。アメリカ人には”tsu”の発音が難しく、”トゥ”となりがちです。それを踏まえた命名だったのでしょう。マツダは、事実上の創業者である松田重次郎に由来した名称だと理解していました。ところが、MAZDAにはもう一つの意味があったことを、最近、知りました。

それは、ゾロアスター教の最高神「アフラ・マズダー(Ahura Mazda)」にかけているというのです。英文のブランド名が同じスペルだったので、後付けで言い始めただけなのだろうと勘ぐりました。ところが、1927年、同社が自動車製造に参入して初めて発売した三輪トラック「マツダ号 DA型」の時点から、松田重次郎はアフラ・マズダーにあやかることを意図し、英文ブランド名をMAZDAにしたと言うのです。正直、驚きました。ゾロアスター教は、紀元前10~11世紀ころ、ペルシャで生まれた世界最古の宗教とされています。ペルシャから中東、アジアに広がりましたが、イスラム教の台頭によって押しやられ、現在では中東に少数の信者を残すのみとなっています。アフラ・マズダーは、善・光明・創造の神とされています。

衰えたとは言え、世界宗教の最高神の名をブランド名にすることは、いささか差し障りを感じます。三輪オートバイに荷台を付けただけの三輪トラックの商品名が「アマテラス」だとすれば、物議を醸すどころの話ではありません。マツダのホームページ上では、松田重次郎は、東西文明始まりのシンボルとも言えるアフラ・マズダーを、自動車文明の始まりのシンボルとして捉え、また世界平和を希求し自動車産業の光明となることを願って名付けた、とされています。松田重次郎は、1875年、現在の広島市南区に生まれています。学校教育を受けることなく、大阪の鍛冶屋で機械の製作技術を身につけ、海軍工廠で勤務した後、松田鉄工所を開きます。その後、故郷に戻り、1921年、前年に設立された東洋コルク工業株式会社の社長に就任しています。

松田重次郎は、技術者としての合理性とロマンティックな面を併せ持った人だったのでしょう。事実上の創業者がロマンティックな技術者だったことは、ロータリー・エンジンなど画期的な技術を生み出し続けるマツダの企業風土に大きな影響を与えているのだと思います。十数年前のことですが、さる大手自動車メーカーの技術系役員が、今、日本でエンジンを語らせたら、マツダの右に出るものはいない、と断言していました。そのマツダと同じく高い技術力を誇るのがホンダです。しかし、マツダもホンダも日本一の自動車メーカーにはなっていません。その理由は簡単です。営業力の違いです。トヨタは、その営業力で、日本を、世界を征した企業だと言えます。マツダは、近年、技術力に加え、デザインに力を入れたことで、売上を伸ばしてきました。

20年ほど前に、社外研修でマツダのエンジン開発担当の役員と同席したことがあります。その頃、マツダ・デザインが評判を取り始めていました。そのことを話題にすると、彼は、エンジン部門からすると、それが悩みの種だというのです。デザインが優先される風潮が生まれたために、エンジン・ルームのスペース確保や空力抵抗を下げる工夫がないがしろにされているというのです。松田重次郎の後継者としては、車の根源に関わる許しがたい風潮だと思っていたのでしょう。一方、アフラ・マズダー的には、世界に光明を届けるためにはデザインも無視できないわけです。耐久消費財メーカーのあるあるなのでしょうが、この葛藤こそが、ものづくり日本を支えているのだろうな、とも思えました。(写真出典:mazda.com)

2026年4月2日木曜日

王朝国家

藤原良房
学校で「王朝国家」という言葉を習った覚えがありません。それもそのはず、王朝国家は、1970年代以降に議論が高まり、定着していった概念であり、かつての教科書には載っていませんでした。中央集権を目指した律令制は、平安中期の10世紀頃、破綻します。税制の基本だった人別管理が土地別課税に代ることで荘園化が進み、中央では摂関政治、次いで院政も登場してきます。この時代を王朝国家と呼ぶわけです。封建制に基づく中世への橋渡し、あるいはその前段階とも言えるのでしょう。理解はできますが、王朝国家という呼称には違和感を感じます。王朝とは、王が国を治めるという意味であり、日本では、古墳時代から平安時代まで続きます。平安時代を王朝時代と呼ぶこともありますが、王朝国家とは時代的なズレがあります。

数年前、正倉院展で養老5年(721年)に作成されたという下総国の戸籍台帳を見たことがあります。現在の松戸市あたりの戸籍であり、興味深く見ました。戸別に家族の氏名などが細かく記載されています。台帳は、6年毎に更新されていたようです。いかに人口が少なかった時代とは言え、更新には大変な苦労があったものと思います。公地公民を理念とする律令制は、制度と実態との乖離が拡大して崩壊に至ったと言えます。税を逃れるための農民の逃亡、人口増加と口分田の不足、墾田永年私財法による私有地の拡大といった税基盤の揺ぎが主な要因となりました。綻びを修正する試みも行われますが、最終的に、朝廷は中央集権をあきらめ、請負型の分権制へと移行していきます。ここが、天皇と為政者という日本的二重構造の始まりになったものと思います。

858年、文徳天皇の急死に伴い8歳の清和天皇が即位します。史上初めての幼帝であり、外祖父の藤原良房が、皇族以外では初めてとなる摂政の座につきます。そもそも病弱だった文徳天皇は、ほとんど政務をとっておらず、伯父の良房が権勢を振っていたようです。清和天皇が東宮となったのも良房の圧力によるものでした。幼帝、天皇の外戚という藤原北家による摂関政治のスタイルが、ここに生まれたわけです。摂政は天皇の代行、関白は成人した天皇の補佐職となりますが、いずれも律令に定めのない役職です。藤原北家は、摂政・関白を独占して権勢を振います。その勢いに衰えの見えた1068年に至り、藤原北家を外戚に持たない後三条天皇が即位します。以降、摂政・関白は置かれたとしても、天皇家は藤原北家の勢力を抑えていきます。

後三条天皇の第一皇子だった白河天皇は、その流れのなかで親政を目指し、その後、子の堀河天皇、孫の鳥羽天皇、曾孫の崇徳天皇と3代にわたり院政をしきました。それ以前にも太上天皇、上皇は存在したものの、院政に関しては白河上皇が始まりとされます。白河上皇が天皇位を継続すれば良かったようなものですが、実子や孫を幼くして即位させ、藤原北家が外戚になることを防いだのでしょう。形式上の院政は、19世紀初頭の光格上皇まで続きますが、実態としては、室町幕府によって形骸化され、終っています。院は、摂関家に対抗するために、積極的に武士を近臣として登用していきます。これが武家の台頭につながり、結果、院政は武家政権によって倒されたと言えるのでしょう。いわゆる飼い犬に手を噛まれた状態だったわけです。

ヤマト王権は部族連合のリーダーでした。唐の脅威に怯えた朝廷は、律令制によって中央集権化を図るわけですが、部族連合という国の本質は変わらなかったのでしょう。藤原北家は、いっそ天皇家に取って替わることもできたはずです。しかし、部族社会にあって、政権交代の正統性を証明、保証することは難しく、内戦に突入することは必至だったと言えます。よって、賢い藤原北家は、天皇の権威を利用しつつ、実権を握ることにしたのでしょう。以来、鎌倉幕府から敗戦まで続く武家政権も、さらに言えば、マッカーサーも藤原北家の知恵を活用してきました。天皇と為政者という二重構造は、日本を決定的な内戦や分断から遠ざけつつ、時代の変化を取り込むことに成功してきたとも言えそうです。王朝国家は、名称とは裏腹に、天皇が実権を失い、その後の日本の二重構造が決定づけられた時代だったわけです。(写真出典:ja.wikipedia.org)

2026年3月31日火曜日

「プロジェクト・ヘイル・メアリー」

監督:フィル・ロード、クリス・ミラー 原作:アンディ・ウィアー 2026年アメリカ

☆☆☆+

(ネタバレ注意)

原作は、デビュー作「火星の人」(2011、映画化作品「オデッセイ」2015)がベストセラーになったアンディ・ウィアーの同名小説です。2021年に発表された本作も世界的ベストセラーになりました。娘に推薦されて私も読みましたが、ドハマりしました。原作のテイストを映画に仕立てることはハードルが高いように思っていました。案の定、原作の魅力を映画の尺で再現することは無理でしたが、レベル以上の娯楽作品には仕上がっていると思います。ただ、原作を読んだ人には物足りなく、読んでいない人には多少分かりにくい面もあったのではないかとは思います。ま、原作ものは、とかくそんなものでしょうが。

映画が娯楽作品としてレベル以上になっている要因は、プロットをエイリアンとのコラボと友情に絞り込んだこと、そして全体を軽めでテンポの良い展開に仕上げたことだと思います。大雑把に言えばE.T.系の映画ということになるのでしょう。とは言え、子供向けでも、ファミリー向けでもありません。モティーフはそこそこ以上に科学的であり、プロットにもスーサイド・ミッションという結構重い側面があります。映画は、そこをスルーしているわけではありませんが、決して深掘りすることなく、さらりとした軽さで描いています。もちろん、そのポップな仕上げが、原作の魅力を殺している面があるわけですが、映画化するうえでは正しい判断だったのかも知れません。

多くの人が原作にハマった理由の一つは、そのミステリー的なテイストにあるのだろうと思います。宇宙船で目覚めた主人公は、長期の強制睡眠によって記憶が一時失われています。船には主人公一人で、かつ地球から絶望的に遠い宇宙を旅しています。主人公は、科学の知識をもとに、疑問や問題を次々と解決していきます。その小気味よさは、痛快と言ってもいいと思います。一つひとつは、しっかりとした科学的根拠にもとづいているのですが、素人にも理解できる表現になっています。記憶も断片的によみがえることで、プロジェクトの全体像が徐々に見えてきます。このあたりのミステリー仕立ては見事なものだと思います。ただ、これを映画の枠内で再現することは、到底無理な話であり、切り捨てるしかなかったのでしょう。

そこで、監督は、テンポの良い、ポップな展開で、これを補おうとしたのではないでしょうか。決して補い切れているわけではありませんが、なかなかにうまい手法だと思います。監督のフィル・ロードとクリス・ミラーのコンビは、スパイダーマン・シリーズの製作や脚本を担当し、ヒットを飛ばしてきた人たちです。このコンビを使うと決めたプロダクションの判断は、ビジネス的には正しかったのでしょう。ライアン・ゴスリングというキャスティングは、映画のねらいからすれば最適だったと言えます。プロジェクトのクールな責任者には、ドイツの名優ザンドラ・ヒュラーがキャストされています。原作を読んだ時には、映画化するならケイト・ブランシェットしかいないと思っていましたが、ヒュラーもなかなか良い選択だったように思います。

音楽を担当したのは売れっ子ダニエル・ペンバートンですが、ここでもいい仕事をしています。ビートルズはじめ、ポップな楽曲の使い方もうまく、監督の制作意図を十分以上にサポートしていると思いました。ところで、プロジェクト名とされている”ヘイル・メアリー(Hail Mary)”ですが、ラテン語で言えば”アヴェ・マリア”となります。聖母マリアを称える言葉ですが、アメリカでは”イチかバチか”、あるいは神頼み的ニュアンスでも使われます。ことにアメリカン・フットボールの世界では、試合終了間際にヤケクソ的に投げられるロング・パスを指します。地球を救うためのスーサイド・ミッションには、実に相応しい名前だと思います。(写真出典:en.wikipedia.org)

2026年3月29日日曜日

移民大国

入院した娘を看病するために、しばらくパリに滞在しました。入院先のピティエ・サルペトリエール病院は、ルイ14世が創設したという大規模な公立総合病院であり、ソルボンヌ大学の医学部も併設されています。病院はパリ13区のセーヌ川近くにあり、我々家族も近くにアパートを借りました。13区の西は、5区のいわゆるカルチェラタンに隣接し、学生街の風情があります。東側には、国立図書館などで知られる再開発地域もあります。また、南側は、移民、特に中国系・ベトナム系移民の多い街としても知られており、欧州最大の中華街もあります。13区で印象的だったことの一つが、アフリカ系移民の多さです。病院のアシスタント系スタッフも、見舞客も半数以上がアフリカ系のような印象を受けました。

フランスは、実に独特な人口推移をたどった国です。出生率の低下という近年の先進国が直面する現象は、既に18世紀のフランスで起こっています。その背景として挙げられるのは、北部フランスにおける絶対王政や教会権力への反撥から起きた脱キリスト教化の動きであり、フランス革命によってそれが決定的なものになります。つまり、農耕社会の根幹を成してきた家父長制が、自由・平等・博愛を掲げる革命によって崩れたわけです。革命によって、相続法における長子相続は均等相続へと変えられ、土地の分散を避けるために少子化の流れが生じます。さらにナポレオン戦争における膨大な死傷者数が、人口減少に拍車をかけることになります。英国やドイツなど他の欧州諸国が人口を増加させるなか、フランスにも人口問題への懸念は存在していたようです。

それが広く認識されることになったのが、1870年に勃発した普仏戦争でした。普仏戦争は、ドイツ統一のために共通の敵を作りたかったプロシアの挑発にフランスが応じた戦争でした。強力な常備軍を持つ大国フランスが勝つものと思われていましたが、結果的にはプロシアが圧勝します。プロシアの周到な事前準備、国民皆兵制、参謀本部の発明などが勝因とされますが、フランス人は、フランスを超えるまでになったドイツの人口に負けたと信じます。しかし、にわかに出生率は改善できず、2度に渡る世界大戦に突入します。フランスは戦勝国となったものの、大きな犠牲を払います。戦後の復興期を迎えると、フランス、英国、ドイツは、旧植民地等に労働力を求めざるを得なくなります。出稼ぎ労働力として呼んだものの、これが大規模移民の始まりとなります。

以降、フランス、英国、ドイツの人口は移民流入によって拡大していきます。当然、排斥運動も起き、1970年前後には、景気後退、失業率増加を受けて、各国は移民を制限し始めます。しかし、流入を止めることはできませんでした。冷戦後は、東欧の混乱、民族紛争を背景に難民が流入します。そして2015年には、アフリカ、中東などの紛争によって、膨大な難民が押し寄せる欧州難民危機が起こります。結果、欧州各国は人道的観点から難民を受け入れますが、国内では反対運動が起き、右派勢力の台頭、英国のEU離脱につながっています。経済面に限って言えば、人口増加は経済規模の拡大、納税者の増加は社会保障の安定につながります。フランスでも、移民は労働力の根底を成していると言えます。しかし、経済成長には限界があります。

為替変動は、各国の貨幣価値が均衡するまで続きます。移民・難民問題の真の解決策は、その受入れや拒否ではなく、発生原因の解消にあります。2024年の各国の人口に占める移民の割合は、カナダが22.2%、ドイツ19.8%、英国17.1%、米国15.2%となっています。フランスでは、法的に調査が禁じられていますが、13.8%と推計されています。なお、フランスはシングル・マザーに関する法的整備が進んだことで、先進国で唯一、出生率が増加に転じています。家父長制どころか、結婚制度の見直しまで進んだわけです。フランス革命は、まだ続いていると思える話でもあります。自由・平等・博愛を精神基盤とする国が移民問題にどう向き合うのか注目されますが、国民議会の議員数において、移民排斥を掲げる右派勢力が与党と肩を並べるまでになっています。日本も、対岸の火事とばかりは言ってられないと思います。(フランスの英雄ジダンはアルジェリア移民2世 写真出典:jiji.com)

2026年3月27日金曜日

庚申信仰

帝釈天参道
映画の文法のようなものを、おぼろげながら理解できたきっかけは、フランソワ・トリフォーの「男と女」、そして山田洋次の「男はつらいよ」シリーズだったと思います。「男と女」はビデオの無い時代に30回程度見ました。「男はつらいよ」は、全50作のうち、20作くらいは見ていると思います。”読書百回、その意、おのずと現る”というわけで、同じ、ないしは同じような映画を何度も見ていると、その製作手法が見えてくるものです。「男はつらいよ」は、はじめ渥美清のおかしさに笑い、次にその上手さにうなり、最後は山田洋次の巧みさに魅せられた、といったところです。舞台となった葛飾柴又は、いまだに観光客が訪れる名所ですが、何一つ変わっていません。帝釈天も何も変わっていません。

柴又帝釈天の正式名称は経栄山題経寺であり、1629年に創建された日蓮宗の寺です。中山法華経寺19世の開山とされています。本尊は、本堂に安置される大曼荼羅であり、帝釈天ではありません。柴又帝釈天の通称で知られるようになったのは、江戸中期のことだとされます。寺の修復を行ったところ、住職が、行方不明になっていた日蓮直筆の板本尊(いたほんぞん)を発見します。板本尊は木板にお題目や仏の名を刻んだものですが、発見された板本尊には、お題目と法華経薬王品の一節が記され、片面には帝釈天が描かれていました。発見直後に発生した天明の飢饉の際、住職が板本尊を背負って江戸市中と下総国を回ると、飢えや病気で苦しむ人々に不思議な御利益があったとされます。以来、柴又帝釈天は参拝客で賑わい、門前町も形成されました。

板本尊は、今も帝釈堂に安置されています。また、板本尊が発見されたのが庚申の日だったことから、柴又帝釈天の縁日は庚申の日とされ、板本尊も開帳されます。庚申信仰の原型は、平安期に中国から伝わった道教由来の行事でした。庚申の夜、眠っている人間から三尸(さんし)の虫が抜け出し、天帝に悪行を告げて寿命を縮めるとされ、それを防ぐために庚申の日前夜は眠らずに過ごすという行事です。平安の貴族たちは「庚申御遊」と称して、宴を開いて夜を過ごしたようです。武家政権の時代になると、それが侍の間にも、守庚申、後に庚申侍として広まっていきます。15世紀後半になると、会食主体だった行事に仏教要素が入り、勤行しながら夜を過ごすことになります。さらに在来信仰と結びつき、幅広い御利益のある民間信仰になっていきます。

庚申信仰の最盛期は江戸期であり、庚申の日前夜から眠らずに祈りを捧げる「庚申待ち」、「宵庚申」が盛んに行われるようになります。年に6回ある庚申の日の前夜ともなれば、柴又は提灯の火であふれたようです。どこか百日参りやお百度参りに通じるところがあるように思います。つまり、自らの身体に負荷をかけることによって、神仏に思いの強さを伝え、願いを成就してもらうという発想です。道教由来のイベントとは大きくかけ離れ、豊作、招福、厄除け、家族和合、良縁、病除け、諸芸上達までと幅広い御利益があるとされていたようです。藁にもすがる思いの民衆の願いが生んだ民間信仰なのでしょう。日本三大庚申とされるのは、京都の八坂庚申堂(金剛寺)」、大阪の「四天王寺庚申堂」、東京の「入谷庚申堂(喜宝院)」です。

現在、入谷庚申堂は、喜宝院から小野照崎神社に移されています。小野照崎神社は、渥美清が願掛けをして「男はつらいよ」の主演を射止めた神社としても知られています。「男はつらいよ」で寅さんが首から下げているお守りは、帝釈天のものではなく、小野照崎神社のものだったという話もあります。余談ですが、寅さんのマドンナは分不相応なお嬢様タイプで、寅さんが独り相撲を取って失恋するのがお決まりでした。マドンナとして異質だったのは、浅丘ルリ子演じるドサ回りのキャバレー歌手リリーです。リリー三部作と言われる“寅次郎忘れな草”、”寅次郎相合い傘”、”寅次郎ハイビスカスの花”は、相思相愛の寅さんとリリーが結ばれそうで結ばれないという切ないストーリーでした。忘れられた人々を描いた傑作だったと思います。どこか庚申信仰にすがった大衆の姿に通じるところがあるようにも思えます。(写真出典:katsushika-kanko.com)

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