![]() |
| 根来塗 |
日本の朱は縄文時代から存在します。朱塗りの土器や籃胎漆器(漆塗りのカゴ)などが発掘されています。また、辰砂を砕いて顔料にしたものは”丹”と呼ばれます。奈良の枕詞である“青丹(あおに)よし”は、木々の緑(青)と建造物の丹(朱)のコントラストの美しさを表します。また、頭頂部が赤い鶴は丹頂鶴と呼ばれます。辰砂から作る朱は、我々のイメージする黄色味が強い赤色ではなく、真っ赤だったと聞きます。辰砂は貴重品であったことから、丹鉛と呼ばれる鉛系の朱が代用品として普及し、現在の朱になったようです。ちなみに、日本的な赤としては、他に深い赤褐色の”弁柄(べんがら)”があります。弁柄は、酸化鉄赤から作られます。江戸期にインドのベンガル地方から伝えられたので”べんがら”と呼ばれるようになったとされています。
弁柄は、海外で”Japan Red”とも呼ばれ、建造物だけでなく、陶磁器や漆器にも使われます。変わったところでは、近江八幡の名物”赤蒟蒻”にも使われています。国内の弁柄の産地としては、赤い町として知られる岡山県高梁市の備中吹屋が有名です。柿右衛門の赤も弁柄です。有田焼の酒井田柿右衛門の様式は、景徳鎮やマイセンにも影響を与えたとされます。濁手と呼ばれる白い地色に文様を描き、明るい色彩による上絵付けを施します。独特な色合いを出す赤の顔料は、弁柄を主に何年もの時間をかけて慎重に調合されると聞きます。昨年、柿右衛門窯に行きましたが、その素晴らしさに圧倒されました。また、黒内朱と呼ばれる輪島塗のお椀にも弁柄が使われます。黒と朱は相性が良く、特に漆器では見事なコントラストを生みます。まさに日本の美だと思います。
黒内朱も見事なのですが、溜塗で浮き出る朱も、実に魅力があります。溜塗は、朱の中塗りの上に、茶褐色で透明感のある”透き漆”を重ねる技法です。縁にうっすら朱が見えて、使い込むと朱を感じさせる透明感が出てきます。逆の色使いが根来塗になります。黒の下地に朱を上塗りします。日本の朱は、黒の下地があって、初めて成立する、という話を聞いたことがあります。根来は、まさにそれを地で行っています。根来塗は、和歌山県岩出の根来寺が発祥とされます。使い込むと朱が薄れ、黒漆が浮き出てきます。それが月日の重さを感じさせるような独特の風合を生みます。また、漆器の朱と言えば、堆朱も私のお気に入りです。中国伝来の技法ですが、中国では朱漆を幾重にも重ね塗りし、それを彫って紋様を刻みます。日本を代表する新潟の村上木彫堆朱は、木彫の上に朱漆を厚く塗ります。仙台にも堆朱がありますが、村上の分派と聞きます。
思えば、日本は”朱の国”と言ってもいいのかもしれません。縄文時代から朱を使ってきたことに加え、魏志倭人伝によれば、倭人は、全身に入れ墨をし、朱を塗っている、とされます。以降も、神聖なものに朱を塗り、美感の中心にも朱を据えてきたわけです。朱は、単なる色使いではなく、魔除けやエネルギーの象徴だったのでしょう。漢字の赤は、大と火を組み合わせた文字です。漢字が日本に伝わると、赤という文字には、もともと日本にあった”あか”という言葉が読みとして当てられます。”あか”は、明るい、(夜が)明ける、から生まれ、黒は、暗い、暮れる、が語源とされます。そう考えると、朱だけでなく、朱と黒の組合せこそが日本人の自然観の基本と言えるのかもしれません。(写真出典:sankei.com)






