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| アワ |
アワは、米よりも早く伝来した日本最古の穀物とされます。既に、縄文時代には栽培されていたことが明らかになっています。生育期間が短く、痩せた土地や寒冷地でも育つことから重宝されたのでしょう。アワの原産は中国とされます。中国北部では、8千年以上前から栽培されていたようです。それがアジア、ヨーロッパ、アフリカへと広がっていきます。なお、考古学上、世界最古の麺とされているのは中国北部で発見されたアワの麺だそうです。日本では、稲作の伝来とともに、アワの栽培は減っていきます。ただ、稲作に適していない寒冷地や山間地での栽培は続きました。現在の栽培量は限られており、主に飼料とされているようです。ちなみに「濡れ手に粟」という慣用句は”濡れ手に泡”と誤解されがちですが、濡れた手に小粒なアワがよくつく様を表しています。
キビの歴史は、アワよりも古く、中国北部では12,000年前から栽培されていたようです。ただ、日本には、米、アワ、ヒエより遅く、弥生時代の初期に伝来したとされています。日本では、実が黄色いことから黄実(キミ)と呼ばれ、キビになっていったようです。アワよりも生育期間が短く、乾燥地や痩せた土地でも育ちます。原産地は不明ですが、ユーラシア大陸から世界中に広がったようです。一方、中国原産のヒエは、既に縄文時代には渡来し、米やアワと同様に主食穀物として栽培されていたようです。特に寒冷地では、冷害に強い穀物として、近代に至るまで栽培されていました。アワやヒエは、稲作に適さない地で多く栽培されていたので、米も食べられない貧しい地域の食糧というイメージが強く、蔑まされてきた歴史もあります。
そうした蔑視の風潮が物語るように、歴史も古く主食格だった粟(アワ)、黍(キビ)、稗(ヒエ)は、時代とともに米に駆逐されていったということになります。高温多湿を好む稲が日本の気候に適していた、栽培には手間がかかるものの生産性が極めて高い、他の穀物に比べて収穫後の手間がかからない、そして何よりも甘味があって食感も良いことが一人勝ちの要因だったのでしょう。日本の社会や文化は、稲作と米をベースとして形成された文化です。また、日本の歴史は、新田開発と稲の品種改良の歴史だったとも言えそうです。山間地や寒冷地でも水田が営まれていきます。ただし、稲作一辺倒の農業は、しばしば、凶作、それに伴う飢饉を生じてきました。その際、多少なりとも飢えをしのぐために役だったのは、皮肉にも、アワ、ヒエ、キビでした。
古くから稲作一点集中のリスクを唱えた人は多くいたものと思われます。そのなかで最も有名なのは二宮尊徳なのではないでしょうか。二宮尊徳と言えば、薪を背負い読書しながら歩く二宮金治郎像で有名ですが、江戸後期、飢饉で荒廃した農村、あるいは財政破綻した藩の立て直し等に取り組んだ経世家、思想家です。凶作・冷害への対策として、アワ・ヒエの作付けを指導したとされています。しかし、全国的には、社会や経済にしっかり組み込まれた稲作からの展開は進まず、飢饉の発生は止められませんでした。自らの努力で国に献身的に奉公する国民の象徴として全国に建てられた二宮金治郎像も消えつつあるようです。近年に至り、健康指向の高まりから、食物繊維、タンパク質、マグネシウムなどの栄養素を豊富に含む雑穀が注目されており、生産も上向いているようです。(写真出典:kotobank.jp)





