2026年9月21日月曜日

「オデュッセイア」

監督:クリストファー・ノーラン    2026年イギリス・アメリカ

☆☆☆☆ー

ここまでのところ、今年、最も期待され、最も評価され、最も稼いだ映画ということになります。クリストファー・ノーランの最高傑作という声もあります。原作の「オデュッセイア」は、「イーリアス」と並ぶ古代ギリシャの二大叙事詩であり、ホメロス作とされます。もちろん、原作のすべてのエピソードを取り込んでいるわけではありせんが、ストーリーのフレームは原作に忠実なものになっています。そのうえで、現代的解釈が大胆に加えられています。映像、演出の巧みさも含めて、さすがクリストファー・ノーランだと思います。ただ、原作のモティーフの多さが禍したのか、監督がテーマとしたところへの収束がやや乱れているように思います。 

クリストファー・ノーランがテーマとしたのは、大雑把に言えば、互いを尊重することによって、世界は平和を取り戻せる、ということなのでしょう。トロイの木馬は、有名な話ですが、物証も文献もないため、事実とは確認されていません。ただ、シュリーマンが遺跡を発掘したことから、トロイの存在だけは、ほぼ証明されています。クリストファー・ノーランは、トロイの木馬を欺瞞の始まりとし、以降、人類は互いにリスペクトすることを忘れ、今に続く混乱が生み出されたと言っているのでしょう。ゆえにオデュッセイアはじめギリシャ軍は帰国に苦労し、帰国しても苦難が待ち受けていたというわけです。映画のなかで、オデュッセイアは記憶が回復するとともに、そのことに気付き、無意識に帰国することを避けているのかもしれないことが暗示されています。

そのテーマを訴求するための重要なモティーフとしているが、”ゼウスの掟”です。一般的にはクセ二アと呼ばれますが、古代ギリシャ社会におけるおもてなしの概念です。客人や旅人はゼウスに守られている、あるいは姿を変えたゼウスであると信じられており、おもてなしをすることはゼウスに従うのと同じとされたわけです。オデュッセイアの妻・ペネロペに求婚するために集まった数十人は、主のいない城で数年間にわたり饗応を受けます。オデュッセイアの息子テレマコスは、父の情報を求めてスパルタに行き、王に歓待されます。クセニアを現代的に理解すれば、他者の存在を認めることであり、他者をリスペクトすることなのだろうと思います。オデュッセイアは、それを悪用して、トロイの木馬を作り、トロイの神殿と街と人々を壊滅させたわけです。

オデュッセイアが帰国できないのは、息子を殺されたポセイドンのせいだとされます。しかし、ポセイドンの怒りとは、とりもなおさず人間の欺瞞であり、人間は自ら自分の首を絞めていたわけです。映画のなかで、ゼウスやポセイドンといった神々は、直接的に姿を現わしていません。これこそ、まさにクリストファー・ノーランが、テーマを訴求するためにねらった演出なのでしょう。また、ギリシャの人々が、その来襲を恐れる「海の民」も、ギリシャ人自身の欺瞞を意味しているのでしょう。映画の中で、しばしばオデュッセイアが見る幻影としてゼンデイヤ演じるアテナが登場しますが、オデュッセイア自身の葛藤を象徴しているのでしょう。また、シャーリーズ・セロン演じるニンフ・カリュプソは、オデュッセイアの犯した罪から逃れたいという欲求を現します。

クリストファー・ノーランの映画では、いつも音楽が重要な要素となっています。今回も同様です。通常の古代劇ならば、荘厳なオーケストラの劇伴で盛り上げるところですが、本作では、あえて電子音楽に古楽器を乗せた音楽が使われています。ホメロスの現代的解釈、あるいはクリストファー・ノーラン的理解であることを強調しているのでしょう。あるいはホメロスの原作への敬意なのかもしれません。いずれにしても、今回の音楽は饒舌に過ぎるように思いました。むしろ、叙事詩としては、劇伴を抑え、無音と効果音を巧みに使うべきだったのではないかと思います。ハリウッドの俳優を使っていることにも、多少、疑問を感じました。また、世界一の美女ヘレネー役にルピタ・ニョンゴを起用していることには、やや驚かされました。監督の意図が伝わる攻めたキャスティングです。(写真出典:eiga.com)

2026年9月19日土曜日

晩成社

依田勉三
豚丼は大好物です。新橋の「豚大学」、御茶ノ水の「豚野郎」にはよく行くのですが、北海道では新千歳空港で食べるばかりで、本場の帯広で食べたことがありません。豚丼の発祥は、1933年、帯広の大衆食堂「ぱんちょう」とされます。創業者の阿部秀司が、戦争と不景気にさいなまれる庶民が手軽に栄養を取れるよう考案しました。味は、皆になじみのあるうな丼を参考にしたと言われます。豚肉を使ったのは、十勝地方で養豚が盛んだったからです。十勝の養豚は、十勝開拓の祖と言われる依田勉三の「晩成社」に始まります。依田勉三は、4頭の豚を連れて十勝へ入植しています。「牛は牛乳、馬は馬力、豚は食料」という依田勉三の言葉も残されています。

本格的な北海道開拓は、1869年(明治2年)、開拓使、後の北海道開拓使の設置に始まります。本庁は札幌に置かれ、函館、根室、宗谷、浦河、樺太に、出張所、後の支庁が配置されます。すべてが沿岸部であり、内陸部には配置されていません。開拓使設置の主な目的が対ロシア防衛強化だったからです。当時、ロシアが樺太に兵士と移民を送り込んでおり、対抗上、北海道開拓が急がれたわけです。当初の開拓要員は、戦闘能力を有する士族と屯田兵でした。その後、労働力として囚人たちも送り込まれます。明治中期になって、民間団体や一般個人の入植が始まります。依田勉三率いる晩成社が十勝に入ったのは、1883年(明治16年)でした。民間としては極めて早かったわけです。入植当時の十勝は手つかずの山林や原野が広がるばかりだったようです。

開拓は、山林や原野の開墾から始まります。広大な地域の伐採、抜根を行い、そのうえで土を掘り起こして細かく砕き、農地を作っていきます。とんでもない重労働の日々です。しかも、その間、作物の収穫はなく、食糧はほぼ持ち込むしかないわけです。晩成社の開拓は、悪天候、イナゴの大量発生、鳥獣害に見舞われ、当初2年間、ほとんど何も収穫できなかったようです。そこで依田勉三は、開拓の軸を農作から畜産に移します。そこで商品化されたものの一つが”マルセイバタ”です。帯広の六花亭の大ヒット商品”マルセイバターサンド”が、十勝開拓の祖へのオマージュであることはよく知られています。十勝は、いまや日本の食糧基地とまで呼ばれます。農作、畜産、そして入植者の増加まで、十勝のすべての基礎が晩成社の開拓にあったと言われます。

ただ、晩成社の経営は苦しく、依田勉三が亡くなった翌年の1932年、解散に追い込まれています。それにしても依田勉三という人の情熱と不屈の精神には驚かされます。依田は、伊豆・松崎の豪農の家に生まれ、東京で英国人の塾に学んだ後、慶應義塾に入学しています。福沢諭吉の影響もあり、依田は北海道開拓を目指すようになります。福沢諭吉は、北海道開拓を重視し、依田以外にも多くの門下生を北海道に送り込み、自らも開拓に出資しています。今さらながらに、福沢諭吉と慶應義塾が日本の近代化に果たした役割の大きさに感心させられます。依田は、病気のために慶應義塾を中退しますが、故郷で準備を進め、1881年には、単身、調査のために北海道に渡ります。さらに準備を進めた依田は、1883年、13戸27人を率いて十勝に入植しています。

晩成社の入植前後には、開拓団が相次いで入植しています。1879年には、北海道開進会社が株式で資金を集め、函館、札幌方面での開拓を目指しますが、失敗しています。その後、兵庫県の赤心社が浦河へ、徳島県の興産社が札幌篠路へ、石川県の起業社が岩内へ、新潟県の北越殖民社が江別へと入植しています。また、キリスト教、日蓮宗、金光教、天理教など宗教団体による開拓団も入植しています。他にも各地の村落からの集団移住も少なからず行われています。人出と資本が必要とされる開拓ですから、集団で取り組む必要があったのでしょう。ただ、個人の入植者も、1922年までの累計で200万を超えています。その大半が故郷で生計を立てることが困難になった人々だったようです。しかし、開拓に成功した者はごく限られ、現在、北海道に暮らす人々の多くは成功者の子孫なのだと聞いたことがあります。(写真出典:town.matsuzaki.shizuoka.jp)

2026年9月17日木曜日

「シーモア・ハーシュ: 権力の闇に挑む男」

監督:ローラ・ポイトラス、マーク・オーベンハウス 原題:Cover UP 2025年アメリカ

☆☆☆+

ピュリツァー賞も受賞したアメリカのジャーナリスト、シーモア・ハーシュに関するドキュメンタリーです。ハーシュは、アメリカを、そして世界を動かすことになる多くのスクープをものにしたことで知られます。1970年のピュリツァー賞(国際報道部門)を受賞したソンミ村虐殺事件、1974年にはCIAの国内スパイ活動ケイオス作戦、同じ年、チリのアジェンデ政権転覆に関するCIAの関与、2004年にはイラン戦争時のアブグレイブ刑務所における捕虜虐待等の報道が有名です。また、ウォーターゲイト事件の報道においても重要な役割を果たしています。さらに、多国籍企業に関する調査報道は、後に日本を揺るがしたロッキード事件の発端になったことでも知られます。

監督のローラ・ポイトラスは、ドキュメンタリー「美と殺戮のすべて」(2022)で、ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を獲得した人です。写真家ナン・ゴールディンの生涯を通じて、オピオイドとその製造会社を追及した作品でした。ポイトラスは、2004年にハーシュにドキュメンタリー映画の企画を打診しますが、情報提供者を危険に晒す恐れがあることから断られます。ただ、情報提供者の多くが亡くなったことから、今般、映画化の許可が出たようです。企画から、実に20年越しの映画化ということになります。ハーシュは、秘蔵していたメモ、写真、映像、音声の一部の公開も認めています。ハーシュは、相当の覚悟をもって20年越しの映画化に臨んだのだと思います。インタビューの中で、一部の報道に誤りがあったことを認めている点も覚悟の現れなのでしょう。

ハーシュの調査報道の大きな特徴は、情報提供者の存在です。政府、CIA、軍、コングロマリット等が隠蔽しているものを、情報提供者を使って曝くことがハーシュのスタイルです。例えば、デイヴィッド・ハルバースタムは、事実の奥に潜む普遍的な真実を探求していきます。ハーシュの場合には、あくまでも事実を晒すことによって権力を監視することが目的になっています。いずれもジャーナリズムそのものなのでしょう。ドキュメンタリー映画も、ジャーナリスティックな性格を持っています。ハーシュがソンミ村虐殺事件を曝く過程を描き、権力、あるいは軍の本質に迫るならば、良いドキュメンタリー映画ができると思います。しかし、暴露型ジャーナリストの仕事をトレースするだけなら、映画としては実に平板なものになってしまいます。

あるいは、シーモア・ハーシュという希代の暴露型ジャーナリストを通じて、ジャーナリズムの本質を問いかけるという映画なら、随分と見応えのあるものになったいたはずです。そのためには、ハーシュの業績、あるいは事実を曝いていく過程だけではなく、記事がリリースされるまでのNYタイムス、ニューヨーカー誌内部、そして権力側の動きをより丁寧に映像化すべきだったのではないかと思います。そもそも監督の企図も、そこにあったのかもしれません。しかし、ハーシュのスクープの多さ、ハーシュが公開した資料の多さゆえに、過去の事実をトレースすることに汲々としてしまったのかもしれません。いずれにしても、本作は興味深いドキュメンタリーではありますが、前作「美と殺戮のすべて」を超える映画ではないように思えました。

映画を見ながら、気になったことの一つは、アメリカにおける内部通報者の多さです。日本でもコンプライアンス強化が叫ばれてから増加傾向にあるとは思いますが、アメリカの比ではないように思います。その違いはどこにあるのか気になりました。宗教に裏打ちされた道徳観の違いなのかもしれません。しかし、アメリカの歴史を築いてきた開拓民たちと権力=連邦政府=東部エスタブリッシュメントとの戦いの歴史が背景にあるように思います。それは制度的には、憲法や自治の伝統に反映され、合衆国という国の形となり、銃を持つ権利にもなっています。現象面では、今も福音派、ミリシア、MAGA派といった形で脈々と生きています。内部通報というアメリカの伝統にも、民主主義という壮大な実験に挑み続けるアメリカ社会が反映されているということなのでしょう。(写真出典:en.wikipaedia.org)

2026年9月15日火曜日

桜桃忌

漫画やアニメのことは、さっぱり不案内なのですが、「文豪ストレイドッグス」という人気漫画があり、アニメ、ゲーム、映画、舞台、小説へと展開しているようです。キャラクター化された文豪たちが、異能者として横浜で戦うというプロットらしいのですが、各人が持つ異能には代表作にちなんだ名前が付けられています。主人公は中島敦であり、月下獣という異能を持ちます。”山月記”に由来するのでしょう。太宰治は、人間失格という異能を持っています。このアニメが、数年前からアメリカで放送されると、太宰治が人気となり、本が売れ始めたというのです。これに目を付けた大手のペンギン・ブックスが太宰の作品を出版しはじめると、アメリカ、イギリスでブームの様相を呈し始めたというのです。 絶望とニヒリズムがZ世代にウケたとされています。

文豪ストレイドッグスでは、太宰治の趣味は自殺とされているようです。笑えます。太宰治は、1948年6月13日、玉川上水で山崎富栄と入水自殺しています。いわゆる心中です。2人の遺体が発見されたのが6月19日、太宰39歳の誕生日でした。短期間ですが、私は、三鷹、小金井に住んでいたことがあり、玉川上水あたりも散歩していました。大河というわけでもなく、とても入水自殺できるようなところには思えませんでした。2人の遺体は赤い紐で結ばれていたようですが、太宰は入水前に事切れていたのではないかという説もあります。というのも、山崎富栄は悶絶したような死に顔で、太宰は穏やかな表情をしていたというのです。いずれにしても、以降、6月19日は、太宰を偲ぶ“桜桃忌”とされ、毎年、三鷹の墓前には熱烈なファンが集っているようです。

桜桃忌に際し、太宰の墓石の刻銘に桜桃(サクランボ)を詰めるという風習は、昔から続いており、今も行われているようです。ところが、近年、墓前に飲みかけのビールやウィスキー、タバコの吸いさし等が、大量に残されているのだそうです。それらの片付けには手間暇がかかるものですから、津島家と三鷹市は、注意喚起の立看板や、場合によっては監視カメラの設置も検討しているようです。恐らく、近所の悪ガキの仕業ではなく、文豪ストレイドッグスを通じて太宰のファンになった若者たちがお供えしたものなのでしょう。故人が好んだものを墓前にお供えすることは、決して珍しいことではありません。ただ、墓前へのお供えは、持ち帰ることが常識です。そうした常識が文豪ストレイドッグスのファンには伝わっていないということなのでしょう。

確かに迷惑な話なのでしょうが、ファンの共感を示したいという気持ちも分かります。太宰と言えば、かつては高校生が一度は通過する麻疹のようなものと言われていました。アメリカで言えばサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」も同じですが、読者は主人公に自分の姿を見るわけです。ただ、本を読む人が減っている現状からして、太宰を読む若者も少なくなっているはずです。太宰に限らず、経緯はどうあれ、若い人が文学に触れる機会が増えるのはいいことだと思います。思えば、近年の刀剣、囲碁、百人一首等のブームも漫画がきっかけでした。古くは、サッカーやバスケットボールも漫画が競技人口を増やしました。ただ、本当の太宰ではなく、あくまでも漫画のキャラクターのファンだという点は気になりますが、きっかけと考えればいいのでしょうが。

太宰治は、1909年、青森県の旧金木町の大地主・津島家に生まれています。旧制青森中学、旧制弘前高校を経て、旧東京帝大仏文科に入学するも中退しています。在学中から執筆活動を始め、作品は評価されますが、私生活は、麻薬中毒、多数の女性遍歴などと乱れます。太宰の作品は私小説と呼ばれます。当時の文壇の流行でもありましたが、自虐的に人間の弱さを描く太宰の作風にはピッタリだったのでしょう。太宰の特長として言及すべきは、文章の上手さだと思います。テンポの良さもあいまって、とても読みやすい文章になっています。それは、本を読まなくなった若者にとっては好都合なのだと思いますし、恐らく翻訳もしやすいのではないかと思います。太宰ブームなるものは、太宰の文章力によるところも大きいと思うわけです。(写真:銀座ルパンにて 出典:ja.wikipedia.org)

2026年9月13日日曜日

「反逆のサウンドトラック」

監督:ヨハン・グリモンプレ 原題:Soundtrack to a Coup d'Etat 2024年ベルギー・フランス・オランダ

☆☆☆

1960~65年に起きたコンゴ動乱が、過去の映像のみで描かれています。コンゴ共和国は、1960年、ベルギーの植民地から独立します。当時、アジア・アフリカでは、かつて植民地だった国々の独立が相次ぎ、それに伴う旧宗主国との利権争いも起こります。また、米国とソ連の東西冷戦が激化し、核兵器の開発競争や陣営の拡大競争が行われるという国際情勢下にありました。非白人勢力の拡大という意味では、米国内でも黒人の市民権運動が激化していました。映画は、そうした世界の動きを丁寧に拾っています。ちなみに、戦争は国家間の全面的武力衝突、内乱は国内勢力同士の全面的武力衝突を指します。動乱とは、暴力は伴うとしても、基本的には政治的混乱を指します。

コンゴ動乱を描く本作で違和感を感じた最大のポイントはジャズの扱い方です。ルムンバ首相殺害に抗議して国連に殴り込みをかけたアビー・リンカーンとマックス・ローチの逸話を挿入することは理解できます。ルイ・アームストロングがアフリカを音楽親善大使として巡回したことはよく知られています。ただ、それはCIAの隠れ蓑として利用されていました。これも有名な話です。サッチモの親善大使の描き方はやや冗漫だと思いました。要は、アメリカの黒人たちの状況とアフリカの植民地の状況をリンクさせて伝えたかったのでしょう。ただ、そのために、他のジャズ・ミュージシャンやマルコムXを登場させる必要があったとは思えません。過去のフィルムだけで構成される本作に、リズムやダイナミズムを与えるための方策のようにしか見えません。

コンゴ動乱の展開は実に複雑です。まずは、ルムンバ率いる民族主義者が独立を勝ち取ります。アジア・アフリカで過熱する脱植民地の動きに呼応していました。コンゴの独立は認めたものの、旧宗主国ベルギーは、利権の温存を図ります。南部カタンガでは、ベルギーに支援されたチャンベが分離独立を宣言します。国際的批判をかわすべくベルギーは、自国兵ではなく傭兵を投入します。ルムンバの要請を受けた国連も、国連軍を投入します。しかし、事態は打開されず、ルムンバはソ連に接近します。アメリカは、ウラン等の豊富な地下資源がソ連に渡ることを恐れ、モブツ参謀長を支援しクーデターを起こさせます。逮捕されたルムンバは、カタンガに送られ、殺害されます。事態を収めるべく現地に飛んだ国連事務総長ハマーショルドも謎の死を遂げます。

他にも、親米派の大統領カサブブと首相ルムンバとの対立、多様な民族間の対立、毛沢東主義者の登場等もあり、事態は混迷を極めます。映画は、複雑な状況のトレースに挑戦し、かなりうまく整理していると思います。ただ、事態の展開を追うことに汲々として、事の本質を見失いがちのように思えます。監督の手腕にかかわる問題ではなく、それほどコンゴ動乱は複雑だったということなのでしょう。基本線は、民族主義とベルギー・アメリカの横暴ということだと思います。さらに言えば、傭兵も大きな問題だと思います。このあたりにフォーカスしないと、ドキュメンタリー映画としての思想や主張は見えにくくなってしまうわけです。プロットの展開に苦慮した監督がたどり着いた結論がジャズを使うことだったのでしょうが、うまくいっていません。

1965年、モブツが二度目のクーデターに成功し、コンゴ動乱は収束、独裁の時代を迎えます。反対勢力を武力で抑えたモブツの独裁は1997年まで続きます。この間、モブツは民族主義を掲げ、国名をザイール、首都のレオポルドビルをキンシャサに改名しています。なお、現在の国名はコンゴ民主共和国になっています。さて、キンシャサと言えば、”キンシャサの奇跡”と呼ばれた1974年の世界ヘビー級タイトルマッチ、モハメド・アリ対ジョージ・フォアマンの一戦が思い起こされます。マルコムXの影響を受けて兵役を拒否した世界王者アリは、タイトルを剥奪されていました。一方のフォアマンは無敗の絶対王者でした、結果は、アリの8ラウンドKO勝ち。蝶のように舞い、蜂のように刺す、と言われたかつてのアリではありませんでしたが、クレバーなボクシングが世界中を沸かせました。また、この時、ザイールの人々がアリを応援して連呼した“Ali Bombaye(リンガラ語で、アリ、やっちまえ)”は、アントニオ猪木がアリから贈られた入場曲としても知られることになります。(写真出典:bunkamura.co.jp)

2026年9月11日金曜日

死の商人

グラバー
死の商人とは、軍需品を生産、販売する企業や個人を指します。多くの犠牲者を生む戦争で利益をあげることから、こう呼ばれます。また、利益の源泉である紛争や戦争が起こるように暗躍するとも言われ、これが死の商人と呼ばれる理由の一つでもあるのでしょう。かつて、死の商人として知られていたのは、ノーベル、クルップ、デュポンなどの大手軍需産業の経営者たちでした。なかでも、アルフレッド・ノーベルは、新聞に死の商人と書かれたことを気にしてノーベル賞を設立します。皮肉なことに、それがノーベルを最も有名な死の商人にしたように思えます。ただ、近年、死の商人とは、おおむね違法な軍需品取引を行う武器商人を指します。

武器の生産や販売は、国家や国際法によって厳密に管理されています。ただ、需要と供給がある限り、闇取引は無くなりません。近年、最も有名な武器商人と言えば、映画のモデルにもなったロシアのビクトル・ボウトなのでしょう。ソ連の軍人だったたボウトは、ソ連崩壊後、東欧からアフリカや中東への武器密輸を始めます。2008年、米国のおとり捜査によってタイで逮捕され、米国内の刑務所に収監されます。しかし、2022年、麻薬所持でロシアに拘留されていたバスケット選手ブリトニー・グライナーとの囚人交換でボウトはロシアに帰国します。ボウトは、ロシアの情報機関と連携していたとされますが、事実なのでしょう。ロシア帰国後は地方議員になりますが、2024年、イエメンのフーシ派への武器密輸に関係していると報道されています。

日本初の武器商人は、安土桃山時代の堺の豪商・今井宗久とされます。千利休、津田宗及と並ぶ茶道の天下三宗匠の一人でもあります。織田信長の信頼を得て、天下一の豪商になったことで知られます。今井宗久は、鉄砲、弾薬、刀剣等を商っていたわけですが、あまり死の商人というイメージはありません。今井宗久が茶人だったからか、闇取引ではなかったからか、あるいは紛争拡大を画策し売上を伸ばそうとしたようには見えないからかもしれません。 日本で活躍した武器商人のなかで、死の商人とも言えそうなのが、スコットランド人のトーマス・ブレーク・グラバーではないかと思います。グラバーは、造船・採炭・製茶貿易を通じて、日本の近代化に貢献したことで知られます。また、言うまでもなく、その屋敷跡は長崎の観光名所でもあります。

グラバーは、艦艇や武器の輸入を行ったことでも知られます。薩長とも幕府とも取引をしていますが、戊辰戦争における薩長側の武器の7割がグラバーによって供給されたとも言われます。そもそも戊辰戦争の必要性に関しては議論のあるところです。後付けの理由は様々あるにしても、薩長が抱き続けた関ケ原の恨みは根強いものでした。これを大きな商機とみたグラバーが、陰に日向に開戦を煽ったとも言われます。グラバー商会は、アヘン貿易で財を成した香港のジャーディン・マセソン社の代理店でした。英国は、内戦の混乱に乗じて日本を植民地化するというねらいを持っていたともされます。また、坂本龍馬を暗殺したのは見廻組なのでしょうが、グラバーが黒幕という説もあります。公武合体を唱え始めた坂本龍馬は開戦の妨げになりかねなかったからです。

戊辰戦争が1年という短期間で収束したことは、グラバーと英国にとっては大きな誤算でした。薩長には錦の御旗があり、徳川慶喜には戦う意志がなく早々に降伏したことが主な要因だと思います。必然性に欠ける内戦だったからかもしれません。また、グラバーが薩長に供給した最新の武器が威力を発揮したとも言えそうです。しかし、戊辰戦争直後、武器が余り、売掛金の回収が滞ったことからグラバー商会は倒産しています。グラバーも、今井宗久と同じく、死の商人と呼ばれることはありません。肩入れした薩長が勝利したからとも言えますが、内乱が早期に終結したことも大きな要因だと思います。しかし、グラバーの実態は、その後に現れる死の商人たちとなんら変わるところがないように思えます。(写真出典:serai.jp

2026年9月9日水曜日

テンションの追求

メアリー・ハルヴァーソン
ブルー・ノートで、 初めてメアリー・ハルヴァーソンのライブを聴き、いささか驚きました。近年のジャズの新しい傾向の中では異彩を放つ見事な演奏でした。メアリー・ハルヴァーソンは、ダウンビート誌で、ここ9年間連続で、全米No.1ギタリストに選出されています。小柄で、地味な服装と髪型は、地方大学の文学部の先生といった風情です。実際、彼女はNYのニュー・スクール大学の講師も務めています。また、2019年には、天才賞とも言われるマッカーサー・フェローシップも受賞しています。今回が、初来日であり、自身のアマリリス・セクステットを率いての登場でした。彼女はMCを全て日本語で通していました。頭のいい人なのでしょう。

ジャズの歴史は、ヨーロッパ音楽と西アフリカ音楽が融合して生まれたニューオーリンズ・ジャズ、ないしはデキシーランド・ジャズに始まるとされます。20世紀初頭のことでした。黒人たちの北部への大移動が始まると、ビッグバンドによる都会的なダンス音楽スウィングが生まれ、大人気を博します。1940年代以降、スウィングがマンネリ化してくると、少人数編成のコンボで即興演奏を中心とするビバップの時代を迎えます。ビバップは、ハード・バップ、クール・ジャズ、モード・ジャズ等へ展開し、いわゆるモダン・ジャズの時代が始まります。マイルス・デイビスのモード奏法以降、モダン・ジャズはスリリングなテンションを追求する音楽となり、その延長線上にフリー・ジャズも登場します。現代人の不安定な心情が表現されているのだと思います。

1970年代になると、電子楽器やロック・テイストの導入され、いわゆるフュージョン主流の時代になります。ジャズの新しい形として人気を博す一方、時代に媚びていると批判され、ジャズは終わったとも言われました。マイルス・デイビスが先導したフュージョン化ですが、実は彼のトランペットの演奏は何も変わっていなかったと思います。マイルスは、新たなテンションの表現を求めただけなのだろうと思います。また、フュージョンは、ジャズの多様性を生み出すきっかけにもなりました。つまり、クロスオーバーという発想が、オーセンティックなジャズの世界から、ミュージシャンの個性を解き放ったのではないでしょうか。ロック系、ソウル系、スムース・ジャズ、民族系、室内楽的ジャズ、モダン・ビッグバンド、そしてポストバップと多様化が進みます。

近年、主流になってきたのが、ネオ・ソウル系と室内楽的ジャズのように思います。室内楽的というのは私の勝手な印象ですが、要は高度なテクニックを前提に、実によくコントロールされたジャズという意味です。スナーキー・パピーが代表格だと思います。音楽としての完成度は極めて高いと言えます。ただ、印象的にはジュリアードの優等生が超絶テクニックを披露しているだけで、何を表現しようとしているのか、さっぱり伝わりません。例えて言うなら、スーパー・リアリズムの絵画のようなものです。ところが、メアリー・ハルヴァーソンは、まったく異なる道を進んでいるように思います。ジャンルにこだわらないスタイルは、結果的に今風だと言えますが、テンションの表現に関しては実に独創的です。室内楽的ジャズとは似て非なるものだと思います。

ハルヴァーソンは、モードやフリー・ジャズが求めたテンションを、現代的なアプローチで表現しようとしているように思います。ハルヴァーソンは、1980年、ボストン郊外で生まれています。ジミ・ヘンドリックスを聴いてギターを始めたようですが、アンソニー・ブラクストンに出会い独自の音楽を指向するようになりました。アンソニー・ブラクストンは、フリー・ジャズの演奏家ですが、現代音楽の作曲家としても知られます。ブラクストンは、フリー・ジャズ・シカゴ派の重鎮です。アルトサックスのソロだけで録音されたアルバム「For Alto」は、フリー・ジャズの金字塔の一つです。シカゴ派のフリー・ジャズは、現代音楽に近く、知的で、よく構成されていました。室内楽的ジャズもハルヴァーソンも、ともにシカゴ派の血を継承していると言えるのかもしれません。しかし、テンションを追求するというスピリットにおいては、ハルヴァーソンこそが正統なのでしょう。(写真出典:rollingstonejapan.com)

「オデュッセイア」