アル・カポネは、1899年、NYのブルックリンで、ナポリ近郊から移民してきた理髪師の四男として生まれています。喧嘩の傷跡が頬にあったために”スカーフェイス”とあだ名されていました。真面目に働いた時期もあったようですが、若くしてイタリアン・マフィアに参加していきます。20歳頃、シカゴに移っていた兄貴分のジョニー・トーリオに呼ばれてNYを離れます。シチリア系ではないカポネがNYで出世することは限界があったのでしょう。二人は、マフィア組織シカゴ・アウトフィットの創設者であるジム・コロシモのもとで働きます。しかし、トーリオは、酒の密売を巡る対立からコロシモを殺害し、組織のトップとなり、大成功を収めます。トーリオが敵に重傷を負わされて引退すると、カポネは、わずか26歳にしてシカゴ・アウトフィットのボスになります。
1929年2月14日、カポネと対立するノースサイド・ギャングの構成員など7人が偽警察官に射殺されます。世に名高い”セント・バレンタイン・デーの虐殺”です。真っ先にカポネが疑われますが、事件当時はマイアミに滞在中という完璧なアリバイがありました。ライバルをだまらせたカポネは、シカゴ全市を牛耳るまでになります。しかし、セント・バレンタイン・デーの虐殺が、あまりにも世間の注目を集めたために、カポネは、銃器不法所持を自作自演し、逮捕・収監されます。10ヶ月の刑務所生活は豪奢なものだったようです。”民衆の敵No.1”となったカポネは、低所得者向けの食事サービスなどで人気取りも行っています。陽気なカポネは、シカゴ市民に人気があったとも言われています。しかし、大統領に就任したフーヴァーは、民衆の敵No.1の逮捕を厳命します。
財務省は、脱税と禁酒法の両面で捜査を開始します。ここで登場するのがエリオット・ネス率いる“アンタッチャブル”です。カポネ側からの賄賂や切崩しにもビクともしなかったことからアンタッチャブルと呼ばれたチームが担当したのは禁酒法違反でした。しかし、財務省の真のねらいは脱税であり、アンタッチャブルによる派手な禁酒法違反捜査は陽動作戦に過ぎなかったとされます。1931年、カポネは脱税で収監されます。以降、1939年に釈放されるまでいくつかの刑務所を経て、最後はアルカトラズに収監されています。かつてのような豪華な監獄生活は送れず、囚人たちからも孤立気味だったようです。その間に梅毒が悪化し、釈放後も自宅で療養を続け、1945年に亡くなっています。享年48歳。シカゴのボスとして君臨した栄光の時は、わずか5年程度でした。
奢れる者は久しからず、というわけです。良くも悪くもセント・バレンタイン・デーの虐殺が引き金になったと言えます。傲慢ゆえに身を滅ぼすという話の典型でもあります。アンタッチャブルを率いたエリオット・ネスの後世も寂しいものでした。熱望したFBI入りは叶わず、クリーブランドで公共治安本部長になりますが連続殺人事件を解決できず、民間警備会社勤務を経て、クリーブランド市長選に立候補しますが、落選します。以降、セールスマンや店員をしながら、酒場に入り浸り、借金を積み上げていきます。晩年のネスに、UPIの記者がインタビューして書いた「The Untouchables」が大ベストセラーとなり、TVドラマ化、映画化もされます。ただ、同書が出版された時点で、ネスは既に死亡していました。ちなみに、ブライアン・デ・パルマ監督は「アンタッチャブル」(1987)も映画化し、ヒットさせています。(写真出典:imdb.com)






