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| 継体天皇像 |
義仲は、以仁王の第一王子・北陸宮(ほくろくのみや)を奉じて、都へ攻め上ります。安徳天皇に新主践祚の話が出ると、義仲は後白河の孫にあたる北陸宮を強く推薦します。しかし、後白河は、安徳天皇の異母弟である四ノ宮(後鳥羽天皇)を選びます。直系男子継承を正統(しょうとう)とする考えからすれば、高倉天皇の直系男子が選ばれて当然至極ということになります。天皇の正統性という概念を、義仲が不知、あるいは十分に理解していなかったことが、義仲の最も田舎者らしいところだったと言えます。中世になって生まれたとされる正統という概念の分かりやすい例が、後醍醐天皇の側近である公卿・北畠親房の「神皇正統記(じんのうしょうとうき)」ということになります。南北朝時代にあって、南朝の正統性を主張するために書かれた天皇年代記です。
神皇正統記は、単なる歴史書に留まらず、神国思想や政治哲学を説く書でもあり、後代に大きな影響を与えました。神皇正統記では、天皇を第〇代と表記すだけでなく、時に第〇世と併記しています。例えば継体天皇は「第二十七代、第二十世」と記載されています。”代”は天皇の単純な継承順を表し、“世”は男系の父子継承に限って、その世代順を表しています。つまり、第〇世と付く天皇は、父子継承された正統であり、他は傍系としているわけです。”万世一系”とは、天皇が神武以来の一つの血統によって継承されることを表しますが、なかでも、正統とは、男系の父子継承に限定した一直線の系統を指しています。なお、神皇正統記は、正統か否かをもって天皇の評価を変えることはしていません。ちなみに、継体天皇は、通常、第26代とされますが、神皇正統記では神功皇后を15代天皇としているために、以降にズレが生じています。
昨今、国会で皇室典範改正の議論が進んでいます。今回の改正の目的は、減少している皇族数を確保し、皇室の活動を安定的に維持することとされています。改正方向としては、女性皇族が結婚後も皇族の身分を保つ、過去に皇籍を離脱した旧宮家の男系男子を養子にすることを可能とする、という2点で合意しつつあるようです。一方、国民の間には、女性天皇を可能にする議論も行うべきという声も根強くあるようです。男女平等の時代に、愛子内親王を天皇にしないのはけしからんというわけです。皇室典範では、皇位継承者は皇統に属する男系の男子とされているわけですが、背景には万世一系論、さらに正統論があります。しかし、この両論については、理屈も、優劣も、実利もないので、到底、議論が成り立つとは思えません。
天皇が側室を持っていても、正統性は幾度も途切れ、万世一系も危機に瀕したことがあります。6世紀初頭、第25代の武烈天皇が、皇子なく、皇太子も定めずに崩御します。万世一系を守るため、有力豪族たちが奔走します。結果、応神天皇の5世の来孫とされる継体天皇が越前(近江とも)から迎えられます。継体天皇の先祖が、5世に渡り父子一系を続けていたことは奇跡的であり、継体の出自に関しては多くの議論があります。豪族たちは、継体天皇の人柄を聞き及び、会いに出かけます。そして、その大王の品格の前にひれ伏したと言います。天皇になった人を悪く言うわけはありませんが、人選上、血統だけではなく、ふさわしい人物か否かも考慮されていたのでしょう。天皇は、憲法上、日本国の象徴、国民統合の象徴とされています。憲法を重視するならば、継承されることが最重要と考えます。天皇の置かれた状況からして、皇位継承者は皇統に属するふさわしい人物とすべきではないかと思います。(写真出典:fukui-rekimachi.jp)






