2026年5月10日日曜日

能島

しまなみ街道には多くの展望台がありますが、最も人気が高いのは亀老山展望公園だと思います。隈研吾設計になるモダンな展望台からは、瀬戸内海が一望できます。トリップ・アドバイザーの「旅好きが選ぶ!日本の展望スポット2017」では、清水寺に次ぐ第2位となっています。ちなみに第3位は東京都庁でした。亀老山展望公園は、今治市の大島にあります。大島には、カレイ山展望台もあります。花崗岩の山であるカレイ山は保水性が低いために枯れ山や枯井と呼ばれており、それがこの風変わりな名前の由来となったようです。カレイ山展望台の魅力は、瀬戸内海を一望できることに加え、能島村上氏の拠点だった能島を眼下に臨めることです。

能島は、大島と伯方島の間にあり、その周囲の海域は宮窪瀬戸と呼ばれます。宮窪瀬戸は、瀬戸内海を最短で航海するための要所です。同時に、干満の差が大きく、激しい潮流が発生する難所でもあります。その潮流を体験するための観光船まで出ています。カレイ山展望台から見ていると、潮流を体験するためにエンジンを停めた観光船は、アッという間に潮に流されていきます。まるで激流を下る舟のようです。能島は、瀬戸内海の船の航行を見張る上でも、城の防御という観点からも最適だったわけです。能島村上氏は、因島村上氏、来島村上氏と並び、村上水軍を構成する三家の一つですが、この宮窪瀬戸の存在ゆえに、他の二家とは性格を異にする存在でした。

村上水軍の起源には、河内源氏説と村上源氏説があり、はっきりしていません。文献上の初出は15世紀とされます。芸予諸島の本州側に因島村上氏、四国側に来島村上氏、中央に能島村上氏が拠点を築き、各々独立しながらも一族としての連携も強かったようです。もともと海運、漁業、案内人、護衛などを生業としていた一族は、通行料の取立てを始め、支払わない船を襲ったことから海賊化していきます。その後、因島村上氏は、山名、大内、毛利といった大名の下に入って水軍となり、さらに河野、豊臣についた来島村上氏は大名化していきます。ただ、交通の要所である宮窪瀬戸をおさえる能島村上氏だけは独立性を保ちます。能島村上氏は、各大名へ安全な航海を保障する見返りに各地の港に出先を置かせてもらい、そこで通行料を徴集するという仕組みを築きます。つまり、ビジネス上、中立を保つ必要があったわけです。

能島村上氏も、最終的には毛利傘下に入ります。その後、秀吉が海賊停止令を出しことで打撃を受け、関ケ原の戦いにおいては、三家とも西軍方だったために、村上水軍の活躍は終わりを告げることになります。海賊は体制に組み込まれることで水軍と呼ばれるようになったわけですが、そもそも海賊という呼び方にはしっくりこない面があります。略奪行為そのものは、大昔から存在した海賊と変わらないのでしょうが、藤原純友の乱以降、その性格は大いに変わったのだと思います。つまり、海辺に暮らすならず者たちの集団としての海賊ではなく、律令制の崩壊とともにあふれ出した中級・下級官吏の武者たちの集団へと変わっていったのだと思います。平安末期の王朝時代、陸上でも私設関所で通行料の徴集が行われ、その背景には武者の存在がありました。

武者の存在が治安を悪化させ、それを武者の武力で鎮圧しようとしたことで、武家の時代が始まります。村上一族も海賊ではありますが、むしろ”海武者”とでも呼ぶべきではないかと思います。能島を臨む大島の浜に「村上海賊ミュージアム」があります。宮窪瀬戸の潮流体験船の発着港でもあります。実は、この施設は「村上水軍博物館」としてスタートし、2020年に改称されています。改称理由として今治市が言うには「当時の生活実態が略奪者ではなく海上の安全保障や通航料徴収を行う組織であったため」としています。だとすれば、海賊という呼称には違和感があります。水軍という呼称は江戸期に生まれたと言いますから往時の名称に戻す、あるいは海賊時代の独立性を尊重するというのであれば、理解できる面もありますが。(写真出典:oideya.gr.jp)

2026年5月8日金曜日

マッドマン・セオリー

Richard Nixon
あまりにも腹立たしいので、ドナルド・トランプの話などするつもりはありませんでした。ただ、気になることがあったので書くことにします。関税騒動からイラン攻撃に至るまで、トランプの交渉戦術を「マッドマン・セオリー」だとする記事が散見されます。確かに、”トランプは狂っている”と言いたくなりますが、交渉のなかでやっていることは単なる脅しに過ぎず、マッドマン・セオリーと呼べるようなものではありません。マッドマン・セオリーとは、相手に、自分が何をやるか分からない狂人だと信じ込ませ、譲歩や妥協を引き出す交渉戦術です。脅しとの違いはレベル感とも言えますが、マッドマン・セオリーは、相手に、単なる困惑ではなく、常識を越えた恐怖を与える戦術だと言えます。

マッドマン・セオリーは、大昔から存在していたものと思われますが、よく引き合いに出されるのがニクソン大統領の例です。ヴェトナム戦争時、ニクソンは、北ヴェトナムを交渉のテーブルに着かせるために、あいつは狂っていて核兵器を使いかねない、という噂を水面下で流したとされます。ちなみに、アル中だったニクソンは、実際に錯乱状態になることもあったようです。いずれにしても、ニクソンが、核爆弾という最終兵器を持ち出したこと、発射ボタンを押すことができる立場にあったことがポイントになります。東西冷戦下では、核ミサイルの発射が核の応酬につながり、人類が滅亡するというリスクが広く認識されていました。1972年、北ヴェトナムはパリでアメリカとの交渉を開始しますが、アメリカによる北爆の影響が大きかったとされています。

ニクソンのマッドマン・セオリーが奏功したわけではありませんが、究極の恐怖をもたらしたことは間違いないと思います。近年、マッドマン・セオリーを巧みに用いたのはプーチン大統領だったと思います。欧米の支援を受けたウクライナが攻勢に出ると、プーチンは戦術核の使用をほのめかします。同時に、プーチン不健康説も流布されていきます。恐らくマッドマン・セオリーを意識したプーチンの戦術だったのだと思います。ニクソンにしても、プーチンにしても、劣勢に置かれた状況でマッドマン・セオリーを使っています。それは単なる偶然ではなく、劣勢であることがマッドマン・セオリーの真実味を高めるからなのだと思います。窮鼠猫を噛む、というわけです。マッドマン・セオリーは、弱者の捨て身の戦術と言ってもいいのかもしれません。

マッドマン・セオリーは、自らも相当な打撃や不利益を受けることを前提に成立するのだと思います。自らの破滅も厭わないという狂った覚悟が、相手に恐怖を与えるわけです。核ミサイルを撃てば、自らも核ミサイルの報復を受けることは明らかです。トランプの100%関税は、自国経済への影響もあるわけですから、マッドマン・セオリー的かもしれません。ただ、コントロール可能なレベルの悪影響と言えます。”イランを石器時代に戻してやる”といったトランプ発言は、常軌を逸していますが、到底、マッドマン・セオリーと呼べるようなものではなく、ただの威嚇に過ぎません。トランプの常識外れな言動は、狂っているとしか言いようがないわけですが、あくまでも計算された交渉術の範疇だと思います。そういう意味ではよく徹底されているとも言えます。

狂人ネタニヤフは、首相退任とともに収監される恐れがあり、戦争を継続して首相であり続けるしかありません。支持率を回復したいトランプは、ユダヤ人の金と票を握るネタニヤフにけしかけられてイラン攻撃に踏み切ったとしか思えません。イエスマンで固めたトランプ政権は、読み違え、誤算を繰り返しています。世界は、もはやトランプの脅しを見透かしています。脅しどころか、マッドマン・セオリーすら通用しない国があるとすれば、それはイランです。もし、トランプがマッドマン・セオリーを使うとすれば、そこで起きることはイランの譲歩ではなく、地域を越えたエスカレーションだと思います。視聴率アップだけが身上のTVマン・トランプは、腹をくくることもできず、あるいは狂気に陥る可能性もないと思います。皮肉にも、トランプの信念の無さ、俗っぽさが、世界を真の恐怖から救うのかもしれません。(写真出典:amazon.co.jp)

2026年5月6日水曜日

明鏡止水

明鏡止水とは、 荘子の言葉に由来し、なんのわだかまりもなく、澄みきって静かな心の状態を指すとされます。無心の境地とも言えるのでしょうが、さらに意識を集中し、冷静さのレベルを高めた状態のように思います。NHKの番組「明鏡止水〜武のKAMIWAZA〜」は、日本古来の武術を中心に、フルコンタクト・スポーツにおける体の使い方を解明しようとする番組です。レギュラー放送ではありませんが、楽しみにしている番組です。タイトルも見事だと思います。単に武術を紹介するのではなく、その原理原則を解き明かす番組としては、実に相応しいと思います。心技体の語順は、単なるゴロの良さではなく、意味のある並びなのだと思います。

番組のホストを務めるのは、岡田准一とケンコバです。番組内で、岡田准一は”武術翻訳家”と呼ばれています。アイドル・グループの出身ですが、俳優としての活躍が多く、かつ武術家としても知られる異色の人です。各種格闘技の修行を行い、ブラジリアン柔術の世界大会に参加したこともあるというツワモノです。吉本興業所属の芸人ケンドー・コバヤシは、空手経験があり、大のプロレス・ファンとしても知られているようです。二人とも、フルコンタクト系に造詣が深いわけです。番組には、あまり知られていない古武術や格闘技の大家がゲスト参加し、演武を行い、解説を加えます。決して古武術に固執せず、プロレス、現代格闘技、あるいは他のスポーツや漫画の世界にまで範囲を広げて、心技体の関係を極めようとする姿勢が素晴らしいと思います。

番組から、武術やフルコンタクト・スポーツに共通する要素が見えてきます。重心、崩し、脱力、円運動、相手の力の利用などが印象に残りました。例えば、重心ですが、丹田(へそのやや下)に力を入れて、膝をやや曲げて直立する姿勢が最も安定感が高く、ちょっとやそっとの力では動かせないと言います。相撲で言えば、この姿勢のままでは、押すことも、投げることもできないとされます。そこで、崩し、つまり相手の重心をずらすことが必要となります。左右へいなす、上向きに力を加える、踏み込みを誘うなどして、相手のバランスを崩していきます。がっぷり四つの状態から上手投げを打っても決まらないと言われますが、相手を押し、相手が反撥して押してくる力を利用することで、技が決まります。つまり、相手の重心のバランスを崩しているわけです。

フルコンタクト・スポーツに筋力は欠かせません。しかし、筋肉量が勝敗を決めるわけではありません。柔よく剛を制す、というわけです。スピード、タイミングといった要素が勝負を決めます。また、筋肉に頼る、つまり体に力が入りすぎていると、合理的な早い動きはできません。力を抜くことが大事になります。また、重心を保つうえでは体幹が重要となり、そのためにインナー・マッスルを鍛える必要があるようです。フルコンタクト・スポーツは合理的な世界ですが、対戦中に考えて動くことなどできません。日頃からの稽古によって、体に覚えさせるしかありません。古武術の型、あるいは相撲の日々の稽古などによって、体に基本をたたき込みます。横綱、大関でも、場所前に十分な稽古ができていないと、本割で思うような結果を残すことは出来ません。

今村翔吾のベストセラー「イクサガミ」をNetflixがミニ・シリーズ化し、岡田准一が、主演、プロデューサー、アクション・デザイナーを務めています。ストーリー展開はともかくとしても、アクション・シーン、特に岡田准一のチャンバラが、惚れ惚れするほどリアルで見事な仕上がりになっています。他の役者ならば、見栄え重視のチャンバラになるのでしょうが、さすが武術家の刀さばきは、理に適ったものになっています。「Shogun」の真田広之の後継者は、この人しかいないのではないかと思います。ちなみに、「イクサガミ」は、Netflixの週間グローバルTOP10(非英語シリーズ)で第1位を獲得し、Rotten Tomatoesでも評価100%を得ています。シーズン2の製作も決定しているようです。(写真出典:tvguide.or.jp)

2026年5月4日月曜日

スカーフェイス

映画「スカーフェイス」 は、1983年、 ブライアン・デ・パルマ監督、オリバー・ストーン脚本、アル・パチーノ主演で大ヒットしたギャング映画です。今でも、ギャング映画のアイコン的存在として知られます。キューバから来たトニー・モンタナが、コカイン・マフィアとして成り上がり、破滅するまでが描かれています。当時は、仁義なき戦いのデ・パルマ版だな、と思ったものです。実は、この映画、主人公はイタリア系からキューバ系へと置換えられていますが、1932年にハワード・ホークスが監督した「暗黒街の顔役」のリメイクです。そして、オリジナル版の主人公トニー・カモンテのモデルとなったのが、シカゴ・マフィアのドン、アル・カポネでした。

アル・カポネは、1899年、NYのブルックリンで、ナポリ近郊から移民してきた理髪師の四男として生まれています。喧嘩の傷跡が頬にあったために”スカーフェイス”とあだ名されていました。真面目に働いた時期もあったようですが、若くしてイタリアン・マフィアに参加していきます。20歳頃、シカゴに移っていた兄貴分のジョニー・トーリオに呼ばれてNYを離れます。シチリア系ではないカポネがNYで出世することは限界があったのでしょう。二人は、マフィア組織シカゴ・アウトフィットの創設者であるジム・コロシモのもとで働きます。しかし、トーリオは、酒の密売を巡る対立からコロシモを殺害し、組織のトップとなり、大成功を収めます。トーリオが敵に重傷を負わされて引退すると、カポネは、わずか26歳にしてシカゴ・アウトフィットのボスになります。

1929年2月14日、カポネと対立するノースサイド・ギャングの構成員など7人が偽警察官に射殺されます。世に名高い”セント・バレンタイン・デーの虐殺”です。真っ先にカポネが疑われますが、事件当時はマイアミに滞在中という完璧なアリバイがありました。ライバルをだまらせたカポネは、シカゴ全市を牛耳るまでになります。しかし、セント・バレンタイン・デーの虐殺が、あまりにも世間の注目を集めたために、カポネは、銃器不法所持を自作自演し、逮捕・収監されます。10ヶ月の刑務所生活は豪奢なものだったようです。”民衆の敵No.1”となったカポネは、低所得者向けの食事サービスなどで人気取りも行っています。陽気なカポネは、シカゴ市民に人気があったとも言われています。しかし、大統領に就任したフーヴァーは、民衆の敵No.1の逮捕を厳命します。

財務省は、脱税と禁酒法の両面で捜査を開始します。ここで登場するのがエリオット・ネス率いる“アンタッチャブル”です。カポネ側からの賄賂や切崩しにもビクともしなかったことからアンタッチャブルと呼ばれたチームが担当したのは禁酒法違反でした。しかし、財務省の真のねらいは脱税であり、アンタッチャブルによる派手な禁酒法違反捜査は陽動作戦に過ぎなかったとされます。1931年、カポネは脱税で収監されます。以降、1939年に釈放されるまでいくつかの刑務所を経て、最後はアルカトラズに収監されています。かつてのような豪華な監獄生活は送れず、囚人たちからも孤立気味だったようです。その間に梅毒が悪化し、釈放後も自宅で療養を続け、1945年に亡くなっています。享年48歳。シカゴのボスとして君臨した栄光の時は、わずか5年程度でした。

奢れる者は久しからず、というわけです。良くも悪くもセント・バレンタイン・デーの虐殺が引き金になったと言えます。傲慢ゆえに身を滅ぼすという話の典型でもあります。アンタッチャブルを率いたエリオット・ネスの後世も寂しいものでした。熱望したFBI入りは叶わず、クリーブランドで公共治安本部長になりますが連続殺人事件を解決できず、民間警備会社勤務を経て、クリーブランド市長選に立候補しますが、落選します。以降、セールスマンや店員をしながら、酒場に入り浸り、借金を積み上げていきます。晩年のネスに、UPIの記者がインタビューして書いた「The Untouchables」が大ベストセラーとなり、TVドラマ化、映画化もされます。ただ、同書が出版された時点で、ネスは既に死亡していました。ちなみに、ブライアン・デ・パルマ監督は「アンタッチャブル」(1987)も映画化し、ヒットさせています。(写真出典:imdb.com)

2026年5月2日土曜日

観艦式

一度、海上自衛隊の観艦式に参加したことがあります。観艦式とは、最高指揮官が艦艇や航空機を観閲する軍事パレードの一種です。海上自衛隊では、原則、3年に一度、士気向上、軍事力の示威、国際親善を目的に行われ、内閣総理大臣が観閲します。私が参加した際には、野田毅彦総理が、護衛艦くらまに各国の大使、駐在武官とともに乗艦し、観閲していました。私は、当時、最新鋭だったヘリ空母型の護衛艦ひゅうがに乗せてもらいました。海上自衛隊の観艦式は相模湾洋上で行われます。横浜の大桟橋から、多くの招待客とともに乗艦し、相模湾まで3時間近くかけて移動しました。観艦式は、自衛隊の活動を国民にPRすることも目的の一つとなっているため、観閲する側の艦船だけでなく、観閲される艦船にも招待客が乗艦します。

相模湾では、海外から参加した艦艇も含め、40数隻の艦艇・潜水艦が二列縦隊に整列し、観閲艦の前を高速で駆け抜けます。艦艇の甲板には海上自衛官が整列して敬礼を行います。なかなかに壮観なものでした。自衛官の説明によれば、このスタイルの観艦式には、高度なテクニックが要求されるので、現在、日本の海上自衛隊だけが行っているとのことでした。操船技術、装備の優秀さを世界に示し、抑止力の向上をはかることも観艦式のねらいだとも言っていました。護衛艦の急速回頭、潜水艦の急速浮上の訓練展示も行われていました。そして、海上自衛隊が保有する航空機も飛来します。間近に見るヘリの密集編隊飛行、US-2救難機の低速飛行展示は印象的でした。国産のUS-2救難機は、世界で最も低速での飛行が可能という優れものです。

相模湾への往復の間に、ひゅうがの艦内ツアーも行われ、格納庫と飛行甲板を上下する甲板エレベーターにも乗せてもらいました。甲板で目が釘付けになったのが近接防御火器システムのファランクスでした。6砲身のバルカン砲と捕捉・追尾レーダーが一体化されています。主にミサイルや小型艇を標的に、全自動で1分間に徹甲弾4,500発、つまり毎秒75発を発射します。古代ローマの密集陣形にちなんだ名称ですが、弾幕を張るという意味なのでしょう。説明を受けながら、最も気になったのは、1秒間に75発を撃つ際の射撃音とは一体どんなものなのかということでした。さすがに撃ってはもらえませんが、自衛官に聞いてみると「ブーン、って感じです」という答えでした。にわかには信じがたく、帰宅後、YouTubeで確認すると、確かにブーンでした。

観艦式は、14世紀のイングランドに始まるとされています。日本では、江戸期に幕府水軍による”船行列”なるものが行われていたようですが、初めての本格的な観艦式は、明治元年(1868年)、大阪の天保山沖で行われました。明治天皇が陸上から、日本の艦艇6隻、フランスの艦艇1隻を観閲したようです。戦前は、軍国主義へ向かうなか、180隻を超える艦艇が参加する大観艦式も行われていました。戦後、自衛隊が発足すると、1957年に32隻をもって再開されています。以降、40~60隻が参加して継続されてきましたが、昨年、防衛省が、当面、観艦式は行わないと発表しました。「戦後最も厳しく複雑な安全保障環境に直面する現在、隙のない我が国の防衛態勢を維持する上で、そのような観閲式等を実施することは困難な状況」という理由でした。事前の準備や訓練に手間暇がかかり、コストも莫大になる観艦式ですから、至極当然な判断のように思います。

ところで、観艦式の主力を成すのは護衛艦ですが、思えば、実に妙な艦種名です。英語では”Escort Vessel”とされています。世界的に見れば、そのような艦種区分はありません。海外では、海上自衛隊の護衛艦は”Destroyer”と呼ばれています。いわゆる駆逐艦です。つまり、護衛艦なる艦種名は、自衛隊が発足する際、軍ではありません、ということを強調するために生み出されたのでしょう。観艦式で乗艦させてもらった護衛艦ひゅうがの艦種記号はDDH(Helicopter Destroyer)です。見た目は同じような後継護衛艦のいづも、かがはCVM(Cruiser Voler Multipurpose)とされています。F-35B垂直離着陸戦闘機を搭載できるように改良が加えられているからです。ちなみに、自衛隊は、本年度中に、幹部の呼称を、大将、大佐、大尉等に変えると発表しています。近々、護衛艦の呼称も駆逐艦や空母に変わるのかもしれません。(写真出典:townnews.co.jp)

2026年4月30日木曜日

「センチメンタル・バリュー」

監督:ヨアキム・トリアー  2025年ノルウェー・フランス・デンマーク・ドイツ・スウェーデン・イギリス

☆☆☆☆

深いテーマを、スタイリッシュに、繊細に、かつ鮮やかに描き出すヨアキム・トリアーのセンスが見事に発揮されています。前作「わたしは最悪。」以上に複雑で繊細なプロットが、完成度高く表現されています。トリアー監督は、映画表現の新しい次元を提示したとも言えそうです。家を出た自己中心的な映画監督の父親、舞台俳優として成功するも行き詰まりを抱える長女、我慢することを強いられてきた次女が紡ぐ家族の物語がメイン・プロットです。しかし、単に父と娘の不協和音と理解を描いているわけではなく、複雑なプロットが織り込まれています。芸術論という面もありますが、最深部に織り込まれているのはノルウェーという国の歴史に刻まれた悲しさ、そして希望の物語のように思えました。

家を出たアル中の父と、それを許せない娘たちという構図はシンプルなものです。ただ、自殺した祖母の存在とアメリカ人女優の登場が、プロットに深さと広さを与え、物語は陰影深いものになっていきます。祖母は、反ナチの闘士であり、捕まって拷問を受けています。彼女が記録したナチの拷問の詳細は公文書館に所蔵されています。そして解放から15年、祖母は7歳の子供を残して自殺します。その子が映画監督の父であり、娘たちと同様、親が不在という環境で育ちます。父は、長女のためにシナリオを書いて持参します。それは、自分の母の物語であり、母を理解し、許すために書いたものです。父は知らなかったものの、俳優の長女は自殺未遂の経験があります。父は、祖母と長女が重なり合うことに気付いていたわけです。自殺は、血の成せる技でした。

感受性豊かなアメリカ人女優は、本読みが進むと、この役は長女以外に演じられる俳優がいないことに気付き、降板します。家族も、外部からの目線が入ることで、自らの血の濃さに気付かされていきます。また、次女も公文書館で祖母の記録を目にすることで、父のシナリオが持つ意味に気付きます。また、芸術も重要な伏線になっているように思います。父は高名な映画監督、長女は名の知れた女優です。しかし、父は、15年間、映画を撮っていません。長女は舞台恐怖症に陥っています。つまり、二人は、現実から逃避するように創作の世界に入りますが、そこに答はありませんでした。二人が逃げた現実とは、自分自身であり、自分の生い立ちであり、自分を形作る血だったわけです。結局、二人は、現実と向き合わざるを得ないことになります。

映画のナレーションを務めるのは、3代に渡る家族の歴史を見守ってきた彼らの家です。家は、ノルウェーという国を、家族はノルウェーの人々を象徴しているのでしょう。そこには、北欧の風土病とも言える鬱病やアルコール中毒があり、妹の耐える姿にはルター派の信仰が反映されているように思えます。かつてノルウェーを支配したデンマークやナチスもモティーフとして登場します。これは、もうノルウェーという国を語っているとしか思えません。映画のラストシーンは、モダンに改装された彼らの家のセットが作られ、映画が撮影されています。モダンさは現代ノルウェーの成功を象徴し、セットであることがその危うさを表現しているように思えます。いずれにしても、家族の葛藤を描いた映画は、決してそれだけの映画ではなかったということです。

本作は、高い評価を受けており、カンヌで記録的スタンディング・オーベーションとともにグランプリを、アカデミー賞では8部門にノミネートされ国際長編映画賞を獲得しています。ヨアキム・トリアーの独特なタッチ、きめ細やかさ、スタイリッシュさは、繊細なタッチのピアノ曲、あるいは軽やかで鮮やかな水彩画を思わせます。音楽の使い方も見事だと思います。トリアー監督の前作「わたしは最悪。」でも主演を務め、カンヌで主演女優賞を獲得したレナーテ・レインスヴェが、再び主演しています。その豊かな表情と表現力には驚かされます。驚いたと言えばエル・ファニングです。ダコタの妹で、子役時代からの長いキャリアを持ちますが、いい味を出していました。今後が楽しみだと思います。(写真出典:bunkamura.co.jp)

2026年4月28日火曜日

パンの都

パンの都と言えば、やはりパリなのだろうと思っていましたが、日本では京都のことを指すようです。確かに、京都は、パンの消費量や購入額で常にトップ・クラスに入っています。京都は和食の総本山とも言えますから、やや意外な感じを受けます。実は、京都は華やかな文化を支える職人の街でもあります。職人たちは朝が早いため、簡単に朝食を済ませたいというニーズがあり、パン食が普及したと聞きます。京都では、小振りなパン屋が多く、実に多様なパンが売られています。ただ、特徴的には、バゲットやハード・タイプよりも、惣菜パンや和食材と組み合わせたパンが多いように思います。簡便な朝食や昼食といったニーズから生まれたパン食文化だからなのでしょう。いまや京都名物とも言える志津屋の“カルネ”なども典型だと言えます。

とは言え、世界的に見れば、やはりパンの都はパリなのだと思います。まずは、パン屋、ブーランジェリーの数が桁違いです。京都は府全体で280軒のパン屋があるようですが、パリは市内だけで1,200~1,800軒とされています。徒歩圏内に必ず数軒のパン屋があります。皆、概ね7時には開店し、焼きたてのパンを売っています。ブーランジェリーは、各種パン、サンドイッチ類、ケーキ・焼き菓子などを商っています。朝の売れ筋は、バゲット、クロワッサン、パン・オ・ショコラあたりで、ショーケース内に他の商品はまばらにしかありません。朝、バゲットを買った人たちは、必ずと言っていいほど、店を出たらすぐにかじりつきます。パリの朝のお決まりの光景と言えます。確かに、焼きたてのバゲットは、抗しがたいほどの美味しさがあります。

パリのパンは何故美味しいのかと言えば、グルテンが少なくミネラル分の多い小麦、硬水、長時間発酵、そして焼く技術などが挙げられます。またバゲットに関しては、小麦粉・水・塩・酵母以外の使用を認めず、冷凍保存も禁止という法律まであり、適合するパンは”バゲット・トラディション”と呼ばれます。また、クロワッサンに関しては、恐らく発酵バターが惜しげもなく使われている点も美味しさの秘訣なのでしょう。ただ、材料に関して言えば、日本に持ち込むことも可能だと思いますし、技術に関してはパリのパン屋で修行した日本の職人も多いはずです。それでも違いが生まれるのは、コストと価格の問題なのかもしれません。そして、それ以上に、パリと東京の湿度の違いが大きく影響しているのではないかとも思います。

パリの空は青く、夕暮れには得も言われぬほど濃い青を見せてくれます。乾燥した空気が、光の違いを生んでいるのだと思います。それは絵画の違いにも大きく影響しています。高温多湿な日本の絵画に、西洋絵画のあふれんばかりの光の輝きはありません。乾燥した空気は、土壌の違いにもつながり、植物の味にも大きな違いを生んでいるのではないでしょうか。パンだけでなく、パリで食べるハム、チーズ、野菜は、とても美味しいと思います。小麦や水の違いだけでなく、あの空気のなかで発酵させ、焼き上げたパンは、日本のものと異なって当然とも思います。やはり、その土地の風土で培われた食べ物は、その土地で食べるべきだということなのでしょう。ですから、京都で食べるべきパンも、バゲットではなく、カルネの類いだと言っていいと思います。

バゲットは、サンドイッチにしても美味しくいただけます。とりわけ、シンプルなハムとチーズのサンドイッチは、パリの食べ物を代表する逸品の一つだと思います。今般、パリに長逗留して、近所に数件あるブーランジェリーのおいしいパンを沢山食べましたが、なかでも”ERIC KAYSER”のクロワッサンを楽しめたことは大きな収穫でした。東京で一番好きなクロワッサンは、メゾン・カイザーのものです。メゾン・カイザーは、ERIC KAYSERの海外展開店となります。しかし、両者のクロワッサンは決して同じとは言えません。日本人の好み、食材の調達、価格などが考慮された結果なのでしょう。パリのERIC KAYSERのクロワッサンは、より発酵バターの風味が強く、その味わいの深さは、さすがパリで一番になったこともある店だと思いました。(写真出典:tabizine.jp)

能島