2026年9月27日日曜日

川上

人間国宝・二世野村万作は、御年95歳になる和泉流の狂言方能楽師です。2023年には、文化勲章を受章し、受章記念公演として「川上」を演じています。その舞台を記録した映画が「六つの顔」(2025)です。シネスイッチ銀座で長く上映していたのですが、タイミングが合わず 、未見でした。今般、ネット配信されたので、ようやく観ることができました。「川上」の舞台がメインですが、野村万作が自らの芸の道についても語っています。六つの顔とは、祖父、父、弟、本人の顔、そして「靱猿」の猿面、「釣狐」の狐面を指します。ちなみに、狂言は、猿に始まり、狐に終わると言われます。幼年期、靱猿の猿で初舞台、円熟期に入り釣狐の狐を演じるというわけです。ちなみに、野村万作の芸歴は90年を超えています。

しかし、野村万作にとって、「川上」はとりわけ重要な演目だったようです。幾度も演じ、芸の集大成かのように記念公演でも演じたわけです。川上は、少し風変わりな狂言です。吉野に住む盲目の男が、霊験あらたかとされる川上の地蔵菩薩に参詣し、目が見えるようになります。念願かなった男は、大喜びで里に帰ります。しかし、目をあけてもらうには条件がありました。妻とは悪縁なので別れなければいけないというのです。その話を聞いた妻は激怒し、地蔵をののしり、絶対に別れないと言いはります。ついには、夫も折れて、2人は連れ立って帰ります。そして、道の途中で夫の目は再び見えなくなってしまいます。2人はともに泣き、これも前世の因縁と思って嘆くまいと手を取り合って帰ります。

川上は、滑稽な話とも言えますが、人生の機微を語る仏教説話のような風情もあります。川上は室町期の作とされますが、作者は不明です。現代人にはシリアスな話に思えますが、室町時代の人々には、より滑稽な印象を与えていたのかもしれません。仏に救われるという面もありますが、典型的な仏教説話とも多少異なります。高望みなどせずに、今の生活に満足し、妻に感謝しなさい、と諭されているように思えます。龍安寺のつくばいで有名な「吾唯足知」という老子の言葉を思い出します。ただ、それを人々に分かりやすく、かつ深く伝えるには並外れて高い表現力が求められます。芸の道は厳しく、終わりというものがない世界です。盲目の男の歓喜、困惑、失望、悟りへと変化してゆく表情を演じきる野村万作の芸は至高というべきなのでしょう。

野村万作は、文化勲章を受章した年、奈良県川上村でゆかりの「川上」を上演しています。地元では、曲中の地蔵菩薩は、「投げ地蔵」と呼ばれる金剛寺の木造地蔵菩薩立像だとされているようです。役小角が、自ら彫った地蔵を大峰山から投げ、それが川上に降り立ったものとされています。川上村は、後南朝の自天王が殺害された南朝終焉の地でもあります。金剛寺では、自天王を偲ぶ「朝拝式」が600年絶えることなく行われています。併せ考えれば、狂言「川上」には、別な面が見えてくるように思います。自天王が殺害された長禄の変は、後南朝方が禁裏から奪った神器を、赤松氏の遺臣が川上村で奪還した戦です。1547年のことです。狂言「川上」の成立年は不明ですが、同じ頃だとすれば、後南朝の末路を語った曲ではないかとも思えてきます。

余談ですが、シネスイッチ銀座が、この10月、70年を超える歴史に幕を引きます。昨年、丸の内TOEIが閉館していますから、これで銀座から映画館が消えることになります。シネスイッチ銀座は、いわゆるミニ・シアター系の雄です。1989年に同館で公開された「ニュー・シネマ・パラダイス」が大ヒットし、ミニ・シアター・ブームを牽引したとされます。平面の床、やや高い位置のスクリーンという昔ながらの建付けは、いまや希少と言えます。有楽町・銀座界隈で開催される東京国際映画祭の会場の一つでもありました。映画祭も影響は免れないものと思います。今後のことは分かりません。恐らく跡地にはビルが建つのでしょうが、その一角にでも再オープンしてくれれば、と思います。(写真出典:oita-press.co.jp)

2026年9月25日金曜日

デザインの力

国立新美術館で開催中の「ピカソ meets ポール・スミス」展を見てきました。もともとは行くつもりなどありませんでした。ピカソ展としては凡庸なラインナップですし、いかに有名デザイナーとはいえ、展示室のレイアウトをいじったくらいでは面白くもないだろうと思っていたのです。ただ、親戚が連続で入選している二科展を見るために新美術館へ行ったので、ついでにピカソ展も覗くことにしました。というのも、その親戚がピカソ展を絶賛していたからです。展覧会というよりも、久々に見たピカソに感動していた様子でしたが・・・。いずれにしても、何の期待も持たずに展示室に入りました。ところが、いきなり驚きました。やられました。デザインのパワーを、まざまざと見せつけられました。

通常、美術展の展示レイアウトと言えば、限られたスペースに多くの絵画などを掲げることになります。キュレーターの工夫と言えば、テーマに沿った展示の順番くらいになるのでしょう。恐らく、キュレーターの皆さんは、日頃から、展示アイデアと制約条件の狭間で悶々としているものと思われます。そういう意味でも、今回の「ピカソ meets ポール・スミス」展は秀逸なアイデアだったのだろうと思います。キュレーターの夢だったと思われる”並べるだけではない展示”が、希代のデザイナーであるポール・スミスのブランド力をもって実現したわけです。各展示室が、絵画の色合い、テーマなどにインスパイアされたデザインになっています。例えば、青の時代の代表作「男の肖像」は、一面青く塗られた部屋に一枚だけ展示されていました。

陶器の皿を展示した部屋は興味深いものでした。展示室の三方には、何の変哲もない同じ白い皿が、壁を埋め尽くすように規則正しく掛けられています。正面の壁の中央にピカソの皿が数点掛けられています。他のピカソ展なら、隅のガラス・ケースに収められ、注目されることも少ないと思います。ポール・スミス流では、皿が注目されるだけでなく、展示室全体が一つのアートになっています。現代アートの世界では、展示室全体が作品化されることもありますが、クラシックな絵画の世界ではあり得ません。絵画の新しい楽しみ方とも言えます。一方で、ポール・スミスの解釈が押しつけられる、あるいは彼の作品化されるとも言えます。ただ、作品は完成した瞬間から作者の手を離れ独立した存在になるわけですから、それはそれで面白いと思います。

ポール・スミス、正しくはサー・ポール・スミスは、英国を代表するファッション・デザイナーです。ファッション・デザイナーとしては、ハーディ・エイミスに続いて2人目のナイトに叙されています。ポール・スミスは、1946年、ノッティンガムシャーに生まれ、24歳で自分の衣料品店を開いています。30歳でパリコレに参加し、1980年代にはロンドンの他に、東京やNYにも店を広げています。ファッション・デザイナーですが、ビジネスのセンスもなかなかのものです。また、実に多才な人でもあり、自動車、家具、内装、本の装丁、映画等々、多様な分野にデザインを展開しています。そのデザインは、”ひねりのあるクラシック”が身上とされます。ストライプは、彼のデザインの特徴の一つですが、一時期、日本でもカラフルなストライプの紙袋はトレンドでした。

「ピカソ meets ポール・スミス」展は、美術界に新しいトレンドを作るのではないかと思います。従来の点数を集めて開催する大規模展に加え、厳選された絵画を没入感あふれるレイアウトで見せる展覧会も流行しそうです。当初は、ブランド力のある画家や有名デザイナーとのコラボレーションが主体となるのでしょう。今回、会場のすべてが写真撮影可能になっていました。ここがヒットするための大きな要因になるのだろうと思います。森美術館では「ロン・ミュエク展」が、高額な入場料にもかかわらず、会期を延長するまでの大ヒットになりました。つまり、”映える美術展”ということで、美術界もSNSの影響は無視できないわけです。それはそれで、美術ファンを増やすという意味で結構なことだとは思いますが、行き過ぎには要注意です。(写真出典:artscape.jp)

2026年9月23日水曜日

博多の串焼き

近年、博多名物として知られるようになったのが「とりかわ串」です。焼き鳥屋の鶏皮は美味しいのですが、珍しくもないメニューです。名物と言われてもピンときませんでした。ところが、博多のとりかわ串は、独特な焼き方で、その美味さは中毒性すらあります。一般的な焼鳥では、切った鶏皮を串に刺して焼きます。とりかわ串は、首あたりの皮を伸ばして、串にグルグル巻き、一晩、二晩、タレに漬け込んでから、表面をカリッと焼き上げています。香ばしく、うま味があって、かつクドくないので、本当に何本でも食べられます。とりかわ串は、1971年頃、博多の小さな焼鳥屋で古賀貞己が考案したとされます。鶏皮嫌いの娘に、鶏皮を美味しく食べさせたいと思い、試行錯誤した結果と聞きます。

博多の串焼きと言えば、なんといっても、豚バラです。これも、とりわけ珍しいものではありません。ところが、博多の豚バラ串は、なぜか美味いのです。過日、四ツ谷で、炭火を使った博多焼鳥の店へ行きました。とりかわ串は合格点でした。ただ、豚バラ串は、美味しいのですが、博多のものとは違いました。博多の豚バラ串の特徴の一つは、肉の赤身と脂身のバランスです。ちょうど半々くらいのイメージです。その店のバラ肉のバランスは博多風だったのですが、肉が厚すぎました。博多では、肉が適度に薄く、焼き上がりがカリッとしています。薄めにしていることは、焼き上がりを早くする工夫でもあるのでしょうが、余分な脂を落とし、かつ、うま味を閉じ込める効果があるものと思います。もちろん、火力の強い炭火で焼くことは大前提です。

また、近年は、野菜巻き串が、新たな博多名物になっています。レタス、青ネギ、アスパラ、トマト、えのきといった野菜を、豚バラや牛肉で巻いて串に刺し、焼いたり蒸したりします。ヘルシーでインスタ映えするというので、若い女性からブームに火が着いたと言われます。博多の屋台で、変わり串として出す店もあったようですが、ブームを先導したのは「ねじけもん本店」とされます。もともとは東京の店だったようですが、本場の博多で勝負したいと、15年ほど前に出店し、ブームを巻き起こしました。アスパラ豚などは古典的とも言えますが、レタス豚、青ネギ豚、プチトマト豚などは、もはや定番と言えます。店によっては、様々な新しいアイデア串が提供されています。ただ、野菜巻きのポイントは、厚過ぎず、薄過ぎずという肉の厚さにあると聞きます。

福岡県の焼鳥屋は、総数、人口10万人あたりの数、ともに全国トップです。その背景の一つには、鶏肉にこだわらない串焼の文化があるのだろうと思います。そして、その文化を生んだのは、間違い無く屋台の文化なのでしょう。狭い屋台での調理には限界があります。あらかじめ串打ちしておき、注文が入れば焼くだけという串焼は、実に屋台向きのメニューと言えます。豚バラ串は、絶妙な厚さ、強い炭火、赤身と脂身のバランスなど、まさに屋台ならでは環境が生んだ逸品なのでしょう。また、福岡市は屋台の数も全国一です。現在は100軒程度ですが、ピークだった1960年代には400軒を超していたようです。その競争の激しさが絶品の串焼を生んだとも言えそうです。

博多の友人は、博多の焼鳥消費量が多い最大の理由はキャベツだと言い切っています。博多で串焼の店に入ると、まず、酢ダレがかかった生のキャベツが出てきます。お通しなのかサービスなのか判然としませんが、とにかく、だまっていても出てきます。通常、おかわりし放題です。一串食べて、キャベツをいけば、口もさっぱりして、次の串を美味しくいただけます。また、次の串の出が遅い場合にも、キャベツでもたせられます。確かに、酢ダレがかかった生のキャベツは、串焼きの消費拡大に貢献しているように思えます。このスタイルは、1964年、博多の「天下の焼鳥 信秀本店」の創業者・安岡英雄が始めたとされます。大阪の串揚げ屋のキャベツにヒントを得たようです。もはや、キャベツは名脇役から準主役に出世したようにも思います。(写真出典:tabelog.com)

2026年9月21日月曜日

「オデュッセイア」

監督:クリストファー・ノーラン    2026年イギリス・アメリカ

☆☆☆☆ー

ここまでのところ、今年、最も期待され、最も評価され、最も稼いだ映画ということになります。クリストファー・ノーランの最高傑作という声もあります。原作の「オデュッセイア」は、「イーリアス」と並ぶ古代ギリシャの二大叙事詩であり、ホメロス作とされます。もちろん、原作のすべてのエピソードを取り込んでいるわけではありせんが、ストーリーのフレームは原作に忠実なものになっています。そのうえで、現代的解釈が大胆に加えられています。映像、演出の巧みさも含めて、さすがクリストファー・ノーランだと思います。ただ、原作のモティーフの多さが禍したのか、監督がテーマとしたところへの収束がやや乱れているように思います。 

クリストファー・ノーランがテーマとしたのは、大雑把に言えば、互いを尊重することによって、世界は平和を取り戻せる、ということなのでしょう。トロイの木馬は、有名な話ですが、物証も文献もないため、事実とは確認されていません。ただ、シュリーマンが遺跡を発掘したことから、トロイの存在だけは、ほぼ証明されています。クリストファー・ノーランは、トロイの木馬を欺瞞の始まりとし、以降、人類は互いにリスペクトすることを忘れ、今に続く混乱が生み出されたと言っているのでしょう。ゆえにオデュッセイアはじめギリシャ軍は帰国に苦労し、帰国しても苦難が待ち受けていたというわけです。映画のなかで、オデュッセイアは記憶が回復するとともに、そのことに気付き、無意識に帰国することを避けているのかもしれないことが暗示されています。

そのテーマを訴求するための重要なモティーフとしているが、”ゼウスの掟”です。一般的にはクセ二アと呼ばれますが、古代ギリシャ社会におけるおもてなしの概念です。客人や旅人はゼウスに守られている、あるいは姿を変えたゼウスであると信じられており、おもてなしをすることはゼウスに従うのと同じとされたわけです。オデュッセイアの妻・ペネロペに求婚するために集まった数十人は、主のいない城で数年間にわたり饗応を受けます。オデュッセイアの息子テレマコスは、父の情報を求めてスパルタに行き、王に歓待されます。クセニアを現代的に理解すれば、他者の存在を認めることであり、他者をリスペクトすることなのだろうと思います。オデュッセイアは、それを悪用して、トロイの木馬を作り、トロイの神殿と街と人々を壊滅させたわけです。

オデュッセイアが帰国できないのは、息子を殺されたポセイドンのせいだとされます。しかし、ポセイドンの怒りとは、とりもなおさず人間の欺瞞であり、人間は自ら自分の首を絞めていたわけです。映画のなかで、ゼウスやポセイドンといった神々は、直接的に姿を現わしていません。これこそ、まさにクリストファー・ノーランが、テーマを訴求するためにねらった演出なのでしょう。また、ギリシャの人々が、その来襲を恐れる「海の民」も、ギリシャ人自身の欺瞞を意味しているのでしょう。映画の中で、しばしばオデュッセイアが見る幻影としてゼンデイヤ演じるアテナが登場しますが、オデュッセイア自身の葛藤を象徴しているのでしょう。また、シャーリーズ・セロン演じるニンフ・カリュプソは、オデュッセイアの犯した罪から逃れたいという欲求を現します。

クリストファー・ノーランの映画では、いつも音楽が重要な要素となっています。今回も同様です。通常の古代劇ならば、荘厳なオーケストラの劇伴で盛り上げるところですが、本作では、あえて電子音楽に古楽器を乗せた音楽が使われています。ホメロスの現代的解釈、あるいはクリストファー・ノーラン的理解であることを強調しているのでしょう。あるいはホメロスの原作への敬意なのかもしれません。いずれにしても、今回の音楽は饒舌に過ぎるように思いました。むしろ、叙事詩としては、劇伴を抑え、無音と効果音を巧みに使うべきだったのではないかと思います。ハリウッドの俳優を使っていることにも、多少、疑問を感じました。また、世界一の美女ヘレネー役にルピタ・ニョンゴを起用していることには、やや驚かされました。監督の意図が伝わる攻めたキャスティングです。(写真出典:eiga.com)

2026年9月19日土曜日

晩成社

依田勉三
豚丼は大好物です。新橋の「豚大学」、御茶ノ水の「豚野郎」にはよく行くのですが、北海道では新千歳空港で食べるばかりで、本場の帯広で食べたことがありません。豚丼の発祥は、1933年、帯広の大衆食堂「ぱんちょう」とされます。創業者の阿部秀司が、戦争と不景気にさいなまれる庶民が手軽に栄養を取れるよう考案しました。味は、皆になじみのあるうな丼を参考にしたと言われます。豚肉を使ったのは、十勝地方で養豚が盛んだったからです。十勝の養豚は、十勝開拓の祖と言われる依田勉三の「晩成社」に始まります。依田勉三は、4頭の豚を連れて十勝へ入植しています。「牛は牛乳、馬は馬力、豚は食料」という依田勉三の言葉も残されています。

本格的な北海道開拓は、1869年(明治2年)、開拓使、後の北海道開拓使の設置に始まります。本庁は札幌に置かれ、函館、根室、宗谷、浦河、樺太に、出張所、後の支庁が配置されます。すべてが沿岸部であり、内陸部には配置されていません。開拓使設置の主な目的が対ロシア防衛強化だったからです。当時、ロシアが樺太に兵士と移民を送り込んでおり、対抗上、北海道開拓が急がれたわけです。当初の開拓要員は、戦闘能力を有する士族と屯田兵でした。その後、労働力として囚人たちも送り込まれます。明治中期になって、民間団体や一般個人の入植が始まります。依田勉三率いる晩成社が十勝に入ったのは、1883年(明治16年)でした。民間としては極めて早かったわけです。入植当時の十勝は手つかずの山林や原野が広がるばかりだったようです。

開拓は、山林や原野の開墾から始まります。広大な地域の伐採、抜根を行い、そのうえで土を掘り起こして細かく砕き、農地を作っていきます。とんでもない重労働の日々です。しかも、その間、作物の収穫はなく、食糧はほぼ持ち込むしかないわけです。晩成社の開拓は、悪天候、イナゴの大量発生、鳥獣害に見舞われ、当初2年間、ほとんど何も収穫できなかったようです。そこで依田勉三は、開拓の軸を農作から畜産に移します。そこで商品化されたものの一つが”マルセイバタ”です。帯広の六花亭の大ヒット商品”マルセイバターサンド”が、十勝開拓の祖へのオマージュであることはよく知られています。十勝は、いまや日本の食糧基地とまで呼ばれます。農作、畜産、そして入植者の増加まで、十勝のすべての基礎が晩成社の開拓にあったと言われます。

ただ、晩成社の経営は苦しく、依田勉三が亡くなった翌年の1932年、解散に追い込まれています。それにしても依田勉三という人の情熱と不屈の精神には驚かされます。依田は、伊豆・松崎の豪農の家に生まれ、東京で英国人の塾に学んだ後、慶應義塾に入学しています。福沢諭吉の影響もあり、依田は北海道開拓を目指すようになります。福沢諭吉は、北海道開拓を重視し、依田以外にも多くの門下生を北海道に送り込み、自らも開拓に出資しています。今さらながらに、福沢諭吉と慶應義塾が日本の近代化に果たした役割の大きさに感心させられます。依田は、病気のために慶應義塾を中退しますが、故郷で準備を進め、1881年には、単身、調査のために北海道に渡ります。さらに準備を進めた依田は、1883年、13戸27人を率いて十勝に入植しています。

晩成社の入植前後には、開拓団が相次いで入植しています。1879年には、北海道開進会社が株式で資金を集め、函館、札幌方面での開拓を目指しますが、失敗しています。その後、兵庫県の赤心社が浦河へ、徳島県の興産社が札幌篠路へ、石川県の起業社が岩内へ、新潟県の北越殖民社が江別へと入植しています。また、キリスト教、日蓮宗、金光教、天理教など宗教団体による開拓団も入植しています。他にも各地の村落からの集団移住も少なからず行われています。人出と資本が必要とされる開拓ですから、集団で取り組む必要があったのでしょう。ただ、個人の入植者も、1922年までの累計で200万を超えています。その大半が故郷で生計を立てることが困難になった人々だったようです。しかし、開拓に成功した者はごく限られ、現在、北海道に暮らす人々の多くは成功者の子孫なのだと聞いたことがあります。(写真出典:town.matsuzaki.shizuoka.jp)

2026年9月17日木曜日

「シーモア・ハーシュ: 権力の闇に挑む男」

監督:ローラ・ポイトラス、マーク・オーベンハウス 原題:Cover UP 2025年アメリカ

☆☆☆+

ピュリツァー賞も受賞したアメリカのジャーナリスト、シーモア・ハーシュに関するドキュメンタリーです。ハーシュは、アメリカを、そして世界を動かすことになる多くのスクープをものにしたことで知られます。1970年のピュリツァー賞(国際報道部門)を受賞したソンミ村虐殺事件、1974年にはCIAの国内スパイ活動ケイオス作戦、同じ年、チリのアジェンデ政権転覆に関するCIAの関与、2004年にはイラン戦争時のアブグレイブ刑務所における捕虜虐待等の報道が有名です。また、ウォーターゲイト事件の報道においても重要な役割を果たしています。さらに、多国籍企業に関する調査報道は、後に日本を揺るがしたロッキード事件の発端になったことでも知られます。

監督のローラ・ポイトラスは、ドキュメンタリー「美と殺戮のすべて」(2022)で、ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を獲得した人です。写真家ナン・ゴールディンの生涯を通じて、オピオイドとその製造会社を追及した作品でした。ポイトラスは、2004年にハーシュにドキュメンタリー映画の企画を打診しますが、情報提供者を危険に晒す恐れがあることから断られます。ただ、情報提供者の多くが亡くなったことから、今般、映画化の許可が出たようです。企画から、実に20年越しの映画化ということになります。ハーシュは、秘蔵していたメモ、写真、映像、音声の一部の公開も認めています。ハーシュは、相当の覚悟をもって20年越しの映画化に臨んだのだと思います。インタビューの中で、一部の報道に誤りがあったことを認めている点も覚悟の現れなのでしょう。

ハーシュの調査報道の大きな特徴は、情報提供者の存在です。政府、CIA、軍、コングロマリット等が隠蔽しているものを、情報提供者を使って曝くことがハーシュのスタイルです。例えば、デイヴィッド・ハルバースタムは、事実の奥に潜む普遍的な真実を探求していきます。ハーシュの場合には、あくまでも事実を晒すことによって権力を監視することが目的になっています。いずれもジャーナリズムそのものなのでしょう。ドキュメンタリー映画も、ジャーナリスティックな性格を持っています。ハーシュがソンミ村虐殺事件を曝く過程を描き、権力、あるいは軍の本質に迫るならば、良いドキュメンタリー映画ができると思います。しかし、暴露型ジャーナリストの仕事をトレースするだけなら、映画としては実に平板なものになってしまいます。

あるいは、シーモア・ハーシュという希代の暴露型ジャーナリストを通じて、ジャーナリズムの本質を問いかけるという映画なら、随分と見応えのあるものになったいたはずです。そのためには、ハーシュの業績、あるいは事実を曝いていく過程だけではなく、記事がリリースされるまでのNYタイムス、ニューヨーカー誌内部、そして権力側の動きをより丁寧に映像化すべきだったのではないかと思います。そもそも監督の企図も、そこにあったのかもしれません。しかし、ハーシュのスクープの多さ、ハーシュが公開した資料の多さゆえに、過去の事実をトレースすることに汲々としてしまったのかもしれません。いずれにしても、本作は興味深いドキュメンタリーではありますが、前作「美と殺戮のすべて」を超える映画ではないように思えました。

映画を見ながら、気になったことの一つは、アメリカにおける内部通報者の多さです。日本でもコンプライアンス強化が叫ばれてから増加傾向にあるとは思いますが、アメリカの比ではないように思います。その違いはどこにあるのか気になりました。宗教に裏打ちされた道徳観の違いなのかもしれません。しかし、アメリカの歴史を築いてきた開拓民たちと権力=連邦政府=東部エスタブリッシュメントとの戦いの歴史が背景にあるように思います。それは制度的には、憲法や自治の伝統に反映され、合衆国という国の形となり、銃を持つ権利にもなっています。現象面では、今も福音派、ミリシア、MAGA派といった形で脈々と生きています。内部通報というアメリカの伝統にも、民主主義という壮大な実験に挑み続けるアメリカ社会が反映されているということなのでしょう。(写真出典:en.wikipaedia.org)

2026年9月15日火曜日

桜桃忌

漫画やアニメのことは、さっぱり不案内なのですが、「文豪ストレイドッグス」という人気漫画があり、アニメ、ゲーム、映画、舞台、小説へと展開しているようです。キャラクター化された文豪たちが、異能者として横浜で戦うというプロットらしいのですが、各人が持つ異能には代表作にちなんだ名前が付けられています。主人公は中島敦であり、月下獣という異能を持ちます。”山月記”に由来するのでしょう。太宰治は、人間失格という異能を持っています。このアニメが、数年前からアメリカで放送されると、太宰治が人気となり、本が売れ始めたというのです。これに目を付けた大手のペンギン・ブックスが太宰の作品を出版しはじめると、アメリカ、イギリスでブームの様相を呈し始めたというのです。 絶望とニヒリズムがZ世代にウケたとされています。

文豪ストレイドッグスでは、太宰治の趣味は自殺とされているようです。笑えます。太宰治は、1948年6月13日、玉川上水で山崎富栄と入水自殺しています。いわゆる心中です。2人の遺体が発見されたのが6月19日、太宰39歳の誕生日でした。短期間ですが、私は、三鷹、小金井に住んでいたことがあり、玉川上水あたりも散歩していました。大河というわけでもなく、とても入水自殺できるようなところには思えませんでした。2人の遺体は赤い紐で結ばれていたようですが、太宰は入水前に事切れていたのではないかという説もあります。というのも、山崎富栄は悶絶したような死に顔で、太宰は穏やかな表情をしていたというのです。いずれにしても、以降、6月19日は、太宰を偲ぶ“桜桃忌”とされ、毎年、三鷹の墓前には熱烈なファンが集っているようです。

桜桃忌に際し、太宰の墓石の刻銘に桜桃(サクランボ)を詰めるという風習は、昔から続いており、今も行われているようです。ところが、近年、墓前に飲みかけのビールやウィスキー、タバコの吸いさし等が、大量に残されているのだそうです。それらの片付けには手間暇がかかるものですから、津島家と三鷹市は、注意喚起の立看板や、場合によっては監視カメラの設置も検討しているようです。恐らく、近所の悪ガキの仕業ではなく、文豪ストレイドッグスを通じて太宰のファンになった若者たちがお供えしたものなのでしょう。故人が好んだものを墓前にお供えすることは、決して珍しいことではありません。ただ、墓前へのお供えは、持ち帰ることが常識です。そうした常識が文豪ストレイドッグスのファンには伝わっていないということなのでしょう。

確かに迷惑な話なのでしょうが、ファンの共感を示したいという気持ちも分かります。太宰と言えば、かつては高校生が一度は通過する麻疹のようなものと言われていました。アメリカで言えばサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」も同じですが、読者は主人公に自分の姿を見るわけです。ただ、本を読む人が減っている現状からして、太宰を読む若者も少なくなっているはずです。太宰に限らず、経緯はどうあれ、若い人が文学に触れる機会が増えるのはいいことだと思います。思えば、近年の刀剣、囲碁、百人一首等のブームも漫画がきっかけでした。古くは、サッカーやバスケットボールも漫画が競技人口を増やしました。ただ、本当の太宰ではなく、あくまでも漫画のキャラクターのファンだという点は気になりますが、きっかけと考えればいいのでしょうが。

太宰治は、1909年、青森県の旧金木町の大地主・津島家に生まれています。旧制青森中学、旧制弘前高校を経て、旧東京帝大仏文科に入学するも中退しています。在学中から執筆活動を始め、作品は評価されますが、私生活は、麻薬中毒、多数の女性遍歴などと乱れます。太宰の作品は私小説と呼ばれます。当時の文壇の流行でもありましたが、自虐的に人間の弱さを描く太宰の作風にはピッタリだったのでしょう。太宰の特長として言及すべきは、文章の上手さだと思います。テンポの良さもあいまって、とても読みやすい文章になっています。それは、本を読まなくなった若者にとっては好都合なのだと思いますし、恐らく翻訳もしやすいのではないかと思います。太宰ブームなるものは、太宰の文章力によるところも大きいと思うわけです。(写真:銀座ルパンにて 出典:ja.wikipedia.org)

川上