アメリカとキューバが友好関係にあれば、グアンタナモも返還されていたのでしょうが、革命後の対立関係からしてアメリカが手放すことはありません。租借のきっかけは、1898年の米西戦争の際、アメリカ軍がスペイン領だったキューバを制圧したことにあります。米西戦争は、落ち目のスペインに、国内のフロンティアを終え、海外へ目を向け始めたアメリカのエゴが襲いかかった植民地戦争です。フィリピンとキューバが主な戦場となりました。1898年、ハバナ湾でアメリカの戦艦メイン号が爆発します。販売競争を繰り広げるアメリカの新聞が、スペインの仕業だというデマを流し、それがトリガーとなって戦端が切られます。その際の”Remember the Maine”というスローガンは、後に太平洋戦争で”Remember Pearl Harbor”として再び利用されることになります。
その後、アメリカの支援を受けてスペインから独立したキューバ政府が、グアンタナモの永久租借を認めます。アメリカは租借料として毎年金貨2,000枚(約4,000米ドル)を支払いました。キューバ革命後、カストロは一度だけ租借料を受け取りますが、以降は拒否し、グアンタナモ返還を求めます。1962年に勃発したキューバ危機の際、グアンタナモ海軍基地は、最前線として兵員・装備ともに強化されています。1964年には、カストロがグアンタナモへの水の供給を絶つという強行策に打って出ますが、アメリカは海水の淡水化プラントを建設して、これをしのぎます。近年、グアンタナモは、アフガンやイラクでテロへの関与が疑われて拘束された人々の収容キャンプとして注目を集めました。国内法や国際法の制約を受けないグレー・ゾーンの収容所とされています。
租借地における統治のあり方は、租借契約によって異なるようです。グアンタナモの場合、アメリカが完全なる管轄と統治権を確保しているようです。キューバ法の対象外ですが、かといってアメリカの領土ではないのでアメリカ法の対象でもありません。つまり、法律としてはアメリカ海軍の軍法しかないということになります。人権保護の傘から外された中東の収容者たちは、拘束の法的根拠もないまま、拷問を受けることになりました。もし捕虜としての拘束であれば、ジュネーブ条約によって守られますが、アメリカは捕虜ではない、犯罪者であるという立場をとります。犯罪者だとしても、中東で逮捕・拘束し、キューバへ移送・収容する法的根拠などありません。的確な表現をするとすれば、拉致・監禁ということになるのだろうと思います。
グアンタナモ湾収容キャンプは、2002年に開設されています。2001年の同時多発テロを受け、ジョージ・W・ブッシュ大統領はアフガニスタン侵攻を即断します。同時に、大統領は、イラク・イラン・北朝鮮を大量破壊兵器を保有する”悪の枢軸”と批判し、2003年にイラク戦争が始まります。しかし、制圧したイラクに大量破壊兵器は見つかりませんでした。同時多発テロ翌日から、大統領とラムズフェルド国防長官が、イラク攻撃をほのめかしていたことが、後日、判明します。大統領は、国民感情からしてテロの報復を急ぐ必要がありました。十分な情報がないなかで、石油利権を含む歴史的経緯からイラクが生け贄として選ばれたとしか思えません。大統領には、情報を得るために拷問を行う場所が必要だったわけです。当然、収容所は、国内外内から批判され、民主党のオバマ、バイデン両大統領は収容所閉鎖を指示します。ところが、共和党の強い反対によって実現されていません。(写真出典:nbcnews.com)






