けんちん汁は、精進料理の定番であり、家庭料理としても広まっています。大根、人参、ゴボウ、里芋、こんにゃく、豆腐を胡麻油で炒め、昆布や椎茸の出汁で煮込んで醤油で味付けをします。農水省の100年フードでは、神奈川県の郷土料理とされています。寒い地方の料理と思っていたので、やや意外な印象を受けますが、実は、けんちん汁の発祥が関わっていました。鎌倉の建⻑寺を開いた蘭渓道隆禅師が、けんちん汁を考案したとされているのです。よって、建長汁と書き、なまってけんちん汁になったとされます。蘭渓道隆は、1246年に中国から渡来して臨済宗を広めたとされます。北条時頼の依頼を受けて建長寺を開山しました。往時、中国から来日した僧たちは、まずは建長寺に身を寄せたものだそうです。けんちん汁も中国渡来と言っていいのでしょう。
しかし、これは俗説であって、本来は、中国伝来の普茶料理や卓袱料理の一品「巻繊(けんちん)」に由来するという説があります。巻繊は、根菜類、椎茸、豆腐や麩を繊切りにし、油と醤油で炒め、湯葉や油揚げで巻いて揚げた料理です。普茶料理は、黄檗宗を開いた隠元禅師が中国からもたらした精進料理です。なかでもゴマ豆腐は有名です。ゴマ油を使った調理法は普茶料理から始まったとされています。卓袱料理は、長崎で生まれた和洋中がミックスされた料理です。巻繊は、炒めた野菜を包まずに食すスタイルも生まれ、それを汁の具材としたけんちん汁が考案されたというわけです。普茶も卓袱も江戸初期の誕生とされますので、建長寺説よりも時代は下ります。ただ、ゴマ油を使う料理が伝わった時期からして、けんちん汁の建長寺発祥説には無理があります。
思えば、日本は、中国伝来の食材や料理であふれています。中世までの伝来に大きな役割を担ったのは、遣唐使、留学僧、そして渡来僧ということになります。仏教僧がもたらした食材や食事は、布教活動とともに全国に広がり、定着していったわけです。古くは鑑真が伝えた砂糖などが有名ですが、隠元禅師がもたらしたものはとりわけ大きかったように思います。普茶料理だけでなく、煎茶の製法と飲み方を伝え煎茶道の開祖ともなっています。また、その名を残すインゲン豆、スイカ、モヤシなどの食材も持ち込んでいます。また、木魚、テーブルと椅子、明朝体文字等も隠元禅師が伝えたとされます。とりわけ、ゴマ油で炒める手法を伝えたことは、その後の和食の文化に大きな影響を与えたと言えます。けんちん汁は、隠元汁と呼んでもいいくらいだと思います。
ところで、志な乃のけんちん汁をいただく際には、なぜ美味しいのか、いつも考えていました。隠し味としてカレー粉、あるいはクミンが使われているのではないかと思ったこともあります。しかし、本当のところは、使っているゴマ油が特別だったのではないでしょうか。日本のごまは、99.9%が、アフリカと南米からの輸入に頼っています。ゴマの収穫や選別は機械化することが困難であり、結果、人手がかかりすぎることが要因とされます。国内産としては、鹿児島県の喜界島のものが有名ですが、長野県も黒ごまの産地として知られます。志な乃という店名からして、長野県にゆかりがあり、希少な黒ごまの油を入手できていたのではないかと想像します。店の人に聞いておけば良かったな、と思います。(写真出典:sirogohan.com)





