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| 名手エディ・カマエ |
ウクレレも老後の趣味の典型の一つだと思います。長続きしなかった人を2人ばかり知っています。カメラもウクレレも簡単そうに見えるのでしょう。ウクレレは、小型で4弦だけなので扱いやすく、かつ、のんびりとしたムードのハワイアンゆえ無理なく弾けると思うのでしょうが、小型な楽器ほど、扱いも難しくなるものです。間口が広ければ、奥行きも深いと思うべきです。いずれも表現手段ですから、表現する欲求と表現したい対象がなければ、まったく無意味だと思います。ウクレレをあきらめた知人の1人は、多少は続きましたが、その理由は、フラダンスの先生でもある女性講師が魅力的だったからと聞きました。動機は不純なほど長続きするものですが、ひょっとすると、講師がきれいに見えたのは、彼女がハワイの文化を体現していたからかもしれません。
ウクレレの起源は、19世紀後半、ポルトガル移民が持ち込んだブラギーニャだとされます。ウクレレは、ハワイ語で”飛び跳ねるノミ”を指します。細かな指使いに由来するのでしょう。19世紀のハワイでは、社会、文化、そして音楽が大きく変わります。1795年、西洋の銃を手に入れたカメハメハ1世がハワイを統一し、ハワイ王国を建国します。西洋からの移民や文化の流入が始まります。1874年に選挙で国王になったカラカウアは、廃れていた伝統芸能の復活に努めます。その妹で最後の王となったリリウオカラニは音楽の才能に恵まれていたこともあり、その治世下で西洋音楽を取り入れたハワイアン・ミュージックが形成されていくことになります。ウクレレのみならず、ハワイ発祥のスティール・ギターやスラック・キー・ギターも、この時代に生まれています。
20世紀初頭になると、ハワイ音楽は世界的ブームになります。1915年にサンフランシスコで開催されたパナマ・パシフィック国際博覧会での演奏がきっかけの一つになったようです。ハワイの音楽は、地元観光でも欠かせない存在となり、ハワイに赴任した多くの米軍兵士たちが広めたとも言われます。ハワイ移民の多かった日本でも、日系2世のスティール・ギター奏者バッキー白片がハワイアンを広げたとされます。敗戦後も、進駐してきた米兵がもたらしたハワイアンは大ブームとなっています。アメリカ本土でも日本でも、ハワイは憧れの島です。アメリカ資本がリゾート化したという背景もありますが、そもそも気候風土が魅力的だったと言えます。そして、ピースフルなハワイアン・ミュージックと文化が人々を惹きつけてきたことも大きな要因なのでしょう。
南北アメリカの大西洋岸では、西洋音楽と西アフリカ音楽が融合して、サンバ、ソンやカリプソ、そしてジャズが生まれています。実は、太平洋の真ん中でも、西洋音楽とハワイの伝統音楽が融合してハワイアン・ミュージックが生まれていたわけです。余談ですが、ポルトガルからブラジルに渡ったブラギーニャは、スティール弦のカヴァキーニョとなり、今でもサンバやショーロに欠かせない楽器になっています。また、インドネシアに伝わったものは、クロンチョ音楽のチャッ・チュッという3弦の小型ギターになりました。あらためて、大航海時代を切り開いたポルトガルの影響力には感心させられます。ちなみに、ハワイ風ドーナッツのマラサダも、ポルトガル移民がハワイに持ち込んだものです。(写真出典:eddiekamaesongbook.org)






