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| 能楽「鉢木」 |
実は、この言葉は能楽に由来するとされています。謡曲「鉢木」が上演されると評判を取り、浄瑠璃や読本に取り上げられ、明治以降は教科書にも載るほど好まれることになりました。大雪の夜、旅僧が一軒の家に宿を求めます。その家は貧しく、暖を取る薪も無かったので、主人は大事にしていた鉢木(盆栽)を切って燃やします。主人の佐野源左衛門常世は、領地を騙し取られ極貧の生活を送っていますが、”いざ鎌倉”という時に備え、くたびれた鎧、錆びた薙刀、痩せた馬だけは残していました。後日、幕府の号令がかかり、ドタドタながら鎌倉に駆けつけた常世でしたが、本陣に呼び出されます。上座に座っていたのは、あの日の旅僧でした。その正体は、僧の姿で世情を視察していた北条時頼でした。常世は、その姿勢が高く評価され、領地を安堵されます。
シンデレラ型サクセス・ストーリーの傑作だと思います。作者は、観阿弥、あるいは世阿弥という説もありますが、証跡がなく、作者不詳とされています。厳しい環境にあっても、誠実であり続ければ、いつか報われる、という教訓が語られています。さらに言えば、御恩と奉公で構成された武士社会の忠義、滅私奉公といった価値観を、端的に現わしているとも言えます。滅私奉公の精神は、軍国主義下、そして戦後の高度成長期へと受け継がれていきます。入社間もない頃、先輩たちは、夜10時まで働き、その後は皆で飲みに行き、帰宅するのは真夜中過ぎ。そして翌朝、満員電車に押し込まれ、再び会社へという生活を送っていたものです。家族を犠牲にして奉公した企業戦士たちの努力は、マイホーム、マイカー、家電などで報われたということなのでしょう。
その後、低成長の時代を迎えると、企業は従業員に等しく報いることが出来なくなり、滅私奉公という言葉は、全体主義的な色の濃い過去の遺物として批判され、消えていきます。企業の人事制度は、年功序列から能力主義、さらには実績主義へと変わっていきました。佐野源左衛門常世の忠義は、企業にチーム・プレイが求められる限り、今でも賞賛されることになります。ただ、戦場で実績を挙げない限り、常世の領地が安堵されることはありません。単一市場が拡大する成長期には、滅私奉公に代表される画一主義が企業の大きな推進力となります。しかし、新たな市場自体を開発していかざるを得ない状況下では、画一主義は機能しないどころか、ブレーキになる可能性すらあります。とは言え、鉢木の精神が染みこんだ日本人は、なかなか個人主義的にはなれない面がありました。近年に至り、ようよう若い世代に変化が見えてきたように思います。
「鉢木」の原典は、文献上、見つからず、フィクションだろうとされています。北条時頼が出家したことは事実ですが、全国行脚したという記録は確認されていません。時頼は、北条得宗家の独裁を確立した辣腕の執権でしたが、一方では信心深く、御家人や庶民に対しては善政を敷いたことでも知られます。時頼に対する世間の評判が良かったことも、鉢木成立の背景にあったのでしょう。水戸黄門の全国行脚も完璧なフィクションですが、鉢木が創作のヒントになっているのではないでしょうか。佐野源左衛門常世の存在も、確認されていません。ただ、栃木県佐野市には墓と伝承が残っています。伝承によれば、常世は、家来たちを叱咤激励しながら激流を渡る際、家来ともども流されて死んだとされているようです。なにやら、企業文化における滅私奉公の死につながるものを感じます。(写真出典:cte.jp)






