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| グラバー |
武器の生産や販売は、国家や国際法によって厳密に管理されています。ただ、需要と供給がある限り、闇取引は無くなりません。近年、最も有名な武器商人と言えば、映画のモデルにもなったロシアのビクトル・ボウトなのでしょう。ソ連の軍人だったたボウトは、ソ連崩壊後、東欧からアフリカや中東への武器密輸を始めます。2008年、米国のおとり捜査によってタイで逮捕され、米国内の刑務所に収監されます。しかし、2022年、麻薬所持でロシアに拘留されていたバスケット選手ブリトニー・グライナーとの囚人交換でボウトはロシアに帰国します。ボウトは、ロシアの情報機関と連携していたとされますが、事実なのでしょう。ロシア帰国後は地方議員になりますが、2024年、イエメンのフーシ派への武器密輸に関係していると報道されています。
日本初の武器商人は、安土桃山時代の堺の豪商・今井宗久とされます。千利休、津田宗及と並ぶ茶道の天下三宗匠の一人でもあります。織田信長の信頼を得て、天下一の豪商になったことで知られます。今井宗久は、鉄砲、弾薬、刀剣等を商っていたわけですが、あまり死の商人というイメージはありません。今井宗久が茶人だったからか、闇取引ではなかったからか、あるいは紛争拡大を画策し売上を伸ばそうとしたようには見えないからかもしれません。 日本で活躍した武器商人のなかで、死の商人とも言えそうなのが、スコットランド人のトーマス・ブレーク・グラバーではないかと思います。グラバーは、造船・採炭・製茶貿易を通じて、日本の近代化に貢献したことで知られます。また、言うまでもなく、その屋敷跡は長崎の観光名所でもあります。
グラバーは、艦艇や武器の輸入を行ったことでも知られます。薩長とも幕府とも取引をしていますが、戊辰戦争における薩長側の武器の7割がグラバーによって供給されたとも言われます。そもそも戊辰戦争の必要性に関しては議論のあるところです。後付けの理由は様々あるにしても、薩長が抱き続けた関ケ原の恨みは根強いものでした。これを大きな商機とみたグラバーが、陰に日向に開戦を煽ったとも言われます。グラバー商会は、アヘン貿易で財を成した香港のジャーディン・マセソン社の代理店でした。英国は、内戦の混乱に乗じて日本を植民地化するというねらいを持っていたともされます。また、坂本龍馬を暗殺したのは見廻組なのでしょうが、グラバーが黒幕という説もあります。公武合体を唱え始めた坂本龍馬は開戦の妨げになりかねなかったからです。
戊辰戦争が1年という短期間で収束したことは、グラバーと英国にとっては大きな誤算でした。薩長には錦の御旗があり、徳川慶喜には戦う意志がなく早々に降伏したことが主な要因だと思います。必然性に欠ける内戦だったからかもしれません。また、グラバーが薩長に供給した最新の武器が威力を発揮したとも言えそうです。しかし、戊辰戦争直後、武器が余り、売掛金の回収が滞ったことからグラバー商会は倒産しています。グラバーも、今井宗久と同じく、死の商人と呼ばれることはありません。肩入れした薩長が勝利したからとも言えますが、内乱が早期に終結したことも大きな要因だと思います。しかし、グラバーの実態は、その後に現れる死の商人たちとなんら変わるところがないように思えます。(写真出典:serai.jp)






