2026年9月7日月曜日

仁川

仁川港
東京への人口集中は頭の痛い問題であり、首都移転が議論され、一部官庁の地方移転も行われています。大都市圏への人口集中は、世界中、どこでも起こっている現象です。経済や文化の格差の存在、官庁、有名大学、大企業の集中が、その背景にあります。なかでも激しいのは韓国だと思われます。日本では人口の約3割が首都圏に集中しています。対して、韓国では人口の約半分がソウル首都圏に集まっています。日本との違いを生んでいる最大の理由は財閥にあると思います。韓国では、財閥系企業グループが、GDPの8割を占めています。韓国では経済成長のために財閥を保護育成する政策を採ってきたことが背景にあります。

財閥は、思い切った経営判断や資本の集中投下といった利点もありますが、経済格差、学歴社会、地域格差等を生みやすいという問題もあります。韓国の場合、儒学の影響や科挙の歴史が、こうした問題を助長している面もあります。ソウル市への人口集中に関しては、1990年代からドーナツ化現象も進行しているようです。不動産の高騰が背景にあるのでしょう。ソウル市からの脱出先の一つが仁川市ということになります。漁村だった仁川はソウルの外港でもありました。韓国の経済成長とともに港湾機能も拡張され、2001年には仁川国際空港もオープンしました。また、同時に首都圏電鉄の各路線でソウルに直結されたことからベッドタウンとしての役割も担うようになります。人口300万人は韓国第3位ですが、釜山を抜くのは時間の問題とも言われます。

かつて、仁川といえば、朝鮮戦争時、マッカーサー元帥によって敢行された仁川上陸作戦で有名でした。干満差の激しい仁川湾での上陸作戦は、成功確率1/5000という実に危うい作戦でした。これを成功させたマッカーサーは、北朝鮮軍を中国国境の鴨緑江まで追い詰めます。世界の軍事史に残るほど見事な成功だったと言えます。近年、仁川といえば、国際空港ということになるのでしょう。かつて韓国の玄関口と言えば、金浦空港でした。ソウル中心部に近くて便利ですが、経済成長とともに手狭になり、2001年、アジア有数のハブ空港として仁川国際空港がオープンしました。ハブ機能に着目したランキングによれば、仁川空港は、クアラルンプール空港に次いでアジア第2位になっています。以降、羽田、シンガポール・チャンギ、スワンナプーム(タイ)と続きます。

近年の仁川を象徴しているのは、埋立地に築かれた広大なインダストリアル・パークです。港湾・空港・高速道路・鉄道が集中する利便性の高さが特徴です。東京ドーム約205個分の敷地に8,000社が集中する南洞国家産業団地、先端技術系が集まる松島国際都市などが有名です。仕事で松島国際都市に滞在したことがありますが、広い敷地には、高級ホテルや高級ゴルフ・クラブもありました。一つ気になることがありました。仁川上陸作戦を危険な賭にしていた大きな干満差という環境は変わらないわけですから、大型船が出入りする国際貿易港としては不適なのではないかということです。聞けば、仁川港は十分な対策が施されていました。アジア最大の閘門です。ドック式水門、ポート・ロック・ゲートとも呼ばれる巨大な水門で、港全体の水位を保っているわけです。

閘門など聞いたこともなかったので驚きました。実は、日本にも一つだけ閘門がありました。干満差5mという有明海に面した大牟田の三池港です。石炭の積み出しのために、1901年、5年の歳月をかけて建設されています。仁川港閘門は。日本統治下にあった1918年に完成しています。三池港の経験が活かされたということなのでしょう。漢江の奇跡と言われた経済成長が始まると、仁川は国際貿易港としての役割が求められます。1974年、5万トン級の船舶が通過できるアジア最大の大型閘門が完成します。仁川港はもともと中国貿易の拠点でしたが、国際貿易港としても、釜山港に次ぐ韓国第2位の港になりました。韓国にとって、35年間に渡った日本統治が屈辱だったことは理解できます。ただ、日本が残した港湾、鉄道といったインフラ、あるいは教育や行政制度等が、その後の韓国の発展に寄与したことも事実ではあります。(写真出典:tradlinx.com)

2026年9月5日土曜日

おかめさん

千本釈迦堂おかめ像
大報恩寺は、京都上京区、西陣界隈にあり、千本釈迦堂とも呼ばれます。6世紀末、用明天皇開基とされますが、その後廃れ、13世紀、求法上人義空によって再興されました。往時は天皇の御願寺でもあったようです。現在は、真言宗智山派の寺となっています。千本釈迦堂の千本は何を意味するのかについては諸説あるようですが、恐らく、近くに千本通が通っているからなのだと思います。千本通は、平安京の朱雀大路の跡とされ、正面に船岡山が見えます。かつて、船岡山の麓には埋葬地があり、沿道に千本の卒塔婆を建てて供養したことから千本通と呼ばれるようになったようです。また、何かと伝説の多い日蔵が、地獄へ落ちた醍醐天皇と夢の中で会い、自分を救うために千本の卒塔婆を建ててくれと懇願されたという話も残されています。

千本釈迦堂には、2点の国宝と7点の重要文化財があります。国宝2点は、本堂(釈迦堂)、そして肥後定慶作とされる六観音菩薩像となります。重要文化財のなかには、かつて、北野天満宮内にあった北野経王堂が所蔵していた行快の仏像や一切経も含まれます。ご本尊である行快作の釈迦如来坐像は秘仏とされますが、毎年、ご開帳されているようです。国宝の本堂は、1227年の建立ですが、以来、一度も消失しておらず、洛中では最古の現存建造物とされます。戦渦や火災に見舞われることが少なくない寺院にあっては、奇跡とも言えます。京都中が廃墟となった応仁の乱の際にも、千本釈迦堂は、細川勝元の東軍、 山名宗全の西軍、いずれからも崇敬され、火災を免れたと言います。その本堂建立については、有名な”おかめさん”の伝承が残されています。

大工の棟梁が貴重な柱を誤って切ってしまいます。絶望する棟梁の姿を見た妻のおかめさんが、斗組を使いなさいと助言します。おかめさんは、そのアイデアを仏から授かったとされます。斗組とは、柱の上部で上からの重みを支えるために組み合わせた部材です。斗組を使った棟梁は、無事に上棟式を迎えることができました。しかし、女の入知恵で面目を立てたとあっては棟梁の沽券に関わると悔んだおかめさんは、上棟式を前に自害してしまいます。棟梁は、おかめさんを供養するために”おかめ塚”を建て、上部におたふくの面を飾った扇御幣を奉納したといいいます。その後、千本釈迦堂が一度も焼失しなかったことから、おかめさんが守ってくれているという評判がたちます。今でも京都の上棟式にはおかめさんの扇御幣は欠かせない縁起物になっているようです。

おかめ、おたふく、おふく等と呼ばれる仮面は、古くから日本の神楽や芸能で親しまれてきました。その起源とされるのは、日本神話のなかで、滑稽な踊りを披露し、天照大御神を岩戸からおびき出したという天鈿女命(アメノウズメ)です。ふくよかなおたふく顔は、平安期まで美人の典型だったとされます。神事・芸能で使われる福面は、室町期あたりから登場したようです。丸顔、低い鼻、大きな頬は、福をもたらし、邪悪なものを遠ざける縁起物として人気を博します。一方、室町末期あたりからは、滑稽さもある醜女の象徴になっていきます。公家文化から武家文化が支配的になるなかで、美人観も変わったのかもしれません。武家の娘は、武芸の鍛錬もしたようですから、キリッとした顔立ちが好まれるようになったということなのかもしれません。

おたふくの面と対になることが多い”ひょっとこ”の面も、同じ頃に登場したようです。火を吹く男が転じてひょっとこになったとされます。この組合せは夫婦和合の象徴ともされますが、滑稽な踊りで人々を笑わせてきました。いずれにしても、千本釈迦堂のおかめさんの話は、おたふくの面が一般化するかなり前の話ということになります。よって、おかめさんは、おたふくのモデルともルーツとも言われます。庶民文化のことゆえ、その関係ははっきりしていません。近年、コンプライアンスの観点から、女性の容姿に関わる発言も御法度に近いものがあります。おたふくは、差別用語とも禁止用語ともされていないようです。ただ、招福、魔除けに御利益があるおたふくとは言え、醜女の象徴という面も持っていることから、ルッキズムの観点からすれば、比喩的に使うことはアウトなのでしょう。(写真出典:tripadvisor.jp)

2026年9月3日木曜日

マグノリア

春に咲く木蓮は大好きな花です。大ぶりな花の形がハスに似ていることから木蓮と名付けられたと聞きます。白木蓮、紫木蓮が多いのでしょうが、私は緋木蓮が好きです。木蓮は、英語でMagnolia(マグノリア)と言います。フランスの植物学者の名前に由来すると聞きます。ポール・トーマス・アンダーソン(PTA)監督の初期の作品にも「マグノリア」と題された映画があります。PTAの映画で観たことがなかった唯一の作品です。今般、ネットで初めて観ることができました。ロバート・アルトマン的な群像劇は、3時間8分という長尺な映画になっています。PTAの故郷でもあるLA北西部のサンフェルナンド・ヴァレーを舞台に、木蓮の花弁の数に合わせた6人の物語が同時進行していきます。

マグノリアは、PTAの長編3作目、29歳の時の作品です。前作「ブギー・ナイツ」の大ヒットを受けて、制作会社から好きに撮っていいと言われて制作したとされます。そのせいか、思いが溢れすぎて、やや粗削りな出来になっている面もありますが、その画面からは才能と勢いがほとばしっています。点数をつけるなら、☆☆☆☆ーといったところでしょうが、印象に残る好きな映画です。そもそも群像劇は好むところです。群像劇成功のポイントは、それぞれのエピソードがエッジの効いたスケッチになっていること、そしてエピソードの切替えをスピーディに展開することだと思います。そして、ラストで全てのエピソードが一つにつながりカタルシスが生まれるところが群像劇の醍醐味です。マグノリアでは、そのあたりのツボがしっかりと押さえられています。

 PTAの映画は、複雑な家庭環境を題材とする傾向があります。マグノリアも同じなのですが、本作は父親がクローズアップされているように思います。ガンの妻と看病する息子を捨てた父親、クイズ番組の天才少年を搾取する父親、娘に不適切な行為をした父親、そしてその犠牲者である子供たちが描かれます。彼らにからむのは、金目当てで結婚したことを今さら恥じる女、クイズ番組の天才少年としてもてはやされて自分を見失った男、そして愚直がゆえに生きにくい人生を送る警察官です。信心深く愚鈍な警察官はアメリカの良心であり、彼以外は家族崩壊と孤独というアメリカの病を体現しているのでしょう。アルトマンの「ナッシュビル」は崩壊するアメリカの社会を描きました。PTAのマグノリアは、苦悩する現代のアメリカ人にフォーカスしています。

マグノリアにおけるPTAの最も秀逸な着想は、天から降ってくる大量のカエルだと思います。映画冒頭の不思議な3つのエピソードがここで生きてきます。不思議な事は起こるものだ、それが人生だというわけです。PTAは、異常現象作家のチャールズ・フォートの本から着想を得たようです。空から異物が降ってくる現象は、ファフロツキーズと呼ばれますが、古くから世界中で目撃されてきたようです。かつては神の御業とされたのでしょうが、現代では竜巻や強風が原因とも、鳥が餌を落とす現象とも言われます。PTAは、これをドラマを収束させるきっかけとして使います。その着想力には驚かされます。全ての人々が、ある意味、平等に、不思議な現象に見舞われ、それを機に明日への希望のようなものを見出していきます。”life goes on”というわけです。

PTAの映画は、一定のテンションとスピード感が見事に持続されることも特徴の一つです。ダレることがないので、観客は長い映画も苦になりません。才能やセンスの成せる技なのだと思います。それを支えているのが音楽です。マグノリアの音楽は、ジョン・ブリオンが担当しています。加えて、シンガー・ソング・ライターのエイミー・マンの楽曲が効果的に使われています。マグノリアは、PTAが彼女の曲にインスパイアされて生まれたとも聞きます。マグノリアには、主人公たちが、それぞれに彼女の楽曲「Wise Up」を歌うという愛らしいシーンまであります。これも実に秀逸なアイデアだったと思います。エイミー・マンは、文学的に、皮肉っぽくアメリカの現実を歌う人です。最適な音楽を見つけるのも、PTAの優れた才能の一つなのでしょう。(写真出典:amazon.co.jp)

2026年9月1日火曜日

神祇官

伊勢神宮
神祇官は、律令体制下の官庁組織である”二官八省”のトップとして、太政官の上に置かれました。ただ、神祇官トップの官位が太政官より下だったことからして、祭政一致の象徴としての存在であったことがうかがえます。律令制は、中国の隋唐に倣って作られますが、興味深いことに神祇官は日本独自の官制です。もっとも、中国で祭政一致が行われてたとされるのは殷代であり、隋唐時代からすれば、古代、ないしは神話時代の話となります。神祇官は、朝廷の祭祀を司るとともに各地の神社を総轄していました。宮中で行われる祭祀を担当するところまでは分かりますが、なぜ全国の神社を管理する必要があったのかについては、やや分かりにくい面もあります。

律令制は、天皇を中心とした中央集権化を図る取組でした。645年の大化の改新に始まり、701年の大宝律令によって完成しました。逆に言えば、それまでの日本は部族連合国家としての性格が強かったということです。律令体制の構築とは、単に法的整備を行うということではなく、ヤマト王権が各地の豪族を支配下に置き、従わせたということでもあります。天孫家は、支配拡大のために、武力一辺倒ではなく、策略、謀略、懐柔策なども繰り出します。その視野の広さが天孫家成功の大きな要因だったと考えます。支配した各豪族の神々を、天孫家の神である天照大神を頂点とするヒエラルキーに組み込むことも重要な取組と認識していたのでしょう。祭政一致の朝廷が、神を畏れることは当然と言えますが、人心掌握の術だったとも理解できます。

現在の神社の数は、宗教法人化されているものだけで8万を超え、小さな祠まで入れると20万を超すと言われます。神祇官が管理したのは、全ての神社ではなく、天孫家に関わりの深い神社、あるいは他の有力な神社に限られます。10世紀に書かれた律令の施行細則である「延喜式」には、神祇官が管理する神社名が掲げられています。延喜式神名帳と呼ばれるリストに記載されている神社は2,861社あります。後に、これらの神社は“式内社”と呼ばれることになります。さらに式内社には、神祇官から奉幣を受ける官幣社と国司から受ける国幣社があり、さらに、それぞれが大小に区分されています。エヒラルキーは組織化の基本です。この区分が、日本の神社の社格の基準となります。なお、式外社でも、石清水八幡宮などは国史見在社として重視されたようです。

律令制が崩壊すると、神祇官も姿を消します。以降、しばらくの間、神社は国家の管理から離れることになります。その間にも、二十二社、一宮、総社など、神社を巡る慣例が生まれ、社格の再整理も行われていきます。そして、明治期、王政復古が唱えられると、千年の時を経て、再び神祇官が設けられ、神社は国家の管理下に置かれることになりました。復活した神祇官ですが、幾度も組織変更がなされます。1940年には、内務省外局の神祇院という小規模な組織となり、敗戦を迎えます。神祇官には、国学者たちの祭政一致への回帰という夢が託されていました。しかし、薩長政府は、速やかな中央集権化のために天皇を利用したのであって、富国強兵、不平等条約改正を目指した近代化路線を邁進します。時代錯誤的な祭政一致など相容れるわけもありません。

敗戦後、GHQのいわゆる神道指令によって、国家神道が否定され、神祇院も廃止されます。ただ、GHQは、神社を破壊することはありませんでした。残った全国の神社の管轄は神社本庁に移ることになります。神社本庁は、国の組織と誤解されがちですが、完全な民間の宗教法人です。伊勢神宮を頂点として、主要な神社7万8千社を傘下に収めます。ただ、靖国神社、富岡八幡宮、鶴岡八幡宮、日光東照宮、伏見稲荷大社、出雲大神宮、金刀比羅宮等は、方向性の違いなどから神社本庁に参加していません。社格に関しては、明治期、律令制に倣った近代社格制度が作られましたが、神社本庁には社格に関する規定はありません。ただ、特別な取り扱いが必要とされる別表神社という規定があり、旧官国弊社を中心に350社余りが掲げられています。(写真出典:isejingu.or.jp)

2026年8月30日日曜日

ベーグル

家の近くに、新しくベーグル専門店がオープンしました。食べてみると、フワフワとした食感が特徴的でした。いかにも日本的で今日的だと思いました。しかし、これをベーグルと呼ぶことには抵抗を感じます。私が知っているNYのベーグルは、中身がぎっちり詰まって重たい、実に無粋で田舎くさい代物です。その素朴さがベーグルの魅力なのだと思っています。NY時代に住んでいたスカースデイル村はユダヤ系の多いコミュニティであり、駅の近くにはユダヤ人家族が営むベーグル屋がありました。たまに買って、たっぷりのクリームチーズとスモークサーモンを乗せたNY名物ロックスを食べたものです。 

日本でベーグルが人気になったのは、15~20年前のことだと記憶します。その時にも、日本的な軽さに違和感を覚えました。それなりに美味しかったのでしょうが、買うことはありませんでした。しばらくすると、ベーグル屋の数は激減します。なんでもブームになり、すぐに廃れるという実に日本らしい現象でした。ブームが去った理由をネットで調べると、固さが不評だったというのです。まったく理解できない理由です。それがベーグルであり、焼きたてでなければ、オーブン・トースターで熱してから食べればいいだけのことです。ところが、最近、またベーグルがブームになっているようです。そのきっかけは、フワフワとした韓国式ベーグルだと聞きました。

ベーグルは、17世紀の東欧ユダヤ人社会が発祥とされます。小麦粉、水、塩を煉ってリング状にし、焼く前にお湯で茹でる(ケトリング)パンです。表面はパリッとし、中はもっちりとした固い食感が特徴です。バター、卵、牛乳を使わないため脂質が少なく、低カロリーで高タンパクということになります。これがヘルシーだと言われる所以であり、日本や韓国で、若い女性を中心にブームになっている背景でもあります。玄米やオートミール人気と同じ理由です。恐らく、日本や韓国では、乳製品を使わないパンをベーグルと呼んでいるのではないでしょうか。ヘルシーと言いますが、もともとはアシュケナージ(東欧系ユダヤ人)の厳しい環境から生まれた貧しい製パン法だと思います。堅いのでよく噛む必要があり、それで空腹を満たしていた面もあるのでしょう。

ベーグルに、バター、卵、牛乳が使われない理由は、17世紀の東欧で起こったハシディズム、超正統派ユダヤ教と関係があるという説もあります。ユダヤ教の聖典に基づく食事規定(カシュルート、コーシャー)では、ミルクも鶏卵も食べることはできますが、その取り扱いには厳密な規律があります。それがハシディズムにおいては、さらに厳密な取り扱いが求められ、パン屋がパンを焼く工程では対応しきれなかったため、ミルクも卵も使わなくなったというのです。ありそうな話だと思います。ベーグルのもう一つの特徴である生地を茹でる工程に関しては、13世紀、ポーランド公国の首都クラクフで行われたキリスト教徒によるユダヤ教差別から生まれたという説があります。ちなみにクラクフはベーグル発祥の地とされています。

ポーランド公国のユダヤ人は、パンを焼くことを禁じられたのです。キリスト教徒の聖餐を汚させないという理由でした。ムチャクチャな理由ですが、ユダヤ教徒を迫害するのに理由などどうでもよかったのでしょう。一神教の恐ろしさです。そして、真実かどうかは分かりませんが、ここで茹でるという発想が生まれたという説があるのです。パンを焼くなという禁令は緩和されますが、後にポーランドの司教たちは、キリスト教徒がユダヤ人からパンを買うことを禁じています。いずれにしても、ベーグルは、ユダヤ人迫害の歴史のなかで生まれたと言ってもいいのでしょう。ユダヤ人が、今でも素朴に過ぎるベーグルを食べ続けている理由は、民族の厳しい過去を忘れないためでもあるのかもしれません。(写真出典:ja.wikipedia.org)

2026年8月28日金曜日

綾鼓

映画「敵」
俺たちの姿を描いているから映画「敵」を見ろと、昨年、知人から言われました。ただ、さほど興味も沸かないので、見ていませんでした。過日、暇だったのでネットの配信で見てみました。吉田大八監督の「敵」(2025)は、2024年の東京国際映画祭でグランプリを受賞しています。正直なところ、これがグランプリかよ、と思いました。実に筒井康隆らしいショート・ショート的プロットですが、結局のところ、老人あるあるを描きたかっただけなのかなと思いました。それなら、老人にとって目新しさはありません。あるあるの一つとして、若い女性に金をだまし取られる、いわゆるロマンス詐欺的なモティーフも盛り込まれていました。 

死んだ先輩からLINEが来たことがあります。ビックリしました。気味が悪いとも思いました。ただ、解約された電話番号が使い回されたのだろうと思い、無視しました。先日、再び、その先輩からLINEが来ました。無視していると、”友達登録されているようですが、会ったことがあるのでしょうか?”とメッセージが来ました。不安に思っているなら申し訳ないと思い”死んだ先輩の番号です”と返信しました。すると、”そうでしたか。私は日本人とマレーシア人のハーフで神戸に住む25歳の独身女性です。何かの縁ですから、少しやりとりをしませんか?”と返ってきました。なるほど、これがロマンス詐欺かと思い、先輩の番号も含め、全て削除しました。若い人ならいざ知らず、知らない人とLINEでやりとりするなど、老人の常識からすれば、あり得ません。

ロマンス詐欺はSNSを利用した新しい手口ですが、犯罪としては昔から絶えることなく続いてきました。美人局やハニー・トラップはじめ様々な手口があるのでしょうが、基本的には恋心を食い物にする犯罪です。食欲・睡眠欲・性欲は、人間の三大欲求とされます。そういう意味では、犯罪のネタに事欠くことはありません。とりわけ老人の場合は、抑制力や認知力の衰えも重なり、だましやすいということになるのでしょう。犯罪がらみではありませんが、かつて、歌人・川田順の”老いらくの恋”という言葉が広く知られていました。川田は65歳のおり、27歳年下の門下生と不倫関係になり、「墓場に近く老いらくの恋は怖るる何ものもなし」と詠みます。恐れるものなしという心境は理解できぬでもありませんが、ややこしいことになるだろうとも思います。

能楽「綾鼓」は、御殿の女御に恋した庭師の老人がいたぶられる話です。作者は不明ですが、世阿弥以前に成立した曲とされます。老人の恋心を知った女御は、綾を張った鼓を木にかけ、その音が聞こえたら会いましょうと言います。布の鼓が鳴ることなどありません。必死に打っても鳴らないことに絶望した老人は、御殿の池に身を投げます。怨霊となった老人は池から現れ、女御を責めたてます。女御だけでなく、老人に対しても因果応報、自業自得を説いているように思います。冷静さを保っていれば、綾鼓が鳴らないことなど分かりそうなものです。鳴らないことは分かっていても、打ち続けるのは、老人にありがちな思い込みとも、執着心という深い業のようにも思えます。今でも綾鼓を打ち続ける老人が多いことには驚きますが、自業自得と言わざるを得ません。

歌人・川田順は興味深い人です。東京帝大卒業後、住友本社に入社して、経理畑を歩んだ後に常務理事にまでなっています。一方、歌人としても、天皇の指南役や歌会始の司会も務めるなど、頂点を極めた人だと言えます。老いらくの恋以前にも、川田は不倫騒動を起こしています。門下生との老いらくの恋でも、自殺未遂をするなど大騒ぎしていますが、結果的に二人は結婚しています。希代の歌人は、人並み優れた感受性を有する人でもあったのでしょう。老人の恋心を否定するものではありません。活き活きとした老後を送るうえでは有効だとも思います。しかし、それはあくまでも精神的なものであり、ブレーキとアクセルの踏み間違いをする前に、免許は返納すべきなのでしょう。(写真出典:eiga.com)

2026年8月26日水曜日

キールバーサ

私の貯蔵肉好きの原点は、母方の祖母が好きなクラコウ、そして函館のカール・レイモンのソーセージにあります。ですから、今でもカール・レイモンのクラコウは、超が付くほどの大好物です。クラコウは、19世紀、ポーランドのクラクフで生まれたソフトな食感のドライ・ソーセージです。豚肉に、塩、コショウ、ニンニク、コリアンダーなどを加え、広葉樹でスモークします。にんにくの風味を効かせ、食感を柔らかくするために脂肪分を多目に入れていることが特徴です。クラコウ発祥の地であるクラクフはポーランド第二の都市であり、かつてはポーランド王国の首都でもありました。歴史ある街は、世界遺産にも登録されています。

ポーランドは、ドイツと並ぶソーセージ自慢の国として知られます。ポーランドが、ソーセージ大国になった背景として、古くから養豚が盛んであること、そして燻製が普及していたことが挙げられます。食糧事情が悪かったポーランドでは、14世紀、王室が、肉類を長期保存するため燻製に取り組みます。それが庶民の間にも広がっていくことになりました。ポーランドは、自国をポルスカと呼びますが、語源は野原だと聞きます。平坦な国土は農業に適しているように思えますが、地表は大陸氷河の影響によって砂質の土壌に覆われています。やせた土地では作物の実りも乏しく、食糧の確保は極めて厳しかったわけです。従って、養豚や燻製は生きるために欠かせないものとなり、それがソーセージの文化を生んでいったと言えるのでしょう。なお、現在のポーランドは、土壌改良等の成果もあり、EUの食料庫と言われるほど農業生産は高まっています。

NYにいた頃、隣町にドイツ系の家族が経営する精肉店があり、美味しいソーセージも売っていました。たまに食べましたが、アメリカで最もよく食べたソーセージは、ヒルシャイア・ファーム社の”ポルスカ・キールバーサ”でした。手頃な価格でアメリカ中のスーパー・マーケットで買うことが出来ます。ヒルシャイアのキールバーサは、直系3~4cmで40cmほどの長さのソーセージをU字型に曲げて売られています。超粗挽きで脂肪分が多く、コショウやにんにく等のスパイスを効かせ、しっかりスモークされています。焼いたり、煮たりもしますが、調理済みなので、基本的にはそのまま食べていました。味がしっかりしているので、パンはもとよりおにぎりとの相性も抜群です。また、小腹が空いた時にもピッタリです。しかし、残念なことに日本では売っていません。

キールバーサとは、ポーランド語でソーセージ全般を意味すると聞きます。キールバーサは、もともと古スラブ語だったようです。ですから、ロシアのコルバサ、ウクライナのコウバサなど、東欧では似たような言葉が見受けられます。その語源は、テュルク語のプレスして灰の中で焼いた肉、あるいはユダヤ語の肉類全般だとされます。ちなみに、スラブ系以外のソーセージの呼称は、ラテン系とゲルマン系に別れます。ラテン語の塩を語源とするのは、フランス語のソシス、イタリア語のサルシッチャ等であり、ラテン語圏ではありませんが英語のソーセージもラテン語からの派生です。一方のゲルマン系は、ドイツ語のヴルストに代表され、ねじるという古ゲルマン語に由来するとされています。豚の腸などのケーシングをねじるところから来ているのでしょう。

ソーセージの最も古い歴史は、5千年前のシュメールにあるとされます。中東で広がり、テュルク族経由で東欧にも伝わったということなのでしょう。キールバーサの語源とされるテュルク語の”プレスして灰の中で焼いた肉”とは、燻製を指すのではないかと思います。燻製は、7,000~10,000年前には行われていたと推測されています。恐らく、たまたま火のそばに置いておいた肉の水分が抜け、長期保存できることを発見したのでしょう。燻製には、様々な方法がありますが、押し固めた肉を、まだ温かい灰の中に入れておけば、低温燻製に近いものができるように思えます。つまり、ソーセージは、燻製から誕生したと言えるのではないでしょうか。だとすれば、しっかりとスモークするキールバーサは、ソーセージの原型に近いのかもしれません。(写真出典:hillshirefarm.com)

仁川