2026年8月10日月曜日

詠春拳

葉問
1980年にモロッコへ行った際のことです。夕方、タンジールの旧市街、いわゆるメディーナを散策しました。メディーナは迷路そのものであり、現地ガイドなしに散策などできません。アジア人が珍しかったのか、子供たちがゾロゾロとついてきます。子供たちは、アチョーと叫びながらカンフーの真似事を繰り返します。アジア人=中国人=カンフーだったわけです。もちろん、日本人と中国人の区別などつくわけもありません。私がカンフーの構えをすると、子供たちは”おーっ”と声をあげて後ずさりしました。ブルース・リーの影響がここまで及んでいるのかと驚いたものです。

「燃えよドラゴン(Enter the Dragon)」 が公開されたのは1973年のことです。完成作品としてはブルース・リー最後の映画となりました。85万ドルという低予算映画でしたが、世界的な大ヒットとなり、4億ドル(現在価値20億ドル)の興行収入をあげます。モロッコでも繰り返し上映されたのでしょう。映画としては、絵に書いたような低予算B級映画に過ぎませんが、これほどまでに大ヒットした要因については、諸説あります。わざとらしい演出が一般的だったアクション映画のなかで、銃を使わずに展開される格闘シーンが新鮮だったという説が有です。ハリウッド資本が入り、世界市場を視野に製作された点も大きかったと思います。プロットとしては、当時流行していたスパイ映画の要素を入れ、黒人映画の流行を先取りした面も有効だったのでしょう。

しかし、何と言っても、人々を熱狂させたのは、ブルース・リーが見せる本物の格闘技、そして強烈なストイシズムということになります。映画のなかでブルース・リーが披露している技は、彼が考案した截拳道(ジークンドー)という武術です。よくカンフー映画と言われますが、カンフー(功夫)とは、武術の一流派のことではありません。練習や鍛錬によって培われた技や能力を意味する言葉であり、転じて少林拳法や太極拳といった武術全般を指す言葉になったようです。ブルース・リーの截拳道は、師である葉問の詠春拳をより実戦的に体系化したものと言われます。詠春拳は、無駄のない動きが特徴であり、相手の力を利用することなどから近接戦に優れるとされます。我々がカンフーとしてイメージするのは、ほぼ詠春拳だと思っていいようです。

南派少林拳の流れを汲むと言われる詠春拳は、200年前の広東省あたりで、希代の女性拳法家・厳詠春が始めたとされます。19世紀、広東省佛山に詠春拳王と呼ばれた梁贊が現れます。そして弟子の一人・陳華順が、詠春拳初となる武館”杏濟堂”を開きます。ここで広東の詠春拳というイメージが確立されたわけです。陳華順の弟子の一人が葉問でした。裕福な家に育った葉問は、香港留学後、警察官になります。国民党政権下で出世した葉問ですが、中華人民共和国建国後は香港に逃れ、詠春拳の指導を始めます。葉問は、東洋哲学に根ざした伝統的な指導を、科学的な視点に基づく合理的な指導に変えます。これが奏功し、葉問派詠春拳は香港を代表する武術へと成長します。まさに詠春拳中興の祖と言えます。そして若きブルース・リーも入門するわけです。

葉問は、広東語でイップ・マン、普通語ではイェー・ウンと発音します。葉問を題材として生まれたのが、イップ・マン・シリーズです。世界的な大ヒット・シリーズとなりました。主演するドニー・イェンは、今やアジアを代表するトップ・スターと言えます。香港映画以外でも、スター・ウォーズのローグ・ワン、ジョン・ウィックのコンセクエンスにも出演しています。イップ・マン・シリーズは、キャラクター設定として葉問を使っていますが、ストーリーはオリジナルです。見せ場はドニー・イェンの詠春拳ということになります。実に見事な格闘シーンが展開されていますが、武術を見せるだけの映画には限界があります。ただ、詠春拳自体は、これからもアクション映画の基本スタイルとして、世界中で使われていくものと思います。(写真出典:ja.wikipedia.org)

2026年8月8日土曜日

京の喫茶店

マドラグ
修学旅行で京都へ行った際、今はなきJAZZ喫茶の名店「しぁんくれーる」を訪れた話は、先にも書きました。その日の夜、三条の「イノダコーヒ本店」にも行きました。閉店の時間が迫っており、走っていったのを覚えています。イノダコーヒ(コーヒーではありません)へ行った理由は、フォーク・シンガー高田渡の「コーヒー・ブルース」に登場するからです。私は、JAZZやR&B派だったので、フォーク・ソング、とりわけポップ化した吉田拓郎やかぐや姫などは毛嫌いしていました。ただ、岡林信広などのプロテスト・ソング系は気になるところがありました。高田渡を知ったのは「自衛隊に入ろう」(1969)からです。強烈な皮肉が込められた歌ですが、防衛庁が応援歌と勘違いし、またこの曲に触発されて入隊した人までいたようです。

「コーヒー・ブルース」は1971年の曲です。高田渡の曲調は、民青系の直截なプロテスト・ソングから、日々の生活を素朴に歌う平和主義的なものに変わっていました。自分も、民青系を嫌っていたので、好感が持てました。70年安保闘争が終わり、反政府というよりも反ファシズムという流れの中での平和主義はベターな選択だと思われました。「三条へ行かなくちゃ 三条堺町のイノダってコーヒー屋へね」で始まるコーヒー・ブルースは、好きな女の子とコーヒーを少しばかり、というたわいもない歌です。当時、ファシズムに対抗する一つの手段は、我々がチャランポランに生きることなのではないか、と思っていたこともあり、なんとなく染みる歌でした。イノダコーヒ本店へ向かう際、皆でコーヒー・ブルースを歌いながら走ったことを覚えています。

イノダコーヒは、1940年、画家でもあった猪田七郎がコーヒーの卸売を始め、1947年にコーヒー・ショップを開いています。イノダのコーヒーは、あらかじめ砂糖が入っていることが特徴です。私は、普段、コーヒーに砂糖は加えませんが、イノダに限っては、濃いコーヒーと甘味を楽しんでいます。また、いつの頃からか、イノダのモーニングが人気となりました。今は大行列状態が続きます。イノダに限らず、京都には歴史のある、あるいはレトロな喫茶店が多くあります。文化の街、学生の街らしい光景ですが、ちゃんと贔屓筋が付いているからこそ、という話でもあります。京都で人気のレトロな喫茶店と言えば、フランソワ、ソワレ、築地、あるいは六曜社などが知られています。もっと地味でレトロな喫茶店も多くあります。チロルなどもその一つでしょう。

私のお気に入りは、二条の「マドラグ」です。2011年開店ですから、比較的新しい店ということになります。しかし、前身は1950年代から半世紀続いた「喫茶セブン」であり、ご主人が亡くなったために休業中だった店を居抜きでマドラグは開店しています。1950年代のモダニズムを強く感じさせる店内は、私にとって居心地の良さNo.1です。ちなみに、店名はブリジット・バルドーがサントロペに持っていた別荘の名前から付けたようです。京都へ行った際には寄せてもらっていたのですが、ある時、困ったことが起きました。閉店した洋食店コロナの名物・玉子サンドイッチを継承することになったのです。確かに、分厚くてフワフワのサンドイッチは絶品ですが、これを目当てに人が押し寄せるようになったのです。その後も何度か行ってみましたが、行列ができており、まったく入れません。玉子サンドイッチは、別な形で継承して欲しかったと思います。

最近の画一化された”カフェ”の流行には馴染めません。スターバックスは、家でも職場でもない第三の(居心地の良い)場所を目指していましたが、今は混み合うスーパーマーケットのような場所になっています。ただ、街でよく見かけるチェーンのカフェに入ることはあります。それはコーヒーの味や店の雰囲気が目当てではなく、ひたすらタバコを吸うためです。長居する人が多いなか、私はコーヒーを飲んで、タバコを2~3本吸ったら店を出ます。かつての喫茶店は、味や雰囲気に個性があり、それを共有することで文化の象徴的存在となっていました。全国の街には、いまだにそういう喫茶店が残っているのでしょう。東京にも、しぶとく残っています。しかし、文化としての喫茶店が最も多く残っているのが京都だと思います。(写真出典:kyoto.graphic.co.jp)

2026年8月6日木曜日

酷暑

エジプトのアブシンベル神殿へ行った際、50度超えという気温を経験しました。そのレベルになると、直射日光で肌が軽い火傷になる恐れもあるので、露出は禁物です。ただ湿度がゼロに近いので、日陰は涼しいくらいでした。あらためて、日光と砂を避けるベドウィン族の衣装の合理性に感心しました。一方、パキスタンのカラチでは、気温40度超え、かつ湿度ほぼ100%という気候も経験しました。冷房の効いた室内から外に出ると、コンクリートの塊が両肩に被さるような印象を受けました。海辺はマシだろうと思いましたが、アラビア海からはもっと重苦しい熱風が吹きつけていました。気象庁は、今年から、40度超えの日を「酷暑日」と定めました。 その途端、過去に例がないほど40度超えが続出しています。

フィリップ・K・ディックの小説に、気温100度になった未来が描かれたものがありました。人が外へ出る時には、携帯クーラーを背負います。ほぼ宇宙服ということなのでしょう。近年、屋外で作業する人たちが、電動ファンの付いた作業服を着用しています。酷暑日といい、ファン付作業着といい、どんどんフィリップ・K・ディックの小説に近づいているように思えます。地震に襲われた熊本が酷暑日を記録した日、他の九州各地でも酷暑日が発生しました。そのなかに佐賀市も含まれていました。佐賀市の夏と言えば、松本清張原作・野村芳太郎監督・橋本忍脚本の傑作「張込み」(1958)を思い出します。高温多湿な日本の夏を最も強く感じさせる映画だったと思います。日本の白黒映画は、雨の描き方がうまいと思うのですが、夏の暑さも同様に見事です。

もちろん、アフリカや東南アジアで撮った映画は暑さが伝わります。アメリカであっても「狼たちの午後」などは印象に残っています。原題は”Dog Day Afternoon”であり、Dog Dayは暑い日を指します。しかし、そこで描かれている暑さは、高温多湿な日本の夏とは大いに異なります。「張込み」は、日本的な夏が見事に描かれています。東京・深川で発生した強盗殺人事の犯人が逃走し、佐賀に住む元恋人を訪ねると踏んだ刑事二人が張込みに入ります。原作は、30ページほどの短編ですが、脚本の橋本忍が緊張感あふれるドラマに仕立てています。映画は、刑事たちが横浜駅から佐賀へ向かう夜行列車の旅から始まります。横浜・佐賀間1,200km、蒸気機関車では、一昼夜以上かかる旅です。暑くて混み合う車内の描写だけで、いきなり暑苦しさが伝わります。

ロケは、佐賀市を中心に行われています。戦時中、佐賀市も空襲を受けています。ただ、徹底的な灯火管制が奏功し、目標を見失った米軍は爆弾を田んぼのなかに投下します。結果、ほぼ被害のなかった佐賀市は、撮影が行われた昭和30年代でも城下町の風情をよく残しています。佐賀市の最高気温は、当時でも35~36度まで達していたようです。演技、演出、カメラワークもうだるような暑さを見事に伝えます。旅館での張込みという動きの少ないプロットが、暑さをより際立たせている面もあります。それどころか、短く動きの少ない原作を、緊張感あふれる映画に仕立てあげるために、暑い夏が効果的に使われているとも言えそうです。夕立やお祭も含めて、暑い夏は映画としてのテンションと奥行を出すためのサブ・プロットだったと言ってもいいのでしょう。

サスペンスながら、テーマがしっかりしていることも特徴的です。高度成長に突入した都市と寂れていく地方という構図、農村から上京した労働者の悲惨な就労環境、といった当時の社会現象が端的に表現されています。また、時代とともに変化しつつあった女性の社会的地位や女性の幸せに関する目線も大きな要素になっています。短編とは言え、さすが社会派松本清張だと思います。被疑者の元恋人は、相当年上の銀行員と結婚し、ほぼ女中と変わらぬ日々を送っています。被疑者と温泉地で待ち合わせた元恋人は、まるで別人かのように感情を露わにします。しかし、数時間後、被疑者は張り込みを続けてきた刑事たちに逮捕されます。刑事のモノローグ「この女は数時間の命を燃やしたに過ぎなかった」は名セリフとされているようです。暑い夏はここにもあったわけです。(写真出典:amazon.co.jp)

2026年8月4日火曜日

冷やし中華

冷やし中華は好きなのですが、現役の頃、ワン・シーズンに食べる機会は1~2回程度でした。というのも、サラリーマンのランチとしては、中途半端だからです。ラーメンよりカロリーは低めで、しかもラーメンのように定番のライス、チャーハン、餃子といったお共がありません。大盛りにしても、満足感は薄めだと思います。ただ、もう働いていないこと、猛暑が続くこと、何より年老いたこともあり、ここ2~3年は、昼食に自分で作って食べるようになりました。冷やし中華は、色んな具材が乗っているから美味しいという人がいます。馬鹿なことを言っちゃいけません。冷やし中華は、麺とタレが勝負です。具材なんか箸休め程度だと思います。私は、ゴルフ場の昼食で冷やし中華を注文するとき、具材は別盛りにしてもらっています。

と言いながらも、具材も楽しめ、ボリュームもランチとしては十分な冷やし中華もあります。神保町の揚子江菜館の涼拌麺 です。具材は、なんと10種類にのぼり、もはや立派な料理です。揚子江菜館は、冷やし中華発祥の店とされています。2代目オーナーが、1933年、ざるそばを参考に開発したとされます。一方、仙台の龍亭が1937年に発売した涼拌麺を嚆矢とする説もあります。ただ、いずれも涼拌麺と称していることからしても、中国が発祥と考えていいのでしょう。中華圏の涼拌麺は、常温に戻した麺に、胡麻ベースの芝麻醤や落花生ベースの花生醤を掛けて食べるようです。ということは、冷やし中華はゴマだれがルーツということになりそうですが、上海など南方では酢も使っていたようです。揚子江菜館も龍亭も当初は醤油だれだったと聞きます。

ただ、日本の冷やし中華は、涼拌麺とは異なる進化を遂げた日本独自の中華料理ではあることは間違いないようです。その証拠として、中華圏では、冷やし中華を”日式涼麺”、あるいは”日式冷中華麺”と呼ぶようです。ちなみに、関西では冷やし中華を冷麺と呼びます。韓国料理の冷麺も同じ呼び方ですから、ややこしいところがあります。京都の老舗中華料理店である中華のサカイが、1939年にゴマだれをかけた冷やし中華を冷麺として発売します。これが人気を博したことから冷麺という呼称が広まったとされます。さて、冷やし中華と言えば、醤油だれか、ゴマだれか、という議論もあります。好きずきですが、私は醤油だれ専門です。ゴマだれも美味しいと思いますが、さっぱりさが身上の冷やし中華ではなく、別な濃厚系中華料理になってしまいます。

冷やし中華ファンは、麺にこだわる人が多いように思います。冷やし中華で使う中華麺は、普通のラーメンで使うものよりも卵の割合を増やしたものになっています。いわゆる卵麺ですが、コシが強く伸びにくいという特徴があります。さらに茹でた麺を氷水でしっかり冷やすことで、弾力、ツルッとした食感も生まれます。冷やし中華の人気店では、タレもさることながら、麺がまったく異なります。その食感を家で再現することは難しいと思います。近所のスーパーで卵麺にお目に掛ることはほぼありませんが、中華街やネットで生麺を入手できれば、再現性が高くなります。もちろん、卵麺は、ラーメンの麺としても使います。香港の細い乾麺”全蛋麺”も卵麺として有名です。これはこれで美味しいのですが、冷やし中華には向きません。

冷やし中華ファンの間では、麺、タレ、具材に関するこだわりの議論が多いものですが、1985年、それらがぶっ飛ぶような出来事が札幌で起こります。札幌グランドホテルが、ビアホールのメニューとしてラーメンサラダを発売したのです。野菜の多い冷やし中華という見方も出来ますが、中華だれがドレッシングに進化したことで、日本式中華料理という枠組みを超え、ある意味、ユニバーサルな料理になったわけです。私は、市販の冷やし中華だれをベースに、レモン、ポン酢、ナンプラー、ガラムマサラ等を加えて楽しんでいます。冷やし中華の具材の基本は、キュウリ、叉焼(ないしはハム)、錦糸玉子だと思いますが、サラダだと思えば何でもありです。ただ、ラーメンサラダが、いまだ北海道名物に留まっていることは、やや意外だと思っています。(写真出典:sirogohan.com)

2026年8月2日日曜日

「急に具合が悪くなる」

監督:濱口竜介      2026年日本・フランス・ベルギー・ドイツ

☆☆☆☆ー

いまや日本を代表する映画監督となった濱口竜介の新作です。介護の現場を変えようと奮闘する施設長のフランス人女性とガンで余命宣告を受けた舞台演出家の日本人女性の交流が描かれます。映画は、一部が日本、大半はパリを舞台とし、フランス語と日本語で進行されます。畳みかけるようにドラマが展開するのではなく、スケッチを編んでいくような構成になっています。それが196分続くわけですからダレて当然だと思うのですが、決して観客を飽きさせることはありません。前の作品でも同じ印象を持ちましたが、これが濱口監督の独特な才能、あるいは感性なのだと思います。主演のヴィルジニー・エフィラと岡本多緒は、カンヌ国際映画祭で女優賞を共同受賞していますが、作品へのリスペクトあってのことなのでしょう。

原作は、ガンで亡くなった哲学者の宮野真生子が、文化人類学者の磯野真穂と交わした往復書簡集「急に具合が悪くなる」(2019)です。二人の書簡に感銘を受けた監督は、映画に仕立てるために大胆な翻案を行ったわけです。恐らく書簡で語られている内容はそのままに、映画としてのプロットやフレーム建てを考案したのでしょうが、創作と言っていい作業であり、その才能には感心させられます。ことにパリと日本、フランス人と日本人という着想が、書簡集を映画として成立させるうえで、キーとなるフレームだったと思われます。介護施設内での出来事、介護手法であるユマニチュード、劇中劇、重度の自閉症児といったモティーフも映画を成立させるために組み込まれています。原作が書簡集だけに、会話だけの映画になることを回避するための工夫だと思います。

決してダレることはないものの、それらのモティーフと会話の重層的な展開、そしてテーマへの収斂が起きないことが、映画にやや冗漫な印象を与えています。テーマへの収斂は、意図的に回避されていると思います。テーマは、生と死、希望と絶望、必然と偶然、それらに基づく人生観ということになるのだろうと思います。しかし、押しつけがましい結論のようなものは提示されません。原作も映画も、判断は読者と観客に委ねられているのでしょう。長尺の映画がダレない理由は、ここにもあります。主人公二人の葛藤が、観客一人ひとりの答えを求めてくるからです。ゆえに演技や演出は、適度な自然主義を保つ必要があり、おのずと映画は長尺なものにならざるを得ません。こうした観客の巻き込み方こそ濱口映画の特徴なのだろうと思います。

ユマニチュードは、テーマに深く関わるモティーフです。良いところに目を付けたものです。ユマニチュードは、人間らしさを尊重する認知症ケアの技法です。1979年、フランスで開発されています。日本では、2012年に導入され、現在はかなり普及しているようです。ユマニチュードのねらいとするところもさることながら、それを半ば強要される看護師たちの反応がドラマを作っています。主人公が展開する資本主義論とも重なってきます。結論に関しては観客に委ねられていると書きましたが、ユマニチュードの施設への導入に関しては、ポジティブにシナリオが展開します。これがテーマの全てではないものの、結果としては映画の縦糸として機能しているように思います。これも書簡集を映画化する際の大事な要素になっているわけです。

濱口竜介監督は、アカデミー賞と世界三大国際映画祭のすべてで主要な賞を獲得しています。日本の映画監督も、ついにここまで来たな、という印象があります。もちろん、黒澤明はじめ多くの監督の作品が海外で評価されてきました。また、是枝裕和など、海外でメガホンを取った監督もいます。ただ、濱口竜介は、諸先輩たちと異なり、初めから国際的な舞台のメインストリームで、そのディレクティングのレベルの高さが評価されています。明らかに次元が変わったのだと思います。ただ、その評価は、諸先輩たちが刻んできた歴史の上にあることも事実だと思います。スポーツの世界でも同じですが、世界で活躍する選手は突然変異ではなく、これまでの積み上げの上に咲いた花なのだと思います。(写真出典:eiga.com)

2026年7月31日金曜日

トウモロコシ

今年は、枝豆とトウモロコシの出来が良い、と聞いたので、買って食べて見ました。枝豆については、新潟の黒埼茶豆に限ると思っているので、通常、他のものを買うことはありません。今回は群馬のブランド品を試しました。やはり、茶豆にはかなわないものの、とても美味しくて驚きました。安価なものも試してみましたが、残念な代物でした。トウモロコシは、茨城産のブランドものを買い、レンジで蒸し焼きにして食べました。これが、とても甘味が強く、青森のブランド”嶽きみ”に迫る美味しさでした。ならば、と思い、1本99円の安売り品も試してみましたが、これも十分に甘くて驚きました。確かに今年は当たり年かもしれません。

野菜は何でもそうでしょうが、採れ立てが一番美味しいに決まっています。トウモロコシも、朝もぎが最も甘いわけです。それが、収穫後、数日経っても美味しいわけですから、なかなかのものです。トウモロコシは、中南米原産とされ、15世紀末、コロンブスが欧州に伝えました。日本には16世紀後半に伝来したとされます。海外(唐)から入ってきた諸越に似た植物ということで、当初は唐諸越と表記されたようです。諸越は、アフリカ原産の穀物であり、中国では高粱(コーリャン)、世界的にはソルガムと呼ばれます。その後、唐諸越は、粒が揃って並ぶ様から玉の字をあてて玉蜀黍と表記されるようになりました。日本でトウモロコシの栽培が本格化したのは明治期のことでした。アメリカから早生品種が輸入され、北海道開拓使が栽培を始めています。

世界の穀物の生産量は増加を続けており、2021年には30億トンに達しています。うちトウモロコシは12億トンを占め、各8億トン弱の米と小麦をはるかに超えています。トウモロコシの6割は家畜の飼料になります。食用は、わずか13%です。他はエタノール等の燃料や工業用ということになります。生産国としては、アメリカと中国が群を抜いており、世界の半分を占めています。食用としての消費量を見れば、原産国メキシコがトップです。主食であるトルティーヤの原料であること、栽培が気候風土に適していることなどが理由なのでしょう。食用としてのトウモロコシは、トルティーヤがそうであるように、圧倒的に粉食が主流です。粒食が中心である日本は、極めて珍しい国ということになります。米の粒食を主食にしている影響なのかもしれません。

粒食中心ゆえ、日本のトウモロコシは、どんどん甘く品種改良されてきました。札幌名物の焼きトウモロコシは、醤油・味醂・砂糖などで作った甘辛いタレが魅力です。焼きトウモロコシは、1885年(明治18年)、平岸の農家・重延テイが、家計の足しにしようと、大通りで売ったのが始まりとされます。当時の品種は今ほど甘くなかったので、甘辛いタレを塗って焼いたのでしょう。近年の糖度ランキングを見ると、”おおもの”、”きみひめ”が20%と、メロン・マンゴー並みです。さらに”ピュアホワイト”、”サニーショコラ”、”甘々娘”等が続きます。弘前の”嶽きみ”に多い品種は”恵味”と聞きますが、昼夜の寒暖差の激しい岩木山麓という栽培地の特性がさらに甘味を増すのだそうです。十年ほど前、新宿の伊勢丹が、1本千円で嶽きみを販売したことが話題になりました。

ものづくり大国を自称する日本の工業界では、小さいものはより小さく、精密なものはより精密に、と進化してきました。農産物も同じです。甘いものはより甘くなっていきます。もちろん、価格は高くなっていきます。情報革命と流通の進化が、そうした傾向を助長しているように思います。日本の工業界には「いいものを作れば、必ず売れる」という神話があります。農業でも同じかもしれません。しかし、この神話には、多少の疑問を感じます。高価で入手困難といった高級農産物があってもいいとは思いますが、全ての生産者がそれを指向するならば、日本の農業はおかしなことになります。基本とすべき思想は、あくまでも「良いものを安く」だと思います。トウモロコシの甘みが弱いと思ったら、甘辛いタレを塗って焼けばいいわけです。(写真出典:hugkum.sho.jp)

2026年7月29日水曜日

サン・ピエトロ大聖堂

世界最大のキリスト教寺院は、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂です。床面接は2万3,000㎡と東京ドームの半分程度であり、総面積は倍の約5万㎡です。高さならば、イエスの塔が完成したサグラダ・ファミリアの172.5mがトップで、ビルの40階分くらいに相当します。ちなみに、世界最大のモスクは、メッカのマスジド・ハラームであり、床面積は東京ドーム8個分、延床面積は24個分となります。世界のキリスト教徒は24億人ですが、カソリックに限れば14億人、イスラム教は19億人となります。本山の大きさは信者数に応じるようにも思いますが、マスジド・ハラームは、人生で一度のハッジ(巡礼)が義務づけられているという事情もあります。なお、仏教も世界宗教ですが、総本山的存在はありません。大寺院としては、ボロブドゥールやアンコールワットの名前が挙がります。

サン・ピエトロ大聖堂を訪れて驚くのは、参拝客の数の多さと熱量の高さ、そして国籍・民族の多様さです。さすがカソリックの総本山、世界中から参拝者があとを絶たないわけです。マスジド・ハラームは、さらにすごいのでしょう。サン・ピエトロ大聖堂は、キリストの最初の弟子である聖ペテロ(サン・ピエトロ)の墓の上に築かれたとされます。幾度かの発掘調査が行われ、地下深くにある遺跡は聖ペテロの墓でほぼ間違いないだろうとされています。聖ペテロの時代、バチカンは、ローマ郊外の丘に過ぎなかったようです。大聖堂の始まりとなる教会堂は、4世紀、皇帝コンスタンティヌス1世によって建てられています。現在の大聖堂は、16世紀に約120年をかけて建設されています。ルネサンス期でもあり、ラファエロやミケランジェロも参加しています。

例えば、メッカのマスジド・ハラームは、アッラーが預言者イブラーヒーム(アブラハム)に示した場所、ムハンマドがクラーンで指示した場所に建ちます。ところが、キリスト教の総本山は、キリストが指示したわけでもなく、キリストの生死にゆかりがあるわけでもないローマに、それもその外れのバチカンにあります。不思議な話だと思っていました。もちろん、古代のローマは、地中海世界を征したローマ帝国が”カプト・ムンディ(世界の首都)”と呼んだ大都市です。これが現代の企業であれば、本社がローマに置かれても何の不思議もありません。しかし、宗教の世界において、大都市であることは優先順位の一番ではないと思います。第一使徒の墓があることは大きな理由にはなり得ますが、それが最優先とは考えにくいと思うわけです。

ローマという都市ではなく、教皇がいる場所ということが大事なのかもしれません。早い段階から、ローマ司教はペテロの後継者として特別な存在だったようですが、全司教のトップとして認められていたわけではありません。ローマの首都がコンスタンティノープルに移ると、いずれの司教が上かという議論もあったようです。5世紀になってはじめて、ペテロの後継者たるローマ教皇の権威は全教会に及ぶという認識が公的に確認されたようです。ローマ教皇の紋章として知られる鍵の由来は、マタイの福音書にあるペテロへのイエスの言葉「わたしは天の国の鍵をあなたに授ける」だと聞きます。ペテロの後継者ゆえローマ司教が教皇であり、総本山はペテロの墓の上に置かれる、というわけです。ただ、ペテロではなくイエスの墓が優先されるべきではないかと思います。

本来、エルサレムの聖墳墓教会こそ総本山にふさわしいと思います。聖墳墓教会は、ゴルゴタの丘、イエスの墓の上に建っているとされます。キリスト教の最も重要な聖地です。しかし、長くイスラム教徒が支配する地域にあり、総本山としては都合が悪かったということなのでしょう。エルサレムには、ユダヤ教の”嘆きの壁”、キリスト教の”聖墳墓教会”、イスラム教の”岩のドーム”という三大一神教の最重要聖地が存在します。今も昔も複雑な土地です。カソリックが、ペテロに準拠して教皇と総本山をローマに置いたことは、現実的な選択だったとも言えそうです。なお、ローマ司教の司教座が置かれるカテドラルは、今もサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂です。ローマのラテラノ大聖堂は、”全カトリック教会の母なる聖堂”と呼ばれ、サン・ピエトロ大聖堂よりも格上とされます。サン・ピエトロ大聖堂は、宗教的である以上にカソリック教会の政治的な中心地ということなのでしょう。(写真出典:nta.co.jp)

詠春拳