監督:ローラ・ポイトラス、マーク・オーベンハウス 原題:Cover UP 2025年アメリカ
☆☆☆+
ピュリツァー賞も受賞したアメリカのジャーナリスト、シーモア・ハーシュに関するドキュメンタリーです。ハーシュは、アメリカを、そして世界を動かすことになる多くのスクープをものにしたことで知られます。1970年のピュリツァー賞(国際報道部門)を受賞したソンミ村虐殺事件、1974年にはCIAの国内スパイ活動ケイオス作戦、同じ年、チリのアジェンデ政権転覆に関するCIAの関与、2004年にはイラン戦争時のアブグレイブ刑務所における捕虜虐待等の報道が有名です。また、ウォーターゲイト事件の報道においても重要な役割を果たしています。さらに、多国籍企業に関する調査報道は、後に日本を揺るがしたロッキード事件の発端になったことでも知られます。監督のローラ・ポイトラスは、ドキュメンタリー「美と殺戮のすべて」(2022)で、ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を獲得した人です。写真家ナン・ゴールディンの生涯を通じて、オピオイドとその製造会社を追及した作品でした。ポイトラスは、2004年にハーシュにドキュメンタリー映画の企画を打診しますが、情報提供者を危険に晒す恐れがあることから断られます。ただ、情報提供者の多くが亡くなったことから、今般、映画化の許可が出たようです。企画から、実に20年越しの映画化ということになります。ハーシュは、秘蔵していたメモ、写真、映像、音声の一部の公開も認めています。ハーシュは、相当の覚悟をもって20年越しの映画化に臨んだのだと思います。インタビューの中で、一部の報道に誤りがあったことを認めている点も覚悟の現れなのでしょう。
ハーシュの調査報道の大きな特徴は、情報提供者の存在です。政府、CIA、軍、コングロマリット等が隠蔽しているものを、情報提供者を使って曝くことがハーシュのスタイルです。例えば、デイヴィッド・ハルバースタムは、事実の奥に潜む普遍的な真実を探求していきます。ハーシュの場合には、あくまでも事実を晒すことによって権力を監視することが目的になっています。いずれもジャーナリズムそのものなのでしょう。ドキュメンタリー映画も、ジャーナリスティックな性格を持っています。ハーシュがソンミ村虐殺事件を曝く過程を描き、権力、あるいは軍の本質に迫るならば、良いドキュメンタリー映画ができると思います。しかし、暴露型ジャーナリストの仕事をトレースするだけなら、映画としては実に平板なものになってしまいます。
あるいは、シーモア・ハーシュという希代の暴露型ジャーナリストを通じて、ジャーナリズムの本質を問いかけるという映画なら、随分と見応えのあるものになったいたはずです。そのためには、ハーシュの業績、あるいは事実を曝いていく過程だけではなく、記事がリリースされるまでのNYタイムス、ニューヨーカー誌内部、そして権力側の動きをより丁寧に映像化すべきだったのではないかと思います。そもそも監督の企図も、そこにあったのかもしれません。しかし、ハーシュのスクープの多さ、ハーシュが公開した資料の多さゆえに、過去の事実をトレースすることに汲々としてしまったのかもしれません。いずれにしても、本作は興味深いドキュメンタリーではありますが、前作「美と殺戮のすべて」を超える映画ではないように思えました。
映画を見ながら、気になったことの一つは、アメリカにおける内部通報者の多さです。日本でもコンプライアンス強化が叫ばれてから増加傾向にあるとは思いますが、アメリカの比ではないように思います。その違いはどこにあるのか気になりました。宗教に裏打ちされた道徳観の違いなのかもしれません。しかし、アメリカの歴史を築いてきた開拓民たちと権力=連邦政府=東部エスタブリッシュメントとの戦いの歴史が背景にあるように思います。それは制度的には、憲法や自治の伝統に反映され、合衆国という国の形となり、銃を持つ権利にもなっています。現象面では、今も福音派、ミリシア、MAGA派といった形で脈々と生きています。内部通報というアメリカの伝統にも、民主主義という壮大な実験に挑み続けるアメリカ社会が反映されているということなのでしょう。(写真出典:en.wikipaedia.org)






