今回、大原へ行く目的の一つは、味工房志野の本店と直営の飲食店へ行くことでした。志野は、ドレッシングやポン酢を製造販売する店です。15年ほど前、京都の人に教わり、以来、ドレッシングとポン酢は志野を使ってきました。お気に入りは「ゆずと大根のドレッシング」です。平生は、百貨店での催し物などで購入しているのですが、一度、大原の本店に行ってみたいものだと思っていました。また、お昼時にもあたるので、直営の「松門」での食事も楽しみにしていました。ところが、13時頃に行ってみると、店は満席、主なメニューは売り切れと残念な結果になりました。やむなく、バス停近くの店で、素朴な田楽定食をいただきました。もう一つ残念なことがありました。三千院で時間を使いすぎて、ねらっていた寂光院を訪れることができなかったのです。
寂光院は、出家して建礼門院となった平徳子が祈りの余生を送った尼寺です。建礼門院は、平清盛の次女にして、安徳天皇の生母でした。壇ノ浦の戦いのおり、安徳天皇や一門とともに入水します。しかし、源氏方に助けられ、結果、数少ない平家一門の生き残りとなりました。平家物語は、建礼門院の祈りによって「(平家一門が)みな往生の素懐を遂げるとぞきこえし」で終わります。他のバージョンもあるのですが、これが無常観を象徴する最も有名なエンディングだと思います。大原・寂光院は、平家物語ファンにとって、重要な聖地の一つと言えます。ちなみに、大原は赤紫蘇の産地であり、しば漬け発祥の地でもあります。このしば漬けという名称は、建礼門院によって名付けられたと伝わっています。残念ながら、寂光院と松門は次回の宿題となりました。
三千院は、多少、複雑な由来を持つ天台宗の寺です。三千院の歴史は、8世紀末、最澄が比叡山延暦寺を開山したおり、その一角に設けた「円融房」に始まるとされます。その後、寺院となって坂本に本拠を移し、梶井門跡と呼ばれます。そこへ堀河天皇の皇子・最雲法親王が入山します。親王は天台座主となり、大原に梶井門跡の政所を構えます。これが後の三千院になります。梶井門跡は都の船岡山に移転しますが、応仁の乱で焼失し、大原の政所を本坊とするに至ります。しかし、江戸前期、将軍によって御所近くの土地が与えられた梶井門跡は、再び洛中に移ります。明治になると、門跡は還俗し、梨本宮家となります。仏像などは再び大原の政所に移され、三千院と称することになりました。なお、その際、近隣の往生極楽院も寺の一部として取り込まれています。
三千院に取り込まれた往生極楽院は、12世紀末に建立された天台宗とは無縁の寺でした。しかし、今や、国宝・阿弥陀三尊像、そして重要文化財のお堂は、三千院を象徴しています。阿弥陀如来像は、高さ2.3m、やや前屈みになった大和坐りで、船底天井の空間を目一杯占める様は、実に圧倒的です。にも関わらず、入母屋造のお堂は小振りで、そのアンバランスが見事だと思います。そして、その苔むした前庭は得も言われぬ静かな風情を漂わせます。これが見たかったわけです。半世紀ぶりゆえ、感慨もひとしおでした。三千院は、わらべ地蔵も有名です。かつてアメリカ人の友人から、地蔵を庭に欲しいがどこで買えるのか、と聞かれました。地蔵は売買するものじゃないと答えました。彼がイメージしていたのは、このわらべ地蔵だったのかと、今さらながらに気付きました。これなら買えます。悪いことをしたな、と反省した次第です。(写真出典:kyoto-design.jp)






