2026年6月17日水曜日

正統記(しょうとうき)

継体天皇像
日本の歴史は田舎者が創った、と言い切る人がいます。決して、そんなことはありません。ただ、武家の時代になると、鎌倉幕府から明治維新まで、時代を切り開いたのは常に田舎者だったとも言えます。そのフロント・ランナーは、武蔵国で生まれ信濃国で育った木曽義仲ということになります。義仲は、以仁王の平家追討の令旨に応じて兵を起し、次々と平家方を破り都に入ります。平家物語などによれば、義仲は、都で田舎者、乱暴者と蔑まれます。後白河法皇と対立した義仲は、上洛から1年も経たずに従兄弟の頼朝軍に敗れ、近江で命を落とします。後白河と義仲が対立するに至ったきっかけは、天皇家が最も重要、かつセンシティブと考える皇位継承問題に、部外者に過ぎない義仲が介入したことだと思われます。

義仲は、以仁王の第一王子・北陸宮(ほくろくのみや)を奉じて、都へ攻め上ります。安徳天皇に新主践祚の話が出ると、義仲は後白河の孫にあたる北陸宮を強く推薦します。しかし、後白河は、安徳天皇の異母弟である四ノ宮(後鳥羽天皇)を選びます。直系男子継承を正統(しょうとう)とする考えからすれば、高倉天皇の直系男子が選ばれて当然至極ということになります。天皇の正統性という概念を、義仲が不知、あるいは十分に理解していなかったことが、義仲の最も田舎者らしいところだったと言えます。中世になって生まれたとされる正統という概念の分かりやすい例が、後醍醐天皇の側近である公卿・北畠親房の「神皇正統記(じんのうしょうとうき)」ということになります。南北朝時代にあって、南朝の正統性を主張するために書かれた天皇年代記です。

神皇正統記は、単なる歴史書に留まらず、神国思想や政治哲学を説く書でもあり、後代に大きな影響を与えました。神皇正統記では、天皇を第〇代と表記すだけでなく、時に第〇世と併記しています。例えば継体天皇は「第二十七代、第二十世」と記載されています。”代”は天皇の単純な継承順を表し、“世”は男系の父子継承に限って、その世代順を表しています。つまり、第〇世と付く天皇は、父子継承された正統であり、他は傍系としているわけです。”万世一系”とは、天皇が神武以来の一つの血統によって継承されることを表しますが、なかでも、正統とは、男系の父子継承に限定した一直線の系統を指しています。なお、神皇正統記は、正統か否かをもって天皇の評価を変えることはしていません。ちなみに、継体天皇は、通常、第26代とされますが、神皇正統記では神功皇后を15代天皇としているために、以降にズレが生じています。

昨今、国会で皇室典範改正の議論が進んでいます。今回の改正の目的は、減少している皇族数を確保し、皇室の活動を安定的に維持することとされています。改正方向としては、女性皇族が結婚後も皇族の身分を保つ、過去に皇籍を離脱した旧宮家の男系男子を養子にすることを可能とする、という2点で合意しつつあるようです。一方、国民の間には、女性天皇を可能にする議論も行うべきという声も根強くあるようです。男女平等の時代に、愛子内親王を天皇にしないのはけしからんというわけです。皇室典範では、皇位継承者は皇統に属する男系の男子とされているわけですが、背景には万世一系論、さらに正統論があります。しかし、この両論については、理屈も、優劣も、実利もないので、到底、議論が成り立つとは思えません。

天皇が側室を持っていても、正統性は幾度も途切れ、万世一系も危機に瀕したことがあります。6世紀初頭、第25代の武烈天皇が、皇子なく、皇太子も定めずに崩御します。万世一系を守るため、有力豪族たちが奔走します。結果、応神天皇の5世の来孫とされる継体天皇が越前(近江とも)から迎えられます。継体天皇の先祖が、5世に渡り父子一系を続けていたことは奇跡的であり、継体の出自に関しては多くの議論があります。豪族たちは、継体天皇の人柄を聞き及び、会いに出かけます。そして、その大王の品格の前にひれ伏したと言います。天皇になった人を悪く言うわけはありませんが、人選上、血統だけではなく、ふさわしい人物か否かも考慮されていたのでしょう。天皇は、憲法上、日本国の象徴、国民統合の象徴とされています。憲法を重視するならば、継承されることが最重要と考えます。天皇の置かれた状況からして、皇位継承者は皇統に属するふさわしい人物とすべきではないかと思います。(写真出典:fukui-rekimachi.jp)

2026年6月15日月曜日

グアンタナモ

キューバ島東南部のグアンタナモ湾にはアメリカ海軍の基地があります。対立するキューバに、革命以前からの米軍基地が残るという不可思議な話です。グアンタナモ湾は、1903年、アメリカが、当時のキューバ政府から永久租借権を得て、今日に至ります。租借地は、割譲などとは異なり、貸した国に潜在的な主権が残っています。ただ、統治権は借りた側にあります。当然のことながら、キューバ革命後、カストロは返還を求め続けますが、アメリカは応じていません。かつての香港は、香港島が割譲、新界は99年租借という組合せでした。香港は、1997年に中国に返還されました。パナマ運河も、かつてはアメリカの永久租借地でしたが、1999年、パナマに返還されています。

アメリカとキューバが友好関係にあれば、グアンタナモも返還されていたのでしょうが、革命後の対立関係からしてアメリカが手放すことはありません。租借のきっかけは、1898年の米西戦争の際、アメリカ軍がスペイン領だったキューバを制圧したことにあります。米西戦争は、落ち目のスペインに、国内のフロンティアを終え、海外へ目を向け始めたアメリカのエゴが襲いかかった植民地戦争です。フィリピンとキューバが主な戦場となりました。1898年、ハバナ湾でアメリカの戦艦メイン号が爆発します。販売競争を繰り広げるアメリカの新聞が、スペインの仕業だというデマを流し、それがトリガーとなって戦端が切られます。その際の”Remember the Maine”というスローガンは、後に太平洋戦争で”Remember Pearl Harbor”として再び利用されることになります。

その後、アメリカの支援を受けてスペインから独立したキューバ政府が、グアンタナモの永久租借を認めます。アメリカは租借料として毎年金貨2,000枚(約4,000米ドル)を支払いました。キューバ革命後、カストロは一度だけ租借料を受け取りますが、以降は拒否し、グアンタナモ返還を求めます。1962年に勃発したキューバ危機の際、グアンタナモ海軍基地は、最前線として兵員・装備ともに強化されています。1964年には、カストロがグアンタナモへの水の供給を絶つという強行策に打って出ますが、アメリカは海水の淡水化プラントを建設して、これをしのぎます。近年、グアンタナモは、アフガンやイラクでテロへの関与が疑われて拘束された人々の収容キャンプとして注目を集めました。国内法や国際法の制約を受けないグレー・ゾーンの収容所とされています。

租借地における統治のあり方は、租借契約によって異なるようです。グアンタナモの場合、アメリカが完全なる管轄と統治権を確保しているようです。キューバ法の対象外ですが、かといってアメリカの領土ではないのでアメリカ法の対象でもありません。つまり、法律としてはアメリカ海軍の軍法しかないということになります。人権保護の傘から外された中東の収容者たちは、拘束の法的根拠もないまま、拷問を受けることになりました。もし捕虜としての拘束であれば、ジュネーブ条約によって守られますが、アメリカは捕虜ではない、犯罪者であるという立場をとります。犯罪者だとしても、中東で逮捕・拘束し、キューバへ移送・収容する法的根拠などありません。的確な表現をするとすれば、拉致・監禁ということになるのだろうと思います。

グアンタナモ湾収容キャンプは、2002年に開設されています。2001年の同時多発テロを受け、ジョージ・W・ブッシュ大統領はアフガニスタン侵攻を即断します。同時に、大統領は、イラク・イラン・北朝鮮を大量破壊兵器を保有する”悪の枢軸”と批判し、2003年にイラク戦争が始まります。しかし、制圧したイラクに大量破壊兵器は見つかりませんでした。同時多発テロ翌日から、大統領とラムズフェルド国防長官が、イラク攻撃をほのめかしていたことが、後日、判明します。大統領は、国民感情からしてテロの報復を急ぐ必要がありました。十分な情報がないなかで、石油利権を含む歴史的経緯からイラクが生け贄として選ばれたとしか思えません。大統領には、情報を得るために拷問を行う場所が必要だったわけです。当然、収容所は、国内外内から批判され、民主党のオバマ、バイデン両大統領は収容所閉鎖を指示します。ところが、共和党の強い反対によって実現されていません。(写真出典:nbcnews.com)

2026年6月13日土曜日

中学生の頃、人生で一度だけ水害を経験しました。川の水が堤防を越えそうだというので、家財道具を二階へ運び上げました。残るは畳だけとなったのですが、重くて難儀しているところへ水が来ました。その重い畳が水圧で浮き上がります。水は恐ろしいと思ったものです。水害の後、一階の畳は全て廃棄して新調しました。その際、畳床の芯材に稲わらを使う伝統的な畳はあきらめて、当時、登場したばかりのスタイロフォームを芯材に使った畳を選択しました。とても軽くて、これなら水が出ても、すぐ2階に上げられると思いました。ただ、それ以降、一度も水害はありませんでした。 

畳は、日本独自の文化です。ゴザや筵の類いは、中国や韓国にもありますが、畳は日本にしかありません。畳は、畳床、畳表、畳縁で構成されます。畳床は、伝統的に稲わらを圧縮して芯材とします。稲わら床は、吸湿性、放湿性に優れているとされます。ただ、重いのが難点ともいえます。近年登場したスタイロフォームを芯材とする畳床は、軽さや断熱性で優れますが、吸放湿性が弱いとされます。木材チップを主原料とする芯材もありますが、化学素材の芯材に比べ、重くなります。ただ、断熱性や吸放湿性には優れているようです。以上を組み合わせるタイプもあるようです。畳床の寿命は10~20年と言われますが、メンテナンスが良ければ40~50年もつこともあるようです。もちろん、畳表は、適宜、張り替える必要があります。

畳表は、縦糸に綿糸や麻糸を用い、稲わらよりも細いイ草を織り込んで作ります。他に和紙や化学繊維で作る畳表もあるようです。畳表だけをゴザとして使うこともあります。畳縁(たたみべり)は、畳の長辺に縫い付ける細い布です。畳の角の補強や隙間を埋めるために縫い付けられます。畳は、統一された規格という合理性、あるいは組み合わせて使う自在性も特徴的だと思います。畳のサイズは、京間、江戸間、琉球畳など数種類ありますが、規格が統一されていることで日本建築のサイズの基準にもなっているわけです。これが千年以上前から存在するのですから、誇るべき日本文化の一つだと思います。ただ、その歴史は判然としません。少なくとも、現在のものに近い最古の畳は正倉院の「御床畳」とされます。

当時は、天皇や貴族が寝具として使っていたようです。”畳む”という文字からしても、寝る際に敷いていた筵から進化したものと想像できます。寝具や座具として使っていた畳が、部屋全体に敷かれるようになったのは、室町期に発展した武家の書院造からだとされます。座敷という言葉もここで生まれるわけです。書院は、書斎兼居間を指しますが、来客の多かった武家では、接客、儀式の場へと変化し。家の中心になっていったようです。来客の人数も多ければ、いちいち座具として畳を敷くのも面倒で全体に畳を敷き詰める座敷へと変化したのでしょう。畳のサイズは、寝具・座具の名残だと思われます。ただ、武家では戦に際し、甲冑を身に纏って土足で家の中を行き来することもありました。その際、簡単に片付けられる畳のサイズは便利だった面もあるのでしょう。また、メンテナンスという面からみても、畳のサイズは合理性があるように思います。

畳自体の自在性もさることながら、座敷の多様性も見事なものです。一つの座敷が、書斎、客間、ダイニング、寝室に対応できるわけですから、実に効率的です。これも畳が生んだ文化なのでしょう。西洋式に、ソファ、ダイニング・テーブル、ベッドを置けば、その部屋の用途は限定されます。現代の日本は、なんて効率の悪い間取りを選択したのだろうとさえ思います。余談ですが、たまに行く温泉宿では、畳の部屋で食事をし、布団を敷いて眠ります。椅子の生活が長くなったこと、そして老化とともに足腰が弱っていることもあり、畳から立ち上がることがしんどくなりました。知らず知らずのうちに、温泉宿でもベッドの部屋を選択している今日この頃です。(写真出典:tatamiweb.com)

2026年6月11日木曜日

シェトランド

スコットランドのシェトランド諸島は、イギリスの最北端、北緯60度に位置する亜寒帯の島々です。総面積は沖縄本島よりやや大きい程度です。その名前は、シェトランド・セーターやフェア・アイル・セーターでよく知られています。シェトランド・セーターは、ざっくりとした風合が特徴です。フェア・アイルは、色とりどりな幾何学模様が特徴です。人口2万3千人に対して羊は29万頭。羊だらけの島だと言えます。もちろん、漁業の島でもありますし、1978年以降は石油の島でもあります。また、アン・クリーヴスのジミー・ペレス警部シリーズを原作とするドラマ「シェトランド」の舞台でもあります。

小説は2006年から9作、ドラマは2013年から10シーズンがリリースされています。刑事小説の魅力の半分は舞台設定にあります。極北の島、風が強く曇りがちな島、樹木がほとんどない島、しかも島の人間は皆知り合いというシェトランドは、刑事小説にとって魅力あふれる舞台です。また、刑事物ではお決まりの刑事本人の複雑な家庭もしっかり組み込まれています。ドラマとしては、英国伝統のフーダニット系謎解きミステリーに、ノルディック・ノワールのテイストも加えられていることが特徴なのでしょう。シーズン1~2は、アン・クリーヴスの原作に基づく1ストーリー2話構成でしたが、シーズン3以降は、オリジナル脚本で1シーズン1ストーリー6話構成になります。このじっくりとドラマを展開させるスタイルがシェトランドの独特な世界を形作っています。

シーズン7までは、ダグラス・ヘンシャルがジミー・ペレスを演じていました。その寡黙で内省的な個性がシェトランドというドラマを性格づけていました。ところが、シーズン8からは、主要な脇役はそのままに、ヘンシャルは降板し、代わってアシュリー・ジェンセンが主役になります。なんとも大胆な交替です。高い人気があるからこそ、できた主役交代であり、以降もシリーズは継続され、シーズン11まで予定されています。ヘンシャルの最後の出演となったシーズン7は、明らかにシリーズの終わりとして制作されているように思います。シーズン6で最高視聴率をヒットし、以降、多少低下したとは言え、高い数字を稼いでいたシリーズを、継続するか否か、継続するとすればいかに、といった議論が製作陣のなかでなされたのでしょう。

シーズン8から変わったことは、主演だけではありません。ジェンセン演じるルース・コールダー警部補は、ロンドン警視庁から派遣されますが、もともと島の出身であり、なにやら複雑な過去も背負っています。シェトランドの魅力の一つであるテーマ曲も、フォークロア感を抑えた曲調になっています。シェトランドは、荒涼とした風景を美しく映像化している点も魅力の一つです。シーズン7までの映像は曇天で暗めで寂寥感を漂わせていましたが、シーズン8からは、日差しが多くやや明るい色調に変わっています。登場人物たちは、相変わらず一癖も二癖もありそうな人々ですが、ローカル感が薄れ、いかにも役者がエッジを効かせたキャラクターを演じているという印象です。つまり、ドラマの本質を構成していたシェトランド諸島のリアルな暗さが薄れ、ドラマは一層プロット重視に変わり、島は単なる舞台へと変化したように思います。

同じアン・クリーヴス原作の人気刑事ドラマに「ヴェラ」があります。2011年から14年間、14シーズンが放送されました。スコットランド北部を舞台に、肥えて偏屈で優秀なおばさん刑事ヴェラが活躍するシリーズです。ヴェラもシェトランドも、ミステリー・チャンネルの看板ドラマです。ミステリー・チャンネルは、一挙放送スタイルを採っています。つまり、シェトランドの1シーズン約6時間が連続して放送されるわけです。録画して観ることを前提としたスタイルなのでしょう。私は録画機を持っていません。必要を感じないからです。見逃した番組に関しては、NHK ONEやNHKオンデマンドがあれば十分です。そういう人に一挙放送スタイルは不都合極まりないものです。結局、Amazonで有料で視聴することになります。シェトランドは、お金を払ってでも観る価値がありました。ただし、シーズン7までですけど。(写真出典:filmarks.com)

2026年6月9日火曜日

「木挽町のあだ討ち」

 監督:源 孝志  原作:永井紗耶子  2026年日本

☆☆☆ー

永井紗耶子の同名原作は、2019年から小説新潮に連載され、2023年に単行本が出版されています。その年の直木賞、山本周五郎賞を受賞し、各種ミステリー・ランキングでトップ10入りしたベストセラーです。江戸末期の仇討ちを巡る物語が、芝居小屋を舞台に展開するというミステリーです。2025年には、松本幸四郎・市川染五郎親子によって歌舞伎化されています。芝居小屋が舞台ですから、相性が良かったのでしょう。そして、今年、NHK「京都人の秘やかな愉しみ」の源孝志の監督・脚本で映画化されました。”京都人”で源孝志のセンスの良さに惚れ込んでいたので楽しみにしておりました。ただ、パリに行っている間に公開され、終了していました。今般、ようやくAmazon Primeで観ることができました。

レベル以上の娯楽映画だとは思いますが、映画的な広がりや深さには欠けるところがあります。原作は、ミステリー仕立てながら、登場人物たちがもっと深掘りされているようです。恐らく、仇討ちを通して武家社会の硬直性、あるいは芝居小屋の世界を通して江戸の社会の矛盾が表現され、作品に深みを与えているのでしょう。映画は、プロットを追うことに注力したきらいがあり、やや趣きに欠けるところがあります。源孝志のそつのない演出はなかなかのものだと思いますし、センスの良さも感じさます。ただ、プロットに追われたせいなのかも知れませんが、やはりTVの人だな、と思ってしまいます。その最大の理由は、思想性の薄さなのでしょう。管理社会に対する批判はあるのですが、通り一遍で表面的なところがあり、登場人物の陰影も薄くなっています。

仇討ちは、制度化されていました。家や一族の結束、そして武力が武家の本質だと思います。仇討ちは、幕府が主導する管理社会と武家の本来的特性とのギリギリの妥協点なのだと思います。妥協ですから、そこには矛盾も生じます。江戸期であっても、殺人は幕府か藩が処罰することになっていました。殺人犯が逃亡した場合、直系卑属にその処罰を委託する形で仇討ちが許されました。ただし、仇討ちは公的に承認・管理された場合に限ります。仇討ちを認められた者は、敵を討ち取るまで国に戻ることも、家督相続することも許されませんでした。なかには数十年を要する例もあったようです。また、仇討ちされる側にも正当防衛が認められ、返り討ちは無罪とされました。制度としての仇討ちは、1873年(明治6年)になって、ようやく禁止されています。

映画の舞台となった木挽町の森田座は、実在した芝居小屋です。中村座、市村座と並び、幕府に公認された江戸三座の一つでした。歌舞伎座などでよく見かける黒・柿色・萌葱色の三色の幕、いわゆる定式幕は、森田座の幕から始まっています。また、劇中に登場する立作者・篠田金治も、実在する武家出身の狂言作者ですが、その名を借りているだけです。木挽町は、江戸期、現在の歌舞伎座あたりに存在した地名です。とは言え、ストーリーは、まったくのフィクションです。悪所と呼ばれた芝居小屋、身分制度の外で河原乞食と呼ばれた歌舞伎役者、いずれも管理社会の外側の存在です。本作は、管理社会の外にはじき出された者たちが、管理社会に一泡吹かせるという構図を持っているわけですが、残念ながら、そこの掘り下げが浅くなっています。

娯楽作品としては、まずまずの出来だとは思うのですが、興行的には振るわなかったようです。印象的には、東映のマーケティングに限界があったように思います。これが東映の現状と言えるのかもしれません。東映は、五社の一角を占め、任侠映画、実録ヤクザ等々、TVと一線を画すアウトロー路線で1970年代までは興業成績トップを続けました。高度成長のひずみ、カウンター・カルチャー等を背景に大衆を惹きつけていたわけですが、1980年代以降は低迷します。健全娯楽路線をとることで東映の後塵を拝してきた東宝が、今や一人勝ち状態になっています。本作を、アウトロー路線全盛の頃の東映が撮れば、随分とエッジの効いた作品になったのではないか、などと夢想しながら観ました。(写真出典:eiga.com)

2026年6月7日日曜日

四股名

天空海
相撲は、垂仁天皇の命によって、野見宿禰と当麻蹴速が戦ったのが始まりとされます。紀元前23年のことと推定されます。興行としての大相撲は、江戸期の勧進相撲に始まるとされます。ここで力士の興行上の名前である四股名も生まれます。四股名は、姓と名が一対となっています。つまり、雷電だけが四股名ではなく、雷電為右衛門が四股名ということになります。それは今も変わっていません。、通常は姓の部分だけで呼ばれますが、相撲協会の正式なプロフィールや表彰状等にはフルネームが記載されます。四股名に関しては、同じ四股名は登録できないといった協会のルールがあるだけで、かなり自由に決められています。ただ、通例として、雷電など偉大な力士の名、高砂といった年寄名跡、あるいは不祥事を起こした力士名などは、止め名とされています。

かつての四股名には、山や川が多く使われていたように思います。近年は、かなりバリエーションが増えたように思います。エストニア出身の大関・把瑠都が典型ですが、外国籍の力士が増えたことも一因かも知れません。しかし、多くは、世間のキラキラ・ネームの流行に影響されたのではないかと思います。一番印象的だったのは天空海(あくあ)の登場です。同じ頃、宇瑠虎(うるとら)、爆羅騎(ばらき)、光源氏もいました。とりわけ天空海は、柔道経験を活かした豪快な相撲で幕内まで昇進したので、よく知られるところになりました。天空海という四股名は、出身地の茨城県大洗にある大型水族館アクアワールドにちなんだと聞きます。もともとの四股名は豊乃浪でしたが、成績に波があるので、波の字を取るということで2014年に改名しています。

もっとも、明治時代にもかなり変わった四股名があったようです。自動車、自転車、文明(名は開化)、ロシアの陸軍中将の名前にちなんだというステッセルという力士までいたようです。大相撲は興行であり、人気商売でもありますから、四股名で注目を集める作戦も理解できます。しかし、相撲ファンとしては、大概にしておけよ、と言いたくなります。伝統を守るという観点もありますが、厳しい稽古を重ねて土俵に命を懸ける力士たち、そしてそれを応援するファンにも失礼だろうと思うわけです。通常、四股名は、部屋の親方と本人が相談して決めるようです。その際、部屋の伝統や統一感を重んじて、同じ漢字を四股名に入れることが一般的です。出羽海部屋の「出羽」、佐渡ケ嶽部屋の「琴」、九重部屋の「千代」等々、数多くあります。

今年の初場所では、伊勢ヶ濱部屋の力士9人が一斉に「富士」を使った四股名に改名し、話題を呼びました。先代の伊勢ヶ濱親方は横綱・旭富士、当代の親方は横綱・照ノ富士であり、部屋伝統の四股名です。改名した9人のうち8人は、旧宮城野部屋出身の力士たちです。2024年、暴行事件に端を発し、宮城野親方(横綱・白鵬)も弟子たちも伊勢ヶ濱部屋への預かりとなりました。その後、白鵬も角界を離れ、部屋を再興する可能性が無くなったこと、伊勢ヶ濱親方が代替わりしたこともあり、今般、結束を固めるために部屋伝統の四股名への改名となったようです。ただ、炎鵬だけは改名せず、白鵬由来の四股名のままとなっています。炎鵬は、大人気力士としての四股名を残し、関取、幕内復帰を目指すという決意をもって伊勢ヶ濱親方に懇願し、許されたと聞きます。

一度に富士が増えると、慣れないせいか、違和感を感じました。ただ、白鵬が弟子に付けた四股名に比べれば、まだマシだと思います。白鵬が命名した四股名のよろしくない例の一番が天照鵬です。三重県伊勢市の出身の力士であることから、天照大神と白鵬を組み合わせたのでしょう。日本人の親方なら絶対に付けない四股名です。日本の皇祖神を四股名に取り入れるなどもってのほかと思いますし、皇祖神を自らの四股名と並べるなど不遜の塊だと思います、力士本人、後援会、一門の親方たちが、なぜ反対しなかったのか不思議です。反対があっても押し切ったとすれば、それも白鵬らしいと思います。天照鵬は、今回、三重ノ富士に改名しています。ちなみに各地に〇〇富士と呼ばれる郷土富士は400以上存在するようです。伊勢ヶ濱部屋は、しばらく四股名に苦労することは無さそうです。(写真出典:mainichi.jp)

2026年6月5日金曜日

「シンプル・アクシデント」

監督:  ジャファール・パナヒ  2025年イラン・フランス・ルクセンブルク

☆☆☆☆

映画は政治的なものです。政治をテーマにしているか否かを問わず、不特定多数が観ることを前提としている以上、映画は政治的なものです。本作は、イラン国内の政治的状況を背景として成立しています。ただし、政治力学を描くものではなく、権力の腐敗を描くものでもなく、政治に翻弄される民衆のジレンマを描いています。本作は、政治的圧迫を受け続けるパナヒ監督が秘密裏に製作した作品です。制約の多い制作ゆえ会話劇的な面もありますが、映画としてのパースペクティブも十分に確保されてます。2025年のカンヌ映画祭で上映され、パルムドールを受賞しています。また、カンヌには釈放された監督が14年分ぶりに姿を見せ、8分間のスタンディング・オーベーションに応えたことも世界に報道されました。

政治的理由で服役したことのある人々が、受刑者たちを虐待していた看守とおぼしき人物を街で確保します。元受刑者たちの復讐心が、宗教や常識、あるいは恐怖との間で葛藤を起す状況が、時にコミカルに描かれています。イスラム全体主義下にあるイラン民衆の閉塞的な現状が端的に伝えられています。かつて世界の半分を支配するとまで言われたペルシャですが、近世になると列強、特にイギリスとロシア、後にアメリカの介入を受け続けることになります。1921年、クーデターを起こした軍人レザー・ハーンが皇帝となりパフラヴィー朝を開きます。近代化を目指したパフラヴィー朝は、第二次大戦に際し、英ソの影響を退けるために枢軸国に近づきます。しかし、これが逆効果となり、再び英ソが進駐します。20世紀初頭に発見された石油の利権は英国が握ります。

石油が生み出す巨大な利益は、英国と一部イラン人が独占し、国民は重労働と貧困のなかに置かれます。1951年に首相になった民族主義者モハンマド・モサッデクは、石油事業の国営化とソヴィエト寄りの路線を進めます。しかし、1953年には、アメリカとイギリスに担がれたモハンマド・レザー・シャーのクーデターが起こり、イラン国民は、再び、搾取される構図へと戻ります。しかし、1979年、ホメイニ師が先導したイラン革命によって状況は一変します。イラン・イスラム共和国の誕生です。国民は、欧米支配からの脱却を大歓迎しますが、一方で宗教的全体主義体制のもとで、徹底的な統制を受けることになります。本作は、まさにその体制下での大衆を描いており、監督自身も、逮捕拘禁、映画製作の禁止といった厳しい弾圧を受けることになります。

監督のスタンスは宗教全体主義への批判ですが、本作に込められたメッセージは、全体主義に抑圧されつつも行動を起こさない民衆へ苛立ちのようにも思えます。本作が、イランで秘密裏に撮影された直後、大規模な反政府デモが勃発しています。もちろん、本作はイラン国内で上映されていませんが、まるで監督のメッセージに応えるかのようなデモでした。きっかけは物価高でしたが、政府は武力弾圧、ネット遮断で応じ、数千人の死者が出たともされます。今般のイスラエル・アメリカによるイラン攻撃は、最高指導者ハメネイ師と政府指導部を殺害すれば、民衆が蜂起して政府を倒すという甘い想定のもとに決行されたように思います。しかし、結果的には、かえって国内を反米で団結させたように思います。アメリカが反政府運動を葬り去ったとも言えそうです。

監督は、「チャドルと生きる」(2000)でヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞、「人生タクシー」(2015)でベルリン国際映画祭の金熊賞を獲得しています。今回、カンヌでパルムドールを受賞したことで、世界三大映画祭すべてで最高賞を獲得した4人目の監督となりました。他の3人は、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー、ミケランジェロ・アントニオーニ、ロバート・アルトマンです。かつて、シベリアで収容所生活を送ったソルジェニーツインが「収容所群島」でノーベル文学賞を受賞した際、作品ではなく政治的理由で受賞したと批判されたものです。ジャファール・パナヒ監督の受賞作にも、同じ批判があるのでしょう。しかし、繰り返しになりますが、映画は政治的なものです。作品の政治性が評価されることは当然だと思います。(写真出典:eiga.com)

正統記(しょうとうき)