監督:タル・ベーラ 2000年ハンガリー・ドイツ・フランス 4Kレストア版
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タル・ベーラの代表作と言えば、「サタンダンス」(1994)や「ニーチェの馬」(2011)ですが、いずれもハンガリーの作家クラスナホルカイ・ラースローの小説が原作でした。本作もラースローの代表作とされる小説「抵抗の憂鬱」が原作になっています。ハンガリーの荒廃した田舎町での出来事が、ハンガリー動乱、あるいは歴史に翻弄されるハンガリー国民のアレゴリーとして描かれています。145分という長尺映画ですが、独特なロング・ショットで知られるタル・ベーラの作品としては、サタンタンゴの438分には及ばず、ニーチェの馬の154分と同レベルであり、これがタル・ベーラの標準なのでしょう。ちなみに、タル・ベーラは、ニーチェの馬をリリースした後、映画監督からの引退を表明しています。タイトルの「ヴェルクマイスター・ハーモニー」は、17世紀ドイツの音楽理論家アンドレアス・ヴェルクマイスターの和声理論を指します。ヴェルクマイスターの対位法は、バッハにも影響を与えたとされます。作中、老音楽家のエステルは、ヴェルクマイスターの和声理論を批判します。門外漢には、なかなか理解しにくい楽理の話です。ヴェルクマイスターやバッハの建築学的な音楽は西欧文化を代表します。一方、西欧とは異なる民族と文化を持つハンガリーには、チャルダーシュのように東西の文化が融合した独自の音楽があります。ハンガリーが、優れた音楽家を多く輩出する背景でもあります。エステルによるヴェルクマイスター批判は、ハンガリーのナショナリズムや欧州における立ち位置を象徴しているのでしょう。
アレゴリーとしての本作には多くのメタファーが散りばめられています。サーカスによって街に持ち込まれたクジラとプリンスは印象的です。大きなクジラは民主主義、外国語でアジテートするプリンスは周辺国を象徴しており、外的要因に影響を受けやすいハンガリーの地勢に関わるメタファーなのでしょう。最も象徴的なのは、暴徒と化した群衆が襲った病院で見つけた老人です。丸裸の老人が、バスタブに弱々しく立っています。暴徒たちは、老人の前に立ちすくみます。老人はハンガリー、あるいはハンガリー人そのものなのでしょう。無力な我が身を見せつけられたことで、暴徒の熱狂は消え去ります。実に自虐的ですが、これがハンガリーの現実であり、ハンガリー動乱だったということなのでしょう。
第二次大戦後、ソヴィエトの衛星国となったハンガリーでは、ソヴィエト型の国家運営がなされます。経済は破綻状態に近く、農村は過度な集団化で疲弊します。スターリン没後、フルシチョフがスターリン批判演説を行うと、1956年、同じ衛星国であるポーランドで反ソ暴動が勃発します。それに刺激されたハンガリーの民衆は、同じ年、反ソヴィエト、反政府暴動を起こします。すると、ソヴィエトは2,000台の戦車を含む軍を投入し、ブダペストを制圧します。民衆の死者は17,000人にのぼり、20万人が国外へ難民として脱出したとされます。ハンガリー動乱は、ソヴィエトの抑圧への反撥だったのか、経済的苦境を招いた政権への反撥だったのか、あるいは自由主義を求める戦いだったのか、今も議論があるようです。
暴動が収まった広場で、主人公ヤーノシュは暴徒の日記を見つけます。そこには「我々は何に怒っていたのか分かっていなかった」と書かれています。実に象徴的です。共産党政権は、ハンガリー動乱を歴史のタブーとして長らく国民に隠していました。1980年代後半、ペレストロイカとともに東欧の改革も進み、民主化されたハンガリー政府は、1989年、ハンガリー動乱の再評価を行っています。同年、ハンガリー政府は国境の鉄条網を撤去します。すると自由を求める東ドイツ国民が大量に徒歩で国境を越えて入国し、さらにオーストリアへと脱出していきます。いわゆる「汎ヨーロッパ・ピクニック」です。これがベルリンの壁崩壊、東西冷戦の終結へとつがりました。(写真出典:bitters.co.jp)