ただ、今の日本では、その実現は困難だとも思います。いまだ皇国史観や軍国主義へのヒステリックな反撥が強く、ナショナリズムという言葉に過敏に反応する日本では、提案した途端に袋だたきにあうと思います。また、多くの人々の合意を得られるような文章も難しいと思います。それこそ、まさに漂流を続ける日本を象徴しているとも言えます。ごく当たり前の国家として、ごくフラットに、国民が一つになれる拠り所、つまり国のかたちを明確にすることは、至極まっとうなことだと考えます。また、それが内外における国際化の進展にも寄与すると思います。ナショナリズムなくしてインターナショナリズムはあり得ません。国のかたちと言うのであれば、日本国憲法前文があるではないか、との反論もありそうです。
しかし、憲法前文には、主権在民は謳われているものの、他は戦争放棄という極めて特異な判断の言い訳が記されているのみです。世界平和を希求することは大賛成ですし、戦争には大反対です。しかし、戦争放棄とは、目前で家族が殴られていても何もしないことに等しく、あり得ません。いずれにしても、主権在民と戦争放棄だけを国のかたちとは認めがたいところです。国のかたちとは、国体と言うこともできます。国体は、一般的には国柄や国風を指すとされます。外国を意識した際、日本とは何かを定義するために用いられてきたと言えます。江戸末期、水戸学が国体という言葉を大いに広めます。水戸学の言う国体とは、天孫家・万世一系・神国思想等を要素に構成され、尊皇攘夷思想を生みます。明治期になると、天皇を中心とした中央集権国家作りを目指す薩長政権によって、国粋主義的な国体論が徹底されます。
それが、空想的な皇国史観、そして軍国主義へとつながるわけですが、一方で、脱亜入欧政策によって、西洋的な社会科学が導入され、国体論も新しい展開を見せます。例えば、法学者・美濃部達吉は天皇機関説を唱え、歴史学者・津田左右吉は記紀研究に基づき14代までの天皇を神話と断じます。もちろん、両論は、皇国史観に依拠する体制から批判・弾圧されます。しかし、敗戦とともに、軍国主義・皇国史観は、ほぼ完全に否定されます。それらと完全に一体化されてきた国体という言葉もタブー視されることになります。また、憲法は、全国民から尊重されるべきものですが、改正論議は否定されるべきものではありません。にも関わらず、憲法改正もタブー視されることになりました。羮に懲りた日本は、行うべき議論を避け続けたことで、大海を漂う小舟のようになってしまったと思うわけです。
ならば、日本の国のかたち、国体は、いかにあるべきか、ということになりますが、浅学ゆえに私は答を持ち合わせません。ただ、日本の社会・文化を育んできた人と自然との関わり方、人と社会との関わり方の根本が明示されるべきだとは思います。その際、日本がたどってきた歴史は大きな構成要素になります。とすれば、天皇制に言及せざるを得ないとも思います。神国思想を排し、主権在民を明確にし、そのうえで単一王朝が生み出してきた社会と文化を鮮やかに表現できるとすれば、自ずと日本の国のかたちが現れるのではないかと思います。とは言え、決して簡単なことではありません。ちなみに、美濃部達吉は、戦後の憲法改正に際し、主権在民は国体の変更であるとして、枢密院において唯一人、改正に異を唱えたことでも知られます。(写真出典:item.rakuten.co.jp)