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清朝正黄旗 |
昔、父親から、中国やロシアといった広大な国土と多民族を抱える国を維持するためには、強力な中央集権体制、つまり帝政を選択せざるを得ない、と聞かされました。妙に印象に残りました。納得できる話ではありますが、誰のために国を維持するのか、ということが気になります。もちろん、答えは”国民のために”以外ありえません。特に、為政者たちは、胸を張って、そう言い切るはずです。しかし、ロシアや中国のように、個人の選択と行動の自由を奪っておいて、”国民のために”と言えるのでしょうか。個人的には、国家が国民に最低限保障すべきは自由と安全だと思います。自由と安全が保障できない国家など、果たして存在意義があるのか、はなはだ疑問に思います。
上海の中国人から、中国共産党には多くの問題があることは我々も知っている、ただ、我々がメシを食えて、豊かになってゆく限り、我々は共産党政権を支持する、と聞かされたことがあります。思えば、中国やロシアの民衆には、反乱や戦争といった社会的混乱に頻繁に巻き込まれてきた歴史があります。共産主義政権が誕生した後ですら、しばしば大混乱が起きています。そのような歴史からすれば、強権的な政治体制であれ、束縛の多い社会であれ、社会が安定している状態は極めて価値あることなのでしょう。そのためなら、多少の犠牲や制約を受け入れることも厭わないということなのでしょう。しかも中国やロシアの広い国土のなかには自然環境が厳しい地域もあり、一層、その思いが強いのかも知れません。
多民族国家であることに関しては、防衛上、戦略的深度を確保するために生じた結果という面があります。他国や他民族が侵入しやすい地理上の特性から、中国もロシアも防衛線を外へ広げなければならないという思いが強いのでしょう。ロシア人や漢民族以外の人々が住む地域を管理するために、両国とも見せかけの自治という巧妙な手法をとってきました。実態として、衛星国や自治州にはロシア人や漢民族が入り込んで政治や経済を主導し、民族固有の言語や文化も奪ってきました。人口も少なく、風土の厳しい多くの衛星国や自治州は、中央政府に頼らざるを得ない体制が築かれています。豊かな耕作地や鉱物資源でも無い限り、そして一定の軍事力を確保できない限り、完全な独立は厳しいということなのでしょう。
ロシアのウクライナ侵攻は侵略そのものであり、中国によるウイグル族への弾圧はジェノサイドに近く、言語道断と言わざるを得ません。しかし、家の外壁に大きなひび割れができたら、それを直して当然であり、直す権利がある、というのがロシア・中国の主張なのでしょう。民主的国家とはまったく異なる独善的な論理には、ただただ驚かされます。ひび割れを放置すれば、家が壊れかねませんよ、と言われれば、大衆も補修を認めざるを得ないのでしょう。なぜなら、大衆のささやかな望みは社会の安定だからです。現代の皇帝たちは、巧妙に作り上げられた管理体制を背景に、大衆の心理を見事に操っていると言えます。民主主義は手間のかかるものであり、時として混乱も生じますが、個人の生存権や自由が侵されることはありません。中国やロシア等の大衆が、制約の多い見せかけの安定よりも、個人の尊厳を重視する日が来ない限り、全体主義は続くのでしょう。(写真出典:ja.wikipedia.org)