監督:ジュスティーヌ・トリエ 原題:Anatomy d'une chute 2023年フランス
☆☆☆☆
(ネタバレ注意)
昨年のカンヌ国際映画祭で、パルム・ドールを獲得し、フランスで大ヒットを記録した作品です。独特な緊張感を巧みに編み上げた法廷劇です。作家の転落死を中心に、夫婦間の問題、視覚障害の息子、作家という職業のストレス、フランス人とドイツ人、言葉の問題、横柄な検事といったモティーフが展開されていきます。モチーフの多い映画は、得てして散漫になるものですが、本作はトリエ監督の演出と主演したザンドラ・ヒュラーの存在感によって緊張感あるドラマに仕上がっています。また、舞台となったフランス・アルプスの風景がとても良い効果を生んでいます。さらに、劇伴は一切ありませんが、音楽の使い方もとても上手いと思いました。プロットの中心となっているのは、古典的とも言える「事故か自殺か殺人か」という疑義です。そして、死んだ作家の妻である主人公が、殺人の容疑者となります。このフレームだけなら驚きもしませんが、ここから、この映画の絶妙な仕掛けが展開されていきます。当然、映画の冒頭で観客は主人公に同情的になるわけですが、そこに、次々と殺人を思わせるモティーフがたたみかけられます。そして、唯一の目撃者が視覚障害のある10歳の息子とい不安定要素も加わります。映画は、事の顛末を客観的に叙述するのではなく、観客に疑問を疑問のままにぶつけていくという挑戦的な構図になっています。観客は、傍観者ではなく、陪審員の立場に置かされているとも言えます。
本作では、法廷劇で多用される再現映像的なフラッシュバックが、ほぼ使われていません。例えば、フラッシュバックを使って見事に観客を欺いた「ユージャル・サスペクツ」(1995)とは異なり、リアルタイムで観客に疑義を提示することにこだわっています。それが、上質な緊張感を生んでいます。また、TVのニュース映像をフルサイズで使うことで、リアリティと同時性を高めています。興味深いと思ったのは、緊張感を生み出す言語の扱い方です。ドイツ人の主人公は、フランス語が得意ではなく、フランス人たちとしばしば英語で話さざるを得ません。一方で、早口で主人公を攻め立てる検事のフランス語との対比が、孤立した異国人というイメージを際立たせ、不安定感を高めるモティーフの一つとなっています。
観客に対して、ストレートかつフラットに疑義を提示していくという本作のスタンスが、齟齬なく脚本、演出、演技で共有され、見事な化学反応を生んでいると言えます。監督のジュスティーヌ・トリエは、2013年の長編デビュー以来、注目の若手監督として、常に高い評価を得てきたようです。また、マクロン政権に対する過激な批判でも知られているようです。脚本は、トリエ監督と、映画監督でもあるアルチュール・アラリが共同執筆し、多くの映画祭で脚本賞を獲得しています。主演のドイツ人女優ザンドラ・ヒュラーは、観客の同情を得ながら、一方では疑念も与えるという難しい演技を見事にこなしています。本作が仕掛ける曖昧さによって、観客は事実と真実の間を揺れ動くことになります。
撮影は、フランス東部グルノーブルとその近郊のスキー・リゾートで行われています。室内シーンが多くなりがちな法廷劇にあって、青空に映えるアルプスの白い山々は、映像の広がりと奥行きを生み出しています。映画の冒頭、その美しい景色を背景にに、夫がかけたレゲエ調の明るい音楽が大音量で流れます。実に印象的でした。元の曲は、アメリカのラッパー”50 cent”の”P.I.M.P”ですが、映画で使われているのはドイツの”Bacao Rhythm & Steel Band”がヒットさせたインストゥルメンタル・ヴァージョンです。アルプスの風景と南国のスティール・ドラムの音色という意外な組み合わせが効果的です。”P.I.M.P”(ポン引き)という曲名は、フェミニズム的アイロニーのようにも思えます。だとすれば、我々が見た映画の結末も真実ではないのかも知れません。(写真出典:eiga.com)