監督: 山崎貴 2023年日本
☆☆☆
ゴジラがスクリーンに登場してから70周年を迎えます。加えて、実写作品として30本目という節目も記念して本作は制作されたようです。ゴジラ・シリーズのすべてを見ているわけではありませんが、本作は、庵野秀明が監督した前作「シン・ゴジラ」と並ぶ異色作なのだと思います。1954年、ビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験で生まれたとされるゴジラは、核兵器がもたらす厄災の象徴でした。しかし、本作では、初登場からさかのぼること10年、戦時中の離島にゴジラが出現したという設定になっています。そして人間とゴジラの戦いに加え、特攻隊の生き残りの戦後というドラマがメイン・プロットになっています。今回のゴジラは、核兵器による地球や人類への影響に加え、戦争の悲惨さをも象徴しているということなのでしょう。ちなみに、山崎貴は大ヒットした「永遠の0」(2013)も監督しています。個人的には、原作を書いた百田尚樹が嫌いなので、読んでも、見てもいません。百田尚樹は、いかにもTV屋あがりの食わせ者だと思っています。安っぽいセンチなストーリーを売るために、特攻を使うなど、もってのほかだと思っていました。また、百田尚樹の底の浅いエセ右翼ぶりにも呆れるものがあります。いずれにしても「永遠の0」は、大ヒットし、多くの映画賞も獲得しました。ただ、一方で、左翼からも右翼からも多くの批判が噴出したことも事実です。山崎監督は、意図とは異なる批判に悔しい思いもしたはずです。
そうした思いも踏まえ、本作の脚本は慎重に書かれたものと思われます。特攻をモティーフとしながらも、特攻で命を落とした若者たちの心情にも、特攻に対する批判にも触れていません。特攻を巡る議論を避けて、反戦とヒューマニズムに特化するスタンスをクリアにしたかったのでしょう。また、同じ趣旨からと思われますが、恐怖心から機体の故障を偽り生き残った特攻隊員という極めて希な設定も気になるところです。特攻の実相や構造からかけ離れた特攻の描き方には、大いに違和感を覚えます。戦時中の若者たちの心情は、裏表なくお国のために命を捧げるということであり、生き残った戦中派は死ねなかったという思いが強かったのだと考えます。センチなヒューマニズムでは、とても語れないほど悲惨な話です。
彼らをそうさせたのは皇国史観であり、軍国主義であり、国粋教育でした。そのことを踏まえずに、特攻をモティーフに使うことは、危険だとも言えます。映画は政治的なものです。多くの人々に影響を与えます。制作サイドが、反戦を意図して一人の若者の苦難を描いたとしても、軍国主義体制への批判を踏まえた脚本・演出になっていなければ、戦争を美化することにもなりかねません。終戦から、来年で80年を迎えます。戦争を知る世代は少なくなっています。そうした現状を考えれば、太平洋戦争に対する理解や認識の薄い若い人たちに対しては、あらゆるメディアを通して、戦争の恐ろしさ、そして全体主義の恐ろしさも伝え続けるべきだと思います。
監督は、なかなかの腕前だと思いますが、ややTV的なベタな演出が気になりました。映画的奥行きにかける傾向があるとも言えます。ただ、テンポの良さは日本映画の水準を超えていると思いました。監督のセンスが、国際的、あるいはハリウッド的だと言うこともできそうです。本作は、アメリカでもヒットし、評価もされています。その理由は、ゴジラのスペクタル・シーンとシリアスなドラマという珍しい組み合わせに加え、日本映画らしからぬテンポの良さが、エンターテイメントとしての質を高めているからだと思います。さらに、ドラマを反戦とヒューマニズムというテーマに特化したことにより、アメリカ人にも分かりやすい国際性を得たのだとも思います。(写真出典:amazon.co.jp)