2020年12月19日土曜日

垂直都市

 長崎の軍艦島、かつて香港に存在した九龍城砦、まったく性格を異にする人口密集地ですが、何故か人を惹きつけるものがあります。炭鉱掘削拠点として建造された軍艦島に対して、九龍城砦は無法化したスラム街です。構造的には、両者とも狭い土地に密集したビル群に都市機能が凝縮された、いわば垂直的に発展した都市です。垂直的に展開した住宅ならば、NYでもパリでも香港でも、多く存在します。しかし、都市としての機能のすべてが垂直的に存在する街は、あまり例がありません。

長崎市の端島、通称軍艦島は、海底炭鉱の拠点であり、炭鉱労働者の住居でした。江戸末期から採炭されていたようですが、明治中期、三菱が採掘権を獲得すると、本格的な炭鉱開発が行われ、瀬や岩礁を埋め立て、周囲を護岸で囲い、現在の軍艦島の姿になります。出炭量の増加とともに、鉱員も増加し、日本初の鉄筋コンクリート製集合住宅が作られます。最盛期の1960年、人口は約5,300人、人口密度は東京23区の9倍に達し、世界一と言われました。所狭しと立ち並ぶビル群には、住宅、学校、商店、映画館、喫茶店等があり、生活のほぼすべてが島で完結するほどの都市化が進みます。また、当時、三種の神器と呼ばれたテレビ・洗濯機・冷蔵庫が各家庭にあるほど生活水準は高かったそうです。

九龍城砦は、香港島と九龍半島が英国に租借された後も、中国領土として残った200m×150mの狭い土地です。事実上、どこの国の管理も及ばない無法地帯と化した九龍城砦には、国共内戦以降、本土からの難民が流入し続けます。1990年の人口は約5万人、細いビルが隙間なく乱立し、ありとあらゆる違法行為が行われていました。違法な食品工場や化学工場までありました。三合会と呼ばれる暴力団の巣窟でもあり、一度入ったら、二度と出てこれないとまで言われました。香港政庁は、幾度か排除に乗り出しますが、中国からの妨害、住民による抵抗により失敗します。かつては、カイタック(啓徳)空港への着陸時、その異様な姿を空から間近に見ることができました。

エネルギーの石油化が進んだ1974年、端島炭鉱は閉山となります。その後は、無人島となり、廃墟化が進みます。軍艦島への上陸は、許可を受けたツアーに参加するしかありません。上陸しても、歩ける範囲は狭く、むしろ海から見る島の姿の方がツアーのハイライトです。2015年には、明治の産業遺構の一部として世界文化遺産に指定されました。九龍城砦は、皮肉なことに、香港の中国返還が決まってから、取り壊されています。中国政府としては、かつて支援した悪の巣窟を、英国に片付けさせたというわけです。1995年、跡地は公園として整備されました。

軍艦島も、九龍城砦も、どこかSF的で、あるいはディストピア的なところが、人々の興味を強く刺激するのでしょう。ユートピアとディストピアは、表裏一体というよりも、同じものであり、見方によって、いずれにでもなるという傾向があります。管理されたユートピアに見えるのが軍艦島、自由なディストピアに見えるのが九龍城砦といったところでしょうか。(軍艦島 出典:nagasaki.np.co.jp   九龍城砦 出典: businessinsider.jp)

マクア渓谷