2020年12月18日金曜日

祈りと沈黙

宗教によって、出家信者の有無に違いがあることは、興味深い点だと思います。仏教やヒンドゥー教には出家信者が存在し、キリスト教では東方教会やカソリックには存在しても、プロテスタント系にはほぼ存在しません。ユダヤ教にも出家信者は存在していたようです。イスラム教では出家信者は認められていません。出家信者が共同生活を送る僧院は、仏教やキリスト教には存在しますが、他はあまり知られていません。キリスト教の僧院は、修道院として知られます。

最も戒律が厳しい修道院の一つと言われるのが、フレンチ・アルプスの山中に位置するグランド・シャルトルーズ修道院。フィリップ・グレーニング監督「大いなる沈黙へ」(2004)は、グランド・シャルトルーズ修道院を、半年間にわたって一人で撮影した伝説的ドキュメンタリー映画です。撮影を申し込んでから。16年間待たされたうえで、多くの制約を条件に撮影が許可されたと言います。上映時間160分、ナレーション無し、インタビュー無し、照明無し、BGM無し、社会と隔絶された祈りと沈黙の館のドキュメンタリーは、気絶することなく観ること自体も、まるで修行のようでした。

グランド・シャルトルーズ修道院は、1084年、カルトジオ会創設者である聖ブルーノと6人の弟子によって開かれたとされます。外界と遮断され、ほぼ自給自足の祈りの生活が営まれています。修道士は、独居室で祈り、学び、食べ、眠ります。一日のうち9時間が祈り、7時間が労働、8時間が休息という毎日。一週間に一度、数時間だけ、散歩や会話が許されますが、基本的には沈黙と労働の日々です。グランド・シャルトルーズ修道院は、その名を冠したリキュールでも有名です。130種類の薬草を独自に配合したリキュールを製造販売し、現金収入を得ています。

修道院は、3~4世紀頃、エジプトあたりで世俗を離れ、一人で苦行する修道士が現れたことから始まるとされます。修道士を表すMonkの語源は、ラテン語の一人孤独に暮すことだと言います。共同生活が始まっても、独居室が基本である理由なのでしょう。6世紀には、ベネディクト派創始者ベネディクトゥスが、モンテ・カッシーノ修道院を開き、これが西欧における修道院の始まりであり、修道院制の基礎になりました。第二次大戦の激戦地ともなったイタリア中部のモンテ・カッシーノ修道院は、孤立した急斜面の山の頂に立つ別世界です。アルプスに深く抱かれたグランド・シャルトルーズと対を成すようにも思われます。

なぜ人は修道院を目指すのでしょうか。心の平穏を得たいから、魂を洗い清めたいから、そんな程度の動機では、とても勤まるものではないと思います。「一切を退け私に従わない者は弟子にはなれぬ」という言葉が、何度か映し出されます。一切のなかに、自らの命も含まれると考えるべきなのでしょう。本作中、一カ所だけ、修道士が自らの声で話しています。盲目の年老いた修道士は「死は幸せだ。神に近づけるのだから」と語ります。修道院とは、死も生も超越した、神の領域に最も近い場所なのかもしれません。(写真出典:gendai.ismedia.jp)

マクア渓谷