物語は、1930年代、アラバマの片田舎での牧歌的な子供たちの世界から始まります。父親で弁護士のアティカスは、判事に依頼され、黒人トムの弁護を引き受けます。農夫イーウェルの娘が、トムに殴られ、レイプされたという事件ですが、当事者の証言があるのみで、物証はありません。トムは、娘に言い寄られ、逃げたと証言します。左手が不自由なトムは暴行できないことが明らかになりますが、白人だけで構成された陪審は有罪を宣言します。護送中に逃亡を図ったトムは射殺されます。それでも農夫イーウェルは、アティカスを恨み、子供たちを襲います。それを阻止したのは、子供たちから気味悪がられていた青年ブーでした。精神障害を持つブーは誤ってイーウェルを殺害しますが、保安官は事故として処理します。
1950年代中期に始まった黒人による公民権運動が高まりを見せるなかで発表された小説は大きな反響を呼び、ピュリッツァー賞を獲得、翌年には映画化されました。本作は、幼少期をアラバマで過ごした作者の体験に基づいています。公民権運動の始まりは、1955年のモンゴメリー・バス・ボイコットだとされます。モンゴメリーもアラバマ州の町です。本作は、公民権運動との関わりのなかで語られることが多いわけですが、単に南部における黒人差別の実態を告発しただけの作品ではありません。そこで描かれているのは、アメリカの良心であり、それに対する深い信頼です。人種差別だけでなく、貧困、無学といった悲惨な現状があっても、いつか、それは克服されるだろうという楽観的な希望こそ本作の背骨です。
物語はアティカスの娘スカウトの回想になっており、子供の視点で語られることが作品最大の特徴です。子供たちは、アティカスが見せたくないと言った醜い現実を目の当たりにすることで成長していきます。回想、子供の視点という形式をとることで、人種差別や貧困の醜さを直接的に描くことなく、アメリカの良心を伝えることができているとも言えます。本作は、マーク・トゥエインの「ハックルベリー・フィンの冒険」(1888)の正統な後継者だと思います。ハックルベリー・フィンは、グレート・アメリカン・ノベルとも呼ばれ、ヘミングウェイは、すべてのアメリカ文学の源とまで言っています。ハックルベリーの冒険の道連れは、逃亡奴隷のジムであり、作品は、人種差別批判に貫かれているとされます。
「To Kill a Mockingbird」とは、実に奇妙なタイトルです。アティカスは、父から聞いた「ブルー・ジェイ(アオカケス)は殺してもいいが、無害なモッキンバード(マネシツグミ)を殺してはいけない」という話を子供たちに伝えます。ブーの罪を問わないとした保安官の判断に、スカウトは「保安官は正しいわ。(ブーを裁くことは)モッキンバードを殺すことと同じだものね」とアティカスに話します。モッキンバードは、黒人のトム、精神障害を持つブーといった社会的弱者のみならず、子供たちであり、アティカスであり、モッキンバードを殺さないことこそアメリカの良心なのでしょう。この作品が、ジョン・F・ケネディ時代に発表されたことは、偶然ではありません。黒人が公民権を獲得したのは1964年のことであり、暗殺されたケネディ大統領の後を継いだリンドン・ジョンソンによって署名されています。(写真出典:en.wikipedia.org)