震災発生から1ヶ月後、神戸に入りました。いまだ救援ステージにあり、瓦礫の除去も必要最小限といった状況でした。街は傾いたビルであふれ、見ていると平衡感覚が麻痺してくるようでした。特に印象に残ったのは、パンケーキ・クラッシュと呼ばれる、ビルの1階、あるいは中層階が押しつぶされる層崩壊です。犠牲者の9割は圧死でしたが、木造家屋の多かった長田区では火災が発生し、多くの方が焼死しています。倒壊した建物に挟まれ、そこに火が回り焼死したケースが多かったと聞きます。なんとも悲惨な話です。建造物崩壊により、消防車が水源を確保しにくかったことから延焼が広がったとされます。いずれにしても、阪神・淡路大震災は、人々の心にも、街にも大きな爪痕を残しました。
世界を震撼させた近代都市での大災害ですが、一方で、奇跡とまで言われた復興の早さも世界を驚かしました。「がんばろう神戸」というスローガンのもと、一日も早く、街を取り戻す、いつもの生活を取り戻す、という神戸の皆さんの強い思いが結実したものでした。神戸の皆さんの思いを形に現わしたイベントの一つが「神戸ルミナリエ」でした。震災が発生した年の12月には第1回が開催されます。鎮魂、追悼、復興を願うイベントです。幾何学模様に電飾を施したフレームを数多く並べるイタリア式のイルミネーションは、日本では初だったのではないかと思います。デザインもイタリア人が行っています。後に、東京の丸の内でも、イタリア式のイルミネーションが行われ、人を集めていました。
当初、神戸ルミナリエは1回だけ開催する予定でした。当時、神戸商工会議所の副会頭だったノーリツの創業者・太田敏郎が、毎年開催を提唱し、企業に呼びかけます。自ら企業を回り、協賛を呼びかけたと聞きます。その尽力もあって、神戸ルミナリエは継続され、神戸にかかせない年末の風物詩となっています。ただ、震災から時が経つにつれ、500万人を超えていた来場者も、徐々に落ち込み、協賛企業も減っていきました。2005~2006年には赤字を経常したこともあり、毎年、終了が議論されることになります。しかし、震災を忘れないということは、犠牲者、被災者のためでもありますが、次の世代への重要なメッセージでもあります。追悼式典は当然としても、ルミナリエのように、全国に向けて、継続的にメッセージを発信するイベントは極めて希です。何が何でも継続すべきだと思います。
また、阪神・淡路大震災は、日本の防災態勢を大きく変えるきっかけになったことでも知られます。耐震基準の強化を始めとし、建築基準法の見直し、レスキュー体制の強化、自衛隊の災害出動の整備等々、あるいはカセット・ボンベの規格統一も有名な話です。私は、2004年の中越地震を経験しました。夕方の炊飯時に発生した地震にもかかわらず、火災が少なかったことに驚きました。聞けば、阪神・淡路大震災以降、都市ガスのメーターは、揺れを感知すると遮断される仕組みのものへと置換えが進んでいたとのことでした。(写真出典:higashinada-journal.com)