2022年3月1日火曜日

梁盤秘抄#22 Learning to Crawl

アルバム名:Learning to Crawl(1984)                                                                       アーティスト:プリテンダーズ

30歳のおり、セールス・マネジャー職に就きました。営業成績が評価のほぼ全てであり、それ次第では今後の会社生活も左右されるという仕事でした。当時、日本の企業文化は、高度成長期の成功体験を色濃く引きずっており、精神論と長時間労働が信仰されていました。業績が悪いと人格を否定されるほど厳しい叱責を受け、退社時刻が遅いほど褒められました。そんな時代遅れのセールス文化を、マーケティング主導に変えていくことが、我々の使命だとは思っていました。とは言え、まずは業績を上げて、認められないことには、若造の戯言などに耳を貸す人などいるはずもありません。結局、プレッシャーのなかで、長時間労働の日々を続けました。

その頃、通勤も仕事も車を使っていましたが、カーステレオで聴く音楽だけが救いでした。そもそも”自分は束縛されていない”と思えることに喜びを感じるタイプなので、長時間の激務は地獄のようでした。音楽は、わずかな時間とは言え、自由を感じさせてくれました。車の中で最もよく聴いていたのは、パキスタンで買った民族系歌謡曲のテープ、そしてプリテンダーズでした。パキスタン音楽は、趣味の世界に浸ることで、現実から逃避できます。プリテンダーズに関しては、理由はよく分かりませんが、とにかくよく聞きました。長時間労働の日々が、ヒット曲「Back on the Chain Gang」に重なったからかもしれませんが、恐らく、ストレートなロックが、多少は自由を感じさせ、クリッシー・ハインドの声に癒やされたからなのでしょう。

プリテンダーズは、1978年、オハイオ州アクロン出身のクリッシー・ハインドが、ロンドンで結成したバンドです。クリッシーは、大学卒業後、ロンドンに渡り、アパレル・ショップや音楽雑誌社で働き、デビューしたのは20代後半と遅咲きでした。バンド名は、クリッシーの元彼が好きだったプラターズのヒット曲”The Great Pretender”(1955)からとったといわれます。デビュー・アルバム「Pretenders」から、いきなり "Brass in Pocket"と”Kid”がヒットします。いわゆるディスコ・ブームの最中、ストレートなロックンロール・テイスト、クリッシーの艶のあるコントラルト・ヴォイス、シンプルなギター・サウンドが、とても新鮮に響いたのでしょう。モータウンやカントリーの影響を感じさせるクリッシーの曲と声が、ロンドンのロック・スピリットと出会って生まれたサウンドだと思います。

突っ張った曲であっても、どこか哀愁を帯びているのがクリッシーの書く曲の特徴でもあります。それがよく出たアルバムが、3作目となる「Learning to Crawl」です。名曲揃いだと思いますが、最もヒットした曲は”Back on the Chain Gang”であり、プリテンダーズを代表する曲ともなりました。他にも、ロック・スピリット溢れる”Middle of the Road”、パースエイダーズのカバー”Thin Line Between Love and Hate”、故郷の変わりようを歌った”My City Was Gone”、そして、前年、オーバードーズで急死したギターのジェイムス・ハニーマン・スコットに捧げた”2000Miles”は、クリスマス・ソングの定番にもなりました。私のお気に入りは、プリテンダーズ・テイストとは多少異なる”Show Me”でした。やや哲学的な歌詞ですが、滑らかなメロディは、聴いていて気分が良くなります。ちなみに、86年にヒットした” Don't Get Me Wrong”も好きな曲です。

話は、セールス・マネジャーに戻りますが、幸いなことに業績は順調で、これはいい仕事だと思えるようになりました。業績さえ上がっていれば、何でも許される、と思ったからです。ただ、プライベートな時間が持てないほどの忙しさは変わりませんでした。2年間、セールス・マネジャーを務めた後、NYへ転勤となりました。結局、2年間、プリテンダーズを聴きまくったわけです。フィールドでの経験は、NYでの仕事はじめ、その後の会社生活に大きなプラス効果を与えてくれたと思っています。ただ、マーケティング主導の営業体制への転換に着手できたのは、10年後のことでした。(写真出典:amazon.co.jp)

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