2022年3月17日木曜日

鞍馬山

僧正ヶ谷木の根道
京都には何度も行きましたが、ほとんどがビジネス目的、かつタイトな日程だったので、さほど観光はしていません。行ってみたい所は数多くありますが、その一つが鞍馬山でした。今般、念願叶って、鞍馬寺から貴船へのトレッキングを行うことができました。出町柳から叡山電鉄で鞍馬へ向かいました。思えば、叡電に乗るのも初めてです。叡電の叡山本線は、1925年、京都電燈によって開設されています。当時は、電力会社が、電力の安定消費のために鉄道事業を行うこともままあったようです。1928年には、子会社の鞍馬電鉄が、鞍馬線を開業しています。戦後は、京都電燈の鉄道事業を継承した京福電鉄が運営していましたが、現在は京阪電鉄の子会社となっています。いずれにしても、長い歴史を持つを路線です。

5年前にドロミテで骨折して以降、骨折した足の血流に問題があり、山歩きはしていませんでした。そろそろ再開してみようと思い、鞍馬・貴船間を選びました。起伏が厳しいとは言え、3km程度の距離であり、再開にはちょうど良いコースと思った次第です。足の血流も気になるので、駅から鞍馬寺まではケーブルを使いました。鞍馬寺は、”鞍馬蓋寺縁起”によれば、770年に鑑真が中国から連れてきた弟子の一人鑑禎によって開かれました。鑑禎は、夢で、山城国の北に霊山があると告げら、行ってみると、宝の鞍を乗せた白馬の姿を見ます。鬼に襲われた鑑禎は、毘沙門天に助けられたため、ここに草庵を結び、毘沙門天を祀ります。796年、藤原伊勢人が、やはり夢のお告げによって、この地を訪れ、伽藍を整えたとされます。

鞍馬山で、最も楽しみにしていたのは僧正ヶ谷でした。牛若丸、後の源義経は、11歳の時、鞍馬寺に預けられ、遮那王と名乗ります。牛若丸と言えば、五条大橋での弁慶との戦い、あるいは”虎の巻”の語源となった陰陽師・鬼一法眼からかすめ取った兵法”六韜”・”三略”など、多くの逸話が残ります。私のお気に入りは、夜ごと、寺を抜け出した遮那王が、僧正ヶ谷に住む大天狗、鞍馬山僧正坊から剣術指南を受ける話です。その情景を想像すると、なぜかワクワクしたものです。僧正ヶ谷は、鞍馬寺から登り、分水嶺を越えたあたりに広がります。鬱蒼とした森、切り立った谷、特に木の根が地表に露出した一帯などは、まさに修行の場に相応しく、興奮ものです。2017年の台風21号で、樹齢数百年クラスの大木が多く倒れ、またそれが凄みを一層増していました。残念ながら、天狗には遭遇しませんでしたが。

僧正ヶ谷には、最澄が自ら彫ったとされる不動明王を祀る不動堂、さらには謎の”奥の院魔王殿”があります。戦後、鞍馬寺は、天台宗を離れ、鞍馬弘教総本山を名乗っています。魔王殿には、金星から来たという魔王が祀られてるそうです。僧正ヶ谷を抜けると、貴船に向かって急な下りが続きます。貴船の西門に着いてからは、川沿いの登り坂を貴船神社奥の院へと進みました。道沿いには、料理屋が並びます。夏には、名物の川床をしつらえる店々です。鴨川の川床は経験しましたが、さっぱり納涼にはなりません。貴船の川床は本当に涼しい、と京都の人たちは言います。川の流れのすぐ上に渡した床ですから理解できる話ですが、そもそも標高が高いので涼しくて当然とも思います。川床の季節ではないので、人もまばらかと思いきや、結構、若い人たちが来ていました。平安の頃も今も、京都人にとって、貴船は手頃な行楽地なのでしょう。

ゆっくり歩いて2時間強のコースですが、久々の山歩きで、それなりに疲れました。昼食を食べるつもりだった料理屋が臨時休業。他の店とも思いましたが、急に三条篠田屋の中華そばが食べたくなりました。体が、水分とともに、塩分を欲していたのでしょう。1904年創業という篠田屋は、レトロな大衆食堂です。店に入ると「今日は皿盛が売り切れ」と言われました。ねらいは中華そばですから、問題ありません。篠田屋の中華そばは、昔懐かしい味の最高峰であり、いつもホッとさせられます。ちなみに、皿盛とは、ご飯の上にとんかつ、そのうえに餡かけという、ここにしかない名物です。京都の誇りの一つは上品な京料理ですが、京都はB級グルメのメッカでもあります。舌の肥えた客と学生の多い街で生き残ったB級グルメならば、不味いわけがありません。(写真出典:travel.co.jp)

マクア渓谷