2022年3月16日水曜日

雪舟観

雪舟「天橋立図」
今般、初めて天橋立を観てきました。日本三景とは言え、砂州に松が生えているだけなら、わざわざ足を運ぶまでもないと高をくくっていました。驚きました。まさに日本三景、見事な景観でした。鏡のように穏やかな内海と折り重なるような低い山並みが、天橋立を、一層美しく、かつ雄大な姿にしています。天橋立は、観る方角や高さによって、異なる姿を見せます。天橋立四大観と言われる展望スポットが知られています。龍が天に昇る姿に見えるという笠松公園の「昇龍観」は、”股のぞき”発祥の地でもあります。天橋立ビューランドの「飛龍観」は、逆方向から、龍が天に飛ぶ姿に見立てられます。砂州がうろこのようにも状に見えます。大内峠の「一字観」は、天橋立が横真一文字に見えます。

そして、大内峠の逆方向、 栗田半島の付け根にある獅子崎稲荷神社からの眺望は「雪舟観」と呼ばれます。神社は、道からすぐに階段が続く小さな祠で、駐車場すらありません。雪舟の作品は6点が国宝となっており、個人としては最多ですが、その一つが「天橋立図」です。「天橋立図」は、方角的には、獅子崎稲荷からの眺望と考えられています。ただ、見た目は、全く異なります。科学的に分析すると、「天橋立図」は、雪舟観の上空、約700mの地点から描かれたということになるようです。しかし、周囲も含めて、そのような山は存在しません。雪舟は、鳥の目をもって、天橋立を描いてみせたということになります。

この抽象性こそ、雪舟の大きな特徴なのではないか、と思っています。山水画は、大きな自然と小さな人間を、デフォルメして描かれていると思われがちです。ところが、中国の山水画は、実に写実的です。日本人にとっては、空想の世界としか思えない奇岩は、桂林を引き合いに出すまでもなく、実在する風景です。絵師たちは、そこに風雅を感じて、山水画を描くわけです。明に留学した雪舟は、今の中国に学ぶべき師はいないと豪語していますが、中国の奇景には、強く惹かれたようです。帰国後、中国の景色に思いを馳せながら描く山水は、どこか抽象的にならざるを得なかったのかも知れません。もちろん、原始仏教が持っていた具象性の否定という性格が、雪舟の絵筆に影響を与えている面もあるのでしょう。

天橋立の形成に関しては諸説あるようです。大雑把に言えば、川が運んだ土砂と海流が作ったということですが、規模や形状の説明には不十分です。天橋立は、約2000年前に姿を現わしたようですが、地震による地滑りで大量の土砂が湾内に流れ込んだことが大きな要因と聞きます。また、クロマツの林も不思議な存在です。クロマツは、人間が植林したものではありません。クロマツは、劣悪な環境でも育つ強い植物だそうですが、さすがに真水は必要です。天橋立は、砂州にも関わらず、地中に真水が存在し、井戸まであります。つまり地下に粘土層と帯水層が存在するわけですが、まだ十分に解明されていないようです。また、植生遷移を考えれば、クロマツの林は、ブナやカシ等の陰樹の森へと変わるはずなのに、ここでは起こっていません。その原因も十分には解明されていないようです。

いずれにしても、多くの要件が重なり、奇跡的に誕生したのが白砂青松の天橋立ということになります。砂州は、長い年月をかけて、その姿を変えてゆく宿命にあります。天橋立も同様であり、昭和期以降は細くなる傾向にあるようです。河川や港湾整備の影響で、流入する土砂が減少しているということなのでしょうが、むしろ湾内の潮流の変化が主因ともいわれているようです。対策として堆砂堤も作られています。これが美観を損ねるとも、龍のうろこにも見えて良いとも言われるようです。また、直接的に砂を入れることも行われています。美しい景観を守る行動は当然なのでしょうが、一方で、自然が作り、自然が壊すことも当然と言え、微妙な問題です。少なくとも、コンクリートを入れるようなことだけは避けるべきかと思います。(写真出典:kyouhaku.go.jp)

マクア渓谷