夕方になると、木造のクラシックな廊下を、ボーイがベルを鳴らしながら歩いていきます。夕食の準備ができたことを知らせる合図です。メイン・ダイニングでの席は、既に決まっています。常連のご家族毎に、うちはこの席、と決まっているのだそうです。没落するなどの理由で、ホテルを利用できなくなる家も発生します。その家族の席は空くことになりますが、前々からその席を狙っている人たちもおり、非公式なウェイティング・リストまであるようです。もちろん、客室も家族毎に決まっているようです。支配人が、こんなエピソードを話してくれました。いつもの部屋に泊まった常連客が、窓から見える木々のうち一本が無くなっていることに気づき、なぜうちの木を切った、と支配人に怒鳴り込んできたというのです。もはや脱帽するしかありません。
万平ホテルは、江戸後期、旧軽井沢銀座に開業された旅籠”亀屋”が前身です。明治になると、イギリス人たちが、軽井沢を避暑地として使い始めます。亀屋は、1894年に、洋風リゾート・ホテルとして再オープンします。1902年には、旧軽の奥まったあたりに移転し、現在に至ります。現在も本館として使われているアルプス館は、1936年に完成しています。ハイ・シーズンの料金は、一泊二食で一人6万円程度と聞きました。ご夫妻で、15日間滞在すれば、ワイン代なども含め、200万円では足りないくらいだと思います。支配人は、安いものですよ、と言い切ります。30年間、毎年、万平ホテルを利用したとしても、その総額で、旧軽の別荘一軒買うことも出来ません。そもそも旧軽の別荘が売りに出ることなど、皆無に近いとも聞きます。そう考えると、リゾート・ホテルの活用は、一つの方法なのかもしれません。
いまや軽井沢は、大人気リゾートです。旧軽井沢銀座は、観光客で溢れ、夏ともなれば、原宿の竹下通りか鎌倉の小町通りと見まごうばかりです。アウトレットは、年間を通じて人を集め、人気のレストランは予約も取れません。また、近隣への開発も、いまだに広がり続けています。新幹線が開通したことも大きく影響しているのでしょう。早い電車だと1時間強で東京へ行けるわけですから、別荘地は、通年で居住し、東京の会社へ通う人たちも少なくありません。イギリス人たちが目指した避暑地とは、随分と様子が変わったわけです。とは言え、表通りから少し入っただけで、いまだに静かな別荘地が広がっています。日本を代表する避暑地軽井沢は、土地が高価になっていったことで、守られてきたのかも知れません。
万平ホテル名物の一つは、ロイヤル・ミルクティーです。4シーズンに渡り滞在したジョン・レノン直伝のレシピで作られています。正式なメニューは、今でも”John's favorite royal milktea”となっており、玄関横のカフェテラスでいただくことができます。伊丹十三は、英国のミルクティーは、ボーッとした味が身上だと言っていますが、深い緑を見ながらいただくJohn's favoriteは、紅茶の深い味わいが楽しめ、とても豊かな気持ちになれます。(写真出典:manpei.co.jp)