2022年3月24日木曜日

百均

最近、百均で、スプレータイプの醤油差しが大人気となっているようです。まんべんなくかけられ、かつ減塩にもなるというわけです。なかなか良いグッズです。私は、前から無印良品の小さなスプレーボトルを使っていました。鮭の切り身には日本酒を、干物にはしょっつるをスプレーします。グッと味が良くなります。その都度、その都度、百均は、ヒット商品を生み出しています。マスキング・テープ、毛玉取り、バターナイフなどは、記憶に残ります。数年前、卵に小さな穴を開け、茹でた後に、殻をむきやすくする道具が人気となりました。欲しいと思い、何度も百均に足を運びましたが、いつも品切れで買えませんでした。

もちろん、ヒット商品が生まれる確率など、千三つ以下なのでしょう。百均の特徴の一つが、取扱商品の多さです。なかには、こんなものを誰が買うんだ、と思うような商品まであります。実は、売れそうにない商品も含めて、膨大な品揃えを行うことこそ、百均の商売の肝だとも聞きます。こんなものまで売っている、と客が思うことで、品揃えの豊富さを印象づけ、必要な物を買うだけでなく、商品を”発見”する楽しみを与えることで購買意欲をかき立てるわけです。必ずしも必要ではなくとも、どうせ100円だから買ってみるか、と思わせることが大事なのでしょう。ドン・キホーテでは、天井まで届く雑然とした陳列が重要なノウハウだと言いますが、よく似ています。

最大手ダイソーの取り扱い品目は、数億に及ぶそうです。常に新しい商品を投入し続けることも、リピート率を高めることにつながります。いわば巨大なテスト・マーケティング場でもあるわけです。百均の代名詞でもある「100円SHOPダイソー」の直営第1号店は、1991年、高松の丸亀商店街にオープンしています。ダイソーが大成功した要因は、バブル崩壊後のデフレという環境、品質の高さ、現金仕入れの強さ、そして品揃えということになります。仕入れに関しては、時に原価割れしてでも品質にこだわり、トータルで利益を出すというスタンスだと聞きます。いまやダイソーは、国内外に5,500以上の店舗を展開し、生活になくてはならない存在となっています。アジア各地でも、ダイソーの店舗を見かけますが、どこも大混雑しています。

百均は、ダイソーの発明と思っている人が多いようです。均一価格販売もさることながら、常設の均一価格販売店の歴史も、意外と古く、18世紀初頭の江戸では、「十九文店」が登場しています。十九文は、現在なら200円強といったところでしょう。玩具、小間物、化粧道具など様々な雑貨を扱っていたようです。世界初の正札販売を行った三井越後屋なども含め、江戸の流通の革新性にはいつも驚かされます。アメリカでは、19世紀末に、F.W.ウールワースが「ファイブ&ダイム・ストア」、つまり5セント・10セント店をオープンしています。後の全米最大の小売業も百均から始まったわけです。昭和初期には、高島屋が「十銭ストア」を始めていますが、アメリカの”テン・セント・ストア”を真似たものだったようです。いずれの均一価格販売店も、登場するのは、恐慌後の不況期と決まっているようです。

ダイソーの成長を支えた要素の一つは、中国だったように思います。中国は、急速に工業化が進み、世界の工場と呼ばれ始めた時代でした。沿岸部での賃金は高騰していきますが、工場は、内陸部へと広がっていきました。高い技術や高価な設備投資がいらないダイソーの製品は、中国の地方の工業化に最適だったと言えます。チャイナ・プラス・ワンの流れと共に、ダイソーの製品は、現在、アジア各国から輸入されていると思われます。日本の30年に及ぶデフレに終わりが見え、アジア各国での賃金の高騰が起これば、ダイソーのビジネス・モデルも破綻することになります。ダイソーは、ワン・プライスからの脱却も試みているようです。均一価格から、バラエティ・ショップへの転換は、当然、採るべき戦略だと思います。(写真出典:biz-journal.jp)

マクア渓谷