月の輪田遺構付近 |
天女たちが水浴びをしている隙に、羽衣を奪って隠す。天に戻れなくなった天女は、男の嫁、ないしは老夫婦の娘となり、機織りや酒造りを伝える。近江の天女は、羽衣の隠し場所を見つけ、天に帰る。丹後の天女は、豊かになった老夫婦から、家を出され、奈具に住んだ。近江の天女は、白鳥の姿で地上に降ります。白鳥は、稲の神霊だとされるようです。丹後の天女が住んだ奈具には、広い遺跡が残り、渡来技術の痕跡が見られるようです。私の勝手な解釈ですが、羽衣伝説は、異民族との混血のメタファーなのではないかと思います。古代における朝鮮半島と日本のメイン・ルートは、釜山、対馬、壱岐、東松浦半島ということになります。弥生人は、そこから日本海側を北上するか、あるいは直接、半島から日本海各地に渡来するケースもあったはずです。
日本人のDNAには、1~2割程度、縄文人型の遺伝子が残っているようです。つまり、渡来した弥生人は、先住民である縄文人を抹殺したのではなく、各地に稲作を伝えながら定着し、混血が進んだと言うことなのでしょう。結果、生産性の高い弥生系が生き残り、現代につながるわけです。渡来した弥生人は、上質で薄い生地の衣類を纏い、また、稲作はじめ先進的技術を伝えるわけです。縄文人からすれば、まさに天から降りてきた人たちだったわけです。それが伝説上、出雲では国譲りの大国主命、吉備では製鉄技術を持つ鬼の温羅、丹後では稲作や酒造りを伝えた天女になるわけです。世界中の羽衣伝説も、同様に、先進技術を持つ民族と先住民との出会いを意味しているのではないかと想像します。
実は、丹後峰山には、別バージョンの羽衣伝説があります。羽衣を奪った三右衛門(さんねも)という猟師は、天女を嫁にします。天女は、隠してあった羽衣を見つけ、天に帰ります。悲しむ三右衛門に、天女は「7月7日に会いましょう」と言い、夕顔の種を渡します。夕顔のつるを登れば天に行けるというわけです。天に登った三右衛門に、天女は、天の川に橋を架けてください、そうすれば一緒に暮らせます、と言います。ただし、橋を架けている間、私のことを思い出してはいけません、と天女は言います。もう少しというところで、安心した三右衛門は、天女を思ってしまいます。すると天の川は氾濫し、三右衛門は下界に押し流されます。当地の安達家に伝わる話であり、当家の紋所は”丸に七夕”。いわゆる七夕伝説の起源だとされます。
峰山町の「月の輪田」は、稲作発祥の地とされる遺構です。豊受大神が、天照大神のために、初めて稲作を行った場所と言われます。丹後の天女は、豊宇賀能売命(とようかのめのかみ)として奈具神社に祀られていました。ある時、雄略天皇の夢枕に天照大神が現れ「食事が安らかにできないので、丹波国の比治の真奈井(峰山町)の等由気太神(とゆけおおかみ)を近くに呼べ」と言います。こうして豊宇賀能売命は豊受大神となり、以降、伊勢神宮外宮に祀られています。いずれにしても、峰山盆地は、古代から米づくりで知られていたわけです。低い山並みに囲まれた盆地は、寒暖差が大きく、また豪雪地帯ゆえ水に恵まれています。当然、うまい米がとれるわけです。丹後産こしひかりは、特Aクラスの銘柄米です。”天女”たちは、稲作に適した良い土地を、早々に見つけたというわけです。(写真出典:ja.wikipedia.org)