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安倍晴明 |
平安期に入ると、怨霊対策としての御霊信仰が広がり、陰陽寮は、密教や道教に由来する呪術等をも担うことになります。やや怪しげな存在になっていったわけです。律令体制に緩みが生じてくると、門外不出だった陰陽道は、陰陽寮の外にも長けた者が現れ始めます。都に疫病をもたらす怨霊に呪術で立ち向かうまではいいのですが、立身出世等といった個人的な目的による呪詛が流行り始めます。その頃、陰陽寮を牛耳っていたのは、賀茂家と、その弟子である安倍晴明にはじまる安倍家でした。陰陽道のうち主に天文道を伝授された安倍晴明は、雨ごいや天皇の病封じでの実績が認められて、重用されていきます。
その道のスターとなった安倍晴明は、生前から神格化が始まっていたようです。ただ、本格的には、その死後、神社が複数創建され、神になっていきます。その動きを担ったのは、一般人ではなく、市井に溢れるようになった陰陽師たちだったようです。いわば神技を誇った匠を、その道に携わる人々が神格化したというわけです。安倍晴明の屋敷跡に創建された清明神社が、その後、縮小され、荒れたままになったのは、陰陽道の衰退と軌を一にしたということなのでしょう。明治になると、神社の格式としては最も低いものの、村社として認定されています。
清明神社が脚光を浴びるようになったのは、何といっても夢枕獏の小説「陰陽師」シリーズが生み出した安倍晴明ブーム以降ということになります。1986年、「オール讀物」に掲載された短編小説から始まったようです。大人気となり、おびただしい数の小説や関連図書が出版されていますが、93年に漫画化されると、その人気は社会現象レベルに達し、映画化、TVドラマ化、舞台化されていきます。漫画化によって、特に若い女性層を惹きつけたことが大ブームにつながったのでしょう。安倍晴明にインスパイアされた音楽と衣装で、羽生結弦がフィギア・スケートの頂点に立ったことも、いまだ清明人気が高い証左なのでしょう。
小説も、マンガも、映像も見たことがありませんが、おそらく陰陽師の怪しげなところが、人気の源なんでしょう。先の見えない時代に人気となるのは理解できます。それはそれでいいのですが、平安期における安倍晴明の位置づけを、現代に置き換えれば、恐らく、海外からもたらされた最先端技術を扱う科学者といった風情だったのではないでしょうか。ことに天文道ともなれば、数学にも通じており、実際、安倍晴明は、後年、主計寮のヘッドも務めています。主計局長では、フィギア・スケートのテーマにはなりにくいでしょうね。(写真出典:yomiuri.com)