2021年7月17日土曜日

黒髪

地唄舞「黒髪」
年間15~16回、仕事で京都に通っていた時期があります。お茶屋や料亭で、芸妓舞妓を入れた宴席も度々ありました。そのなかで、「衿替(えりかえ)」に、何度か居合わせました。衿替は、舞妓が芸妓になることを指します。舞妓の赤い衿が、芸妓の白い衿に変わることから、衿替と呼ばれます。芸妓になるためには、中学か高校を卒業して、まずは「仕込み」と呼ばれる見習いを経験し、「店出し」というお座敷デビューを経て舞妓になり、数年後、衿替で芸妓になります。

 衿替が近づくと、舞妓は、”おふく”という少女っぽい髪型から「先笄(さっこう)」という艶やかな髪型に変わり、お歯黒をつけて2週間を過ごします。先笄は、江戸期、結婚間もない若妻の髪型だったそうです。結婚することが許されない芸妓になる前に、新妻の真似事をさせるという気遣いだと言われます。衿替の1週間前は、先笄の髪に、三本襟足と黒紋付という正装で、お座敷に上がります。いわば少女が大人の女性としてデビューするわけです。その際、お座敷で舞うのが「黒髪」です。

地唄舞「黒髪」の元は、歌舞伎「大商蛭子島」の下座音楽です。源頼朝の恋人辰姫は、頼朝が源氏再興のために北条政子と政略結婚することを泣く泣く認めます。黒髪は、頼朝を思いながら、一人寝する辰姫の切なさが歌われています。髪は自然と伸びるので、どうにもできないことの象徴とされてきました。短い歌詞に、黒髪、枕、袖、鐘の音、白雪といった象徴的な言葉が配された名作です。黒髪を舞うことは、いわゆる旦那はいたとしても、生涯独身を貫く芸妓としての覚悟を披露するという意味なのでしょう。

京都には、今でも、祇園甲部、先斗町、上七軒、祇園東、宮川町という五つの花街があります。島原も加えることもあります。京都の人々は、花街の文化を守るために、随分とお金をかけています。それが関連する京都の様々な文化を守り、それが多くの人を京都に惹きつけ、ひいては、それが京都経済の繁栄につながることを知っているからです。一方、花街の人々は、その支援に応えるべく、相当の覚悟を持って芸や伝統を守り続けるという、とても良い関係が築かれているように思います。

ホスト側が「もう一軒!」というので、芸妓たちとクラブへ繰り出したことがありました。芸妓が、置屋に電話して、何かを届けさせました。運んできたのは”仕込み”です。中学出立ての少女に、おじさんたちは、ちょっと座れ、これを食べろ、あれを食べろ、と孫娘を可愛がるように声をかけます。少女は、「おおきに、お兄さん」と「おおきに、お姉さん」の二言だけを連発して、帰りました。京風に言えば”おぼこい”となりますが、私には”いたいけ”に見えました。伝統を守るのも容易なことではありません。 (写真出典:pinterest.jp)

マクア渓谷