そのなかに、昔から、常に置いてある一冊があります。天沢退二郎訳になるジュリアン・グラックの散文詩集「大いなる自由」です。グラックは、フランスのシュルレアリストとして知られますが、むしろ静謐で幻想的な世界を展開するユニークなロマンチストだと思います。グラックの主なテーマは、旅、高所、空っぽの場所の三つだと言われます。「大いなる自由」は、旅立ちの散文詩だと思います。仲間たちとの旅立ちは高揚感と不安に満ちて、しかも、その旅には目的地も終りもない不透明感が漂います。
夜の気配を残す濃い霧はひんやりとして、様々な鳥たちが鳴き、僅かに吹く風には緑の匂いが漂う朝、我々は期待と不安を胸に旅立つ。そんなイメージが湧いてきます。そして、その光景には、なぜか心が癒されます。1952年に、私家版として、63部だけが発刊されたという散文詩「異国の女(ひと)に捧げる散文」は、純粋で情熱的な恋の詩のように見えますが、 実は、エキゾチシズムの本質を語っているように思えます。”異国の女”とは、エキゾチシズムそのものであり、グラックの旅の本質であるように思えます。
エキゾチシズムは、異国へのあこがれ、あるいは異国趣味のことですが、その本質は、単なる好奇心ばかりとは言えないと思います。”あこがれ”とは、対象との距離感の認識でもあります。エキゾチシズムは、今いる場所から、遠く離れた場所への逃避願望であり、そこにあるであろう大いなる自由への希求なのでしょう。でも、恐らくそこには自由などないのでしょうが…。グラックの言う大いなる自由とは、旅のことであり、もっと正確に言えば、”旅立つこと”が、大いなる自由なのではないか、と思います。
ジュリアン・グラックの小説で最も有名なのは「シルトの岸辺」だと思います。ゴンクール賞に選ばれ、かつ受賞を拒否するというエピソードまで付いています。小説というよりも静謐な散文詩といった風情の作品です。ここでも、主人公は、ある意味”旅立ち”ます。”旅立つこと”は、今いる場所からの離脱であり、”今いる場所”とは、自分や社会を規定する現状であり、現状を規定する歴史や制度でもあります。それらを否定する瞬間こそ、人間が最も自由を感じる時なのかもしれません。(写真出典:lefigaro.fr)