2021年7月28日水曜日

わらび餅

宝泉「わらび餅」
十年程前、下鴨神社近くの「茶寮 宝泉」で、初めてわらび粉100%のわらび餅を食べました。形を保てないほどプルプルしているにもかかわらず、食べるとキシキシとした食感がありました。たまたま、女将さんから、話を聞くことができました。稀少な国産本わらび粉と少量の砂糖のみを使って練り上げていること、商品化するまで十年近く試行錯誤を重ねたことなどを伺いました。宝泉は、京都駅の新幹線改札内の「京下鴨 宝泉」を出していますが、本わらび餅は、下鴨の本店でしか食べれません。大人気の行列店ですが、待つ価値は十分にあります。

最も好きなわらび餅は、名古屋徳川町の「芳光」のものです。賞味期限が当日ということもあり、東京にはあまり知られていないように思います。ただ、祇園の芸妓と話したら、京都の花街では有名とのこと。京都・名古屋間は、新幹線で50分程度ですから、手土産にもなるわけです。固体と液体の間くらいのプルプルの中に上品な味のあんこが包まれています。絶品としか言いようがありません。わらび餅は、夏場のお菓子と思っていましたが、芳光では、7〜9月、わらび餅は売りません。この時期のわらび餅は、保存がきかないからだと聞きました。

名古屋で、わらび餅の移動販売を見たことがあります。東日本では、まったく見たことも聞いたこともない光景に驚きました。小型トラックで、わらび餅と連呼しながら売っていました。聞けば、昔は、夏場、よく冷やしたわらび餅をリヤカーで売りにきたものだそうです。名古屋だけかと思ったら、大阪にも、わらび餅の移動販売は残っているようです。確かに、冷やしたわらび餅は、つるんとした食感が一段とよくなり、冷たい食べ物が少なかった時代には、夏場のお菓子として最適だったのでしょう。

わらび餅の起源は、よく分かっていないようですが、少なくとも醍醐天皇が好み、太夫の位を授けたという記録が残っているようです。以降、わらび餅は、別名、岡大夫とも呼ばれるそうです。わらび粉が貴重だったため、公家階級だけが楽しんでいたようです。鎌倉期以降、茶の湯の普及とともに、一般化していきます。ただ、わらび粉は高価なものだったため、くず粉等を混ぜて作るようになったようです。また、わらび粉は奈良の名産だったことから、まずは関西一円で広まり、関東へはお茶の文化とともに伝わったようです。

関西では、あんこ入りのわらび餅が、多いように思います。対して、関東では、黒蜜、きな粉をかけて食べることが一般的です。この違いが生まれた理由は、よく分かりません。ただ、いずれも美味しいと思います。東京で、国産わらび粉100%のわらび餅は聞いたことがありませんが、くず粉入りでも、十分に楽しめます。ただ、そうなると、わらび餅とくず餅の違いが判然としなくなります。関西では、明解に使う材料で違うという事になります。ところが、ややこしいことに、東京のくず餅は、くず粉ではなく、発酵させた小麦粉が使われます。(写真出典:tabelog.com)

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