2021年7月29日木曜日

曜変天目

静嘉堂文庫蔵曜変天目茶碗
丸の内の三菱一号館美術館で「三菱の至宝展」を見てきました。オリジナルの三菱一号館は、1894年、ジョサイア・コンドルの設計で建てられました。当時、三菱ヶ原とも呼ばれた丸の内に建造され、周囲にレンガ作りの建物が次々と建てられたことから、「一丁倫敦」とも呼ばれました。1968年に、老朽化のため解体されますが、2009年、オリジナルを忠実に再現した現在の一号館が竣工しています。明治初期の煉瓦は、既に国内で焼いているところがなく、わざわざ中国奥地まで行って再現した、と聞きます。

展覧会の目玉は、静嘉堂文庫が所蔵する国宝・曜変天目茶碗です。曜変天目は、世界に3点しかありません。すべてが日本にあり、すべてが国宝となっています。東京の静嘉堂文庫、大阪の藤田美術館、京都大徳寺の塔頭龍光院に所蔵されています。曜変天目は、鉄釉を使う天目茶碗のうち、内側に大小の斑点があり、各斑点の周りに深い青色の暈がかかり、しかも玉虫色に輝いているものを言います。まるで茶碗のなかに大宇宙が広がっているかのような風情です。しかも、それが予期せぬ偶然の産物であり、自然が自ら宇宙を描いたということもできます。

曜変天目は、すべて、南宋時代に福建省の建窯で焼かれています。これほどの名品が、3点しかなく、かつすべて日本にあるのは、大きな謎だとされています。当時、曜変天目が焼きあがると、不吉なものとして、その場で割られていたのではないか、という説が有力です。完全な形で残っている茶碗は日本の3点だけですが、中国では、破片が見つかっているようです。焼き上がりに、狙いとは異なる代物が混じっているわけですから、不吉とまでは言わなくても、基本的には不良品です。それが如何に趣のあるものだとしても、量産型の窯では、歓迎されなかったのは当然です。ある意味、日本の侘茶が、曜変天目を発見したと言えるのかも知れません。

静嘉堂文庫の曜変天目は、稲葉天目とも呼ばれます。曜変天目茶碗の中でも最高の品と評されています。そもそもは、徳川将軍家が所蔵していました。三代将軍家光は、乳母である春日局が病を得た際、これを見舞いとして贈っています。その後、春日局の実家である譜代大名稲葉氏が代々所蔵し、明治になって、三菱財閥4代目総帥の岩崎小弥太が購入しました。小弥太は、今につながる三菱財閥を築け上げた人物です。曜変天目を手にした小弥太が「天下の名器を私如きが使うべきでない」として生涯使うことがなかったという話は有名です。

他の2点のうち、藤田美術館所蔵のものは、水戸徳川家に伝わっていたもので、非鉄金属で財を成した藤田財閥が、大正時代に購入しています。これは見たことがあります。斑点が外側にもあることが特徴です。残る1点、龍光院のものは、もともと堺の豪商津田宗及が所蔵していたとも、黒田長政が所蔵していたともされ、はっきりしていないようです。いずれにしても、龍光院曜変天目は非公開であり、見たことはありません。最も斑点が少ないものの、幽玄の趣があるとされます。一度、見てみたいものです。(写真出典:seikado.or.jp)

マクア渓谷