長良川の鵜匠は宮内庁職員だと聞かされ、驚きました。そもそも鵜匠とは、鵜使いの中で、宮内庁職員になっている人たちだけに許された名称だと言います。宮内庁職員の鵜匠は、代々世襲している岐阜市長良の6人、関市小瀬の3人だけとのこと。年8回行われる御料鵜飼を執り行い、獲れた鮎は皇室に献上されると言います。しかし、毎年、皇室に献上されるものを獲ったり、作ったりしている人々は、数多くいます。それを、一々宮内庁職員にしていたら、キリがありません。なぜ鵜匠だけが、宮内庁職員なのか、実に不思議なところです。
日本の鵜飼の歴史は古く、その姿の埴輪もあれば、記紀にも記載があります。また隋書には、日本へ送った使者が、変わった漁法を見たとして、鵜飼が紹介されているようです。中国にも似た漁法があるようですが、日本から伝わったものではなく、独自に生み出されたものとされています。平安の頃には、貴族たちが鵜飼を見物するという遊びも、既に行っていたようです。武家の時代になると、各大名たちが、鵜飼を保護し、見物して楽しんだようです。ちなみに、欧州の一部にも、日本、あるいは中国から伝わったと思われる鵜飼があるようです。
江戸期、鵜飼は、徐々に廃れ、一部大名に保護されるのみになったようです。長良川の鵜飼は、尾張徳川家が保護していましたが、明治になり、絶滅の危機にさらされます。明治23年、宮内省は、岐阜県知事の要請を受け、鵜匠を職員とするとともに、長良川に御料場を設置し、御料鵜飼を開始します。御料場の設置は、鵜飼を他の献上品と区別して宮内省直轄とする理由になりますが、十分ではありません。そこで持ち出されたのが、律令体制のなかで鵜匠が官吏であったという記録です。長良川の鵜匠は、かつて朝廷お抱えだったわけです。前例さえあれば、役人は安心して、事を進められます。
現在、鵜飼は全国13ヵ所で行われています。日本の鵜飼はウミウを使いますが、全国で2カ所を除き、あとは全て茨城県日立市の伊師浜海岸で捕獲されたウミウが使われています。鵜は保護鳥であり、捕獲は禁じられています。唯一、伊師浜海岸だけが例外として許可されています。喉を絞められている鵜飼の鵜は、一定サイズ以上の鮎は飲み込めず、吐き出されるわけです。ただ、小ぶりなものは胃に収まるようです。先月、琵琶湖の稚鮎を天ぷらでいただきましたが、程よい苦みが春を感じさせました。そろそろ成魚の塩焼きも食べたい季節になりました。(写真出典:mainichi.jp)