2021年7月10日土曜日

地球平面説

コロンブス
「昔の人は、地球が平面だと思っていた」と多くの人が、漠然と認識しているのは、実に興味深いことだと思います。試しに、友人たちに聞いてみると、皆、そう思っていました。何を根拠にそう思っているのか、と聞くと、昔、学校で習ったような気がする、と答えていました。 私も同じです。確かに、世界各地には、大昔から地球平面説があり、所によっては、あるいは宗教的観点から、近世まで残っていた例もあります。日本でも、南蛮船が渡来するまでは、地球球体説は存在しなかったようです。ところが、実際には、紀元前6世紀には、ピュタゴラスによって唱えられ、天文学の世界では常識となり、中世には、一般化していたようです。

どこで間違った認識が広がったのか、ということに関しては、諸説あるようです。コペルニクスが唱え、ガリレオ裁判でよく知られる地動説と勘違いされているという話もあります。しかし、最も有力な説は、「中世は暗黒の時代だった」という説との関連です。欧州における中世とは、ローマ帝国の滅亡後からルネサンスの時代までの間を指します。高い文明を誇った古代ローマが蛮族によって滅ぼされ、文化文明が途絶え、替わってキリスト教の重苦しい支配が続いた時代とされます。確かに、古代ローマの建築物などは破壊されたものも多く、また、神が全てを創ったと言われれば、科学が生まれる余地はなくなります。

しかし、実態は、決して文化文明が途絶えたわけではなく、連綿と継続、発展していました。14~16世紀に起きた古代文化の復興運動、つまりルネッサンスの担い手たちが、その意義を強調するために、中世は暗黒の時代だったと盛んに唱えたようです。また、プロテスタントは、カソリック批判のために、カソリックが支配した中世は暗黒の時代だったと宣言したようです。さらに啓蒙主義の時代になると、その革新的な思想を広めるために、暗黒の中世との対比が使われています。暗黒の中世というイメージは、それを利用したい人たちによって、都合よく創られ、定着していった、いわば神話に過ぎなかったわけです。これも、歴史は勝者によって創られる、という例なのでしょう。

暗黒の中世に関する典型的な例えの一つが、地球平面説だったようです。暗黒の中世に生きた人たちは、地球が平面だと思っていた、というわけです。それを覆すべく立ち上がったのが、クリストファー・コロンブスだった、というおまけも付きます。真っ赤なウソです。その時代、地球球体説は、既に一般化しており、コロンブスが実証しようとしたのはインドまでの距離でした。アラビアの文献を航海の根拠としたコロンブスは、アラビア・マイルを、より短いヨーロッパ・マイルと誤解するという間違いを起こします。かくして、ネイティブ・アメリカンはインディアンと呼ばれ、カリブの島々は西インド諸島と呼ばれることになったわけです。球体説を実証したコロンブスという話は、「リップ・ヴァン・ウィンクル」や「スリーピー・ホロー」で知られる作家ワシントン・アーヴィングの創作だと判明しています。コロンブスの伝記を書く際、話を盛ったわけです。高名な作家による話は、事実として定着していきました。

近年、勝者の歴史ではなく、世界史観のような事実に基づいた歴史研究が盛んです。「暗黒の中世」見直し論も同様の流れなのでしょう。衛星写真等によって新たに発見された文物も多くありますが、存在は知られていても、まったく無視されてきた文献も数多くあります。「歴史的事実」という言葉は、反論できない、動かし難い事実と理解してきましたが、やや疑ってみる必要がありそうです。最近は「諸説あります」という言葉を多く目にするようになったようにも思います。(写真出典:ja.wikipedia.org)

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