茗荷を食べ過ぎると物忘れする、という話は、釈迦とその弟子・周梨槃特(シュリハンドク)の故事に基づくと言われます。周梨槃特は、物忘れがひどく、自分の名前も忘れるので、釈迦は、木札に名前を書き(名荷)首から下げさせました。周梨槃特が死ぬと、墓から出てきた植物があり、茗荷と名付けれた、という話です。もちろん仏典にある話ではなく、まったくの俗説。生姜は、食べ過ぎると腹痛を起こします。生姜の食べ過ぎを戒めた話が、ショウガ科の茗荷と混同されたという説もあります。
実は、周梨槃特は、十六羅漢に列せられる聖人です。前世の因果で愚鈍に生まれた周梨槃特に、釈迦は「塵を払う、垢を除く」と書いた布を渡し、それを唱えながら、ひたすら掃除をさせます。永年、それを続けた周梨槃特は、塵・垢とは、心の汚れであることを悟り、解脱して大悟を得ます。この周梨槃特は、「天才バカボン」の”レレレのおじさん”の原型だとする説もあります。赤塚不二夫が、そう言っているのではないようですが、赤塚不二夫が仏教に造詣が深かったことはよく知られています。
茗荷は、東アジア原産です。3世紀以前に生姜類として渡来し、香りの強いものが兄香(セノカ)、弱いものが妹香(メノカ)と呼ばれ、セノカが変じて生姜、メノカが茗荷になったといいます。茗荷を栽培し、食用とするのは日本だけです。英語でも"myoga" と呼ばれます。味の濃い中国や韓国では、香りと辛みの強い生姜が好まれ、中途半端とも言える茗荷の出番などなかったのでしょう。比較的あっさりとした味付で、素材の味を活かす日本の料理だからこそ、茗荷の居場所があったということなのでしょう。
昔、中国のある村に、禅宗の高僧が来るというので、村人たちが大勢集まりました。ところが、待てど暮せど僧は現れません。半日も経って、ついに僧が到着します。僧は、檀上に上がると、大音響で放屁し、大笑いをして、去っていったと言います。実に禅宗らしい面白い話だと思います。茗荷は、食感が良く、味は、なんとも言えない独特の風味があります。強烈に自己主張することもなく、世間に媚びることもなく、ただニヤニヤと薄笑いを浮かべているような茗荷の風味は、どことなく禅宗の匂いがするように思えます。(写真出典:mrs.living.jp)