アメリカでは、スポーツ・ハンティングが、ごく一般的に行われています。さすがに大都市では稀でしょうが、郊外や地方では、多く見られる趣味です。欧州でもおなじなのだと思います。対して、日本では、愛好家は限られ、特殊な趣味といった位置付けだと思われます。日本でも、 害獣駆除や毛皮のニーズに応えるために、ハンティングが行われてきました。また、平安期から狩衣という衣装が存在し、かつ普段着になったくらいですから、スポーツ・ハンティングも行われてきたわけです。公家社会では鷹狩が人気だったようですが、室町時代あたりからは、武士たちも熱をあげるようになっています。いずれにせよ、欧州と変わらぬハンティングの歴史があったようにも思います。では、なぜ、欧米との違いが生じてきたのでしょうか。
欧米は狩猟民族の国で、日本は農耕民族の国だから、という説があります。もちろん、違います。人類は、皆、農耕民族になることで文明を築いてきました。日本は狭いから、という人もいます。ただ、国土の8割が山地という土地です。ハンティングの場所に事欠くことはありません。日本は海洋国家だから、ハンティングへの情熱が釣りに向けられたという説もあります。これは、多少うなずけるものがあります。しかし、釣りとハンティングは、二者択一という関係にはありませんから、疑問は残ります。日本は仏教国であり、殺生が戒められてきたから、という説もあります。これは、かなり有力な説のようにも思えます。無益な殺生は行わないという観点からすれば、スポーツ・ハンティングが広がらなかったことは理解できます。ただ、かつては、武士や公家は、狩りを行っていたので、これも正解とまでは言えません。
そうなると、人為的、つまり政治や治世の産物のようにも思えてきます。あまりにも金がかかる鷹狩が禁止されたことは何度かあるようですが、スポーツ・ハンティング禁止令のようなものは存在しません。戦国時代末期から、秀吉によるものなど刀狩りが幾度か行われています。いわゆる兵農分離によって、治安維持と武士階級の確立をねらったわけです。江戸期には、その考え方が、さらに徹底されます。ただ、武器を一掃すること自体がねらいではなかったため、武士以外、例えば農村部にも、相当数の刀や鉄砲が残っていたようです。大きな変化を与えたのは、明治政府による廃刀令、および銃砲取締規則だったのではないでしょうか。もちろん、生業としての狩猟、害獣駆除を禁止したわけでも、スポーツ・ハンティングを禁止したものでもありません。ただ、ここで、一般人が刀や銃を持つことのハードルが、グッと上がったのではないでしょうか。
そして、決定的だったのは、敗戦後、GHQによって行われた銃砲等所持禁止令だったと思われます。日本人は好戦的と思われており、アメリカは、占領下でのゲリラ戦を、極度に警戒していました。ここでもハンティングが禁止されたわけではありませんが、銃の所持に関するハードルがさらに上がったわけです。いまでも日本の銃規制は、世界で最も厳しいと言われます。これが、日本のハンティング文化低迷の主因だったのでしょう。加えるに、欧米との大きな違いは、江戸期の平穏にあるように思います。この間、欧米は、戦争を続け、進化した銃が蔓延していきます。そのこととハンティングは密接に関係しているように思います。(写真出典:en.wikipedia,org)