2021年7月8日木曜日

消費社会への皮肉


日本で初めてのアウトレット・モールは、1993年、埼玉県のふじみ野市にオープンした”アウトレットモール・リズム”だったそうです。ここは、既に閉店していますが、全国には、今現在、33ものアウトレット・モールがあります。三井不動産系と三菱地所・サイモン系が、アウトレット・モールの二大系列となっています。店舗面積で見れば、御殿場、りんくう(泉佐野)、ジャズドリーム長島が全国のトップ3となっています。関東では、木更津、御殿場、軽井沢あたりが人気を集め、週末ともなれば大混雑しています。アウトレット・モールは、いまやショッピングの一つの形として定着した感があります。

ファクトリー・アウトレット、いわゆる工場直売店は、1930年代、アメリカ東部に誕生しました。当初は、B級品等を工場の従業員向けに販売していましたが、徐々に地域住民に開放されていきます。このスタイルは、日本でもよく見かけます。例えば、新潟の米菓工場では、敷地内の売店で、割れて出荷できない煎餅等を段ボールに入れて、1箱2~3百円で売っています。また、私は、オンワード樫山の社員販売の大ファンです。スーツはじめ、洋服の多くは、年2回程度行われるオンワードの社販で買ってきました。流行を追っているわけではないので、型落ちは問題ありません。B級品といっても、目立たない糸のほつれなど気にもしません。問題は、品揃えということになります。欲しいと思った色やサイズの服が揃っているわけではありません。アウトレットでは、商品が顧客を選ぶといってもいいのかも知れません。

各地の工場等に分散していたファクトリー・アウトレットを、ショッピング・モールのように一カ所に集めたものが、アウトレット・モール、あるいはアウトレット・センターです。なかなかの発明だと思います。世界初のアウトレット・モールは、1974年、ペンシルベニア州レディングに開設されました。顧客にとってみれば、型落ちやB級品でも、その安値は魅力ですし、メーカーにとっては、廃棄するしかなかった商品をさばくことができます。87年、はじめてNY州ウッドベリー・コモンのアウトレットに行った時には、衝撃を受けました。これは、もう小売りの革命だと思いました。ウッドベリー・コモンは、85年に、チェルシーによって開設されています。日本では、三菱地所と組むサイモンの前身です。三菱地所系のアウトレットは、ウッドベリー・コモンとほぼ同じ外見となっています。

ただ、ウッドベリー・コモンは、マンハッタンからだと車で90分以上かかる山奥にあります。車社会のアメリカでも、いささかアクセスに難ありということになります。メーカーとしては、顧客である小売店との競合を避ける必要があり、アウトレット・モールは、自ずと人里離れたところに作られるわけです。ブランドの付加価値は、精緻なマーケティングを積み上げて築かれています。アウトレットは、店舗だけではなく、品質面でも、表通りを外れ、ある意味、ブランドの付加価値を否定しています。いわば、マーケティングの否定であり、ブランド主導の消費社会への皮肉とも言えます。スポーツ・マーケティングで成功したジョン・スポールストラのベストセラー「エスキモーに氷を売る」に例えれば、アウトレットにやってきたエスキモーは、氷を買う必要がないことに気づいたわけです。

確か「北回帰線」のなかだったと記憶しますが、ヘンリー・ミラーは「文明とは、それが無ければ生きていけない物が増えることだ」と言っています。電気、車、テレビ、飛行機、コンピューター等々、言われてみれば、ヘンリー・ミラーの言う通りです。そして、科学技術の進歩の留まらず、大量消費社会にドライブをかけ、物質文明化を進めたのは、マーケティングの進化だったと思います。ファクトリー・アウトレットによって、物質文明の担い手であるメーカーが、それを自ら否定するという、なんとも皮肉な構図とも言えます。(写真:御殿場プレミアム・アウトレット 出典:ja.wikipedia.org)

マクア渓谷