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ザビエル |
16世紀、プロテスタントの勢いに押されたカソリックは、アジアでの信徒拡大を図ります。イエズス会は、交易や植民地拡大をねらうポルトガル王と手を組みます。ザビエルは、他のアジアの国でうまくいった武力と布教の両建て方式が、日本では通じそうにない、とも言っているのでしょう。それにしても、なぜ日本人の評価が高いのか、今一つピンとこないところがあります。ザビエルが訪れたムガール帝国初期のインド、明朝末期の中国等と比べ、戦国時代の日本にさほど大きな差があるとは思えません。ただ、ザビエルが日本人の特徴として挙げた、優しい、名誉を重んじる、丁寧、あるいは博打や盗みをしない、といった点からすれば、他国に比して、ある程度、社会的な統制が効いていたのでないかと思われます。
それは恐らく当時の社会制度や宗教観の違いに根ざしたものではなく、より個人主義的な傾向が強いインドや中国では社会的統制が緩いのに対し、日本はより集団主義的、組織重視型だったということなのではないかと思います。日本の集団主義は稲作によって形成されたという話をよく聞きます。しかし、そうだとすれば中国南部も同じはずです。個人的には、自然災害の多さが日本の集団主義を育んだのではないかと思っています。日本人は、頻発する天災を肩を寄せ合って生き延びてきわけです。もちろん、税と兵士を効率的に徴発するために、古代から村落は制度化されてきました。それはインドも中国も同じです。日本の集落においては、制度を超える、自然発生的な集団意識が強かったのではないでしょうか。
宣教師にとって、より組織的で、より統制のとれた異教徒社会へ布教することは、なかなか難しかったものと考えます。社会の底辺にいる人々への個別懐柔策が展開しにくいからです。そこで、ザビエルは、大名クラスから落としていく垂直型布教を選択し、一定の成果を得ています。しかし、上意下達式の布教スタイルでは、真のキリスト教徒をどれほど確保できたのか、大いに疑問でもあります。ザビエルも、民度の高い国での布教の難しさに気づき、あえて数だけを求める戦略を採ったのではないでしょうか。民度の高い国と言えば聞こえはいいのですが、日本は、より集団主義的な社会だったということだと思います。
民度とは、一般的に、集団の文化レベルや規範の浸透などの成熟度を指しますが、それは社会の統制の度合いとも言えます。民度は、俗語ですが、学術的な響きを持つ都合の良い言葉です。中国にも欧州にも民度という言葉はありません。明治期に生まれた和製漢語です。日本だけが、民度にこだわった点は、実に興味深いと思います。明治期は、四民平等、民権等々、”民”のつく言葉が急増しています。欧米から導入した文化に対応して、新たな訳語や日本語を作る必要があったのでしょう。また、天皇を中心とする中央集権化を目指した明治政府の意図も感じます。”民”という漢字は、目をつぶされた人間、つまり奴隷を表わす象形文字が起源とされます。民は、ヒエラルキーを前提とした言葉です。明治の驚異的な近代化の背景にも、民度の高さ、つまり日本伝統の集団主義や体に染みこんだヒエラルキーの存在があったと言えそうです。(写真出典:commons.wikimedia.org)