堺には、「ちく満」という熱盛の老舗があると聞きました。創業は、なんと1695年。信州で蕎麦切りが発明されたのが17世紀頃と言いますから、当時の堺では、蕎麦切り自体が新たな食べ物だったはずです。ちく満は、創業当初から蕎麦を蒸して提供していたようです。先に普及していたうどんが蒸して食べるものなら理解もできます。ただ、初めてお目にかかる蕎麦切りを、いきなり蒸したのは何故なのか、気になるところです。熱盛は、蒸すばかりでもないようで、冷水で締めたそばを、湯に通して出す店もあるようです。かけそば等の温かいメニューは一般的なわけですから、この方が、まだ理解しやすいものがあり、蒸した蕎麦のムニュムニュ感も薄れるように思います。
蕎麦切り発祥の信州には「とうじそば」という面白いメニューがあります。今は、松本市に併合されていますが、木曽の山中にある奈川の名物と聞きます。奈川は、明治期の女工哀史を描いた山本茂実の小説「あゝ野麦峠」で知られます。山菜や鶏肉を具材とする鍋に、蕎麦を浸して食べます。予め茹でて水で締めた蕎麦は、一口大に小分けしてあります。それを、柄杓の先が竹で編んだ小ぶりなカゴになっている”とうじカゴ”に入れ、そのまま鍋に浸します。短時間、湯がいたら、椀にとり、鍋の汁と具材をかけて食べます。雪深い山村の囲炉裏端で振る舞われた温かいもてなし料理ということなのでしょう。風情あふれる料理ではありますが、山菜蕎麦をどんぶりで提供してもよかったのではないかとも思います。
極寒の木曽の山中で食べるとうじそば、木枯らし吹く江戸の町で食べる夜鳴き蕎麦等は、芯から体を温めてくれるありがたい食事だったのでしょう。とは言え、蕎麦切りの基本は、冷たいもりそばだと思います。温かい蕎麦は、寒い冬場のために、あるいは屋台の蕎麦屋のために派生した食べ物ではないでしょうか。蒸した温かい蕎麦を、年がら年中提供する熱盛は、やはり不思議な存在です。一つ考えられるのは、香りを重視したのではないか、ということです。もりそばの場合、香りは、口に入れて噛んだ時、鼻に抜けていきます。かけそばでは、つゆや具材の香りが先に立ちます。熱盛の場合、蕎麦の香りが強く立ち上がってきます。特に、蒸籠蒸しの場合、蓋を開けた瞬間はむせかえるほどです。
二度と食べることはないだろうと思っていた熱盛ですが、実は、最近、ハマっています。家で昼食を食べる際、よく蕎麦を茹でて食べますが、もりそばが基本、たまに越前おそしそばというのが私の食べ方です。とは言え、冬場に冷たい蕎麦はやや厳しいものがあり、鍋焼きうどん、釜揚げうどん、五島うどんの地獄炊きといったうどんメニューも増えます。ここのところ、急激に寒くなってきたので、熱盛を思い出しました。もりそばを湯通しして、甘めのにんべんのつゆをそば湯で割ります。麺とつゆからダブルで香りが立ち、なかなか乙なものです。蕎麦の香りに着目した関西人の発想に、あらためて感心しております。(写真出典:co-trip.jp)