2024年1月11日木曜日

「PERFECT DAYS」

監督:ヴィム・ヴェンダース     2023年ドイツ・日本

☆☆☆+

「THE TOKYO TOILET」は、競艇の日本財団が立ち上げたプロジェクトであり、タイアップした渋谷区におしゃれな公衆トイレが17ヶ所運営されています。著名な建築家やデザイナーが設計した建屋だけでなく、丁寧なメンテナンスもプロジェクトの柱になっています。このプロジェクトを紹介する映像を作ることになり、監督に指名されたのがヴィム・ヴェンダースでした。日本をこよなく愛するヴェンダースは、単なるプロモーションではもったいないと脚本を書き、本作に仕上げたようです。プロモーション映像ではありませんが、公衆トイレの実態を通して東京の現実に切り込むといった社会派映画でもありません。主人公の人生観を切り取ってみせる佳作であり、ヴィム・ヴェンダースの才能が光ります。

 THE TOKYO TOILETプロジェクトのメンテナンスを請負う会社で、トイレ掃除を担当する寡黙な男の物語です。きっちりと同じことを繰り返す男の日々が、淡々と描写されます。男のルーティンを乱すささやかな波風が、男の内面や過去をかすかにうかがわせます。しかし、そこが映画の主題ではなく、深掘りすることもありません。様々な過去があったにせよ、しがらみを断ち切り、一人静かにルーティンを繰り返す男の日々が、あたかも禅のように心の平安をもたらしています。アップにされた男の表情を長回しで映し出すラストは、悔恨に揺れながらも、これでいいんだ、と自分に言い聞かせる男の心情を集約しています。役所広司のカンヌでの男優賞受賞は、このシーンに負うところが大きいのでしょう。  

抑揚にも会話にも乏しい展開は、平板に過ぎるとの批判もあるでしょうが、それこそがヴェンダースがねらったところであり、テーマからすれば最適な表現になっています。しかも、決して退屈させないところがヴェンダースの腕の確かさだと思います。穏やかな展開は、ヴェンダースが敬愛する小津安二郎のタッチを目指したものなのだろうとも思います。妹と会うシーンで男の過去をうかがわせるあたりも小津タッチだと思います。一方、男の内面を象徴する抽象的な映像の挿入は、ヴェンダースらしいモダンさだと言えます。田中泯演じる不思議なホームレスの存在は見事なアイデアだと思います。それが何を意味するのかについては、人それぞれの解釈があっていいと思います。私には人の孤独さの象徴だと思えました。

もはや国宝的存在の舞踊家・田中泯は、トレードマークの芝を背負って登場します。これには吹き出しました。台詞もなく、数カットだけ登場する田中泯をこのまま帰していいのか、ということになり、ヴェンダースは、わずか一日で短編「Some Body Comes Into the Light」を撮ります。東京国際映画祭で上映されました。ある意味、田中泯らしからぬ斬新な映像に驚かされました。単なる舞踊の記録映像ではありません。舞踊と映像が、新しい何かを創造していました。ヴェンダースの魔術師ぶりに驚かされました。ヴェンダースと言えば、音楽センスの良さも定評があります。今回も見事な選曲ぶりを発揮しています。主人公の世代を感じさせる選曲に、カセット・テープという演出もセンスの良さが出ています。

総じて言えば、見事な映像ながら墨絵を思わせる風情を持った映画だと思います。今回、映画を見る前から気になっていたのは、ドイツ人が日本で日本の役者を使って撮った映画は日本映画に見えるのか、ということです。当たり前ではありますが、やはり日本映画ではありませんでした。と言っても、よくあるエキゾチズムを強調した映像ではありません。ごく見慣れた東京の光景や日常が淡々と映し出されています。ところが、それがとても新鮮で瑞々しいものに見えるわけです。ただ、日本映画になっていない最も大きな要因は、台詞が少なかったことだと思います。日本の俳優が、日本語で会話劇を演じ始めると、途端に映画がベタついたものになっていくように思います。演技や演出の問題というよりは、日本語が母音だらけの言語であることがそうさせるのだと思います。(写真出典:eiga.com)

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