千鳥とは、上下左右へ規則的にずらしながらジグザグに配置することを言います。千鳥配置とも言い、酔っ払いの千鳥足と同じく、小鳥がヨチヨチ歩く様から名付けられているようです。紋様としての千鳥は、一羽の千鳥をデザイン化した紋様です。千鳥格子となると、千鳥が群れで飛んでいるように見える格子柄を指します。水辺の野鳥である千鳥は、旅鳥でもあり、群れて飛ぶことから”千の鳥”と呼ばれました。俳句では冬の季語ともなっています。日本では、古代から親しまれてきた野鳥ですが、世界中に多くの種類が分布しているようです。英語で、千鳥は"Plover"ですが、千鳥格子は"Hounds Tooth"(犬の歯)となります。犬の歯に似ているということなのでしょう。同じ紋様ながら、随分と発想が異なるところが面白いと思います。
世界最古の千鳥格子は、スウェーデンの泥炭沼地で発掘されたもので、紀元前360〜100年頃のもと推定されています。千鳥格子は、ノルマン人によってスコットランドのローランドに持ち込まれたようです。ハイランドでは、タータン・チェックの紋様が一族の構成員であることを示しますが、ローランドでは、それが千鳥格子になるようです。千鳥格子は、1800年前後の英国でブームとなり、生地のパターンとして一般化されます。1930年代には、NYの高級衣料店デ・ピナが千鳥格子を大きくフューチャーしたことで、アメリカにも広がります。第二次世界大戦後、千鳥格子は新たな展開を見せます。ハイファッションの世界が千鳥格子を”発見”したのです。最も有名になったのはクリスチャン・ディオールだと思います。
日本の場合、最古の千鳥格子は、正倉院に所蔵されているものだそうです。正倉院にあるということは、もともとは渡来品だったということなのでしょう。数百年で、北欧から日本にまで伝わったわけです。平安期以降、和柄の一つとして広がっていったようです。また、千利休が好んだとも言われます。茶道具を入れる袋、いわゆる仕覆に千鳥格子が使われています。「利休間道」とも呼ばれる細かな千鳥格子の絹地は”名物裂”として知られます。”間道”とはは、中国南部で織られた縞や格子の絹織物です。広東や漢東と呼ばれることもあるようです。江戸期になると、パターン化された千鳥の紋様が好まれ、千鳥格子もその一つだったのでしょう。なお、当時、最も人気だったのは波と千鳥の組み合わせだったようです。
7月の異常に気温が上がった日に、丹沢の塔ノ岳へ登ったことがあります。山の上でも気温が高く、汗は止まらず、息は上がって、地獄の登山になりました。花立山荘が近づくと、建物が見える前に、青空にたなびく氷旗が見えました。地獄で仏とは、まさにこのこと。普段は食べないかき氷をおかわりしました。氷旗は、大きな赤い氷の文字、その下に青い波が描かれています。そして空には千鳥が飛んでいます。冬の鳥が描かれているのは涼をとるという意味かと思っていました。実は、明治初期、日本ではじめて氷業を営んだ中川嘉兵衛が、函館は五稜郭の氷を使っていたことから、冬の鳥である千鳥を象徴的に飛ばしたのだそうです。いずれにしても、私にとって人生最高の千鳥は、花立山荘の氷旗の千鳥です。(写真出典:tsukatte.com)