監督:ケリー・ライカート 2019年アメリカ (A24配給)
☆☆☆☆ー
アメリカのインディペンデント映画の代表的作家ケリー・ライカートの作品です。本作が、彼女にとって日本の劇場で公開される初めての作品となります。A24が配給会社になったことで実現した歴史的上映です。彼女の映画はビデオや配信で観てきました。ただ、文法的に余白の多いライカート映画は、やはり映画館で観るべきだと、あらためて思いました。映画を観るということは、判断を停止して、スクリーンの向こうに没入する行為です。制作側にすれば、観客の首に縄をつけて、無理矢理、向こう側に引きずり込むということです。ライカート映画は、観客の主体性をそのままに映像と対峙させます。それが最も端的に現れているのがラストシーンです。結論めいた終わり方などなく、その後の展開は、常に観客の判断に委ねられています。ゴールドラッシュが起こる前、まだ毛皮ハンターが跋扈していた19世紀前半のオレゴン奥地が舞台です。多くのライカート映画がオレゴンを舞台とし、オレゴンで撮影されています。ライカートの映画は、低予算で制作され、ミニマリズム映画とも呼ばれます。ロケ地も限定的、キャストもスタッフも少なく、台詞も劇伴も必要最小限、使われる英語まで簡素です。今回は、題材がゆえだと思われますが、いつもよりも多くのキャストが登場します。映画は、現代の川辺で、犬を散歩させる女性の映像から始まります。女性は、並んで横たわる白骨2体を見つけます。映画は200年前のオレゴンを舞台としていますが、決して過去の話ではないことを示唆しています。
裕福な英国人の毛皮仲買人が、ミルク・ティーを飲むためだけに、そのあたりでははじめて牛を飼います。ハンター世界ではアウトサイダーに過ぎない料理人と中国人の二人組が、ミルクを盗み、ドーナツを焼いて売ります。これが大人気となります。はじめての牛を巡る寓話は、アメリカ社会のストレートな比喩になっているように思えます。アウトサイダーの二人組は、貧しい人々や移民といった底辺にいる人々の象徴であり、そこに生まれた連帯だけが真実であり、また唯一の救いだと言っているのでしょう。英国人仲買人のミルクは独占的な贅沢品です。それを盗んで焼いたドーナツは多くの人々を幸せにし、二人組を小金持ちにします。ある意味、民主化であり、ささやかな革命とも言えそうです。
ボストン茶会事件は、英国議会が紅茶の専売権を東インド会社に与えたことがきっかけとなりました。英国人仲買人のミルク・ティーは象徴的です。また、料理人がボストンで料理を覚えたというのも象徴的です。二人組が、独占されているミルクを盗み、ドーナツという形で大衆に提供したことも象徴的です。ただ、気になるのは、二人組が仲買人に追われ、命を落としたと思われる結末です。アメリカは、独立戦争(アメリカでは革命戦争と呼ばれます)で英国に勝利し、独立を勝ち得ました。映画の展開とは大いに異なるわけです。東欧系移民と思われる料理人、そして中国人、つまり遅れてきた移民たちは、いまだ革命を成就できていない、あるいはアメリカ建国の精神を実現できていないというメッセージなのでしょう。
2010年のライカート作品「ミークス・カットオフ」も、19世紀前半のオレゴンを舞台とする映画でした。西部開拓史に残る悲劇に基づいています。ガイドのミークが、経験に基づき推定しただけの近道に開拓団を誘導し、悲惨な事態を招きます。開拓団は、ミークよりもインディアンを信じることで助かります。映画では、そこまで描かれていませんが、史実はそうなっています。ミークのような強引な政治家に頼るのではなく、多民族が協力しあうこと、民主主義にこだわり続けることで道が開けると言いたかったのでしょう。「ファースト・カウ」においても、ライカートのその主張にブレはありません。ライカートは、アメリカ社会の底辺にいる人々から目を離すことなく、多民族国家のあり方を問い続けているように思います。(写真出典:firstcow.jp)