監督:ケリー・ライカート 2022年アメリカ (A24配給)
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テアトルシネマグループが、A24の未公開映画特集を行っています。飛ぶ鳥を落とす勢いのA24ですから、いいところに目をつけたな、と思います。とりあえず2本観ました。いずれも観客の入りが良く、A24の注目度の高さを感じました。1本は、英国のジョアンナ・ホッグ監督「エターナル・ドーター」です。監督の腕の確かさは感じましたが、母娘の感情のヒダは理解できないところがあり、それをゴシック・ホラー仕立てにした理由はもっと分かりませんでした。もう1本はケリー・ライカートの最新作「ショーイング・アップ」です。ライカート映画の日本初公開となった「ファースト・カウ」と同じ時期の公開となったわけです。「ショーイング・アップ」は、これまでのライカート作品とは、多少、毛色が違うように思いました。ライカート映画と言えば、社会の底辺にいる人々の目線から、アメリカ社会の矛盾やひずみを、寓話的に描くスタイルが特徴的でした。本作では、日々の生活のなかで生じるストレスとそこからの解放が、暖かみのある日常的視点で語られています。まるで手練れのニューヨーカー派の作家が書いた短編小説のようです。余白と余韻の多い文体で映画を撮ってきたライカートの熟練のタッチがあってこそ、はじめて成立した世界だと思います。心地よさが残る映画でした。ひょっとすると、その心地よさは、どこか郷愁のようなものに通じているのかもしれません。
社会で暮らすことでストレスは蓄積されていくものです。しかし、本作が舞台とする社会は、芸術大学であり、芸術家たちのコミュニティであり、芸術家一家です。それを社会の縮図と見ることもできますが、むしろ現実社会からある程度乖離した閉鎖的社会と言えると思います。アメリカの現実からすれば浮世離れしたコミュニティを舞台にしたところが、この映画のポイントのように思います。本作は、ライカートの特色でもある寓話的世界の一種だと理解することも出来るかもしれません。ただ、そこには、社会の矛盾を問うていく批判的精神はなく、家族や友人との絆、あるいは人間の弱さを見つめる暖かい視線だけがあります。ある意味、おとぎ話とも言えるので、その舞台は、やはり浮世離れしている方が良かったのでしょう。
人間が生きてゆくうえで、社会から受けるストレスは避け通れない代物です。ストレスという概念は、1936年、生理学者ハンス・セリエによって確立されたとされます。しかし、2,600年前、釈迦も「一切皆苦」という言葉でストレスを語っています。全てのものは変わる(諸行無常)、全てのものに本質などない(諸法無我)、よって全てのことは自分の思いどおりにはならない(一切皆苦)、というわけです。本作の主人公は、責任感や常識といった自分勝手とも言える基準と、それに沿わない現実との乖離によってストレスを貯めていきます。傷ついた鳩はストレスの象徴です。そして、傷ついた理由が自分の飼い猫にあることを隠して世話をすることが、ストレスの本質的な姿を示唆していると思います。
再び飛べるようになった鳩がストレスの解放に例えられています。鳩の世話をすることは、ストレスから逃げずに向き合うことことを意味しているのかもしれません。我々にストレスをもたらす家族、友人、仕事などは、正対することによってストレスを解き放たすものにもなり得る、それが人生だ、とライカートは語っているのかもしれません。従来のライカートの作風とは多少異なる本作は、A24とタッグを組んだことで生まれた作品かもしれません。A24は、金は出すが口は出さないことで知られます。変化が起きたとすれば、ライカートの内面においてだろうと想像します。興行的な成功を目的としないライカート映画の制作は、いつも資金調達に苦労してきたはずです。A24とのタッグが、それをある程度解消したことによって生まれた余裕なのかも知れません。このタッグの今後が大いに期待されます。(写真出典:imdb.com)