監督:山崎エマ 2024年日本・アメリカ・フィンランド・フランス
☆☆☆
東京の公立小学校を1年間密着取材したドキュメンタリーです。興味のあるテーマであり、海外で注目されているというので、観に行きました。年末の平日ですが、大混雑でした。小学校の先生たちが多く来ているような気がしました。映画は、1年生と6年生、その担任の先生たちにフォーカスしています。子供たちの成長や先生たちのご苦労は、見ていて飽きないものがありました。そういう意味では確かな腕前を持った監督なのだと思います。ただ、せっかく面白いところに目を付けたにも関わらず、ジャーナリスティックな視点が弱く、インパクトに欠ける印象を持ちました。”それは小さな社会”というサブ・タイトルが示すとおり、日本の小学校教育は、良き社会の一員を育てることが目的化されています。日本の社会の特徴である組織主義が背景にあるものと思われます。監督は、そのことに違和感、あるいは疑問を持っているのでしょうが、映画としては中立的な視点を保とうとしているように見えます。そこがこの映画の甘さにつながっています。欧米の観客にとって、日本の小学校の日常は、その徹底された組織主義ゆえに奇異なものとして映るかもしれません。しかし、日本人にとっては、ありふれた光景にしか見えません。海外での公開が主なねらいだったのかもしれません。日本での上映に限って言えば、フランスの小学校と対比させるなどしたら、かなり面白くなったのではないかと思います。
世界中の小学校は、子供たちが社会で独立していくための初期的な教育を行っているものと考えます。海外の小学校事情を知っているわけではありませんが、アメリカの小学校に関しては、娘が通ったので多少の見聞を持っています。日本の小学校は、擬似的な社会を体験させることで、社会の一員としての訓練を施しているように見えます。対して、アメリカの場合、競争の場である社会で生き抜くための知恵を伝授しているように思えます。その基本的な教育スタンスは、個人、あるいは個性を鍛えることにあるのではないかと思います。つまり、組織ありきか個人ありきかの違いなのでしょう。もっとも日本の教育基本法においても、各個人の有する能力を伸ばすことが教育目的として掲げられてはいます。
日米、いずれの小学校教育が優れているかという問いは無意味だと思います。寄って立つところの社会のあり方が異なるからです。日本式の型にはめるような教育スタイルは、社会がゆるぎない体制を維持している場合、あるいは社会の目指すものが明確な場合には極めて有効だったと思います。富国強兵、軍国主義、そして戦後復興、高度成長といった時代には、大いに効果的だったと言えます。ただ、変化が大きい時代を迎えると、対応力に欠けるという弱点が露呈することになります。バブル崩壊後の空白の30年は、政治の責任が大きかったものと考えますが、教育システムの弱さも影響しているのかもしれません。もっとも、日本の社会の目指すところが明らかではないことこそが最大の問題なのではありますが。
余談ですが、小学校6年生のおり、函館への一泊二日の修学旅行に行きました。函館のバスガイドさんが、どこの学校かと聞くので、皆で元気よく校名を伝えました。すると、ガイドさんは、ああ、青森の学習院と呼ばれているあの有名校ね、と言っていました。そうか、我が校は青森の学習院なのか、と喜んでしまいました。しかし、ほどなく、あのガイドさんは、どこの学校にも同じように言っているのだろうと気づきました。残念ながら、学習院ではなかったものの、学区が官舎や社宅の多い住宅街だったので、クラスの3割くらいは東京や仙台からの転校生が占めていました。今思えば、東京の言葉を話す生徒たちの存在は、とても良い刺激になっていたものと思います。型にはめるばかりが学校教育ではないということです。(写真出典:eiga.com)