福の神・仙臺四郎です。仙臺四郎は、不明な点も多いものの、江戸末期から明治期の仙台に実在した人です。鉄砲鍛冶の家に生まれた四郎は、生まれつき、あるいは幼少期の事故に起因するとも言われる知的障害があり、ほとんど話すことができなかったようです。仙臺四郎という名前で知られるようになったのは死後のことであり、生前はシロバカ(四郎馬鹿)と呼ばれていたようです。障害があるとはいえ、いつもニコニコとして穏やかな性格の四郎は、町の人々に愛されていたようです。毎日、町をふらふらしていたようですが、不思議なことに四郎が寄った店は必ず繁盛するという噂が立ち始めます。中国の故事に言う市虎三伝そのものです。町に虎が出たと一人が言っても信じてもらえず、三人が言えば真実として伝わるというわけです。
東北本線が開通すると、鉄道が気に入った四郎は、よく乗車していたものだそうです。お金を持っていませんから、切符代は人に恵んでもらうか、駅員が無賃乗車させていたようです。四郎は、47歳のおり、須賀川で亡くなったとされますが、詳細は不明であり、墓の所在も不明なままです。恐らく鉄道好きの四郎は、他人に買ってもらった切符で須賀川まで乗車し、そこで行き倒れたのではないでしょうか。これが仙台の町でのことなら死ぬこともなかったのでしょうが、四郎を知る人のいない町ではやむを得なかったのかもしれません。死後も、目撃談は絶えず、釜山で暮らしているという新聞記事まで出たそうです。四郎が、いかに仙台の人々に愛されていたかという話でもあります。
四郎の写真が一枚だけ写真館に残っており、大正期に”明治福の神仙臺四郎君”として絵葉書になると大変な人気を博したようです。第一次大戦終結後の不況期、藁にもすがる思いで町の福の神が担ぎ出されたのでしょう。この絵葉書が、今に続く福の神仙臺四郎伝説が広まるきっかけになったものと思われます。思うに、商売繁盛は四郎の特殊能力というよりも、四郎を温かく受け入れるような店は、他の客にも同様の応接をしていたからこそ繁昌したということなのでしょう。四郎は、福の神というよりはエンジェルがごとく、仙台の人々の優しさを引き出していった存在だったのではないかと思われます。いずれにしても、障害がゆえに町にやさしい奇跡をもたらした人だったと言えるのでしょう。
岡本かの子の短編「みちのく」には、四郎馬鹿と彼が恋した呉服屋の娘が描かれています。もちろんフィクションです。とても短い作品ですが、えもいわれぬ情感を残す名作だと思います。短編の名手にかかると、仙臺四郎が眼前に浮かび上がるかのようです。呉服屋の娘は、恐らく仙台の町の人々のメタファーなのだろうと思います。不況期になると、仙台では必ず仙臺四郎ブームが起こると聞きます。商売繁盛をもたらす福の神としては当然のことなのでしょう。しかし、身勝手な神頼みよりも、仙台の人たちには、四郎の純粋さや心根の優しさを誇ってもらいたいものだと思います。ひょっとすると、岡本かの子も同じように思ったのかもしれません。(写真出典:ja.wikipedia.org)