監督:フィリップ・ラコート 2020年コートジボワール・フランス・カナダ・セネガル
☆☆☆+
アフリカ有数の国際都市アビジャンを擁するコートジボワールは、大西洋に面したアフリカの国です。映画は、コートジボワールの刑務所における一夜を描いたファンタジーです。刑務所には絶対的なボスが存在しますが、体が弱ったら自ら命を絶つという厳しいルールがあります。また、ロマンという語り部に指名された囚人は、赤い月が昇った夜、朝まで物語を語り続けなければ殺されるというルールもあります。ボスが自殺を決意するまでの葛藤、そしてロマンが語るザマ・キングという名のギャングの生涯、この二人の王に関わるストーリーが赤い月のもとで同時進行します。
アラビアン・ナイト的で魅力的なプロットだと思います。基本的にドラマは、刑務所の中庭だけで展開されますが、ザマ・キングの物語は海岸やゲットーで展開され、映画に広がりを与えています。ロマンの物語に聞き入る囚人たちは時に歌い踊りだすというミュージカル的な演出も行われます。挿入される短い歌と踊りは実にアフリカ的で、かつ自然に展開され、映画を魅力的なものにしています。また、ザマ・キングの物語に登場する女王、そして女王とその弟の戦いのシーンは、エキゾチックなだけでなく、コートジボワールの歴史も感じさせ、興味深い映像となっています。総じて言えば、監督は、映画の文法に精通しているだけでなく、コートジボワール映画としてのアピール・ポイントもよく心得ているように思います。
コートジボワールとは、フランス語で象牙の海岸を意味します。かつて日本では、国名を象牙海岸と表記していましたが、コートジボワール政府の要請に基づき改称しています。15世紀には、欧州の商船が、象牙と奴隷を求めて来港しています。17世紀には、フランスの進出が始まり、結果、フランスの植民地となります。1960年には、独立を果たし、安定的な政治情勢のもと、カカオ、石油、木材の輸出をもとに驚異的とも言える経済成長を遂げています。ただ、国名も公用語も、いまだにフランス語になっているのは、多民族、多言語国家ゆえと思われます。本作も、フランス語とジュラ語で制作されています。ジュラ語は、西アフリカの商人言葉が起源であり、コートジボワールでは6割の人が話すようです。
ウフェ=ボワニ大統領のもと安定的だった政治は、大統領の死とともに混乱期に入っています。1999年の軍事クーデターに始まり、内戦が続き、旧宗主国フランスの介入も招きます。現在は、ワタラ大統領のもと、安定的な状態を保っているようです。こうした歴史が、二人の王には反映されているのでしょう。ボスの後釜をねらって起こった喧嘩のなかで、ボスの座をねらう囚人は看守によって射殺されます。これは内乱に対するフランスの介入を暗示しているものと思われます。一方、ザマ・キングは、女王の側近の子であったことを背景にのし上がりますが、大衆の怒りをかい、大衆に殺されます。夜が明ける前に殺されそうになったロマンは、ザマ・キングは捨て子だったという話を語ることで生き延びます。
刑務所のボスに関わるストーリーは政治の上部構造を語り、ザマ・キングの話は国民大衆を象徴しているのでしょう。ザマ・キングが捨て子だったというオチは示唆的です。コートジボワールの政治状況を理解していない我々にとって、深く理解することは困難なのかもしれません。ただ、民主主義、あるいは民族主義を象徴していのではないかと思われます。いずれにしても、良く出来たプロット、エキゾティックなテイスト、巧みな演出が印象に残る映画でした。アフリカでは、ナイジェリアが映画大国として知られ、その映画産業はノリウッドと呼ばれます。ノリウッドは、近隣の西アフリカ諸国にも大きな影響を及ぼしているということかもしれません。(写真出典:imdb.com)