2024年12月11日水曜日

「ゴンドラ」

監督:ファイト・ヘルマー    2023年ドイツ・ジョージア 

☆☆☆

舞台はジョージアの山中で行き交う古風なゴンドラ。台詞は一切なく音楽と環境音だけ。ゴンドラ乗務員の女性二人の恋が、コミカルに描かれます。テイストは、ウェス・アンダーソンを無声映画にした感じです。何も加工を加えていない映像が美しい山々を映し出し、実に綺麗なものでした。見終わったあとには、”現代版おとぎ話”という言葉しか思い浮かびませんでした。ファイト・ヘルマーは、過去にも台詞のない映画を撮って一定の評価を得た人です。監督は、コロナ禍にあって、映画の撮影が困難となったドイツを離れ、ジョージアの山中で、少数のキャスト・スタッフだけを使い、しかも台詞のない映画を撮ることにしたようです。コロナが生んだ映画ということもできそうです。

台詞がないことには、一切の違和感を感じませんでした。恐らく、コミカルなおとぎ話仕立てだったからなのでしょう。ただ、トーキー映画しか知らない我々にとって、台詞の無い映画は新鮮であり、あらためて映画における台詞の意味を考えさせられました。もちろん、現代の映画は、映像、台詞も含めた役者の演技、音楽、効果音などの全てを総合的に使って構成されます。しかし、映画とは、劇映画であれ、ドキュメンタリーであれ、本質的には映像を使った表現形態だと言えます。とすれば、台詞は映像表現をサポートするものに過ぎず、台詞のない映画は究極の映像表現とも言えそうです。少なくとも、通常のトーキー映画とは全く異なる脚本、映像、演出、演技が必要とされるのでしょう。

映画は、1895年、フランスのリュミエール兄弟によって発明されたとされます。兄弟が発明したシネマトグラフは1本の撮影時間が50秒でした。兄弟は、約1500本の映画を撮影し、これを有料公開しています。映画「リュミエール」(2016)は、兄弟が撮った1500本の中から108本を4Kデジタル化したドキュメンタリーでした。当時の手回しカメラは固定されたままで、ズームもありませんでした。しかし、兄弟は、映像の力を最大限引き出すべく、実に様々なことに挑戦しています。初期の有名な作品に「ラ・シオタ駅への列車の到着」があります。蒸気機関車が画面奥から駅に入線する様子を斜めの構図で撮っただけの映像ですが、これを見た観客たちは、列車が飛び込んでくると思って逃げたと聞きます。構図の勝利だったわけです。

兄弟は、単に動くものを撮るだけでなく、登場人物に演出を加えた映画も撮っています。世界最初の劇映画とされる「水をかけられた散水夫」です。史上初の劇映画がコメディであった点は興味深いと思います。映画は、第七の芸術とも言われますが、誕生した瞬間から娯楽という本質を持っていたわけです。ファイト・ヘルマー監督は、そうした映画の本質も踏まえて本作を撮っているように思います。無声映画を撮りたかったのでもなく、また、いわゆるミニマル映画を撮りたかったのでもなく、台詞をなくすることによって、映像が持つ本来的な力を追求したかったのではないかと思えます。「ゴンドラ」はコロナ禍の意図せぬ副産物だったかも知れませんが、実に興味深い作品が出来たものだと思います。

2020年に公開されたファイト・ヘルマー監督の前作「ブラ!ブラ!ブラ! 胸いっぱいの愛を」は、アゼルバイジャンを舞台に撮られた心温まるコメディでした。これも台詞が一切ないということで話題になりました。役者たちの演技が見事でしたが、それぞれ母国語の異なる熟達の役者たちが欧州各国から集められたとのことでした。台詞がないからこそ成立した映画とも言えます。台詞のない映画こそ、映画の王道なのではないか、とさえ思ってしまいます。余談になりますが、撮影に使われたゴンドラは味のあるものでした。スペインのモンセラットで円に近い多角形の古いゴンドラに乗ったことがあります。日本のゴンドラと言えば、ほぼ四角っぽいものばかりですが、欧州には、まだまだ面白いゴンドラがあるのだろうと思います。(写真出典:moviola.jp)

マクア渓谷