監督:ベット・ゴードン 1983年アメリカ
☆☆☆+
映画大国アメリカの産業面を主導しているのは間違いなくハリウッドですが、芸術面を担っているのはインディペンデント系です。インディペンデントとは、ハリウッドの6大スタジオに属さない制作会社を指します。低予算で制作される意欲的な作品が多く、そこで生まれたヒット作がハリウッドに取り込まれ、世界的なトレンドを作ることもしばしばあります。ベット・ゴードンは、アメリカのインディペンデント映画界を代表する女流監督と言われ、現在はコロンビア大の教授もしていますが、日本での知名度はあまりありません。近年の4Kデジタル・リマスター版ブームのおかげで、彼女の伝説的な作品を見ることができました。ポルノ映画館「ヴァラエティ」のチケット売場で働くことになった女性が、恋人からマフィアに関する話を聞いていたこともあり、マフィアらしき常連客に興味を持ちます。常連客の誘いがあって野球観戦に行きますが、彼は急用で球場を去ります。女性は、彼を密かに尾行するうちに、自らがポルノの世界にハマっていきます。女性は性労働者ではありませんが、男性に搾取されるポルノ界を見聞するうちに、自らが主導権を握り、男性を支配する立場へと変化していくかのように暗示されています。結末も含めて、曖昧な展開ではあるものの、恐らく風変わりなフェミニスト映画だと言えるのでしょう。この時期、シャンタル・アケルマンらに先導される形でフェミニスト映画が大きな流れを作り始めていました。
しかし、アケルマンのスロームービー等とは全く異なる独特のタッチこそ、ベット・ゴードンの、そして、この映画の魅力だと思います。人物や街の描写は、息づかいや匂いまで感じられるほどに繊細でリアルだと思います。NYを舞台とする映画は多く存在しますが、NYという街を描けている映画は多くありません。代表格は、マーティン・スコセッシの「タクシー・ドライバー」だと思いますが、本作は、それに劣らないほどクオリティが高いと思います。通常、映画は、街のイメージを主体的に再構築したうえで提示するものです。ベット・ゴードンが描くNYは、単に自然主義的というよりも対象を突き放すほどに客体化されているように思います。そして、その積み重ねのうえに、謎のラストシーンがあるように思います。
映画が撮られた1983年、アメリカは不景気の底にありました。ロナルド・レーガンが大統領になり、景気は回復していくわけですが、産業構造の転換という試練は続きます。私がNYに赴任したのは1987年ですが、アメリカの製造業は、日本やドイツに追上げられて、自信を失っていました。NY市の財政難は、警察官と清掃員の不足を招き、街はゴミだらけ、治安は最悪でした。映画の舞台となっているブロードウェイは、さすがにミュージカル・シアターは残っていましたが、ポルノ街になっていました。観劇客を相手にする老舗レストランがある一方で、$5~6でステーキ・ディナーを提供するようないい加減な店が多くありました。一言で言えば薄汚れた街でしたが、そこで生まれた音楽ムーブメントにパンクがあります。
カウンター・カルチャーの時代には、伝統的なバッハ形式を用いて政府や旧世代を批判する歌が作られましたが、パンク、ことに”No Wave”はバッハ音楽そのものを否定していきます。映像の分野でもNo Waveは大きな動きであり、ベット・ゴードンもそうした流れの中にあったのでしょう。伝統的な映画手法を否定した先人たちとしては、フランスのヌーベル・バーグやNYのインディペンデント系監督たちがいました。彼女は、明らかに先人たちの影響下にあるものの、そのセンスはよりニヒリスティックになっていると思います。しかし、彼女の映画は、No Wave的ではあっても、その根底には、かなりしっかりとした映画文法があるように思います。是非とも、他の作品も観てみたいと思いました。(写真出典:en.wikipedia.com)