18世紀初頭にさかのぼるチャールダーシュの起源は、ハンガリー常備軍の兵士募集のために、酒場で演奏されたヴェルブンクだとされます。兵士の募集方法としては珍妙な印象を受けますが、まずは人を寄せ、軍隊は楽しいところだよ、という幻想を売り込んだものなのでしょう。18世紀末になるとヴェルブンクを引き継ぎ、さらに洗練させたヴェルブンコシュが広まります。印象だけで言えば、やたら手足を叩いて踊るジプシー・ダンスの曲といった風情です。19世紀になると、作曲家マルク・ロージャヴォルギが登場し、ヴェルブンコシュを都会的に洗練させたチャールダーシュへと昇華させていきます。ロージャヴォルギは、”チャールダーシュの父”と呼ばれているようです。
チャールダーシュの魅力は、明暗、緩急のコントラストの妙にあると思います。ラッサンと呼ばれる遅いパートとフリシュカという速いパート、哀愁に満ちたメロディと明るく活き活きとした印象のメロディとの対比です。哀愁あふれるメロディには、絶望でも悲嘆でもなく、宿命に対する諦めのようなものを感じます。それも自己憐憫という甘い味付けがされています。そして明るいパートは、人生悪いことばかりじゃないよね、といった希望を感じさせます。つまり、誰にでもあり得る人生の浮き沈みやささやかな希望を思わせるものがあります。チャールダーシュは短い曲ながら、人生の機微が詰まっているとも言えます。それが人を惹きつけるのでしょう。チャールダーシュは欧州で大流行し、一時、ハプスブルク家が禁止令を出したこともあるようです。
ハンガリーという国は、広大なハンガリー平原がほとんどを占める国です。冷涼な気候と豊かな牧草が、古くから遊牧民たちを引き寄せ、多くの民族が行き交ってきました。ハンガリー人の大層を占めるマジャル人は、ウラル山脈に起源を持ち、チュルク系との混血を繰り返しながらドナウ川に至ったようです。11世紀にはハンガリー王国が誕生し、モンゴルの侵入を許したものの、その後は周辺の国々を制圧し、多民族国家を築いています。16世紀になるとオスマン帝国に侵入され、国は分割されます。17世紀末、陰りの見えたオスマンは、ハプスブルク家のオーストリアに敗れ、ハンガリーもその支配下に入ります。いずれにしても、ハンガリーという国は多様な民族・文化が行き交う地であり、それが独特な文化を生んできたのでしょう。ちなみに、マルク・ロージャヴォルギもマジャル人ではなくユダヤ人です。
モンティの「チャールダーシュ」は、ヴァイオリンやピアノで聞くことが多いのですが、もともとはマンドリンのために作曲された曲です。マンドリンでもピアノでも、あるいはクラリネットでも良い演奏が聴けますが、やはりヴァイオリンが最も適した楽器のように思います。「チャールダーシュ」の哀愁に満ちたメロディや超絶技巧は、ロマ音楽に通じるところがあり、やはりフィドルが似合うように思います。チャールダーシュは、楽譜どおりに演奏する曲ではないと聞きます。アドリブという意味ではなく、演奏者個々の解釈が大胆に反映されるべき曲という意味だと思います。確かに、緩やかなラッサン・パートでは演奏者がそれぞれ思い入れたっぷりに演奏します。その表現の違いが面白いと思います。西洋系よりも東欧系の、それもロマ系の演奏者の方が、情感たっぷりに弾いており、より魅力的だと思います。(写真出典:mnte.hu)