監督: マルコ・ベロッキオ 原題:Esterno notte 2022年イタリア
☆☆☆+
1978年に発生した極左テロ組織”赤い旅団”によるアルド・モーロ誘拐殺害事件を題材とする映画です。TVミニシリーズ6回分を、前編・後編2本の映画にブロウ・アップしたバージョンです。マルコ・ベロッキオは、2003年にも「夜よ、こんにちは(Buongiorno, notte)」でテロリスト側の視点から同事件を描いています。本作は、84歳になった監督が、事件の全体像を撮っておきたいと強く願って実現したものと思われます。アルド・モーロ誘拐殺害事件は、イタリアでテロが頻発した“鉛(弾丸)の時代”を象徴する事件とされます。複数の極左テロ組織、それに対抗する政府、ロッジP2等の反共結社、西側諸国といった構図は、カウンター・カルチャーの時代だけでなく、東西冷戦をも反映していると言われます。アルド・モーロは、2度に渡って首相を務め、事件当時は、キリスト教民主党(DC)の党首でした。DCは、イタリアの戦後を半世紀に渡って主導した中道右派政党です。第二次大戦の際、三国同盟のうち日独は敗戦国となりますが、イタリアは戦勝国になっています。1943年、敗戦濃厚となったイタリアではムッソリーニが失脚し、連合国側についたイタリアは進駐してきたナチスと戦い、戦勝国になったわけです。戦後、DCが政権を握り、アメリカの欧州復興援助計画、いわゆるマーシャル・プランのもと、イタリアを奇跡的復興へと導きました。援助による復興は権力者の腐敗を生みやすいものです。しかもDC政権の長期化がそれを助長しました。腐敗の象徴が、事件当時の首相ジュリオ・アンドレオッティでした。
教皇や政府の一部は、赤い旅団との交渉を試みますが、アンドレオッティ内閣は一切の交渉を拒否します。これが、結果、アルド・モーロの殺害を招くことになります。当時、モーロは、第二党に躍進してきた共産党との歴史的連立を指向していました。アンドレオッティはじめDCの保守派、反共組織、そして西側諸国は、この動きを大いに懸念します。この構図が、今に至るまで、多くの疑惑と憶測を生み続けています。ただ、マルコ・ベロッキオは、極力、そうした仮説や憶測を避けて、客観的な事実に基づいて本作を構成しています。もちろん、ある程度の政治的示唆はあります。左翼冒険主義の内実に関する批判的な描写があり、アンドレオッティはじめ保守派はマフィアに寄せた映像に仕上げられています。
ただ、全体としては、関係者個々に焦点を当てたエピソード構成のなかで、事件が持つ人間的な側面や普遍性を追求しているように思います。かつてマオイストで、今も左翼を自認するマルコ・ベロッキオだけに、こうしたアプローチには、ある意味、重みを感じます。丁寧な描写、効果的な音楽、少し粗めの映像などによって、映画は長尺ながら高い緊張案を保って展開しています。さすがマルコ・ベロッキオといったところです。ただ、この人の映画の特徴として、けれんみのあるドラマティックな展開に欠けることが挙げられます。今回は、ミニシリーズというフレーム上の制約や過度に政治的になることを避けたことから、一層、娯楽映画的なメリハリに欠け、それが、かえって重厚なドラマを形成することになったと思います。
”タンジェントポリ”というイタリア語があります。直訳すれば”汚職の街”となりますが、1992年に始まった政財界とマフィアへの大規模な汚職捜査と、その結果生じた政治改革を指しています。ミラノに始まり全国に拡大した捜査は、ジョヴァンニ・ファルコーネ判事、パオロ・ボルセリーノ検事の暗殺などの激しい抵抗も受けましたが、結果的には国会議員400人を含む3000人を摘発しています。ジュリオ・アンドレオッティも、汚職、複数のテロ・暗殺への関与で首相の座を追われ、起訴され、DCも解党に追い込まれています。イタリアの戦後の膿が一気に出たと言えます。しかし、それ以降、イタリア政治が安定したというわけでもありません。タンジェントポリで政権を奪取したメディア王ベルルスコーニは疑惑の百貨店でした。その後も政権は安定することなく変わり続けています。(写真出典:eiga.com)