高雄には空海ゆかりの神護寺、槙尾には神護寺から独立した西明寺、栂尾には鳥獣戯画で有名な高山寺があります。いずれも名だたる古刹ですが、なかでも神護寺は、歴史的重要性が高いだけでなく、9点の国宝、2800点を超える重要文化財を抱える名刹です。行ってみたいと思うのですが、そのアクセスの悪さから断念してきました。ところが、今般、国立博物館で「神護寺―空海と真言密教のはじまり」展が開かれ、向こうから来てくれました。しかも、ご本尊である国宝「薬師如来立像」が、他に7点の国宝を従えてのお出ましです。創建1200年を記念した特別展とのことですが、ご本尊が寺を出るのは創建以来初めてとのことです。ちなみに、今回、展示されていない国宝は梵鐘です。重すぎて山を下れなかったようです。
展示される国宝は、見事なものばかりですが、なかでもご本尊「薬師如来立像」、そして、今回、230年振りに修復された「両界曼荼羅」、いわゆる高雄曼荼羅が圧巻でした。神護寺は、和気清麻呂が8世紀末に創建した神願寺と高雄山寺を合併する形で、824年に開かれています。高雄山寺は、806年に唐から帰国した空海が、最澄の口利きで身を寄せた寺であり、真言宗を開いた寺として知られます。空海は、神護寺の創建にも深く関わっているようです。薬師如来立像は、創建の際、前身となった二つの寺のいずれかのご本尊を移したものとされます。重量感のある外観と厳しい眼光を持つ一本造の薬師如来立像は、木彫りの仏像の最高峰に位置づけられます。平安前期の貞観様式に特徴的な峻厳さは、南都六宗への批判、あるいは山岳仏教の影響とも言われます。
その制作を空海が指揮したとされる両界曼荼羅、別称高雄曼荼羅は、4m四方の胎蔵界・金剛界曼荼羅が対を成します。空海が唐から持ち帰った優美な仏画が忠実に再現されていると言います。曼荼羅は、密教における宇宙の真理を表わすとされます。両界曼荼羅は、密教の二大経典である大日経と金剛頂経を図解したものとされます。胎蔵界曼荼羅は大日如来の悟りの世界を表し、金剛界曼荼羅は悟りを開くための方法を示すとされます。現存する最古の大型曼荼羅である高雄曼荼羅は、希少な紫根で染めた絹地に金銀泥で微細な線が描かれています。今回の補修では、欠損部分はそのままに、また金銀泥で書き足すこともせず、裏地を全て張り替ることだけを行ったと言います。オリジナルを尊重した補修のあるべき姿なのでしょう。
ご本尊がお出ましになり、かつこれだけ国宝を並べた展覧会も珍しいと思います。明らかに、今年開催された展覧会のなかでは一番だと思います。こっちが行かなくても、向こうがやってきてくれた、と言いましたが、何が何でも高雄に出かけようという気になりました。余談になりますが、国立博物館では、たまに名の知れた仏像を展示するわけですが、その前で手を合わせている人を見たことがありません。神護寺へ行けば、皆、ご本尊の前で、お賽銭を入れ、深々と礼拝するわけです。博物館の展示となっただけで、手を合わせなくなります。今回、私は、薬師如来立像に手を合わせました。周囲からは、多少、妙に思われたかもしれませんが、ご本尊にはそうさせるだけの神々しさがありました。(写真出典:artexhibition.jp)