カルピスは、1919年、世界初の市販乳酸飲料として発売されています。開発したのは、元僧侶の三島海雲です。若くして大陸に渡って商売を始めた海雲は、モンゴルで病に倒れ、瀕死の状態に陥ります。世話をしてくれたモンゴル族に勧められるままに酸乳を飲み続けたところ、見事に回復します。帰国した海雲は、モンゴルでの経験をもとに乳酸菌の研究を重ね、カルピスの発売にこぎつけます。商品名のカルピスは、カルシウムとサンスクリット語で熟酥を意味するサルピスを組み合わせたものだそうです。商品名を決めるにあたり、海雲は、作曲家の山田耕筰に相談したうえで、カルピスに決定したといいます。音感が良いということだったのでしょう。海雲という人のマーケティング・センスの良さを感じます。
昔、来日したアメリカ人の土産としてカルピスが人気だった頃があります。カルピスが、カウ・ピス(牛の尿)に聞こえると面白がられたようです。その後、カルピスが海外展開した際には、カルピコという商品名を使っていました。ちなみにポカリ・スウェットも、日本人は汗を飲むのか、ということでアメリカ人にウケていたようです。また、かつてカルピスのロゴと言えば、パナマ帽を被った黒人がストローでカルピスを飲む図案でした。この図案は、国際公募を行い、選出されたドイツ人デザイナーの作でした。黒人のロゴと水玉の包装紙は、長らくカルピスの象徴でした。ただ、ロゴは、1990年、人種差別問題への配慮から廃止されています。ちなみに、その前々年、永らく親しまれた人気童話「ちびくろ・さんぼ」も同じ理由で絶版化されています。
いずれにしても、ブランドを確立したカルピスでしたが、1980年頃から売上が減少します。飲料の多様化が始まり、コンビニや自販機の普及、ペットボトルの登場もあり、希釈タイプのカルピスは厳しい状況に陥ります。1991年には、味の素の資本参加を仰ぎ、同時に希釈済みのカルピス・ウォーターを発売、ヒットさせています。早く発売すべきだったと思いますが、希釈用とのカニバリが起こることを恐れていたようです。2000年代に入ると、飲料業界は更なる激戦の時代に入り、カルピスは再び売り上げを落とし、会社はアサヒ飲料傘下に入ります。それ以降、カルピスは、ジワジワと売上を伸ばしてきました。成功の要因は、乳酸をアピールした健康指向路線をとったことです。いわば原点回帰です。かつてカルピスで育った大人たちを中心に売上が伸びたようです。
今年の夏は灼熱地獄でした。そのなかで、突然、プールの後のカルピスの味を思い出しました。希釈用のボトルを買って、半世紀ぶりに飲んでみました。やはり美味しいわけです。ただ、こんなに甘かったのか、とも思いました。カルピスの定番キャッチ・コピーと言えば「初恋の味」です。海雲は、友人から薦められたこのコピーを一度は断ったと言いますが、1922年、採用を決断します。当時は、愛だとか恋だとかおおっぴらに言える時代でもなく、案の定、このコピーは物議を醸したようです。ただ、大正デモクラシーに沸く世間では、新鮮でモダンなコピーとして大いにウケたそうです。また、海雲は、関東大震災のおり、被災者に滋養をつけるためにカルピスを無料で配ったといいます。海雲の座右の銘は「国利民福」だったそうです。一流と言われる人たちは確固たる信念を持っているものだと、つくづく思います。(写真出典:chiebukuro.yahoo.co.jp)